共食い赤い夕焼けの中、ひぐらしの鳴く声が聞こえていた。
――ココはどこだろうか?
村の探検と称して、確か……友達になったばかりの子と一緒に遊んでいたはずだ。
山に流れる小さな川で魚を見て、木々が生い茂る草むらのトンネルを一緒に走り抜けて……。
村に来たばかりの体が小さく、体力のない子供は、友達の背を必死に追いかけて最後尾を走っていた。
草むらを抜けた……!
そう思った瞬間、抜けた先がこの場所だった……。
あれだけ青々と葉を揺らしていた田んぼには、収穫が終わったのか、枯れ草のような跡だけが残っている。
つい、先ほどまで、頭上では太陽が照りつけ、汗ばむほどだったはずなのに――。
今は、赤く染まった空の下、カラスが一羽、寂しげな声を響かせていた。
村人はどこかに行ってしまったのか、誰一人として歩いていなかった。
――道に迷ったかなぁ……?
不安になりながら、歩いていると、目の前に小さな駐在所が現れた。
――もしかしたら、誰かいるかもしれない!
子供が早足で歩く。
駐在所横にはチラシを貼る掲示板があった。
『人を探しています。どんな情報でも、コチラへ!』
掲示板に張り出された人探しのチラシ。
だが、探している人物の名前も顔も、黒いシミで見えない。
――こんなんで、人探しできるのかなぁ?
紙の端が少し色褪せている事から、きっと、長い間が放置されていたのだろう。
子供が掲示板を、ボンヤリと眺めていると、背後から人の気配がした。
「こんな場所に……迷子か?」
頭上から冷たい声が響く。
誰もいないと思っていた子供は、突如現れた人物にビクリと一瞬震えた。
振り返れば、そこには警察官の制服を着た若い男が立っていた。
だが、警官帽を目深に被ったその顔は、夕焼けの影に沈み、どこか表情が読み取れない。
なぜか、まるで最初から『そこにいた』ような気がして、子供は小さく身をすくめた。
「あっ……あの……」
顔を見上げ返事に困っていると――。
「あぁ、すまねぇ」
子供が怯えているのがわかったのだろう。男は子供の姿を確認すると、一瞬で表情が和らいだ。
「お巡りさん……ココはどこですか?」
トンチキな質問をしているのは分かっている。
だが、自分が父親と滞在している村と、この場所はどこか雰囲気がまるで違うのだ。
三日前から訪れている為、駐在所がある事さえ、子供は知らなかった。
「どこ……?村だろう」
「そう……ですよね……」
困ったように返事を返せば、子供の怯えた表情に気がついたのか、警官の男は膝をつき、目線を合わせてきた。
優しい灰色の目が、見つめてくる。
「迷ったなら、ここに居ればいい」
子供は警官の言葉に一瞬、何を言われたのか分からずに首を傾げた。
――ここに居れば良い。
一緒に村を訪れている父の迎えが来るまで、この駐在所に居ていいとの事なのだろうか?
子供が黙ったまま考えていると、不意に手を取られた。
その手は、触れた瞬間――まるで氷のように冷たかった。
子供はゾクリと背筋を震わせ、思わずパッと手を引っ込めた。
「どうしたんだ?」
穏やかな声とは裏腹に、その手には体温が、まるで感じられなかった。
子供は愛想笑いをすると、誤魔化したように、はらった手をポケットへと突っ込む。
そして、三個の飴玉を握りしめると、謝罪を込めて警官へと差し出した。
「お巡りさんに、これ……上げる」
「俺に……?」
「うん」
何か、やはり変だ……。
この場所もそして、目の前にいる警官も……。
子供はオドオドしながら目を閉じると、警官は素直に差し出された飴を受け取った。
包み紙を外し、口の中に放り込む。
コロコロと転がし味わえば、目を輝かせた。
「うめぇな」
警官の男が笑いかけてくるのに安堵の息をホッとつくと、子供もようやく緊張が少し解れたのか、笑顔になった。
「そうでしょう?俺のお気に入りなんだ」
「ふぅん……」
ビニールの包み紙を眺めながら、楽しそうに飴を食べる。
そして子供の肩に手を置くと、長い腕を伸ばし、道の先を指差した。
「いいか、帰り道は、ココを真っ直ぐだ。絶対に振り返るな。全速力で走れ」
声の調子が変わった。
