夏祭りネタで台葬(以前の図書館の2人) 今日は僕にとって待ちに待った日だ。といっても約束の時間は夕方十七時半と、まだまだの話なのだけど。朝起床し時計を見て、その時間まであといくらか考えるなんて、自分でも驚くほど期待してると思う。
夏休みも中盤にさしかかっている。正直に言おう。この夏休みが終わらないでいてくれたら、と密かに祈っている。そんな非現実的なことで脳みその容量を使うなんて「非常に馬鹿馬鹿しい」と兄の蔑む顔が目に浮かぶが致し方ない。休み明けにまた学校に行くことになるのが少し憂鬱であることも確かだが、それよりなにより夏休みが楽しすぎるというのが。一介の高校生としては健全であると思うし正常な理由であると思う。
姿見の前で着替えながら、とつとつと心中でぼやく。シャツのボタンをゆっくりはめるたびに思い返すのはほぼ日課になっている図書館へ赴いた時での出来事だ。
出来事、というのは語弊があるか。なにしろ何も起きていない。清々しいほどに何も起きていない。毎日予定が無いことをいいことに図書館に行って宿題をすすめるフリをして、ただ真実は働いているアノ気になる人をちらちらと見ているだけに過ぎないのだから。
ああ僕って、
「気持ち悪い……」
と自嘲の声を漏らしながらも、口元はくすりと微笑みに変わっている。こういうところが気持ち悪いのだけれど自分一人の時くらい許してほしい。
頭の中は花畑になっている。
昨日のことだ、図書館内の冷房にさらされて少し肌寒くなったから、席を外し館外のロビーに移動したのだ。自動販売機前でなににするか悩んでいたら顔の真横からぬっと出てきた手がアイスコーヒーのボタンを押したので仰天した。声も出ないでおそるおそる振り向いたら、司書のお兄さんが腕を伸ばしたまま立っていた。
「え、え……」
口をぱくぱく開閉させていたら、お兄さんははっと我に返って僕を見下ろす。
「あ、すまん。無意識やった」
無意識ってどういう意味だっけ。頬が紅潮する感覚に僕もはっとしてうつむく。
「あ、あの、ど、どうぞ」
「すまんなあ」
お兄さんは欠伸をしながらのんびり、自販機から飲み物を取り出した。それからなめらかに自分のポケットから取り出した小銭を機械に投入する。ボタンが全て点灯して、お兄さんは僕に振り返った。
「好きなもん選び」
「は、あひ」
なんか声裏返ったかも。どっと変な汗が出てくるがお兄さんを待たせてはいけない、混乱しながら見慣れた自販機を見やる。なんでもいいのに、なにを押したらいいかわからなくて目が滑りに滑ってえいや、と目の前のボタンを押した。出てきたものを拾って手渡してくれたお兄さんの手を凝視しながら受け取る。冷たい炭酸飲料だった。寒いんだからあたたかいものを選びたかったのに、自分アホか。
お兄さんはどこかふらふらした足取りで去って行こうとする。図書館の方へ戻っているが、客が入れるほうの通路ではない。
慌てて「お、おつりが」と背中に声をかけるとお兄さんは半顔こっちを向いて「あげる」と気の抜けた声を出した。
「え、あ、あの、そういう、わけには」
「……」
目を細めしばし立ち尽くし黙考していお兄さんは、またふらふらと数歩こちらへ戻ってきた。ようやくその顔を冷静に見やることができて、気づく。髪がいつもよりぼさぼさしていたり、目の下にクマがあったり、もしかして、
「寝不足、ですか」
気づけば声が出ていた。お兄さんはいたって平常に「うん」と小さい声で返事する。機械から取り出した小銭を大きな手で包んでそのままポケットにぶちこんだ。
「最近なあ、資料庫の片付けで」
「忙しい?」
「ううん」
ふるふるとまるで子どものように僕よりずっと背の高いお兄さんは首を振る。
