死者の日の話「あかん、ごっつい人混みや」
どうやら、待ちのお祭りでもみくちゃにされてしまったらしいウルフウッドが疲れた様子で宿に戻ってきた。
「あはは、随分酷い顔だ」
ヴァッシュはその顔をみて、なんだか嬉しそうに笑う。ドアを開けて招き入れるとテーブルの上には、ウルフウッドが喜びそうなモノが既にずらりと並んでいた。
彼の好きな銘柄の煙草、好みの酒につまみ、着替えのシャツまで準備されている。
「随分用意がええな、とんがり」
「この町のお祭りは、ちょっとレベルが違うから」
宿の窓から外を覗くと、ずらずらと多くの人が行き交い会話をして楽しんでいる。
それでも、喧噪という程うるさくは無く、夜風と人々の話し声が心地よかった。
「ちうても買い物できひんのは、あかんわ」
ウルフウッドが欲しい商品を店員に言っても、店員は他の客の相手をするばかりで話にならなかったらしい。いくつかの店で、そのような対応だったため諦めて宿まで戻ってきた。
「だから、僕が予め準備しておいたでしょ」
「ほんま、地位と気味悪いぐらいやで、実際」
自分が欲しかったモノがずらっと並んでいるのに、少し驚いたようにしつつまずは煙草を手にとり、慣れた手つきで火を点けた。
「足りないものは無かった?」
「上等や。あとは、ライターの油が切れそうやから、どっかでこうとくわ」
「ライターのオイルね」
「あかんな、この時期は。買い物も上手くいかん」
ウルフウッドは真新しい煙草を深く吸い込むと、おいしそうに目を細めて肺に煙を満たす。
「そう、僕は大好きだよ」
「ほんまかなわんで。ん? ちなみに、ここどこや」
「ここはホープタウンの北にある小さな町だよ」
「ホープタウン……あぁさよか」
ウルフウッドが二口目に手を付けたところで、ヴァッシュは酒のボトルを開封する。小さなショットグラスに、ウルフウッドの分を注いですっと前に差し出す。
「君の好きな酒だよ」
「わるいな。おどれも飲めや」
チンと掲げたグラスをぶつけ合うと、高く硬質な音が部屋に響いた。とぷんと琥珀色の液体が揺れて、零れそうになって慌ててヴァッシュは口を付けた。
とてもきつい酒だ。
ウルフウッドは、指先に煙草を挟み込んだままショットグラスを持ちぐいと仰いで酒を飲んだ。
「くぁ、染みるな。ごっつ久しぶりやな」
「そうだね、僕もこのお酒は本当に久しぶりや」
「しかしうまい酒やな、どこのや?」
「これは、……」
ウルフウッドの記憶が、年を重ねるごとに曖昧になっているのがヴァッシュにはよくわかった。自分が、忘れることが出来ないからなおさらだ。
この町で、死者の祭りが開かれていると知ったのがもう五十年以上前になる。偶然、通りかかったわけでは無く風の噂でそう聞いたからだ。
その町には、年に一度だけふらりと死者が里帰りをするように帰ってくるというらしい。
まさかそんなことがあるわけ無いと思いながら、ヴァッシュは期待をせずには居られなかった。
何とか宿を取って、祭りの日を待つと不思議なことにウルフウッドは帰ってきた。今日のように、まるで買い物の帰りのような、気軽さで。
あまりに驚いて、ヴァッシュも普通に接した。
ウルフウッドは、買い物が出来ずに欲しいものが手に入れられなかったと、祭りの人混みに怒っていた。
おそらく、幽霊である彼に店員は気がつかなかったのだろう。どうして自分には、ウルフウッドの姿がこうもはっきりと見えるのかはわからない。
だから、毎年欲しいものを聞いては次のお祭りの日までに準備をして、ウルフウッドへ渡してやるのがヴァッシュの楽しみだった。
それから酒を酌み交わし、朝まで飲んだ。
絶対に、さよならを言おうと毎回ヴァッシュは朝まで起きていたいと思うのに不思議と夜明けが来る前にヴァッシュは眠ってしまう。
目が覚めると、ウルフウッドはおらず机の上には飲みかけの酒のグラスが二つ並んでいるだけだった。
煙草は不思議といつも全て無くなっていた。
だから、本当にウルフウッドはここに帰ってきているとヴァッシュは実感していた。
「おい、ヴァッシュ? きいとるか?」
「あぁ、ごめん、なんだっけ」
「ちいと記憶が曖昧で、ここはどこの宿屋や?」
今日何度目かの同じ質問をされ、ヴァッシュは目を細めてウルフウッドを見据えた。
「ここは、ホープタウンの近くだよ」
「あぁ、ホープタウンか、さよか」
懐かしい土地の名前に、ウルフウッドの口元が柔らかくほころんだ。
おそらく僕と彼の時間はもう長くない、
幽霊にだって寿命がある。思い残したことを全てやり尽くすと、次の人生を迎えるための準備に入ると町の老人が話していた。
だから、祭りの日に町に帰ってくる死者の顔ぶれも変わるんだ、面白いだろう。まぁ、最初から最後までそれを見届けられる長生きできる人間など居ないから、それもうわさかもしれんがね。
としわが深く刻まれた顔をヴァッシュへ向けて笑っていた。おじいさんの話は、どうやら本当らしい。
次第に、前世を忘れ次に向けて準備をする段階にウルフウッドがついに入ってしまったかとヴァッシュは思った。
「ねぇ、ウルフウッド。ライターの油、ちゃんと用意し説くからね。忘れないで」