まるで命令のように低く、冷たい。
ポンと肩を押された瞬間、子供は、どうしてだか『ここにいてはいけない』という強い直感に駆られた。
振り返りたくなる衝動をぐっと堪え、言われた通りに足を早める。
その姿を見送りながら、警官はボソリと呟いた。
「せっかく……手に入ると思ったのに……まぁ、仕方ねぇか……そのうち……お前は手に入る……供物は三つ……まず……一つ目」
警官は口に含んだ飴を、ガリッと音を立て噛むと、ニンマリと口の端を歪ませた。
警官に言われた通り……一本道を走った……。
夕焼けの田んぼの畦道を、吹っ切るように……走って……走って……。
気がつけば、明るい昼間の世界が目の中に眩しい光を宿して……。
宿泊先で世話になっている民家の前に辿り着いていた。
「あっ……ロー君、帰ってきた!どこに行ってたの?」
山の中を走って遊んでいたはずなのに、はぐれてしまった友人たちは、心配をし、仕事をしている父親へと報告のため、来てくれていたようだ。
「えっ……あの……分からない……」
子供があの駐在所の事を話そうとした瞬間、パッと頭の中で光が弾けたように、何かが消え去った。
友人を追いかけて走っていたのに……いつしか道に迷い、そして何とかこの民家へと帰って来れたのだ。
「アンタ達、山に入ってはいかんよ、迷って山神さんに、連れて行かれたら帰って来れんくなるけんね」
民家を管理している女性が、子供達に嗜めるように忠告した。
すると、遊び場を失った子供達は口を尖らせて、不機嫌に同意の返事をする。
「山神さん?」
村に来たばかりの子供が不思議そうに尋ねると、女性は青々とした木々に覆われた山を指差した。
「山神さんは村を護ってる神さん、ただひどく寂しがり屋でねぇ、子供が山で迷うと連れて行ってしまうって……昔、バァちゃんから聞いたんよ」
子供が押し黙り聞いていると、少し年上のヤンチャ盛りの男の子が声を上げて笑い始めた。
「オバチャン、ロー君を怖がらせたら、いかんよ」
「ベ……別に怖くなんか……」
プライドを傷つけられたくないのかムキになり、反論しようとした時、子供の頭に大きな手が乗ってきた。
「ロー、先人の教えには、従った方が身のためだよ」
優しい父の声にローの頬が嬉しそうに上がる。
「父様!」
「土地勘のない、それも子供が山に入れば迷うに決まっているんだ。遭難なんて事になったら一大事だよ」
ローの父親がそう告げれば、周りの子供達もイタズラに小さな子供を揶揄う事が出来なくなっていた。
次の日――。
山を探検出来なくなった子供たちは、村にある唯一の小さな神社に集まっていた。
「かくれんぼでもする?」
「そうだな!」
鬼になったのは、長い髪を三つ編みにした華という少女だった。
鬼は数を数え出す。
いーち、にーぃ、さぁーん……。
ローが境内の中、隠れる場所を探そうとウロウロとしていた時だった。
「ロー君、絶対に見つからない隠れ場所、教えてあげる!」
昨日、山道を先頭切って走っていた大きな体の少年が声をかけてきた。
「ダイキ君……」
ローは彼が少し苦手だった。
年上というだけなのに、体の小さなローを馬鹿にしたような目で見てくるのだ。
更に都会から来たという事も気に食わないらしい。
「自分で探すから……良いよ……」
遠慮がちに断れば、また上から目線で小馬鹿にしたような笑みを浮かべた。
「遠慮するなって!」
無理矢理細い手首を掴み、力任せに引っ張って来る。
そして――連れて来られたのは社の奥深い場所にある小さな洞穴だった。
「ほら、ココ!」
洞穴の上には紙垂れが飾られ、まさしく神社の中で何かを祀っているようだった。
「こんな……所……入っちゃダメだよ……」
入り口に立てば、生暖かな風と一緒に生臭い匂いも漂いローは思わず鼻を抑えた。
「平気だよ!こないだ、皆と探検で入ったんだ、だけど、なぁんにも無かったぜ」
洞穴の中は真っ暗で、何も見えない。
……たぁ……ぃ……たぁ……い
奥からは風と一緒に何かの音が微かに聞こえて来る。
それは何か動物の唸り声のように思えて、余りの不気味さにローは足を一歩後退りした。
「ほら、ロー君、入れよ!」
ドン!
