100日後にくっつくいちじろ51日目
「今日は二人で来てくれたの?」
「はいっ、ちょうど僕でお役に立てそうな内容だったので」
海外で生活している孫とビデオ通話がしたい。そんな理由でスマホデビューを果たした隣町のタミさん(81歳)。普段は畳の張り替えや、重い荷物の運搬、買い出し等の日常生活での依頼がメインだが、高齢の一人暮らしということもあり、一郎も普段から依頼以外でも気にかけているお客さんのひとりであった。そんな彼女がスマホデビューしたはいいものの、操作に苦戦しWi-Fiの契約をしたがセッティング方法も分からないと言うので、一郎は学校から帰宅した三郎と共に訪問したのだ。
「お邪魔します……ええと、じゃあ僕はまずWi-Fiのセッティングをするので一兄はその間にビデオ通話が可能なアプリのインストールと設定をお願いします」
「おう、頼んだぜ」
「はい!任せてください」
居間のちゃぶ台でスマホを操作する一郎に、部屋の隅でWi-Fiのルーターをセットする三郎。タミさんは嬉しそうにお菓子とオレンジジュースを注いで出してくれた。
作業して間もなく、スムーズにセッティングを終えた三郎が一郎の隣に身を寄せる。
「Wi-Fiはセット完了しました。一兄はどうですか?」
「おう、インストールしてアカウント発行も済んだぜ」
「流石です。じゃあWi-Fiとスマホの接続をしましょう」
「凄いわね、業者さんみたい」
「はは、うちの三郎は業者より早いかもしれないですね」
「い、一兄もタミさんも大袈裟ですよ……!」
その後のセッティングも滞りなく進み、30分もかからずに通話環境が整った。
テスト通話と、スマホの操作方法を、そこから一時間弱、タミさんに特別講習を行い、依頼は完了。窓の外から17時を知らせる町内放送の鐘の音が聞こえてきて、二人はそろそろお暇しようと立ち上がる。
「じゃあお孫さんとの通話楽しんでくださいね」
「使い方のメモまで作ってもらっちゃって……どうもありがとう」
「何かあればいつでも相談してください」
「三郎ちゃんありがとね」
「タミさん、じゃあまた来週来ますんで。庭の掃除ですよね?」
「ああ、ありがとうね、一郎ちゃん」
バイバイ、と手を振って帰路に着いた一郎と三郎。
徒歩15分程度の距離だ。夕飯の買い物は既に済ませてあるし、今日の食事当番は二郎だ。
「タミさん喜んでましたね」
「ああ、三郎のおかげだな」
「そんな……タミさん、ひとりで暮らしてるからかな。一兄と話をするとき凄く嬉しそうで……普段から一兄がちゃんとコミュニケーションを取っているからこそなんだろうなと思いました」
「はは、ありがとな。普通に心配なんだよなぁ」
「一兄と萬屋のお仕事を手伝っていると、タミさんみたいな、大勢の町の人が一兄のことを信頼しているのが伝わってきて……やっぱ一兄は凄いよ」
尊敬の眼差しを向けて微笑む三郎。三郎は兄の仕事を手伝うことが好きだった。
そんな純粋無垢に自分を尊敬の眼差しで見つめる弟を見下ろしながら一郎は、ふとどこか申し訳なさそうに笑って、三郎の頭を撫でた。
その表情に三郎は改めて気付いた。最近、兄が不意に見せる原因の分からない表情はきっとやはり、自分や二郎に向けられた『申し訳なさ』や『後ろめたさ』なのだろうと、ふとそう思ったのだ。その要因は最近、三郎が気付いたある事実についてだろう。どこか辛そうな兄の表情を目の当たりにして、静観を決めていた三郎はどうにかしてやりたくなった。そしてきっと兄弟の中で最も皺の数が多いであろう脳を絞って兄へ声をかける。
「……一兄」
「ん?」
「僕は味方だよ。ひとりで悩まないで」
驚いたように目を丸くして口を開ける一郎。
主語はあえて入れなかった。三郎は目を逸らさず、真剣な眼差しで続ける。
「一兄が今、何に悩んでいて後ろめたく思ってるか僕、分かります。なんとなくだけど」
「さぶろ……」
「僕も正解なんて分からないけど、もう一兄を独りにはしないから。僕も、二郎も」
一郎は、口を相変わらずポカンと開けながら三郎の言葉を取りこぼさないように黙って聞いていた。もしくは驚いて二の句が継げないか。三郎は少し微笑んで兄から視線を外すと、自身のつま先を見下ろすようにして手を後ろで組んだ。
「喧嘩はもしかしたらするかもしれないけど、それでもしてもいいじゃない。分かり合えるまで話し合おうよ。兄弟なんだから」
二人の隣を自転車やら、塾帰りの学生が通り過ぎていく。二人の間に暫し、無言が続いた。
反応がないことを不思議に思い、三郎が顔を上げて兄を見た。すると、兄は顔を自分とは反対の外側に反らし、目元を手の甲でおさえていた。僅かに肩が震えている。三郎は少し、その大きな目を丸くして、それから優しく微笑んだ。
「……最近、すっかり日が落ちるのも早くなってきましたね」
「……」
「もうこんなに暗くなってきて」
あんまりよく一兄の顔が見えないです。
笑ってそう言うと、一郎はズビ、と鼻を一度だけ鳴らして振り向くと、眉間に皺を寄せながらフクザツな表情で笑って弟の頭を震える手で撫でたのだった。
「ありがとう、三郎」
2024.12.13