「面白くて、読みふけってもうて」
ぽかんとしてしまった。
「普段なあ、おいそれと読んだらあかんやつばっかでなあ。おもろいよ、古語とかでかしこまってんのに書いてあることけっこうくだらんことだったりで」
お兄さんはなにか思い出したのか、ひゃひゃひゃ、と空気の抜けるような笑い声とともに肩を揺らしている。
「今も昔も変わってへん。人間ってやつは」
おもむろにコーヒー缶の蓋を開けて一口あおった後、「苦い」と苦言を呈す。そうするとやや眠気が晴れたのか目元がいつもの様子になった。まじまじと僕を見下ろしてから相好を崩す。
「兄ちゃん、常連さんになったなあ」
「あ、は、はい。おかげさまで」
言ってから(おかげさまでってナニ、僕何言ってんの)と後悔に口を引き結ぶがお兄さんはなにも感じていないのかもう一口静かに飲み物をすすっている。
司書のお兄さんとこうして直に話すのは、三度目だ。一度目は図書館の利用カードを作った時。二度目は館内で本を一緒に選んでくれた時。たったそれだけ。お兄さんからしたらきっとたくさんいる利用客の一人。きっと利用客の顔を覚えているのも業務の範囲内。わかっているけど嬉しくなってしまう。こっちはあれからずっと目で追っているのだから。でももちろんそんなこと、相手は知らない。知らないでいてくれないと困る。
「なあ」
ぼんやり、お兄さんの胸部あたりを見ながらぼうっとしていたようだ。いい声だな、と思っていたらまた同じように「なあなあ」と声が落ちてきて目線を上げた。
「明日、暇?」
「はい」
夏休みだからいつだって暇なのです。暇、なんですけれども。
「──はい?」
「明日、ワイと遊んでくれへん?」
こてん、と小首を傾げながら、でも口の端を悪戯をひらめいた子どものようにつり上げて、お兄さんはそう聞いてきた。僕に、そう聞いていた。
「────」
口をぽっかり開けて僕は長いこと放心していただろう。
お兄さんはほっそり笑んだまま、明日は図書館の駐車場で地元の夏祭りがあること、そこに自分もスタッフとして赴くこと、人手があったら助かること、などを話していた。
「お駄賃も出るから、な? ちいと、な? 浴衣とか甚平とかあったら着てきてや。ワイらだけかっちりおめかししとったらハズいやろ」
「え。あ、はい」
「ええの? やった。おおきに」
ぱっと明るく笑った彼の八重歯が見えて、僕はそれに見惚れていた。
「じゃ明日夕方五時半にここ来て。待っとるで」
ぽんと気軽に肩を叩かれた。そしてお兄さんはしゃっきりした足取りで消えていく。
それから閉館時間までの記憶が無い。気づいたらちゃんと自宅に帰っていて、ぼうっと夕飯を食べていて、兄に「おい、馬鹿面」と言われるまでなにをどうしていたのだろうか。
そんな、奇跡のような前日を思い返していたらリビングのほうからレムの声が飛んできた。さっさと朝ご飯を食べろー! と叫ぶ声にはじかれるように部屋を出ると同じタイミングで兄も自室から飛び出してきていた。双子故なのかときたまこうやって瞬間が重なる。階段は二人で降りるのは狭いってのに。肩をぶつけあいながら食卓に行くとレムがむくれている。
「仕事に遅れちゃうんですけど!」
「はいはい」
「はーい」
同時に席について同時に「いただきます」と呟いて同じく目玉焼きに箸をさしたところで兄と目が合った。きっと同じことを考えていたことだろう、「真似すんな」だ。
「君たちは夏休みだからいいけどね! 大人は変わらずなんだからね!」
「「はーい」」
異口同音にレムのぼやきをかわしながら、用意してくれた朝ご飯を素直に美味しいと感想をもらす。すると彼女はにっこり笑顔に変わり、隣の茶の間を指さした。