強く背中を押され、危うく紙垂れの掛かる洞穴の入り口を、小さな足が越えそうになった瞬間だった。
「ロー君、ダイキ、みぃつけた」
ローの腕を引き戻し、鬼である華が可愛らしい笑顔を見せてきた。
ダイキはというと、焦ったように顔を曇らせ、そしてその場から逃げ出そうとしている。それに華が厳しい声を上げた。
「ダイキ、アンタ、何してるん?ココは近づいてはダメな場所やろう?」
「ロー君に村の不思議な場所を案内したかったんよ」
誤魔化したように笑うダイキを睨みつけ、そして耳を引っ張る。
「ダイキ……分かってるやろう?身柱様は、村の人間にしかなれんのよ」
華の言葉にダイキの表情が曇る。
「……それは分かってる。でも……もしかしたら、外から来たロー君やったら……」
「ダイキ!」
母親のように、怒りを込めて名前を呼ばれる。
すると、ダイキはグッと押し黙り、ローに頭を下げた。
「ロー君、怖い思いさせて悪かったね」
それだけ謝罪すると、ダイキは神社を出て行ってしまう。
そうして……一緒に遊んでいた子供たちも子分のようについていき、残されたのはローと華だけだった。
目の前にある洞穴からは、今も何かしら音がしている。
華はその洞穴を少し眺めると、険しい表情になった。
「ねぇ、華ちゃん。ココ……何がいる?」
「……ここには、『ふし様』達がいるの」
『ふし様』という言葉に、ローは聞き覚えがあった。
それはこの村に行く前だ。父親が興奮したように、母親とこの村の話をしていたのだ。
『不死村』と呼ばれる村の謎解明を、何年も前から調査したいと願い出てたのだが、ようやく大学からその許可が降りた事。そしてその『不死村』にいる生き仏こそが『ふし様』だ。
「この洞穴に?会えるの」
もし、この事を知ったら、父親は絶対に喜んでくれる。
ローが内心、父親の役に立てるような気がして、興奮して尋ねたが……。
華は黙ったまま、ローを横目で見ると、首を振った。
「会わんほうが良いよ……」
「どうして?」
『化け物やから……』
ローは洞穴の音をもう一度聞く。
確かに、人間の声とは言い難い。
低く、どこか不気味な音だ。
ゴクリと喉を鳴らし、唾を飲み込めば、華が腕を引いてきた。
「ここにおらん方がいい、帰ろう」
華とは途中まで一緒に歩くと、『またね』と挨拶をしあい、別れた。
帰り道は何も話さなかった。
ただ、華が寂しそうな表情を浮かべていたのが、ローには少し気がかりだった。
――身柱様って何だろう?
『ふし様』の事を尋ねてて、すっかり、身柱様の事を聞きそびれたなとボンヤリ歩いていると、また……不思議な感覚になる。
先程、天気の良い青い空の下を歩いていたのに、また夕焼けだ。
――ここ……来た……ような気がする……。
田んぼの畦道の先に、小さな駐在所。
掲示板を眺めれば、人探しのチラシ。
『人を探しています。どんな情報でも、コチラへ!』
――このチラシも前……見たような。
子供が黙って眺めていると、ふと違和感に気がついた。
「ロ……ア……ロ……?」
以前眺めていたこのチラシは、名前もそして探し人の顔を見えなかったはずだ。
だが、ほんの少し、名前のかけらと、そして探し人の頭の部分だけ、黒いシミが取れている。
ローが食い入るように眺めていれば、背後から人の気配がした。
「また来たのか?坊主」
振り返りみれば、忘れていた記憶がパッと戻ってきた。
「お……まわりさん……」
警官帽から覗く若草色の髪の毛。
視線を人探しのチラシに戻そうとした時、背の高い体が視界を覆った。
「少し、茶でも飲んでいかないか?」
駐在所を指さされ、誘われれば、確かに喉が渇いたような気がする。
ローは小さく頷くと、警官と一緒に駐在所の中へと入った。
小さな簡易のテーブルと向かい合わせに置かれたパイプ椅子が二つ。
ローは椅子に座ると、少しワクワクとした気持ちで中を覗いていた。
壁には沢山の書類が張り出され、奥には年代物の黒いダイヤル式の電話が置かれている。
まるで古い映画のセットにでも入り込んだかのような光景に、ローは不思議でたまらなかった。
「ほら、どうぞ」
警官が差し出してくれたグラスに入れられた冷たい麦茶を受けとると、直ぐに口をつける。
ゴクゴクと飲み干せば、一気に渇きが潤った。
「もう一杯いるか?」
警官の申し出にローは直ぐに頷いた。
「ねぇ、お巡りさん……身柱様って知ってる?」
グラスの麦茶を傾けながら、尋ねると、グッと眉間に皺が寄った。
黙り込む警官の表情を見上げ、首を傾げると、『何でだ?』と尋ねられる。
