理想の朝食「あの…」
「うん」
「ネロ」
「うん」
「…」
「…」
「シノ」
「うん」
眠気に負けそうになっている。いや、これはもう負けているだろう。
ネロの部屋。そろそろ日付が変わる。グラスを軽く掴んだまま机に突っ伏しているネロに先ほどから話しかけるが、「うん」しか返ってこない。あなたはシノではないですよ、と言いたいが、意味もわからず「うん」と言うだろうから言わないでおく。
「あの、お願いがあるんですけど」
「うん」
「明日なんですけど」
「うん」
「明日はネロが朝食作りますか?」
「うん」
その返事を待っていた。
晶は勢いを落とさないまま、話し続けた。自然と前かがみになるのは仕方がないだろう。
「じゃあ味噌汁がいいです」
「うん」
「それと、梅干しも欲しくて」
「…うん」
「焼き魚もほしいんですけど、お魚はありますか?」
「…ん」
「明日楽しみにしてますね」
「…」
あれ。そう思い、ネロの顔を覗き込むと、完全に眠りに落ちているようだった。
これは、どちらだろうか。
だが、この眠い状態でうんうんと答えたことについては覚えていることが多いらしい。何回かやってみたが、大抵覚えていて、気まずそうに、でも返事をしたからと願いを叶えてくれるのだ。明日を楽しみに、ネロの寝顔を見ながら、グラスを持ち上げた。
「賢者さん」
「…」
「聞いてるか?」
「…はい」
「あんた、何したかわかってるか?」
「…はい」
「…何」
「…理想の朝食メニューを、お願いしました」
「理想?」
「…」
スッと横に視線を流す。
視界の端で大きくため息をついたのが見えた。
でも、良くないか。故郷の味を久しぶりに味わいたいと思うのは。
まぶしいほどの日差しが差し込んでくるキッチンに似合わず、徐々にネロの雰囲気がとげとげしくなっていくのを感じる。
「そうじゃないだろ賢者さん」
「でも、たまにはいいじゃないですか」
視線や口調が鋭くなるのを恐れつつも、それに負けないように対抗する。すべては、理想の朝食のために。
「ダメだって言っただろ? それに、前食った時からそんなに経ってねえぞ」
「嘘です」
「嘘じゃない」
「一ヶ月は経ってますよね?」
「まだ一週間だな」
「え?」
「え、嘘だろ?」
「…」
「それはどっちだ?」
冗談なのか? 本気なのか?
ネロの目がそう訴えてくる。
自覚がない自分自身に驚いてしまった。
それを感じ取ったのか、険悪な雰囲気が薄くなり、呆れたような表情を浮かべた。
「塩分が多いんだよ。賢者さんの世界の料理は」
「それがいいんじゃないですか」
「だめだ」
「えー」
「これだけはゆずらねえぞ」
「いつもはやってくれるじゃないですか。というか、昨日頷いたじゃないですか」
「そー、だっけ、か?」
今度はネロが視線を横に流した。もうとげとげしい雰囲気も呆れたような表情も消え去っている。立場が逆転した。
なぜ、こんなに嘘をつくのが下手なのだろう。下手というか不器用というか。変なところで口を滑らすし、不器用だし。そういうところに年齢や世界などの違いがないことに安心して、そういうところがネロらしいと感じるようになって。
だが、今はそれはそれ、これはこれだ。
「そうなんです」
「...賢者さん、まさか、狙ってねえか?」
「なんのことでしょう?」
「はあ」
深いため息をついたネロをみて、そして、ネロの背後で寝転がっているお魚を見て、晶は笑みを浮かべた。