「ヴァッシュ、浴衣出しておいたから。昨日練習しただけで本当に着れる? 早く帰ってきて着せてあげることもできるけど」
「ううん、いいよ。出来ると思う。ありがとうレム」
「二人とも夏祭りなんて羨ましいなあ、わたしも仕事がなけりゃ行けるのに。ナイも浴衣着なくてほんとにいいの?」
「あんなの動きにくいだけだ」
「さすが、風情が無いね」
ナイだけに、と心中でせせら笑っていたら、兄は目を細めて冷笑をこちらに向けてきた。
「はしゃぎすぎて迷子になるなよ。ヴァッシュ」
はしゃいでいるのが目に見えてわかるのか、反論できず黙りこくると彼は嬉しそうにくつりと笑みをこぼす。悔しいがこれ以上は喧嘩になりかねない、レムが遅刻してしまう。僕はこいつより大人だから黙ってやることにしたんだ。
レムを見送ってから片付けをして、担当であるトイレとか風呂の掃除を済ませる。同じく洗濯と床掃除を済ませたナイは、昼前には友達と遊ぶ予定だと出かけていった。
僕はといえば今日は図書館も休館なので、のんびり過ごして夕方から出かける準備を始める。すなわち、浴衣を着ることだ。
昨日教えてもらった通りに袖を通しながら、子どもの頃を思い出す。浴衣を着るなんて子どもの時以来だ。でもその時僕ら双子はおそらく、女児の浴衣を着ていたんだと思う。長い帯がリボンのようだったし、お隣のテスラもしきりに「かわいい」と言っていた。その時はなんとも思っていなかったけど今では苦い記憶だ。
薄灰色に縦縞がはいっている浴衣を着て黒めの下駄を履いて──ちなみにどっちも親戚のブラドのおさがりである──いざ出陣、と自宅を出る。図書館までは徒歩だと十分くらいか。まだ陽射しがあって暑い気もするが平常よりも装備のおかげが、風が吹くとすごく涼しくて、木の葉が擦れる音なんかに想いをはせることが出来る。でも、この格好で衆目にさらされるというのはいささか、いやかなり、恥ずかしい。自分以外にも道を歩いている者たちがいて、ほとんどの人が夏祭りを目指しているのだろう浴衣や甚平の姿もいくらか見受けられるけれど、着慣れないものは恥ずかしいのだ。
着方が合っているのかとたん自信がなくなってきて会場に着いた頃には心臓が緊張に高鳴っていた。
いくつもテントが出ていてその下で出店が賑わっている。いわゆるテキ屋のお店は、地域主催のこぢんまりとした祭り故か姿は無く、普段は商店街とかで営んでいる方達が特別に夏祭りらしい出店を並べてくれているのだった。ふらりと通りがかっただけで気分が上がる。水風船にわたあめ、かき氷と輪投げとなんか光るオモチャ、焼きそばたこ焼きりんご飴、数年見ていなかったけれど記憶に鮮明に残っているそれらとの再会に胸が踊る。
休館中の図書館は電気が落とされていたが、建物のロビーだけは休憩所として開放されていて人がごった返していた。いつもはしんと静まりかえっているのに、新鮮な光景だ。
はしっこに立って腕時計を見るとちょうど約束の十七時半。緊張がピークかも。正直帰りたい。そういえばいったいお兄さんとなにをするのか、具体的なことは聞かされていないもしくは聞かされたけど覚えていない事態にはたと気がつく。これから先いったいなにが起こるかわからないから対処のしようがないことへの緊張感と、どうしてもお兄さんとプライベートな時間を過ごすことへの期待感がないまぜになって、ほんともう帰りたい。心臓が五月蠅いし視界もぐるぐる回ってる気がしてきた。
深呼吸をしよう、と胸に片手をあてたところで名前を呼ばれた。
「あ、ヴァッシュくんだ」
それは期待していた人の声ではなかった。
どうして失念していたのだろう、地元の夏祭りなのだから、クラスメイトの一人や二人いてもなんらおかしくないのに。
「わあ、浴衣だ、かっこいい」
