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    サクライロ

    【2023.10.4】
    諸々検討の結果、ポイピクの投稿を停止することに致しました。後日アカウントを削除します。
    ご覧くださった方、リアクションをくださった皆様。本当にありがとうございました!
    今後はくるっぷ+pixivにて細々活動していきます。
    https://crepu.net/user/sakurairo

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    サクライロ

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    勢いで埋めて参った。『死ぬ病』メリバ√、これにて完結です。
    半年以上も間が空いてしまったので、ざっくり粗筋を冒頭に載せました。導入部分&メリバ前編はカテゴリタグから読めます。
    救いがないです。死ネタバドエン苦手な方はご注意くだされ。ゆくゆくハピエン√も書いて投稿します。Ⅴ30thには出せたらいいなぁ。
    このメリバ展開について語りたい事が山盛りある…後ほどくるっぷで発狂してきます!!

    ##小説
    ##好きと言ったら死ぬ病

    好きと言ったら死ぬ病...merrybad√【後編】【前回までのあらすじ・メリバ編】
    人外種特有の病を発症したフローラ。治癒のため世界中を奔走するテュールだが、彼女の病を悪化させているのは自分にかけられた呪いであると竜神から教えられる。
    解呪の手立てなくフローラが死に瀕した時、彼女は全ての生体機能を一時的に止める『凍化』の秘術を自らに施した。しかしテュールが事実を知る術はなく、死んだと思った妻を蘇生させるため禁忌の自己犠牲呪文『メガザル』を発動させてしまう。
    それから五年、全ての記憶を封じられ天空城で過ごすフローラを十七歳になった双子達が迎えにいく。
    あの日妻の命と引き換えに死んだはずのグランバニア王が、仲魔をひきつれ祖国を蹂躙しているという。彼を止めるため、そして今度こそ真実を知るために、『天空の勇者』リオは妹と母、そして父の親友ヘンリーを連れて再びグランバニアへと赴いたのだった。

    ************************************

     ルナの転移魔法でグランバニアの地に降り立った。城の内側に降りて即、仲魔達に襲われたらと少しだけひやっとしたのだが、なぜか今回は、拍子抜けなほど魔物の気配を感じなかった。
     ご家来からの報告を得ていたヘンリー殿下はある程度予測していたらしく、手分けして探索している間にも近隣の様子を確認してくださる。結果、数日前から英雄王とその配下を見ていないとの証言を得られた。同時に数日前の夜、北の方角へ飛び去る一群を見たとも。
     かつて父さん達が石像にされた塔がある。それを聞いた殿下は、ひどく苦い表情でそちらを見つめた。
     母さんはずっと黙ったままだった。城はぼろぼろだったが、周辺の村に被害が及んでいないと聞いて安堵した様子だった。去り際じっと城影を見つめる母さんに、何か思い出せたのか問うたが無言で首を振られた。彼女は、ここで失われたであろう無数の命を悼んでいたらしい。
     母さんらしいと思うと同時に、曲がりなりにも勇者のくせに、身内のことで手一杯な自分に呆れる。
     空飛ぶ絨毯を使い、湖と森を越えて悪魔の塔を目指した。
     途中、あの塔がデモンズタワーと呼ばれていることをヘンリー殿下に話したところ「マジで魔王みたいだよなぁ。笑えないって」と皮肉げに呟かれた。首を捻ると彼は困ったように笑い、僕とルナの頭を代わる代わる優しく撫でる。
    「前にあいつ、自分は魔王の系譜なんだって凹んでたことがあったんだ。お前達には言わなかったんだろうけどさ」
     思わずルナと顔を見合わせる。僕もルナも勇者の系譜と呼ばれて育ったから、父さんがそんなこと考えていたなんて思いもしなかったんだ。
    「ま、させないけどな。お前達とフローラさんがいるのに悪魔に魂を売り渡す男じゃないよ、あいつは」
     父さんの親友であり、一番の理解者でもある殿下のお言葉は、沈んだ心の内を緩やかに晴らしてくれる。
     きりりと晴れた冬空の明るさとは裏腹に、塔に近づくほど暗い不安が増していった。胸が押し潰されそうになるたび、隣で身を硬くしているルナが手を強く握ってくれた。
     十七年、ずっと、一緒に越えてきたね。
     これが最後になるかもしれない。なんとなく、そんな予感がしていた。ルナも同じだったんじゃないかと思う。もう、どちらも母さんに話しかけることができないまま、眼前にはいよいよ、悪魔の塔が迫ろうとしていた。