「今日、遊んでいた子が話してたんだ、身柱様は村人しか出来ないって……それから……この村に『ふし様』っていう仏さま?の事も聞いたんだけど……その子が化け物だって言うんだ」
何気ない会話のはずだった。
警官は険しい表情をやめ、ニタリと口元を歪ませて、ローの前へと座ってくる。
「そんなに知りたいか?」
「えっ?う……うん」
警官は表情を崩さずに、怪しい笑顔を浮かべたまま、先日ローに貰った飴玉を口に放り込み、そして話し始めた。
「この村が不死村って呼ばれているのは知ってるよな?」
「うん……」
「この村はな、大昔から山神様に贄を差し出してきた。それも村の奴らは自分たちの身可愛さに、村の人間ではなく、外からきた人間を差し出していた。そんな中、贄になった一人の男が山神様に気に入られた……。喰われず、そのまま伴侶として迎え入れられた」
「伴侶……」
「伴侶になり、男は人ではなくなった。山神様の眷属になったと言った方がいい。永遠に生きる存在になった男は、この山に彷徨う、贄になって来た者達の魂と触れ合うことが出来るようになった。どの魂も村を恨み、憎んでいた。だから……男はその無念を晴らすため、山神様に頼み込んで、あの村を呪ってもらうようにした」
「呪う……」
「あの村で生まれた者達に死を与えないでほしいと……山神様は男の願いを聞き入れ、あの村を呪った」
「死ねないのが呪いになるの?」
「肉体は歳を取り、老いて朽ち果てていく。病気になり怪我をしても、死ぬことが出来ない、苦しみしか訪れない。体が肉片になったとしても、死ねない。その苦しみは正気を失わせた。化け物のように暴れ、村人に食いつく」
「それが……ふし様?」
「あぁ、村人たちは困り果て、化け物を洞穴で鎖に繋ぎ、飼うことに決めた。だが、腹が減るのだろう、洞穴から出てこようとする。そこで、村人は化け物の餌として、祭りと称して、また贄を捧げ始めた」
「……贄……」
「化け物の腹が満たせるのは村人の肉だけだ。だから、身柱は化け物の餌になるんだ」
「えさ……?人が人を食べるの?」
余りの衝撃に、ローが呆然と警官を見つめる。
「人?違う、化け物が化け物を喰らうだけだ」
この村で駐在をしているはずの警察官が笑いながら、告げる言葉に、ローは何か冷たいものを感じた。
「お巡りさんは、この村の警官じゃないの?そんなこと、やめさせてよ……」
震える表情で告げれば、楽しそうに笑っている。
「本当に気持ちの悪いやつらだよな。それに餌になるのは、いつも子供だというから、今も昔も、あいつらは何一つとして、変わらないんだよ」
警官はまるで他人事のように、大笑いしているのを、ローはゾッとして立ち上がった。
「どうして……どうして、そんなに笑えるの?」
「因果応報だ……あいつらは呪われても仕方ないんだからな」
ローは駐在所を出ると、首を横に振った。
「おかしいよ、お巡りさん……」
「おかしい?俺が?何もおかしくないさ。それよりも、帰るのか?」
ローの小さな体を警官が抱きしめてくる。
「離して……」
体に回る腕が冷たい。
服越しに伝わる体温の無さに、身震いが止まらない。
「なぁ……坊主……永遠に生きるって……酷く退屈で寂しいんだぜ……」
耳元で囁かれているのに、頭の中に直接響いてくる。
「俺も……寂しい……」
警官もこの村の人間だ。
『ふし様』の可能性だってある。
ローは恐ろしくて、その腕の中から抜け出すと、首を横に振った。
「帰らせて……」
「……仕方ねぇなぁ……まぁ、良いか……あと少しだから……」
警官は意味ありげに笑みを浮かべると、自身の腹を撫でていた。
「男は……山神様に寂しいから……家族が欲しいと願ったんだ……」
唐突に話を続けられ、ローは何を言われたか、一瞬思考が停止した。
「そして……もう少しで……手に入る……」
警官の目が妖しく赤く光った瞬間、ローは昨日と同じように、田んぼの畦道を振り返らず走り出した。
「帰っちまうのか……迷わないようにな」
警官は逃げ出すローの姿を楽しげに眺めながら、口の中に入れた飴をガリッと噛んで飲み込んだ。
ローは民家に帰ると、直ぐに布団へと潜り込んだ。
「どうしたんの?」
お世話になっている民家の女主人の顔を見ても、震えが止まらない。
人の良い顔をしながら、裏ではこの村の住人達は、『ふし様』という存在に、子供を餌として捧げているのだ。
――早く、家に帰りたい。
仕事をしている父親に話をしても、まだ調査の最中だからと、困った表情をされた。
今まで聞いたことを、父親に全て打ち明けたい。
そう思ったが、村の秘密をしった自分らを、ここの村人たちは素直に見送ってくれるだろうか?