「ヴァッシュくん、こんちは~」
「夏休みなにしてるの? この前のカラオケ会来なかったよね」
数人の声が両耳を充満してきた。私服姿の人たちに囲まれていたたまれなくなる。
「なんで浴衣なの? まさかデート?」
「うそ!」
なにが嘘なのかわからないが、どっと場が盛り上がるような笑い声ともはしゃぎ声ともつかない声たちがあたりに響いた。
なにしに来たのかと聞かれても困る。僕にもわからないのだから。
浴衣なんて着て恥ずかしい奴だと思われたくないけど、その通りだからなんとも言えない。
ただいつも通り、困ったように笑っているとクラスメイトたちはだんだんと興味をなくしているような、でもまだ離れがたいような僕にはよくわからない雰囲気で好きに会話していた。
少しだけ。ほんの少しだけ、疎ましくなった。
どうして、ここで喋るんだよ。
僕が移動すればいいんだけどさ。でもそうすると、きっとなにか言うんだろ。
なにが正解なのかな、どうしたらこんな気持ちにならなくてすむのかな、仲良く適度な距離で付き合うには、こういう時どうしたらいいのかな。どうして僕はそんなこともわからないのかな。
目尻をゆるめて、口が笑っているのが馬鹿馬鹿しくなってきた時、クラスメイトたちが他のクラスメイトを見つけて声をかけていた。また人が増えて、なんでだよ、と思っていたら、
「すまん、お待たせ」
からん、と下駄の鳴る音とともに息せききって期待していた人が現れてくれた。
黒い髪をいつもと違い耳にかけた、紺の甚平を着た大人が、僕の目の前にやってきた。クラスメイトの輪をものともせず、いや気づいていないのかもしれない。
ウルフウッドさんは晴れやかに汗ばんだ額に前髪をはりつけて笑っていた。
「浴衣、超似合うな。男前すぎるやろ。待たせてすまんかった、ほな行こか」
僕の手をさらうようにとって引き、歩き始める。
クラスメイトたちの目の前で、僕は彼に連れられてその場を後にした。
外に出てすぐに振り向いてくれる。
「いろいろ準備しとったら遅くなったわ。堪忍な」
何度も謝らせていることに気がついて思わず勢いよく首を横に振る。
「全然、待ってません」
「そ? やったらええけど。しかし雨降るかもいうてたけど全然そんなこと無さそうやから、めっちゃ安心したわ。客もぎょうさん来てるし、働きがいあるな」
昨日の寝不足姿はどこへやら、溌剌とした彼の元気さが僕にも手を通してうつってくるようだ。
「あ、あの、それで僕はなにをお手伝いすれば」
「うん。それやけど手伝いはいらんくなって」
「へ?」
「図書館チームはかき氷屋してんのやけど、他んスタッフがお子さん連れてきてくれはったから人手は足りて。ワイもさっき暇をいただいてしもた」
「え、と」
「つまりもう暇やな! すまん! やからもう普通にいっしょに遊ぼ」
からりと笑った大人の前で僕は唖然と立ち尽くしていた。大人はその手をまた引いてくる。
「なにする? いやもう全部したろ。ワイが金出すし」
「それは、悪いです」
「祭りの企画な、ワイも入っててん。ずっとかき氷やってたから他んとこうまくいってるかわからんし、どうせなら全部まわりたい。お駄賃も出す予定やったし。なあええやろ?」
眉根を寄せて唇を突き出しすねたような顔の大人に、僕は慌てて手を振った。
「全部まわるのは、大丈夫です。楽しそうだし。でもお金は」
「なんや、せやったか」
嬉しそうに破顔した彼はすぐにどこかの列に並んだ。
「じゃあまずはワイんとこのかき氷からな」
と有無を言わさない、というより素早いテンションと行動力に僕はもう酸素を求める魚のように口をあっぷあっぷと開閉させているだけで。
「なに味が好き?」
好き、好き。好き?
