100日後にくっつくいちじろ『──この事故による日本人の被害はありませんでした』
昔からテレビで聞くこの言葉に違和感があった。幼いながらに“日本人が無事ならそれでいいのか”と感じていたのだ。
46日目
「あれ、二郎まだ帰ってきてないんですか?」
「おかえり、三郎の方が早かったな」
日曜日、異様な治癒力で捻挫をほぼ完治させた一郎は本日から本格的に外へ仕事へ出ていた。清掃仕事の後、町内会の会議に参加して早めに帰宅。部屋のカーテンを閉めて回っていると、ハチの飼い主探しで出掛けてくれていた三郎が帰宅した。二郎は昼過ぎまでダイナーのバイトと聞いていたので一番先に帰宅すると思っていたのだが。
「きっとどこかでほっつき歩いてるんですね」
「ダチと会ったのかもな」
チ、チ、チ。壁にかけた時計の秒針が妙に大きく聞こえる。
三郎はごくりと唾を飲み込むと、兄の名前を呼んだ。
「ねえ、一兄」
「んー?あ、テレビ点けるか」
「あ、いや……ええと」
「?」
一兄は、二郎のことが好きなの?
そう尋ねようとした。しかし、兄がリモコンで点けたテレビの方が先に喋り出してタイミングを見失う。どした?と兄に顔を覗き込まれ、ええいままよ、と思い切って尋ねようとしたとき。
『違法マイク関連の速報です。本日、午後三時過ぎ、イケブクロで国が認めていない改造マイクを使用した小規模なテロが発生しました。現場は駅前の繁華街から少し離れた住宅街で──……」
テレビに映っているのは夕方のニュース。キャスターが神妙な面持ちでニュースを読み上げている中、現場の中継映像が映った。
「……え、待って。これ、二郎のバイト先の近くですよね」
三郎がそう口にして兄に顔を向けた時、既に一郎の顔面は真っ青になっていた。
手元が小刻みに震え、手にしていた肉の徳用パックがボトリと落ちた。そして次には弾かれたようにスマホを掴み、二郎に電話をかける。
「出ねぇ……」
三郎がテレビの音量を上げる。すると裏から別のスタッフがキャスターにカンペを手渡し、それが読み上げられた。
『続報です。現場に居合わせた5名が被害を受け、病院へ搬送されたとのことです』
その中に高校生はいたのか、二郎は。汗をダラダラとかきながら、テレビに齧りつくもそれ以上の情報は出なかった。そんな中で、一郎のスマホがけたたましく鳴った。
「二郎!?」
ディスプレイも確認せず、嚙み付くように応答する一郎。しかし発信者は二郎ではなく。寂雷からであった。話を聞けば、ニュースになっている件で、被害者が近隣(イケブクロ)の病院へ運び込まれたが、マイクに詳しい医者ということで寂雷が呼ばれて向かっているところだと言う。寂雷が聞いた情報によると、その中に二郎がいるということで、急ぎ、病院へ向かうタクシーの中で一郎へ連絡を寄越したと言う。ランニングでもしてきたかのように息が上がり、一郎は通話を切ると振り返った。
「三郎、タクシー拾って病院行くぞ……」
「二郎の様態は……!?」
「分からない。先生も現地に着いていないから詳しくはまだ分からねえって……」
「外で拾うより呼んだ方が早いです!待っててください」
二人は三郎がアプリで呼んだタクシーで病院へ向かった。異様な雰囲気で乗り込んできた二人に運転手は最短ルートで目的地の病院へ向かい、その車内で二人は手を握り合いながら汗をダラダラかき、終始無言であった。
▼
「二郎!」
病院へ着き、寂雷から事前に聞いていた病室へ向かう。駄目だと分かっていても声が抑えられず、名前を呼んで病室のドアを開けた。すると室内は被害を受けたと思われる患者と、既に面会に来た家族、そして寂雷がいた。しかし二郎の姿はどこにもない。
「一郎君、早かったね」
「先生、二郎は……」