嫌な考えが頭をよぎる。
それでもローはひつこく、父親に『帰りたい』とだけ泣いて縋った。
次の日――。
結局父親は、ローの言葉通り、一度帰宅することを選んだ。
村人にはローを送ってから、自分だけ戻りますと話している。
すると女主人が明日にしたらと尋ねてきた。
「今日は、身柱祭なんですよ。数年に一度の祭り。それを見ずにお帰りで?」
ローの父親はその言葉に目を輝かせた。この村の風習を調べるのが、目的だ。それも数年に一度。
父親はローに明日でもいいかい?と尋ねてきた。
「わかったよ……俺は外に出ないから」
ローは肩を落とし、自室へと籠った。
明日にはこの村を出れるのだ、一日ぐらい我慢しよう。
「ロー君は身柱祭、参加せんでいいの?」
ニンマリと笑う女主人の笑顔が怖い。
「具合が悪いので、いいです」
「具合が!?じゃあ、お薬でも持ってきてあげようか?」
親切にしようとしている姿もキミが悪い。
ローは全てのことを断り、二階の自室として使っている部屋から、村の様子を眺めていた。
身柱祭は村人全てが白装束を着るようだ。子供も大人も皆、同じ姿になっていた。
そして、慌ただしく村人達が、民家に入ってくると、バタバタと忙しく何かをしている。
ローがそっと、その様子を眺めに行くと、父親も同じように白装束を身につけていた。
広い座敷の部屋に祭壇を作り上げると、大量の菊の花を飾り始めている。
それは祭りの祭壇というよりも、昔、出たことのある祖父の葬儀と同じようだとローは思った。
やはり、何か狂っている。
ローは直ぐに何も見なかったようにして、部屋へと戻った。
空は暗くなり、夜へと移っていこうとしている。家の玄関には大きな松明が焚かれ、薄気味悪い闇を、不気味に照らし出す。
白装束に身につけた大人たちに囲まれて、沈んだ表情の華が歩いている。
一軒一軒、家を周り頭を下げて挨拶をすれば、家主たちは、まるで葬儀の挨拶のように、手を合わせ拝んでいる。
それは、まるで……死に行くようだった。
身柱には子供が選ばれている。
『ふし様』の餌になる。
昨日、華が自分を洞穴に入れないようにしたのは、自身が身柱になるのが決まっていたからでは無いか?
ローの中で言いようのない不安が胸いっぱいに広がった。
「ロー君、ロー君!」
そんな中、一階の庭の辺りから自分を呼ぶ小さな声が聞こえる。
そちらを見れば、白装束ではなく服を着たダイキが草むらから、手を振っていた。
「ダイキ君……どうしたの?」
叫ぼうとすると、口に指をあて、『静かにしろ』とジェスチャーを送ってくる。
ローが気付いた事に、ダイキは木を伝い登り、瓦の敷かれた屋根を走った。
「危ないよ」
村の人達が全員、自分が理解出来ない違う存在だというのは分かっている。
だが、今まで友人として遊んでいた彼らを無碍に、嫌うことも出来ない。
ダイキは窓先で靴を脱ぐと、ローの目の前で額を床につけてきた。
「頼む!ロー君、助けてくれ」
唐突にされた土下座に慌てていると、
ダイキは神妙な表情を浮かべ、顔を上げた。
「華ちゃんを一緒に助けてほしい」
ダイキの口から華の名前が出てくると、先程見た、挨拶をしている姿が目に浮かぶ。
「華ちゃん……どうしたの?」
「身柱様になるんよ……」
ローの中で警官の低い嘲笑ったような声が聞こえる。
――化け物の餌だよ
ローは黙ったまま、『無理だよ』と告げた。
「どうやって助けるの?この村の大人たちは全員、敵だよ」
「俺の叔父さんが、村の外にいるんよ、村の外にでれば、ここの大人たちは手が出せん。だから……華ちゃんを村境まで一緒に連れていく」
あまりにも信じられない内容だった。
「村の外に出たら、どうして手が出せなくなるの?」
「呪縛がとけるって叔父さんが言ってたんだよ!村の人間から外の人間になれるって!だから俺も華ちゃんも、大人になったら村を出ようって話をしてたんだ」
――呪いがそう簡単に解けるものだろうか?
