なっ!?シフト代わってくれくれるんすよね!!/シン大「小さい子が咳するの見てると凄く辛そうでさぁ」
バレンタインが近い月曜日の厨房はチョコレートの匂いに包まれて、なんて甘い雰囲気ではない。どちらかと言えば閉店後の片付けに追われていて料理の提供を終え回収された皿やグラスでシンクや調理台は犇めき合っていた。カップルへの提供もこの時期はいつもより増すから返却の皿も比例する。キャストが甘く蕩けるような台詞や所作を魅せるのは表でだけ、客の前でだけだ裏方にそんな甘さなどは微塵もない。
「流行り風邪やインフルエンザが蔓延しているからな…子供なら症状も酷いだろう」
シンが皿の泡を流し隣のギィにそれを渡す、黙々と拭き取っては積み上げていく。食洗乾燥機の稼働と同じくらいの働きを魅せる二人を見ながら金剛は通勤途中に見かけた親子の話を続けた。
「きっと病院の帰りだったんだと思うんだ腕に注射の跡のパッド?貼ってたからね」
「注射?自分で打つ?」
ギィの確認にも思える疑問にシンはやんわり答えてやる。
「子供は自分では打たない…大人であれ生半可な知識で打つものは先ず居ない」
あれ話が違う方向にって思いながら、そういや皿洗いをしている二人に何でこんな話をしようと思ったんだっけ?
「注射は自分で打つものじゃないよね、そうじゃなくて…小さい子があんな頑張ってるの見ると代わってあげたいって親のような気持ちになっちゃったんだよなぁ」
母性、いや父性と言うのか他人の子を見てそんな事をふと考えてしまうようになってしまった。と感慨深くしみじみと温かくもなったって他愛もないことだった。
「年からすれば子供が居てもなんら可笑しくはない。それを言うならお前だけではないか…」
腕まくりをした男の子は注射の跡を押さえて肩から青いダッフルコートを掛けていた。
「小さいなりの努力とか経験があって、注射の痛みにも耐えたんだなぁとかそんな事まで考えてしまって」
「親のような気持ちか…わからんでもないな」
全ての食器を戻し終え二人と一緒に店を跡にした。帰り道さっきの会話を思い出し、シンも俺と同じような気持ちになったことあるんだなと内心温かくほっこりとした気持ちになっていた。
✽✽✽
「へっ……クシュン!!」
自分とは違いだいぶ小さな体を反らせてくしゃみをしている。風邪の初期症状かもしれないな。
「遅くまでまた思いの儘に遊んでいたのか」
「人聞きの悪いこと言わねぇでくだせ〜よ〜」
携帯片手に『周回』とやらに励んでいるようだ。
「辛いなら…代わってやるぞ」
普段から丸まった猫背を更に丸めて大牙は俺にゆっくりと振り向いた。手を差し出したが頑なに携帯を寄越そうとはしない…それもそうだ、急ぎ過ぎたか。
「ぃゃ…いーすよ周回なんで代わるも代わらないも大差ないんで、つか近づいたら風邪だとしたら移りやすよ」
シッシッと手で払われる始末だ。
「それもそうだな」
急に代わってやると言い出したかと思えばあっさりと去ってしまった。代わるも代わらないも周回なんで別にシンがやったっていいのだが、大牙が携帯を手放すことは無い。
「へっ…クシュン!!!!!」
確実に帰ったときより大牙のくしゃみが酷くなっている。これはよいよ病院で診てもらったほうがよさそうだ。
「明日のシフトは変更させよう」
「大丈夫すよ…へっ…クシュ!」
「お前はなそうだろが休め、いいな」
✽✽✽
あくる日には順調に風邪は回復した。自分の腕とはまだまだ比べるには値しないが大牙の締まった二の腕には注射の跡をかくすパッドが貼られている。
「代わってやりたくても無理なことは無理だな」
「なっ!?シフト代わってくれくれるんすよね!!」
体調は良くなったとは言え大牙はまだ咳のせいで声が掠れている。
「無論だ、今日は休めシフトは変更してある」
びっくりさせねぇでくだせぇよとまたベッドに横になって昨夜の咳の疲れが祟ったのかすぅすぅと寝息を立てもう夢の中だ。
「親のような気持ちか…ふっ」
枕の端を握っては横向きになりその口元は緩んで開いている。日頃の夜ふかしもあり余程寝ていなかったのだろう。床を共にしない時は大概シンが先に寝てしまっている。
「ヒッ…ヒャッヒャッヒャッ……むにゃむにゃ」
大牙の寝顔を見るのも久しいなと思わずその頬を触らずには居れなかった。
『小さいなりの努力とか経験があって、注射の痛みにも耐えたんだなぁとかそんな事まで考えてしまって』
金剛が言っていた言葉がなんとなく奇しくも腑に落ちた。
‹おわり›