「大丈夫ですよ、今ちょっと席を外していて、すぐ戻ってきます」
「席を外してるって……」
「あ、兄貴、三郎」
すがりつくように寂雷へ質問をしていた一郎だったが、後ろから声。
勢い良く振り返ると、そこにはペットボトルがしこたま入ったビニール袋を両手に持った二郎が立っていた。
「二郎、お前……!」
「あー、ごめん。ちょっとバタついてて連絡できてなかった」
「どこか怪我は!」
「ない、全然ないって!大丈夫!」
「大丈夫って言ってるだけのやつじゃないのか!?」
「まじで大丈夫!付き添いだし、な!センセ」
話を聞けば、二郎はバイト先から帰宅する途中で現場に居合わせたらしい。というより大きな音を聞いて二郎がその場に駆けつけた時には既に犯人が暴れた後で、マイクを持ってきていなかった二郎は普通に、素手で、物理的に犯人を沈め、捉えてその場を収束させたのだった。なので怪我はしていないし何も被害は受けていない。しかし周りには倒れている一般人が複数人。そこからは大慌てで病院へ連絡し、救急車へ一緒に乗り込み、病院でも付き添い、到着した寂雷と共に患者に付き添って駆け回っていた。
「被害受けたみんなも寂雷先生のマイクで回復したし、大丈夫そうだよ」
ごめんごめん、と三郎の頭を撫でながら一郎へも謝罪を口にする二郎。
馬鹿、阿呆、間抜け。こっちがどれだけ心配したか。様々な罵詈雑言が三郎の頭に浮かんだが、それよりも安心の方が大きかった。三郎は二郎の足をげしっと蹴り「いってえな!」と声を上げたところで腹にしがみついた。驚きつつも、やれやれと笑って「悪かったって」とその背中を撫でる二郎。
「兄貴も、ごめん」
「いや……謝ることじゃねえよ。お前はみんなを助けて立派だったな」
「へへ、俺はそんな簡単にやれらねえよ」
「だな、でも焦ったぜ」
「それはまじでごめん」
二郎にしがみつきながら聞こえてくる兄達の会話を耳で聞く。
三郎は顔を上げ、一郎の顔を覗いた。すると先程までこの世の終わり、みたいな顔をしていた兄が、心底安心したように泣きそうな顔で、でも嬉しそうに二郎を見つめていたのを見た。それを見て三郎はふと思った。
『──この事故による日本人の被害はありませんでした』
あのセリフは、海外に家族や大事な人がいる人を安心させるためのものなのだ。
もしも、自分が海外で生活していたとして、そこで何か大きな事故があったとして、そのニュースを遠く離れた日本で見ていた兄二人は自分が巻き込まれているのではないかと気が気ではないだろう。その安否を日本にいる家族に向けての台詞なのだ。考えてみれば単純なことなのに、三郎はここで漸く、納得がいった。
「そうか……見方を変えればいいのか」
視点を変えることが必要だ。兄がおかしな方向に向かおうとしている。それは世間一般的にあり得ないことで本来は止めなくてはならないことだとしよう。しかし、兄の視点に立って考えてみる。多角的に見れば、兄が幸せになるのに、相手がたまたま弟だった。それだけだ。本人が幸せならそれでいい、と一見、身勝手な台詞に聞こえるが兄が誰を愛そうが究極、迷惑がかかる人間など他にいないのだ。障害は大きいだろうし、一生、誰にも祝福されはしないだろう。幸福とは言えないかもしれない。しかし、本人が幸せだと思えるならそれでいいのではないか。普通に考えて正しい道に進んでもらうという、なんてことよりも、自分はどこまでいってもこれまで苦労をかけた兄の味方でいたい。
そんな簡単に理解はできないけど、とりあえず見守ろう。そもそも上手くいかない可能性だって十分にあるのだから。
三郎は昨日よりも整理のついた頭で、何も分かっていなさそうな二郎の足を再度蹴とばして、それから一緒に患者のケアの手伝いに加わったのだった。
2024.12.8