考え込んでいると、ダイキは真剣に頼み込んでいる姿から、また以前のように、上から目線でローを見てくる。
「ロー君はこの村のこと、何か知ってるようやね」
冷たい脅すような言葉がダイキが出てきて、ローは嫌な汗がでた。
「何言ってるの?」
「村の秘密を知った人間を……大人たちは外に出すと思ってる?」
「それ、俺のことを脅してるの?」
誤魔化し笑いをして、ダイキの顔を見れば、また真剣な表情へと戻る。
「違う!華ちゃんを助けたいだけなんよ!頼む、力を貸して」
ここで断ったとしたら、きっとダイキは村人に自分の事を告げ口するだろう。
「分かったよ」
そうなれば、危ういのは自分もだが、何も知らない父親もだ。
ローは足音を忍ばせながら、玄関に行くと、祭壇のある座敷の横を通った。
襖が僅かに開いており、中が見える。
そこには沢山の白装束を身に纏った大人達が、正気のない笑顔を浮かべながら、祭壇を拝んでいる。
その中に、父親もいた……。
ローは悲鳴をあげそうになるのを、必死に声を飲み込み、ダイキの元へと走った。
「ダイキくん……この村……どうなってるの?父様も……一緒に祭壇を」
ニタリと歪み唇、瞬きをせず、見開かれたままの目で、祭壇を狂ったように拝む大人たち。
「この村にいると、どんな大人だって侵食されるんよ……祭りの日だけは正気を失う、こっちや」
ダイキが走る背中を、追いかけ、そして山に入ると、神社への近道を駆け抜けた。
鳥居の前には松明が焚かれ、大人たちが見張っている。
山手側を暗闇に紛れながら入り、社近くへと辿り着いた。社の前にも、勿論、大人たちが険しい表情で見張りをしている。
ロー達は社の床下、子供だけが通れる小さな場所を見つけ、蜘蛛の巣を払いながら、進むとジッと体を小さくした。
社の内部には華しかいないのだろう。
小さな啜り泣く声が聞こえてくる。
ゆるくなった床板を慎重に一枚だけダイキが外すと、社の中へと入った。
「華ちゃん、逃げるぞ」
ダイキの声に、首を横に振るが、手首を掴み無理矢理、社の下へと体を引っ張る。そして三人は、山へと入り、村境を目指した。
遠くの方から『身柱様が逃げたぞ!探せ』と大人たちの唸る声が聞こえてくる。
ローは必死にダイキと華の背中を追った。途中、太い木の幹に、つまづきローの体が派手に転ぶ。
華が背後を振り返ると、大人たちが松明を持って自分たちを追いかけている姿が見えた。
「ダイキ、待って!ロー君が」
華の言葉を無視し、ダイキは必死に走る。
転んだローと言えば、直ぐに立ち上がったが、どんどんと見えなくなるダイキたちの背中を目を凝らしながら、走った。
「ロー君が追いついてない」
華の言葉にダイキは『代わりになって貰えばいい』ボソリの告げた。
華は足を止め、ダイキの手を振り払い、信じられないと首を横に振った。
「身柱様は村の人間じゃないと……」
「そんなん、儀式の時間が迫れば大人たちだって、焦って誰でも良いっていい始めるに決まってる!」
ダイキは最初から身代わりで、ローを差し出すつもりだったのだ。
その大声は近くを走っているローの耳にも届いている。
――儀式の時間が迫れば……誰でもいい?
ローの細い腕が荒々しく大人の手に掴まれる。
「離せ!」
ローの叫び声を背後に聞き、華が一度振り返ったが、そのままダイキに連れられて、見えなくなってしまう。
ローは絶望した。
友達だと思っていた人たちが、裏切っていく……。
大人たちの何本もの手がローの体の自由を奪っていく。
――イヤだ……助けて……お願い……誰か……助けて!
