和風ファンタジーパロ冒頭/ひふど ざりり、と草履が小石に擦れる音がした。
砂利道にいちいち足を取られては不安定ながこちらに近付いてくる。なんとも危なっかしい動きは、歩き始めたばかりの赤ん坊のようだ。
彼が纏っている純白の頼りない夜着はおくるみのようで、より幼さに拍車がかかっている。不器用に結ばれた帯は今にも解けてしまいそうだ。
動く度に着物の隙間から覗く膝小僧が赤く色付いているのを発見し、俺っちは眉を顰めた。草履に面した皮膚も所々擦れて赤くなっている。
この広い屋敷の中で、彼が面識を得たのは俺っちだけだ。もしかしたら、目覚めた後に用事を申し付けようとして屋敷中を探し回ったのではないだろうか? よろけて膝を付き、立ちあがろうと裾を踏む姿が容易に想像できてしまう。
彼の姿を視野に入れてからたっぷりとそこまで考え、俺っちは全身に冷や汗をかいた。
まずい。非常にまずい。
慌てて落ち葉を掃く手を止め、地面へと箒を投げつける。一目散にこの家へ嫁入りしたばかりの男へと駆け寄った。
「どしたん!? 体まだ辛いっしょ〜?」
男の歩みは止まったのに、荒げた息は整わない。俺っちはこの場所に留まる事すら体に障ると判断し、その細い体を抱き上げた。背丈は同じくらいなのに、軽すぎて「うひっ」と変な声が出てしまう。
奇声に驚いたのだろう。覗き込んできた顔は青白く、長い前髪から覗く朝焼けのような瞳の周囲にも色濃くクマができていた。
ここに連れてこられた数日前よりは身綺麗になったが、まだ圧倒的に休息や栄養が足りていない。元々が美しい容姿だからこそ、滲み出た枯渇がより痛々しかった。
そんな状態で体を酷使したのが昨夜のこと。疲労困憊でまだ夢の中かと思っていたのだが、案外目覚めは早かったようだ。
「とりま、母屋に向かうな〜?」
視界の端で細い首が下がり、頷いたのだと分かる。その拍子に襟から柔肌へと食い込む歯形がちらりと見えた。心の奥底から苦いものが湧き出てくる。
俺は縁側にこの家の新しい奥方────独歩を座らせた。力を抜いて身を任せこちらを全面的に信用してくれる独歩に、先程感じた苦々しい気持ちが和らぐのを感じた。
草鞋を脱がせると、白い足は痛々しく腫れ上がっていた。足の裏の砂を払う時に触った指先は熱を持っている。
「ちょっち待ってて!」
俺は土間まで走り、立てかけてあった桶に甕から柄杓で水を注いだ。両手と体幹で支えなければならないほど水を並々と注いでしまった上に、炎症作用のある草を沈めただけでは彩が足りないからと、庭の花を摘んでは水面に咲かせた俺っちは、とんでもなく浮かれていると思う。
「どーぞ」
「わあ……。凄いな……」
白は足元に置かれた桶へと迷わず沈んでいった。凪の中にゆらめきが生じ、生まれた小宇宙が独歩を中心に回っている。
夢中になって足をバタつかせる姿は幼くも、艶やかにも見えた。傍に座ってそれをぼんやりと眺める。こんなに穏やかな時間は久しぶりだ。
極彩色の水面を優雅に掻く爪先が黄色い花びらを掬い上げる。甘い蜜に誘われた蝶々のようだと思った。
「一二三、見てくれ! 金魚掬いみたいだ!」
振り返った独歩の瞳はガラス玉みたいにキラキラしていた。その中心にとろりと甘い表情をした俺っちが写っている。俺っちは慌てて表情を引き締めた。
「そういやさ、用件は何だったん〜?」
「……ええと、家事は一二三が全て仕切ってるって言ってたから」
「そ〜そ〜! 俺っちしか居ねーから、必然的に俺っちがやるしかねーんだわ〜!」
カラカラと笑ってみせると、なぜだか独歩は深刻な表情を浮かべた。視線がきょどきょどと無駄に部屋が余っている屋敷の中や、手入れされた庭をうろつく。
「昨日、下働きが一人だと聞いて驚いたんだ。俺が長年過ごした屋敷はもっと小さかったが、下働きは何十人も居たんだぞ」
ぎこちなく笑う独歩にとって、嫁ぐ前の環境は思い出したくもない記憶だろう。けれど、俺っちには慰める資格がない。湧き出た衝動をぐっと堪える。
「……ほんで、ナニナニ〜? ご飯のリクエスト〜?」
「いや。寝てばかりだと罪悪感が半端なくてだな……。俺にできる仕事はないのか?」
俺っちは口をぽかんと開けたまま固まってしまった。人間は多少なりとも私利私欲で動くものではなかったか? 独歩は特に様々なものが足りていない。乾きは特に強いだろう。
それなのに、真っ先に俺っちの心配をしてくれたらしい。予想外の言葉に対する返答は用意していなかった。俺っちが推し黙っていると、投げ出していた手に手を重ねられる。
「空虚な時間は長く感じるから、忙しくしていたいという下心もあるんだ。……俺は旦那様と……ああいう形でしか会えないんだろ?」
袖からはみ出た手首には、紐状に赤の食い込みがあった。首に巻かれたままの白い布は昨日夫婦の寝室に案内した俺っちが目元に巻き付けたものだ。
「……俺、一二三とも仲良くなりたいし」
流し込まれた言葉はどこまでも甘美だった。駄目だと分かっているのに、欲望に抗えず首を縦に振る。
この瞬間。今も白い肌の上に張り付いている黄色い花びらのように、俺っちは独歩に掬い取られたんだ。