100日後にくっつくいちじろ25日目
今日は何もないと言っていた筈の二郎が、バタバタと身支度をしていた。昼前に起きてきた三郎が眠そうな目をこすりながら尋ねる。
「お前、今日はどこも行かないんじゃないのか?」
「バイト!やべぇ、制服のシャツがねえ!」
「はー、バイトだったこと忘れてたのかよ」
「ちっげぇよ!シフト入ってた奴が風邪になっちまったからヘルプに行くんだよ」
ドタバタとリビングを走り回る二郎に、うるさいなあと冷ややかな目を向けて牛乳を飲む三郎。洗濯物を干していた一郎もそこへ戻ってきた。
「おう、はよ三郎」
「おはようございます、一兄」
「んで、二郎の奴はどうしたんだ?」
「バイトになっちまったの!」
「ええ?」
「風邪ひいた人の代打だそうです」
「ああ……そりゃ大変だな」
「それでバイトの制服のシャツがないって騒いでるんですよ、コイツ」
「急に呼ばれて行くんだから、ンな大慌てで探さなくても大丈夫なんじゃねえか?」
苦笑いしつつも、脱衣所を見に行ってそこに残ってやしないか、椅子に引っ掛けたままになってないか見てやる一郎。すると二郎がアッと声を上げた。どうやら見つかったらしい。
「あった!鞄入ってた!」
「まず持ち物を探せよ……」
「良かったな」
「行ってくる!三時には上がる予定!」
嵐のようにリビングを騒がせ、ドタバタと玄関へ駆けていく。その背中に一郎は再び声をかけた。
「バイクで送ってやろうか?」
「えっ!まじで!?」
「おう、急いでんだろ?」
「やったー!愛してるぜ兄貴!」
「はいはい」
三郎がズルいぞ、という視線を二郎に向ける。原付の鍵を持ち、二人はぞろぞろと玄関で靴を履く。自業自得の遅刻で急いでいる場合はしてやらない方針の一郎。無闇な甘やかしは本人のためにならないという考えだ。なので兄のバイク送迎は早々起こらないイベントである。しかし今回はバイトの上に代打ヘルプであるからしてオーケーが出た。滅多にない機会に二郎はガッツポーズを決める。
「じゃあ行ってくるわ!」
「帰ってきたら昼飯にしような三郎」
「はい、気を付けて」
ばたん、ドアを閉めて車庫へ向かう。
二郎が呆れたような声を出した。
「三郎のヤツ、ぜってー二度寝するよ。リビングで」
「さぶちゃんマジで寝るよなー。頭がいいと睡眠時間が長ぇとかそういうのあんのかな」
「単純に夜更かししてんだよアイツは」
シャッターを上げてバイクに鍵を挿す一郎。二郎はヘルメットをかぶり、もうひとつを兄へ手渡す。車庫から道路へ出してエンジンをかけると二人で跨った。
「つかまっとけよ」
「はーい」
一郎の腰を掴むとゆっくりと発進した。風が気持ちいい。今の時期、バイクでツーリングは最高だろう。しかしバイト先はすぐ近く。五分もあれば着いてしまう。せっかくこんなに天気がいいのだから、このままどこか海とか、そういうところに遊びに行きたい。二郎は一気にバイトへ行くのが嫌になった。信号に捕まり、停車すると二郎はため息をついた。
「あーあ、このままどっか遊びに行きたくなった……バイトかあ……」
「はは、じゃあフケて俺とどこか遠くへ逃避行するか」
「ドキ……」
「振り落とされんなよ?」
「ドキ……」
兄が仕事に於いてそんなことを許す筈がないことを百も承知の二郎。茶番だと分かってそれに乗っかる。兄とのこういう何でもないラフか会話が好きだった。
間もなくしてバイト先に到着した二人。
大人しく後ろから降りると、兄へヘルメットを返した。しかしその顔は不服そうである。
「すげー行きたくなさそうだな」
「バイトする気分じゃなくなった、マジで。兄貴と普通に遊びに行きてぇよ……」
「バイクならまた乗せてやるから我慢しろ」
「くそー、バイトだりぃ」
だるいと言いつつ、きちんと仕事をすることを兄は知っていたし、仕事前の億劫な気持ちは分かるので、叱ることもせず笑いながらヘルメットを椅子の下の収納へ仕舞う一郎。はあ、とまたため息をつく二郎の頭を撫でて笑った。
「今日の夜はお前の好きなもん作ってやるよ。何がいい?」
「え、カレー!」
「カレーは昨日食っただろ……」
「ええ……じゃあパエリア」
「おー、久しぶりに作ってみるか。普通のフライパンだけど」
「まじ?全然フライパンパエリアでいい!やった!」
「だから頑張ってこい」
そう言えば、やっと「おう」と笑って二郎はバイト先へ向かって行ったのだった。
2024.11.17