ローがそう願った瞬間、暗闇だった場所は、パッと朱い光が差し込んだ。
ひぐらしが、鳴いており、空は夕焼けに照らしている。
光にあてられ、正気を失っていた大人たちが、ローの体から手を離した。
「ここ……どこだ?」
今まで自分たちが何をしていたのかさえ、理解していない様子だ。
困惑した表情を浮かべているのは、山道を走っていた友人二人も同じようだ。
突然、田んぼの真ん中に連れてこられた事に驚いて、二人は呆然と立ち尽くしていた。
ローは立ち上がると、一目散に畦道を走り、そして見慣れた駐在所へと駆け込んだ。
「助けて!お巡りさん」
顔も見ず警官に抱きつけば、『右手』が愛おしそうにローの髪を撫でてくる。
駐在所から静かに出て行き、そしてこの場所へと入り込んだ、招かざる者たちを、赤い目が睨みつけた。
『イマモ……ムカシモ……ケガレタ……モノドモ……』
地を這うような声だった。
ローの知る声ではなく、それは人の声ではない。
警官の姿を見た大人たちは、皆、体を震わせて、固まっている。
そして苦しそうに蹲ると、耳から、目から……血液が溢れ出してくる。
「痛い!」
田んぼにいた華の悲鳴が上がると、華もダイキも大人たちと同じように、血を流していた。
ローは怖くなり、思わず警官の足に抱きつけば、慰めるように腕が回る。
警官はしゃがみ込み、ローと視線を合わせると、いつもの帰り道を指差した。
「真っ直ぐ走れ……」
言われた通り、走り出す。
途中、華が『助けて』と手を伸ばしてきた。
だが、ローは目を伏せたまま、彼女の手を無視をした。
走って……走って……走って……。
道を抜けた先には、朝日が輝く村があった。いつも自分が泊まっている民家前。そこまで辿り着くと、ホッと胸を撫で下ろし、へたり込んでしまう。
家からはローの姿を見つけた女主人が、父親を呼んでいる声が耳奥できこえた。
大人たちは信用できない。
だが、もうローには逃げる力も残っていない。
重たくなる瞼を閉じ、そのまま意識を失った。
それから――ニ日後、ローは意識を取り戻した。
目を開けば父親が心配そうに覗き込んでくる。
「とうさま……」
小さく呟けば、涙を浮かべている、いつもの父親がいる。
民家の女主人も、いつもと同じ雰囲気だ。
あの恐ろしい体験から更に三日後――。
ローはやっと体が動かせるようになっていた。
ローの事を何処からか聞いたのか、華から電話があり、会いたいと言ってきた。
あの後、二人は無事だったのだろうか?
いや、あの日の事が夢だったのかもしれない。
ローは待ち合わせ場所へと行けば、いつも三つ編みをしていた彼女は、髪を下ろし、暗い表情でローを待っていた。
「ロー君……」
遠慮がちに声をかけ、二人は会話もなく、社裏へとローを連れて行った。
「華ちゃん……ここ……」
『ふし様』がいる洞穴。
ココに連れてこられ、一瞬体が強張るが、華は洞穴を指差しただけだ。
奥からはまた、変な音が聞こえてくる。
……ぁい……い……たぁ……い……たす……けぇ……てぇ……。
細々と聞こえてくる声は、ダイキの物と別の大人の声も聞こえてくる。
ローは後退りをして、驚いたように華を見つめた。
暗い表情の中、長い髪で隠された頬には、赤い手形が何箇所も残っている。
手足には殴られた痕が痛々しい。
「華ちゃん……それ……」
「……私がお勤めしなかったから……私の家は八部になった……ダイキの家族は……代わりに……入れられた……」
あの後、どうなったのかローには想像ができない。だが、二人とも大人に捕まったのだ。
そして……ダイキは餌になった。
「村を出て……早く……」
ローを見捨てようとした、懺悔でもするように、華はか細い声で告げると、悲しげな表情で、ローの目の前から去って行った。
無気力でローが村を歩いていると、老人たちの楽しげな世間話が耳に入った。
「聞きんさったね?餌が三つも投げられたって」
「三つも?そらぁ、助かるねぇ。これで祭りは三年はせんでよかよ」
「本当に」
「それに三年後には、また八部の家族が餌になることは、決まっとるけんね」
「あぁ、そら安泰や」
――餌が三つ……八部の家族……祭りをしなくて良い
洞穴で聞いたダイキ達の恨めしい叫び声を思い出す。
ローは涙が目一杯に溢れ出した。
――この村は狂ってる……。
老人たちから、村から逃げるようにローは走った。
やはり……あの祭りは夢ではなかったのだ……。
ふと……気がつけば、また、あの夕焼けの場所へと辿り着いていた。
少し変わったと言えば、夕焼けが山のほうへと隠れていこうとしている。
駐在所まで歩き、その横にある掲示板を眺めれば、あの『探し人』のチラシのシミがなくなっていた。
『人を探しています』
氏名 ロロノア・ゾロ
年齢 十六歳
特徴 緑の髪 白いTシャツにジーンズ
顔写真もハッキリと見えた瞬間、ローは固まって動けなかった。
――おまわり……さん?