「わい、そんなこと頼んだか? まぁええわ。わるいな、頼むでヴァッシュ」
そう言ってその年は別れたのに、次の年の死者の待つにウルフウッドは現れなかった。
すっかり、思い残すことが無くなってしまったのか、単にタイムリミットだったのか、
ヴァッシュにはわからなかった。
それからも、諦めきれず数年この町を訪ねてみたがやっぱり、ウルフウッドがヴァッシュの前に姿を現すことは無かった。
「僕も諦めが悪いな」
これで最後に使用と決めて訪れたこの年も、やっぱりヴァッシュを訪ねてはくれなかった。
せっかくここまで来たからと、ウルフウッドが居なくなってからも支援を続けていたホープランドの孤児院を訪れることにした。
金銭的なサポートはしていたが、顔を出すのは久しぶりだ。
以前似合った子ども達はもう、大人になっているのかもしれない。
懐かしい玄関をノックすると、訪問を告げても居ないのに孤児院の職員や子ども達から大歓迎を受ける。
昔に見んなと撮った写真が、大きく引き伸ばされてホールに掲載されていた。
『私たちの守護者様と』
恥ずかしいタイトルまで付けられていて、ヴァッシュは思わず頬を掻く。
「本当の君たちの守護者は、僕じゃないんだけど」
進められるままに、リビングのソファーに座らされるとドーナツや飲み物が差し出された。ヴァッシュが甘い物が好きだと言うことも、どうやらみんなの知るところのようだ。
「お久しぶりですね、よくお越しになりました」
「いや、ちょっと久しぶりに。近くには時々来ていたんだけどね」
わらわらと子ども達も集まってくる。
「写真と変わらないって本当だ!」
「お兄ちゃん、すごいひとなんでしょう?」
あどけない様子に、さみしさで満ちていたヴァッシュの心が少しだけ晴れる。
「みんな、ご挨拶は順番にね」
シスターが、優しい声でそう告げると子どもたちも「はぁい」と返事をして順番に自分の名前をヴァッシュへ教えてくれた。
ひとりひとりと目を合わせ、その可愛らしさに頬が緩んだ。
「ヴァッシュさん、そしてこの子がうちの末っ子です。先日来たばかりなんですよ」
シスターが抱いていたのは、内気そうな小柄な男の子だ。黒い髪がさらりとまあるい頬にかかって、少し眠たそうにしている。
「こんにちは」
ヴァッシュが視線を合わせてその子の顔の前に回り込む。
「……ん」
うつらうつらしていたらしい、幼子はヴァッシュを見ると増す具に手を伸ばした。鳶色の瞳、幼いながらもキリッとした眉と鼻梁。
どこから見ても、あの面影がヴァッシュの心を刺して思わず動けなくなってしまう。
「わぁ、……とんがりやぁ」
シスターに抱かれたままの子どもは、つんつんと尖ったヴァッシュの髪へ無遠慮にふれた。
小さくて柔らかく丸い手が、髪の束に触れる度にヴァッシュの胸がぐっと締め付けられる。
間違いない、これは彼だ。
「抱っこしても良いですか?」
「えぇ、でもすごく人見知りで」
シスターがそういう間も、幼子はヴァッシュに向かって手を伸ばし続ける。じたじたとせわしなく小さな四肢を動かして、まるで飛びつこうとしているように見える。
「彼さえ良ければ」
「珍しいです、こんな」
シスターはそう言うと、まるで宝物を渡すようにそっとヴァッシュに小さな身体を手渡した。
腕におさまる温かさと、心許ないほど軽い体重、それでもしっかりと鼓動を感じた。
「よかったね、ニコラス」
シスターが、子どもの名前を呼んだ瞬間ヴァッシュの涙腺が耐えられなくなり、子どもの前だというのにぼろぼろと涙が零れ始める。
鼻をすすって、何とか止めようとするのにどうにもならない。そのヴァッシュの顔を不思議そうな顔をして抱きしめた子どもが見つめる。
「ないたら、あかんで。とんがり」
舌っ足らずな言葉に、彼の面影を強く感じ抱きしめた。
それから十五年。
「なぁ、とんがり、とんがり!」
ヴァッシュの後ろを、あのとき子どもだった青年がついてくる。どんなに駄目だと言い聞かせても、彼はヴァッシュの旅に同行すると頑なだ。
「また黙りか、大人のくせに、かっこわるぅ」
こどもらしい悪態をつくが、確かにこの対応が大人気ないことは重々承知している。でも、どんな顔をして彼に向き合えば良いのか正直なところ、ヴァッシュにもわからない。
「あのね、ニコラス。随分平和になったとはいえ、まだ旅には危険が伴うから」
「わいもう、十八や。れっきとした大人や!」
そう息巻く彼は、初めてウルフウッドに出会った時に瓜ふたつで思わずヴァッシュはたじろぐ。
「そうだけど、何でまた旅に付いてこようなんて思うのさ」
「やって、オドレのこと好きになってしもたんやもん」
あけすけ無く、気持ちを告げるのは若い子だからなのか。細やかなところは、確かに彼とは違うようだ。
「ねぇ、僕どうすればいいの?ウルフウッド」
晴天に向かって声をかけるが、当然返事は帰ってこない。
「なぁ、ウルフウッドっで誰や?恋人?だれや?」
「絶対教えない」
「なんや、いけず!ヴァッシュのけち!」
ノーマンズランドの晴天には、今日も二人の声が気持よく響いている。