「あああの、おにい、さんは? 好き?」
「ワイ? ううん、全部食べてみて思ったんやけど。これ内緒な」
僕の耳元に手をかざしてお兄さんはこしょこしょと小声で言った。「どれも、おなじあじにかんじる」
耳の真ん中にあたる息づかいと熱気にがくりと肩から力が抜けるようだ。
「ぼ、僕も、全部好き……」
かろうじて言えば、お兄さんは静かに微笑んでいた。
なんだろう、なんだか、胸の高鳴りが止まらない。列に並んでいたのは一瞬で、すぐに順番がきて結局僕もお兄さんもレインボーかき氷を食べた。五十円増しで全色載せ。味はひたすらに甘かった。駐車場の片隅で、縁石に座って食べている間なにを話したかほとんど覚えていない。それから有言実行、全ての店をまわった。途中からはお兄さんがなにか話すたび僕は息ができないほどに笑わされて、腹がよじれるかと思った。
おそろいの光る腕輪をつけて、わたあめ一袋を甘すぎるって渋い顔を並べて食べて、たこ焼きも焼きそばもお好み焼きも半分こにした。チョコバナナは僕だけ食べていたらお兄さんが一口、と先端だけ食べた。その続きを食べる時僕は震えていた気がする。
お金は結局いくらか払ってもらっちゃったけど。その分なるべくお兄さんが楽しめるようにとうんと気を張ってお話を聞いたり、面白いことを言おうと頑張ってみた。けど結果は惨敗。僕の笑いの沸点は非常に低いのだろうか、お兄さんがなにか言うたびにどうしてかとにかく笑ってしまう。お兄さんもそれはそれで嬉しそうで、よかった。
手作り団扇を作るコーナーは子ども向けだったと思うけど。小さい椅子に並んで座って「出来たら交換っこしようや」という提案を快諾して僕は今日の思い出に、とお店で買ったものを全部絵にして描いていた。お兄さんは花火の絵を描いていた。二人とも絵心はそこそこで、交換する前に僕は意を決して提案した。「名前を書いてください」と。
ニコラス・D・ウルフウッド。お兄さんの筆跡でそう書かれた団扇が僕の手元におさまる。嬉しくて恥ずかしくて顔がまた赤くなってんじゃないかと、団扇を活用してさっそく隠した。
「君も書いて。名前」
もっと自分の名前を上手に書けるように練習しておけばよかった。
お兄さんが持っている団扇に、僕は自分の名前を書いた。
お兄さんはそれを見て勘違いじゃないかな、でも嬉しそうにしていたように、見えたんだ。
全部の店をまわった頃にはとっぷり日も暮れて、祭りは閉会となった。最後はみんなで盆踊り。全然知らなかったけどなんとかお兄さんの見よう見まねで乗り切った。
かき氷屋さんを片付けるのを手伝ってから、お兄さんは帰っていいよと言ってくれたけどわがままを言って最後まで手伝わせてもらった。他の店もたたみテントを全部撤収させてごみ拾いもしてようやく運営者側も解散となった頃は、もうすぐ今日が終わる時間だった。
「家族の人、怒ってへんかな?」
お兄さんは心配そうにしていたが、きっとレムもナイもまだ帰ってきてないだろう。
「高校生なんて、泊まったりするよ」
「そうなん? まあ、夏休みやもんな。そんなもんか」
「むしろこんなに楽しんできたって聞いたら、すっごく喜ばれそう」
レムのお土産に買ったたこ焼きは冷め切っているけど、それでも彼女ならきっと僕の今日の思い出話を聞いて目を輝かせるだろう。
「ええ家族やな」
ウルフウッドさんはしみじみとそう呟いた。
二人でまだどこか賑やかさを残した、いつもとは違う雰囲気の夜道を歩いている。僕の家まで送ると、ウルフウッドさんが言い張ったのでお言葉に甘えていた。