そう、その顔も写真の中にある彼と瓜二つだ。
ローの背中に汗が伝い流れる。
「よぉ、坊主」
ローが振り返ると、そこには写真の彼がいた。
警官の制服ではなく、緑色の美しい着物を着ている。
ただ……左手には、指が『いっぽん』だけしかなかった。
「おまわり……さん?……違うよね、あの掲示板の探し人……」
「あぁ……あのチラシ……俺の家族が作ってくれたんだ」
「お巡りさん……この村でいなくなったの?」
「………………」
黙ったまま、口元だけがニヤリと歪む。
「身柱様になったの?」
男は首を静かに横に振った。
「贄になった男の話をしただろう?」
「山神様に気に入られた男の人?」
「そう……」
ジリジリとローに近づいてくる彼は、赤く歪な目の色をしている。
「男は寂しくなって……山神さまに家族が欲しいと願った。だが……どんなに交わっても、あの方の子供は……俺の腹に宿らない……」
着物の帯あたりを摩りながら、寂しげな表情を浮かべる。
「魂が必要だと言われたんだ……」
「…………たましい?」
「そう……そして、見つけた。あの方に似ている子供を……」
ローは伸ばされた腕を振り払った。
「何を言ってるの?お巡りさん」
「お巡りさん……ねぇ……俺の名前は……」
『ゾロ』
男の側に、黒い着物を着た背の高い男が、朱い目をして姿を現す。
その姿はローによく似ていた。
「アナタ……」
ゾロと呼ばれた青年が黒髪の青年に抱きつくと、腕の中からローを見つめる。
『コレで良いのか?』
長い指と鋭い爪がローを指した。
「あぁ」
ローは後退りをして、二人から離れようと必死だ。
逃げようとする細い腕をゾロが掴み、ニンマリと笑顔を作った。
狂気じみた目がローを見つめ、頬に指が一本しかない左手を添えられる。
「アナタにソックリなお前なら、俺らの愛おしい子供になれるよ」
「イヤだ……俺の家族は父様と、母様と妹の三人だけ……」
涙を浮かべ、拒否をしても、ゾロの腕が体を包み込む。
「帰らせて……お願い……帰る……」
「一緒に、俺らと家族になろう?永遠に俺らがお前を愛してあげるから」
地面から這い出た無数の白い手がローの体を縛り付ける。
黒い着物の男がゾロの腰を抱きながら、口付けを交わしていた。
「イヤだ……イヤだ……帰る……父様……イヤだ……」
子供の悲痛な叫び声は山々に響き、そしてその夜、一人の子供がまた、神隠しにあった。
『不死村』調査報告書
村人たちは温厚で、外からくる観光客を手厚く出迎えてくれる。
あまりの居心地の良さに移住を決めた人も数多くいるほどだ。
子供が産まれれば、神様のように崇め奉られる。
数年に一度の身柱祭も今や、観光名物となっている。
だが……おかしなことに、あれだけ高揚した祭りの後、記憶は断片的にしか覚えていない。
社裏にある洞穴には『ふし様』が祀られているらしい。
そこから聞こえる声は、七不思議とも呼ばれている。
『ふし様』が今だ何者なのか、わからないが、生きている即身仏のような存在だと、やっと村人から教えてもらえた。
神隠しも年に一度は気をつけないといけないらしい。
かく言う私も、大事な息子を神隠しにて失った一人だ。
今はこの村に住み、子供の帰りを待っている。
たまに、夢に見る、あの子の事を。
あの子はいつも、私に告げる……。
『父様、早く……はやく、逃げて……村の人間になる前に……』
子供の失踪の事もあり、私は妻と離婚した。寂しい独り身になった私に、村の女性との縁談も持ち上がっているが断っている。
「あの子が帰ってくるまでは、結婚はしない」
そう告げれば、村人たちは残念そうに、去っていく。
老人たちの目が、たまに異様にギラついて見えるのは何故だろうか?
早く、あの子が私の元に帰って来てくれることを願うばかりだ。
そういえば、先日、村で見かけない青年が二人仲睦まじく歩いていた。
見れば、緑色の短髪の青年の腹は大きく膨らみ、まるで妊娠しているようだ。男性だろうか?もしかしたら、女性だったのかもしれない。
「この暑い中、お散歩ですか?」
そう尋ねれば、緑の着物をきた青年は幸せそうに腹を摩っていた。
「最後にこの子が会いたいと願ったので、会いに来ました」
声の感じから男性だ。
共にいる男性は、彼を護るように、私へ厳しい視線を送っていたが、青年から諭されたのか、視線を外された。
「そうですか……」
どう答えれば良いのか分からずに、適当に相槌を打てば、青年は静かに微笑む。
「この方との子供なんです、もう少しで生まれてくる……俺らの家族……」
「それは……お体にお気をつけて」
「あぁ、ありがとう」
二人はただ、それだけ告げると、私の前から去っていく。
私が仲睦まじい二人を見送った瞬間、風が吹いた。
『父様……はやく、この村から逃げて……』
耳元で息子の声がハッキリと聞こえた。
私はその日、村を出ていき、その後、『ふし村』に近づいていない。
先日、『不死村』を出たという青年から連絡がきた。
これからも、あの村について調査を続けるつもりだ。