甘く、優しく、包み込んでとある昼下がりの探偵社。治は自殺の歌を口ずさみ乍ら出かけ、国木田はそんな治を探しに行き、賢治は満腹で眠りにつく。各々が各々らしくいつも通りに過ごしていた。
そんな中私は、静かに社の扉を開けて或る人を探す。その人もいつも通り、乱歩さんとのんびり話をしている。ぱちりと視線がかち合い、その瞬間私は彼女の前に駆け寄った。
「茉莉さん、今お時間大丈夫ですか…?」
「大丈夫よ〜。如何かしたの?」
彼女は乱歩さんの恋人___森 茉莉さん。礼儀正しい、柔らかな雰囲気の女性だ。よく探偵社にも遊びに来る。道に迷っている彼女を扶けたことがあり、それ以降顔を合わせると話しかけてくださるようになった。箱入り娘故に世間知らずな処もあるが、乱歩さん曰く昔に比べたらマシになった方らしい。少々抜けている処も可愛らしくて私は好きだけど。
きょとんとして首を傾げる彼女に、後ろに回していた両手を出した。
「これを茉莉さんに直していただきたいんです!
「くまのぬいぐるみ…」
掌に乗ったぬいぐるみは、耳の部分がほつれて取れかかってしまっている。茉莉さんはそれを受け取ると一通り状態を観察した。そして納得したように頷き、少しだけ口元を緩めた。
「長い間大切に使われていたのねぇ。所々ほつれていたり色褪せたりしているもの」
「はい。近所の子のなんですけど、何かに引っ掛けてしまったみたいなんです。あまりに泣くものだから、直してあげる!って云ってしまって…」
はは、と乾いた笑いを零せば、茉莉さんは頬に手を添えて考え込んだ。
このぬいぐるみは、きっと茉莉さんに頼んだ方が綺麗にして返すことが出来る。あの子に嘘をつくような形になってしまうけれど…私は裁縫ができないから。返す時に茉莉さんに直してもらったのだと伝えればいい。
そう考えていると、茉莉さんは急に立ち上がって私の手にぬいぐるみを握らせた。
「伊織ちゃん、これは伊織ちゃんが直してあげて」
「えっ?否、私裁縫は…」
「この程度のほつれなら、直すのは簡単よ!やったことがないのなら私が教えるわ」
意気揚々と云う茉莉さん。彼女は意思が固く、一度云ったら中々食い下がらない。返答に困っていると、彼女は目を伏せて優しく微笑んだ。
「私が直しても構わないけれど…これは、伊織ちゃんが直した方がいいと思うの」
……嗚呼、この人にも全部お見通しなんだなぁ。
茉莉さんは迚も察しがいい。その察しの良さは誰に対しても分け隔てない優しさから来るものだろう。彼女の純粋な優しさを無下には出来ない。頷けば、その華奢な手が私の腕を引いた。
「じゃあ早速、此方でやりましょう!」
「はい!…乱歩さん、少しの間 茉莉さんお借りしますね!」
「少しだけだからねー!」
乱歩さんからの承諾を得て、私は茉莉先生の下で裁縫を教わることとなった。
✳✳✳
「出来た…!!」
「綺麗に直って良かったわねぇ」
きらきらと目を輝かせて、自身で直したぬいぐるみを掲げる伊織ちゃん。その手には幾つか絆創膏が貼られている。初めての裁縫と云っていたけれど、上達が疾くて教えるのが愉しかったわ〜。丁度私も人形を繕い終えて、机の上を片付ける。
「ありがとうございます!!お礼の品は今度持ってきますね!」
「お礼だなんて、気を遣わなくていいのよ〜」
「いえ!持ってきます!!一先ずこれ、お詫びの品です!」
「お詫び…?」
勢いよく捲し立てた伊織ちゃんは、何処から取り出したのか、練るお菓子を私に押し付けて慌ただしく社を飛び出して行った。この練るお菓子、乱歩くんが好きな味だわ。でも、お詫びの品ってどういうことかしら…。
「漸く終わったみたいだね」
「乱歩くん」
考えを巡らせていると、乱歩くんがソファの後ろから身を乗り出して声を掛けてきた。
「お待たせしちゃって御免なさい」
「いいよ。茉莉も楽しそうだったし」
そう云う乱歩くんは優しい目をしていて、少し擽ったい気持ちになる。隣に座り、片付けをする私の髪を耳にかけてくれた。
「あっ、練るお菓子!伊織も気が利くようになったじゃないか」
机の上に置かれたそれを見た途端、無邪気な笑顔を見せた。成程。私にじゃなくて、乱歩くんに対するお詫びの品だったのね。伊織ちゃんは律儀ねぇ。
私にとって…勿論乱歩くんにとっても、二人で過ごす時間は何にも変えられない大切な時間。だからこそ、こうやって私たちのことを気にかけてくれる人がいることは迚も嬉しいわ。
「茉莉、一緒に食べよ!」
乱歩くんから差し出されたスプーンに乗るお菓子を頬張る。彼は私に口付けを落として、唇に付いたお菓子をぺろりと舐め取った。
「うん、美味しい」
「伊織ちゃんにはお礼をしなくちゃ」
「それは彼奴が戻ってきてからでいいよ。今は僕優先!」
「ふふっ、そうねぇ」
拗ねた彼の頬に手を伸ばす。そうすると、心做しか嬉しそうな表情を浮かべてゆっくりと目を開いた。もう一度、甘く、優しく、影が重なる。
大好きな彼と、今日もまた蜜のように甘いひと時を___。