「下駄、足痛いわ」
ときたま足をひきずるような動きをしていたので気づいていたけれど、僕も同じだったので頷いた。
「帰って絆創膏貼らなきゃ」
「日焼けもしたわ多分。ひりひりする」
言って首の後ろを撫でるので倣って僕も自身のそこに触れる。浴衣の襟は汗で冷たくなっていた。
全部終わると疲労感がはんぱないことを自覚する。息をついて胸元の襟を直すように引いていると、ウルフウッドさんがこっちを見ていた。
「浴衣、似合うなあ思て」
「……」
本日何度目かの嬉しいと恥ずかしいの気持ちが昂ぶって声が出ない。
ウルフウッドさんの甚平もすごく似合っている、と言いたいけど、もうこれまでに何回も告げてきたしまだ言うかと思われるかもしれない。
「宿題まだあるん?」
なんとなく聞かれたので、脳裏にもうわずかしかない宿題を思い浮かべた。それでも、僕は宿題がないと図書館に行く理由がなくなってしまうから、
「たくさん」
と嘘をつく。
ウルフウッドさんは、ほんのり笑った。時折見せる、静かな微笑み。
「そんなら良かった」
それは、どういう意味だろう。
家の前に着いて「ここです」と言うのが苦しいような安心したような気持ちで。案の定家に電気はついていなかったから誰も居ないとわかった。
一瞬。あがっていきますか、と勇気を出して言おうか、門戸に触れながらドキドキしていた。自宅にウルフウッドさんが入り込む想像をして、声が出そうになった。
けれど背中に「ほんならまたな」と彼の声が届いて冷静さを取り戻す。
そう、常識的にここで別れなくてはならない。
振り返って僕は「はい」と会釈した。「ありがとうございました。すごく、楽しかったです」もっと言いたいことはあるのに、言葉が出てこない。
「ワイも。また遊ぼうな」
「……はい!」
あからさまに喜んでしまった。
ウルフウッドさんは去って行く。
「気をつけて!」
背中に声をかけると、手をひらりと振られた。別れというものはあっさりしたものだ。
見えなくなるまで見送ってから、しばしぼうっとしていた。
家に入り、浴衣を脱ぐ。帯を解いて袖を落とすと重さとともに疲れからどっと開放されたようだ、長いため息が出る。
上下下着姿になって、有頂天なまま疲労を感じていた。
「しあわせ……」
ほう、と息を漏らした時、運悪く帰宅していたナイがいつの間にか廊下に突っ立っていた。
数秒、兄の視線にさらされる。じわじわと、僕は顔を赤くした。
「弟が変態になった」
「だ、誰が変態だ!」
「その格好で踊ってるから」
「踊ってない!」
「ただいま~!」
「レム、聞いてくれ今」
「レムー! 聞かないでいいからね!」
「二人とももう深夜だから、静かにねえ」
家族で過ごす夜中は、いつもより暑い気がした。
翌日。恥ずかしげもなく今日も今日とて図書館に行く自分にやや面はゆくなりながら。
いつも使う席に座って黙々と本を読んでいたら、隣に誰かが座った。はっとして見ればウルフウッドさんで、目を見張ってしまう。
大人はいつも通りの余裕そうな態度で団扇をぱたぱたとあおっていた。それは昨日、僕が作ったソレで、思わずつばを飲み込んでしまう。
「昨日は、おおきにな」
館内なので小さな声で囁かれる。僕はこくこくと頷いた。
「なあ今度は……花火見に行かへん?」
テーブル上に腕を組んで体重を傾けさせた彼の提案に、僕はどっと胸を高鳴らせた。
やっぱり夏休み、永遠であれ。