100日後にくっつくいちじろ44日目
「なあ、最近なんか変じゃないか?一兄」
「え?なにが?」
学校終わり、長男から家族のグループメッセージに『夜は鍋にするから買い物頼めるか?何鍋にするかは任せる』と連絡が来ていた。
二男も三男も我こそはと互いに負けぬようダッシュで近所のスーパーへ向かったところ入り口で鉢合わせた。チッ、と舌打ちをしつつも仲良く二人でカートを押しながら店内を物色。豆乳鍋にしようと言う三郎と、チゲ鍋だろと反発する二郎。最終的に兄がこの前テレビのグルメ番組で塩ちゃんこ鍋を見て美味そうと言っていたのを思い出し、それに決めた。
肉、鍋の素、ごぼうをカゴに入れ、白菜を探していたとき。三郎がそれまでの会話を両断するように二郎へ質問を放った言葉が『最近なんか変じゃないか?一兄』だった。問いかけられた二郎は生鮮食品コーナーを眺めていた視線を三郎に戻し素っ頓狂な声を出す。
「変ってどのへんが?」
「なんていうか、ぼうっとしてたり、動揺したり、変なところで喜んだり」
「え、情緒不安定とかそういう話?」
「いやー……その表現も何か違うんだけど」
「ンだよ、お前が歯切れ悪いの珍しいな」
「言語化が難しいんだよ」
「あ、ちょい待ち。例の期間限定ポテチ取ってくる」
「三袋持ってこいよ」
「おう、特売だかんな」
カートを預け、菓子コーナーへ向かって行く二郎の背中を眺めながら、邪魔にならない位置で止まる三郎。二郎は考える前に口に出してしまう性格だが、反対に三郎はある程度頭の中で物事を整理してから言語化することが得意だ。長考するわけでもない。回転が速いので、きちんと考えていても常人の倍の倍、高速で脳内の歯車が回りまくっているので言葉選びや言語化が信じられないくらい早い。しかし、今回ばかりは三郎をもってしても上手い表現が見当たらないのだ。
最近の一郎を見ていると、どこかふわふわと地に足が着いていない感じがする。かと言って仕事にうつつを抜かしているだとか、家事や兄弟との会話が疎かになっているとかそういうワケでもない。尊敬している兄に、あまりしたくない表現ではあるが『浮かれている』が近いのかもしれない。アホそうな表現になってしまうが。
スマホを眺めて頬を緩めたり、逆にムッとしたり、出かける時、いつもより少しお洒落をしたり、そういえば新しい服が少しだけ増えたようだ。しかし、かと思えばふとした瞬間に何か思い悩んでいる表情をしたり、溜息をついたり暗い表情を浮かべている。兄弟に心配をかけないよう、あまり表には出していないが、なんとなく違和感を感じてからと言うもの、よく観察していると意外に分かりやすい変化であった。
仕事のことだろうか、人間関係か、バトルのことか。
「おーい、あったぞ。しかも賞味期限近いやつが更に半額になってた」
「おい、これ味違うぞ」
「いいだろ、半額なんだし」
バサバサとカゴにポテチを入れる二郎。悩める長男とは反対に、このアホには悩みなどなさそうに能天気な顔だ。
「つかさあ、兄貴あれじゃねえ?多分だけど」
「え?何か心当たりあるのかよ?」
「あー……分かんねえけど、お前、俺が言ったって言うなよ?」
「もったいぶるな。早く言えよ」
二郎は周りをきょろきょろと少し見渡してから、少し三郎に顔を近づけて、耳打ちするように手を口元に添えると小さな声で、その心当たりとやらを口にした。
「恋かも」
カラカラ、カートのタイヤが床を滑る音と二人の足音。
十秒、三郎は長考した。珍しく。そしてスーパーにかかっている謎のテーマソングもお菓子を買うようにせがむ子供の声をもかき消すような大声を張り上げた。
「はあ!?」
「うおっ、うるさ!おま、迷惑だろ……!」
「二郎が変なこと言うからだろ!」
とりあえずこんな近所の噂好きの奥様が沢山いるスーパーで出来る話じゃない!と三郎は大急ぎで他の必要食材をカートにぶちこんでいくと凄まじい勢いでレジに向かい会計と袋詰めを済ませて二郎の腕を引いて外へ引っ張り出した。
「で、なんだよさっきの」
「いや、だから恋」
「どこの誰が、いや、一兄がしてるってことか?」
「おう、兄貴相手にはブクロの全員恋してんだろ。そうじゃなくて、兄貴が、恋してるんだと思う」
「どこの、誰にだよ」
白菜とペットボトルのコーラが入った重い方のエコバッグをナチュラルに持つ二郎。三郎はポテチが詰まったエコバッグで二郎の足をはたきながら返答を急かした。
「いやー、俺も詳しくはしらねえんだけど、ちょっと前に兄貴がひったくりから助けてあげた女の人?」
「何で疑問形なんだ」
「たまたま兄貴と外歩いてる時に声かけてきてさ、そしたら兄貴、その人と連絡取り合っててメシ行こうみたいな話してたんだよ」
「え……ほんとかよ」
「そう、珍しいだろ?兄貴ってそういうの仕事以外であんまりしねえじゃん」
「一兄は変に期待を持たせるようなことしないからな」
「だろ?でもその人とはやり取りしてるっぽくて、俺が聞いたらちょっと焦ってたんだよな」
だからもし、兄貴の様子が変ならそれかもしれない。
そう言った二郎は最後に「分かんねえけど」と付け足した。
「もしレンアイ関係なら俺達が出る幕もねえだろ……兄貴が一番慣れてるんだろうし」
「まあ……そうかもしれないけど」
「もしそれ以外で悩んでるなら力になりてぇし心配だな……」
確かにこの違和感が恋愛であるならば、ある程度、辻褄が合う。三郎はそう思った。
スマホを見て一喜一憂しているのも彼女とのメッセージ、服が増えたのはお洒落をして自分を磨き、愁いを帯びている時があるのはまだ恋が成就していないが故なのかもしれない。
なるほど、二郎にしては悪くない考察かもしれない。こいつの野生のカンはたまに当たるのだ。
「兄貴に惚れない女なんていねえだろうし、兄貴ならうまくやるんだろうけどさ」
「うん」
「フツーに、なんかちょい寂しいよな。いや、彼女いる兄貴ってのも、かっけぇけど。なんか、取られた感じすんじゃん」
「……それ普通に言うの恥ずかしくないのか?」
「バーカ、お前だから言うんだよ。こんなガキ臭いこと本人にもダチにも言えるか」
「あっそ」
……まあ、僕もその気持ち分かるけど。
そう付け加えると二郎は茶化すでもなく「な」と頷いてつまらなそうに足元の小石を蹴とばした。
▼
「ただいま帰りました」
「ただいまー」
「おう、おかえり」
「ああっ!もう!一兄!」
「ちょ、迎えにこなくていいってば!」
二人して仲良く帰宅すると、足を庇いながらも笑顔で玄関まで弟達を迎えにきた一郎。今日はずっと家の中にいたから動き足りなかった。
「じっとしているのにも飽きたんだよ」
「ったく、そんなんで悪化したらどうすんだよぉ」
「はは、悪ぃ」
悪い、と言いながら二郎に叱られて少し嬉しそうな一郎。その表情が、スマホを眺めて一喜一憂している時や、時々見せる『浮かれた』表情と一緒に見えて三郎は訝しげに目を細めた。
2024.12.6