キレたいけどキレたくもない「兄貴ー…入るよー…」
「……」
深夜、二郎は兄であり密かに恋仲の一郎とセックスの約束をしていた。本当なら二郎だって、自然にいい雰囲気になって傾れ込むような、そんな色っぽいセックスがしたい。しかし、家族三人で過ごしているこの一つ屋根の下で弟の迷惑にならないよう環境やタイミングを合わせることに加え、男同士、どうしても受け入れる方の準備をしなくてはならない。だからこそ色気がなくても事前に時間と場所を決めておかなくてはいけないのだ。
今日は兄の部屋に夜12時に集合。
二郎はいつもより遅めに風呂に入り、準備をしてドキドキしながら兄の部屋を訪れた。静かにノックをして、ゆっくりドアを開ける。部屋の中は暗くて、テレビなどもついていないらしい。無音だ。誘ってきたのは兄の方だ。明日の夜、どうだ?と聞かれて頷いた。兄とは何度か体を重ねていたが何度やってもする前に緊張するのは変わらない。
「兄貴…?」
小声で問い掛けて、静かに足を踏み入れ、後ろ手で鍵を閉める。暗い部屋の中、おずおずと進み、ベッドへ辿り着く。シルエットでベッドに横になっているのは分かるのだが返答がない。イヤホンで音楽でも聞いてるのか?不思議に思ってうつ伏せになっている兄の顔を覗き込むと、二郎は思わず絶句した。
「すー……すー……」
寝ていた。兄はそりゃもう健やかに寝ていた。
枕元にはソシャゲのストーリー画面。イベントストーリーを解放し、読んでいる間に寝落ちしたのだろう。瞼を伏せ、すっかり安心し切った顔で、うっすら唇を開けて背中をゆっくり上下させて、幸せそうに寝ている。
朝早く仕事してたしなあ。疲れてるんだな。
そう、思った。思ったのだが、二郎は珍しく腹の虫がおさまらなかった。自分が割とグロッキーで手間のかかる準備をひとりで黙々として、ドキドキ胸を躍らせて兄の部屋に向かっていた中、この男はひとり楽しくソシャゲをして挙句、寝落ち。まじか、あれ、ムカついてきた。いやいや、仕事で疲れてるんだって。いや、でも誘ってきたのは兄貴の方じゃね?いや、でも今日は仕事で車運転してきたみたいだし。いや、じゃあ誘うなよ。いやいや心が狭いぞ山田二郎。でも疲れてるなら準備する前にリスケしてくれればよくね?いやいやだから兄貴にも兄貴の事情が……
「はあああ……もういい。俺も寝よ」
ムカつく、憎たらしい。シたかったのは俺だけかよ。いつもドキドキしているのも俺だけなのかも。そんなことを思いつつも、幼く見える寝顔を見ていたら愛しく思えて叩き起こす気にはなれない。さらりと髪を撫で、スマホの画面を切り充電コードに繋いでやる。せめて一緒に寝よう。そう思って二郎は兄を少しだけ手前に引っ張って寄せると壁側に滑り込んでシーツに包まったのだった。
▼
「ん………」
ピピ、ピピ。アラーム第一波の音。
手探りでスマホを探し出してアラームを止め「ねみぃ……」と唸る。あれ、つか俺いつの間に寝てたんだ。もう朝になってるじゃねえか。何時だ?六時半……
「……ん?」
目を開けると、目の前に後頭部があった。
え、と固まる。二郎だ。誰がどう見ても二郎の頭だ。あれ、一緒に寝たんだっけ。あ、あれ。やばい。ちょっと待て。昨日どうしたっけ。あれ、もしかして俺、やらかしてないか。そうだ、二郎と久しぶりにシようって約束して、それまで部屋で待ってて、ソシャゲのデイリー回収してないことを思い出して……あれ。
ピロリロピロピロジャカジャカ
びくっ、一郎の肩が跳ねる。自身のものではなく、隣に置かれた二郎のスマホのアラームが大音量で鳴ったのだ。バンッ、と腕がシーツから出てきてスマホを叩き止める。一郎は眠気などすっかり吹っ飛んで、冷や汗をかいて固まっていた。
「ん〝……」
眠そうに唸り声を上げて二郎がゆっくりと体を起こす。一郎は震えそうになる声をなんとか落ち着けながら弟の名前を呼んだ。
「じ、じ、二郎……」
だらだらと汗が噴き出る。二郎はゆっくりと振り向くと何を考えているか分からない寝起きの顔で兄を見つめ、そして口を動かした。
「おはよ」
「あ、ああ……おはよう」
もう朝か。むくりと起き上がり、伸びをした二郎。あれ、思ったより普通通り……かもしれない。身構えつつ、一郎も起き上がる。
「よく眠れた?」
「あ、ああ……」
「良かった。疲れ取れたなら」
「じ、二郎……?あの、昨日の夜」
「夜……ああ、部屋来たら兄貴寝てたから」
「だ、だよな……」
まじで悪い、と消え入りそうな声で謝罪を述べた。二郎は無言で立ち上がると寒かったのかその辺にあった兄のパーカーを羽織りながら兄は背中を向け、そして優しい声色で答えた。
「全然いいよ、兄貴疲れてたんだろ」
「いや、でも……」
「いいんだよ、一緒に寝れただけで満足したし」
「二郎……なぁ、本当にごめんな」
「ううん、いいんだ別に。兄貴がソシャゲして推しにニヤニヤしてる間に俺はケツ準備したりドキドキしたりしてたけど全然、何も、気にしてないから」
「ア………」
あ、駄目なやつだ。めちゃくちゃに怒ってるやつだ。一郎が顔面蒼白になりガバリとベッドから飛び出して二郎を背中から抱き締めた。
「悪い!マジでお前の気持ちも考えず、無神経だった…!」
「いいって、俺が勝手に浮かれてただけだし」
「違う違う違うんだ…!俺もすげぇ楽しみにしてたんだよ。なあ、こっち向いてくれよ頼む」
「怒ってないってば。俺達のために仕事してくれてる兄貴責める弟がどこにいんのさ」
「我慢してるじゃん我慢してる奴の台詞じゃんごめんごめんごめん、二郎、ほんとマジでごめん。許してくれ」
一郎が回していた手に、二郎の手がポンと優しく置かれた。許されたか…!?一郎は顔を上げた。にこりと笑う二郎が振り返る。
「悪いと思ってるんならひとつお願いなんだけど」
「おう…!!なんでも言ってみ!」
「今度は兄貴が準備しろよ、自分のケツ」
アー!めちゃくちゃ怒ってる〜〜〜!
駄目だ。死ぬほどキレてる。そりゃそうだ、そりゃそう。しかも特殊なキレ方してる……冷や汗が更に出る一郎。
「えと、俺がケツを準備して……二郎が……?」
「うん、俺はソシャゲして待ってるから」
「ごめんなさい」
「俺が兄貴に突っ込むわ」
「ごめんなさいそれはちょっと…勘弁してください」
抱きついてくる兄の腕を退かし、足が寒いらしく、クローゼットから勝手に一郎の靴下を引っ張り出して穿く二郎。兄からパーカーと靴下を強奪した状態で二郎はドアの前まで向かっていき、ピタリと足を止めて振り返った。ごくり、一郎が固唾を飲んで次の言葉を待っていると、にこりと笑った二郎がこう言い放ったのだった。
「当分エッチなしね」
その後、一郎は二郎の機嫌を取りに取りまくりなんとか許されたのだった。
小話 了