100日後にくっつくいちじろ6日目
「兄貴、あーにき。風邪ひくってぇ」
23時過ぎ、長男が土埃の匂いをさせて帰宅した。一日中の外仕事だったらしく、流石に疲れ果てている。とりあえず風呂へ入り、烏の行水でリビングへ戻ってきた兄を食卓に座らせた。三郎と連携してレンチンした夕食を並べ、麦茶を注ぎ、兄へ箸を持たせる。
「あー、三郎、お前明日早いんだろ。寝ていいぞ」
三郎は明日、校外学習でいつもより少し早く家を出るらしい。大丈夫だとごねる弟の背中を押して部屋に戻す。言っている間にもう日付を越えそうだ。
「お前も先寝ていいぞ…?」
「俺はどうせならアニメリアタイしようかなって。あと5分ではじまるし」
眠そうにしつつ、夕飯を口に運び「これ美味いな」と褒めてくれる兄。二郎はそんな兄の正面に座ってそれを眺めた。
そして暫くして一郎が全てを完食すると二郎はテキパキと食器を流しに運び、そのまま洗い物をはじめた。一郎も調味料を所定位置に戻したりして、それから弟に「あとやっとくから、兄貴も寝ていいよ」と言われたのであまり働いてない頭でキッチンを後にし、ソファーに横になった。
そして10分後。
洗い物を終え、炊飯器の予約スイッチを確認した二郎がリビングへ戻ると、完全にソファーで寝落ちしている兄がいた。
「寝ていいとは言ったけど……自分の部屋でって意味だったんだけどな……」
これ起きるのか?そう思いつつも二郎はとりあえずアニメの時間になったのでテレビを点けて、できるだけ音量を小さくし、リアタイをはじめた。
そして30分後、アニメを見終えて振り返ると案の定、兄はまだ爆睡中。そして冒頭の台詞に戻る。
「兄貴ー、起きろー、こんなところで寝たら疲れ取れないって」
ゆさゆさ、と肩を揺らすが無反応。
これは完全に疲れて電池が切れている。どうしたものか、流石に部屋に運んでやるのはキツい。姫抱っこも、おんぶも、無理だ。潰れる。毛布を持ってきて、ここで寝かすか?いいや、でも体おかしくなるだろう。ただでさえ疲れて帰ってきて明日も仕事なのだからベッドでしっかり寝て欲しい。駄目だ。やはり起こすしかない。心を鬼にするのだ。
「起きろってー!兄貴!」
多少大きな声で呼びながら、脇腹をくすぐった。
分厚い腹を鷲掴み、こしょこしょと指先を立ててみる。
「ん〝……」
くすぐったいのか、眉間に皺を寄せて若干身じろぎする一郎。しかし覚醒には至らない。ううーん、と二郎が唸る。
「あ、分かった」
少し可哀想だが、兄がいつも朝、起きる時に使っているアラーム音と同じ音をスマホから大きめの音量で流してみた。すると、兄の瞼がゆっくりあいた。
「ん……え、もう朝……?」
「ううん、ごめん、まだ夜」
「……おやすみ」
「おやすみない!ちょ、起きて!ごめん起こしたくないんだけど起きて!」
運べないから、と付け加えると漸く目が覚めてきたのか二郎と目を合わせる兄。
「あ、寝落ちしてたのか……アニメは?」
「終わった。だから部屋戻って寝よう?」
「おう……」
くあ、と大型犬がするみたいに大きく口を開けて欠伸をする一郎。それを見ながら少し笑って、二郎は飲んでいた麦茶のグラスを持って立ち上がった。流しに戻して、兄と一緒に部屋へ戻ろうと思ったのだ。しかし
「ジロー」
「ん?」
名前を呼ばれた。振り返ると、ソファーに寝転びながら、何故か腕をこちらへ伸ばしている一郎。え、なに?と尋ねると「ん」と謎の催促をされた。どうやら起こせということらしい。
……まじか。レア過ぎる。
弟に甘える山田一郎、レアが過ぎる。えええ、まじで?二郎は謎にドキドキしながら一郎の元へ足を向けた。
「……起こして欲しいの?」
「もう力入らねー」
「仕方ないなァ……」
満更でもなさそうに二郎は兄の伸ばした片手を掴み、引っ張った。しかし、全く動かない。というか、本人に起きる気がないだろう。こういうのって、完全に引っ張る側に全てを委ねることある?普通は起き上がる方も努力するものでは?二郎は思った。
そして今度は両手を掴み、力一杯引っ張る。が、岩のように動かない。重い。
「……施設にいた甘えん坊のガキンチョ達を思い出した」
「ふ……」
くそー、と項垂れると、その様子が面白いのか、ちょっと笑う一郎。ええー、兄貴が可愛い。しかし体重は可愛くない。テコの原理か何かを使って…兄の体の下に板を入れて、それでシーソーの要領で起こすくらいしか手がない気がする。しかしそんな頑丈な板はこの場にない。もう一度、ぐーっと引っ張ってみるが、びくともしない。その間も楽しそうな一郎。
「もういい、ずっとそうして寝てなさい。もう知らないから」
誰でもない、モデルのない母親っぽい口調でわざと怒ったような演技をして、手を離す二郎。
一郎はまた楽しそうにふくふく笑って、そして漸く自分の力で上半身を起こした。
「すんません」
「分かればよろしい」
立ち上がり、ペタペタと裸足でフローリングを歩く。自分が使っていたグラスに半分くらい麦茶を注ぎ、兄に渡すと一気にそれを飲み干した。
「電気消すよ」
「ん」
兄を先に廊下へ出して、リビングを消灯する。
廊下の電気を点け、部屋へ向かう。
「じゃあ、今度こそおやすみ。もう邪魔しないから安心してよ」
「はは、うん」
“うん” だって!可愛い。
二郎はどこかくすぐったい心地だった。兄のあまり見ない一面を見ると、いつもくすぐったい気持ちになる。
「兄貴、お疲れ様」
「ん、おやすみ」
「おやすみ」
部屋に戻り、ベッドへ仰向けになると二郎は、ふー、と息を吐いて天井を見上げ、呟いたのだった。
「また寝落ちしないかな」
2024.10.29