ポカぐだ♀ / ほのぼの / OVER THE SAME SKY闇夜を裂く明るい髪のあとをゆく。
いつもならば途切れることのない車列は見る影もない。
街は静まり返っていた。
カランコロンと、二人分の足音が奏でる小気味良い音だけが闇の中に響いていた。
夜が一番深くなる時刻。マスターが言うには、この季節ではこの時間が一番過ごしやすいらしい。
なるほどたしかに昼の焼け付くような暑さは影を潜め、肌を撫でる風も、湿り気はあるがマシなものだ。じっとりと纏わりつくような不快さはない。
空からも足元からも炙り上げられ、立っているだけで汗をかく日中とは大違いであった。
オレの国も夏は高温高湿であるため慣れてはいるが、好きかと問われれば否である。不快であることに変わりはない。
空調が効いた部屋で冷えた麦酒でも飲みつつ、陽炎立つ窓の外の景色を眺めているほうがいいに決まっている。
そう思いダラダラと過ごしていたところ、『せっかくだからもっと日本を楽しんでよ!』と、無理矢理外へと連れ出したのは我がマスターだ。
寝ているところを叩き起こされ、今から出ると言う。
乗り気ではないことを声色に乗せるが気にもとめず急き立てられ、仕方なしに用意していた薄衣を纏った。
マスターの故郷の装束に手を加えた気に入りの品だ。着替え易さを評価して旅の間は好んで着ていたが、良い点はそれだけではないと理解した。
肌に触れる箇所はサラリとしていて快適だ。広く開いた袖や裾からは風が通り涼しく感じる。
夏を過ごしやすくするための衣服なのだろう。
とはいえ今の時間だから良いのであって、昼間ならばこの装束であっても外を歩くなど願い下げだが。
ひゅうと風が頬を撫でる。
かすかに潮の香りがするそれは、エカブ……マスターに馴染みのある呼び名で言えばカンクンか……あの海辺の都市を思い起こさせる。いい風だ。
高温多湿で、海もあり山もある。深い森もある。災害が多く死が近い。神も数多いる。
マスターの生まれた国は思いのほか我が国との共通点があるようだ。
「今日は夕方にゲリラ豪雨が降ってね。雷も落ちてたしひどい雨だったんだけど、おかげでだいぶ涼しくなったの。
だから今日しかない! って思ったんだ」
物思いに耽っていたところ、マスターが話しかけてきた。気がつけば振り返り、溌剌と生気に溢れた顔をこちらへ向けている。
未明だというのに元気なものだ。
マスターが向かう先は、彼女の気に入りの場所であるらしい。『テスカトリポカにどうしても見てほしいの!』とは、準備を急げとせかされるさなかに言われた言葉だ。
彼女の旅ももうすぐ終わる。
その終わりを前にしての奮発した帰郷だ。限られた時間の中、そのように強く望まれて断る謂れはない。
終わりとは即ち死であるからだ。
「とうちゃく〜! ここだよー」
着いた先は古い駅舎であった。日中は人であふれているらしいが、今は人影もなく灯りすらない。
迷いなく進むマスターの背に続いて階段を上っていった。
「ほんとはダメなんだけどね」
ふほーしんにゅーってヤツですよ。
そう、いたずらっぽく笑う。
階段を上り切った先は駅のホームとなっていた。線路と車道を挟み、向かいは明かりひとつない。深い闇が広がっていた。
潮の香りが色濃い。
「ここからだと障害物ナシに海が見えるんだ。道路でも見えるんだけどさ、危ないでしょう?
まだ電車も来ない時間だし人も来ないし、誰にも邪魔されないでいいなぁって思ったの」
「見せたいモノとはこの景色か?」
並び立つマスターを見下ろせば、眉を下げ困った顔をしていた。
「ううん。……あー、そうなんだけど、そうじゃないっていうか……。
まだもうちょっと時間がいるから、せっかくだしおしゃべりしようよ!」
駅のホームに立ち、語るマスターに相槌を打つ。これまでの旅のこと……美しかった景色、辛かった気候。旅先での出会い、挫けそうになった強敵。
彼女の召喚に応じサーヴァントとなってからそれなりに長い時間を過ごしている。
話題には事欠かなかった。
語らい始めてから程なくして、空が白み出した。
「あっ!」
オレをまっすぐに見上げていたマスターが、空の変化に気づき弾けるように海へと振り返った。
「これ! これを見せたかったの!」
視線は海へと注がれたまま、声を弾ませる。
彼女に倣って海を見つめた。
深い黒の海が鈍色に変わってゆく。
海に面した空が徐々に赤らみ、闇が遠くなっていった。
波の間から黄色い光がチラチラと浮かび上がる。それはゆっくりと立ち昇り、空を、海を、そしてオレたちを明るく照らしていった。
美しい日の出である。
あんなにもはしゃいでいたマスターであるが今は一言も発しない。海から目を離し横目で隣を見下ろした。
マスターは太陽と海とをまっすぐ見つめていた。
口元にはかすかに笑みを浮かべ、明るい髪は朝日を受け、眩く輝いている。
いつものあどけない印象は薄く、大人びた横顔であった。
夏の暑さを忘れてしまうような、今このひと時のような。清廉な空気を纏っていた。
マスターは自身の髪を茜色と言うのだと告げたことがあった。
茜色とは紅葉や夕焼けを指すらしい。
それを聞いて、彼女には似合わない、違うだろうと思ったものが、その考えは正しいと思わされた。
彼女の髪は黎明の色。朝焼けの色だ。
強敵に屈せず抗い続け、何度も立ち上がる。この少女には夜明けこそが相応しい。
顔を海へと戻し呟いた。
「夜明けか。
昇る太陽って奴は艶があるな、マスター」
隣からは振り返る気配がする。髪が揺れ、首を傾げたようだとわかる。
目線だけをマスターへ向けた。予想通りだが、大きな目をぱちくりと瞬かせていた。
琥珀色の瞳も髪も、美しく煌めいている。
「うぅーん……艶があるかはよくわかんないけど……」
眉根を寄せるが、それも一瞬だった。パッと笑みを作り、表情を変えた。
満面の、夏の太陽のような明るい笑みだ。
「コレがあなたに見せたかったものです!
日本の……わたしのふるさとの夜明け。海から立ち昇る太陽、素敵でしょう?」
今度はオレが瞬く番となった。
夜空の神であり太陽の神でもあるこのテスカトリポカに、自分の国にあらわれる太陽を見せるとは。
それは召喚に応じ彼女の隣に立つこのオレをなぞらえているのか。それを素敵と告げているのか。
彼女の顔を覗き込むも、真意は掴めない。
時が進むにつれ太陽は高みに昇り、見つめるマスターをますます明るく照らした。
髪は風に揺れるたびに太陽を反射し、肌は真珠の如く光沢を見せる。
神々しいまでの光はまるで太陽からの祝福のよう。
マスターの真意を確かめるどころか自分の心をつまびらかにされてしまいそうだ。
気づかれる前に慌てて朝の海へと顔を戻した。
中天を目指し立ち昇る太陽は世界を明るく照らし、先ほどまでの涼やかさが徐々に遠くなっていった。
早朝だというのに日差しは肌を刺すほどの強さだ。
顔が熱く火照り、生え際から汗が流れた。
「はぁ、暑いな」
汗を暑さのせいにして、手製の扇子で顔を扇いだ。
uploaded on 2025/07/01