    「……そりゃ、家族は襲わないだろうと思ったよ。けどな」
     塔まであとわずかというところでヘンリー殿下が絨毯を飛び降りたのは、周辺から集まった殺気がまっすぐ彼に向いていたからだ。
    「俺だけ敵認定かよ。いい度胸だな、テュール‼︎」
     舌打ちした殿下にキラーパンサーが襲い掛かる。躱した隙に護衛が魔法を詠唱しかけたが、当の殿下が鋭く止めた。
    「殺すな! 動きを封じろ。彼らは我が国の恩人だ! 俺達は勇者殿が動き易いよう、時間を稼ぐだけでいい‼︎」
     鎧姿の数人が短く呼応し、彼に続いて駆け出す。翻った翠の髪を追って、ルナも杖を握りしめ飛び降りた。ルナ、と呼ぶより早く、母に似た高い声で彼女が叫ぶ。
    「私も残ります、お義父様!」
     少し前、コリンズの求婚を受けた日から……妹はラインハットの王兄夫妻のことを義理の『父母』と呼ぶようになっていた。
    「こっちはいいから! 親父んとこ行けって」
    「私だって、攻撃魔法だけじゃありません。誘眠魔法も、反射魔法だって使えます、それに」
     喋りながらも、ルナは手早くマヌーサとマホカンタを撒いていく。効果も対象も異なる魔法を無詠唱で連続して放つ、今や大賢者の顕現と称されるルナの得意技だった。母と同じく絶大な攻撃呪文の使い手だが、その所以は単なる魔力の話じゃない。
    「仲魔もいるもの。補助魔法なら──使えるのは私だけじゃ、ないです!」
     キィ! とルナに付き従う小さな魔物達が呼応した。父さんの仲魔達に比べればまだ幼く脆いが、どの魔物も俊敏さに長けている。早速ドラきちとコドランが回り込み、暴れている魔獣達にマヌーサと甘い息を浴びせた。
     父さんほどじゃなくても、ルナも魔物に詳しい。こと仲魔達に関してはどの魔物に何が効くか、恐らくラインハットの面々より良く理解している。
    「念のため訊くが、回復は」
    「賢者の石を預かってます。兄から」
    「……上等!」
     不敵な笑みを浮かべつつ、殿下がルナを伴ってじりじりと後退していく。こちらと彼らを隔てて、周囲をいつの間にか巨大な竜にデーモン、スライムナイト……あらゆる種属の魔物達が取り囲んでいた。
    「あいつに身内殺しの汚名を着せてたまるか。畜生、どうせなら塔から離れるか! こいつら連れて、逃げ切るぞ‼︎」
    「はい!」
     威勢よく叫び、ヘンリー様が駆け出した。囮になるおつもりなのだ。釣られて動いた魔物達に家臣団が魔法で足止めを試みて、更にそれを追う形でルナが仲魔を引き連れ走る。
     取り残されて茫然とする僕の肩を、母さんがとんと叩いて促した。禍々しくそびえ立つ悪魔の塔の内部へ、彼女は迷いなく歩を進めていく。
    「なんで……、ヘンリー様が」
    「よく、ご存知ないのだと思いますよ」
     さらりと返答をくれたのは、やはり、何も知らないはずの母さんだった。
    「でも、殿下は父さんの親友で」
    「はい」
     尚も言い縋れば、彼女はもう一度、僕を振り返ってはっきりと頷く。
    「わかっています。『あの方』が……ヘンリー殿下を憎く思うはずがない」
     ────わかってるって。
     母さん、もしかして思い出してくれたの?
     一瞬気が逸ってしまったが、問うことは叶わなかった。女神のように気高く、塔の遥か上を仰いだ母さんが、決意に満ちた声を暗い虚空に響かせる。
    「行きましょう。皆さんを、解放……するために」



     塔の中に魔物は現れず、がらんと広い回廊を二人とも無言で登っていった。高所恐怖症の母さんは怯えて登れないんじゃとはらはらしたけど、意外にも母さんは迷いない足取りで階段をひたすら上がっていく。
     そういえば、さっきの絨毯も怖がるそぶりを見せなかった。
     もう何度も痛感しているのに、やっぱり記憶がないんだと思うと、やるせない悲しみがどうしようもなく込み上げる。
     黙り込んだまま母さんの背を追って、ついに塔の最上階へ辿り着いた。真っ暗な広間に、天井のひび割れから細く光が降り注ぐ。うっすらと照らし出されたぼろぼろの床と壁が、十数年前の激闘の疵痕を生々しく残している。
     この場所でかつて、父さんと母さんは石像に変えられたのだという。

    『ああ。やっと、来たね』

     澱んだ闇の中から、密やかに男の声がした。
     知っている声だ。でも、知らない響きだ。咄嗟に母さんを庇い立ち身構えた。僕の動揺をものともせず、その男は言葉端に愉悦を滲ませ、慇懃に問うてくる。
    『せっかく生き返らせてあげたのに。どうして僕の前から居なくなったの?』
     その問いかけを皮切りに、ぽ、ぽぽ……と壁に次々明かりが灯っていく。小さくも無数の灯火が、奥に佇むその人をぼんやりと浮き上がらせる。
     瓦礫を玉座にして、頬杖をついたその人は五年前とまったく変わらない、父さんそのものに見えた。
     感情の窺えないその眼差しは息子など見えないというように、ひたりと母さんだけに注がれている。
    『ずっと、ずっと逢いたかったんだよ。フローラ』
     言葉も、声も、姿かたちも。
     間違いなく父さんなのに、何故だろう。懐かしさも感慨も、この不快な違和感を前に欠片も湧き上がらなかった。
     ────このひとは、誰だ?
    『……そうか、覚えてないんだっけ。つくづく竜神は余計なことをしてくれる』
     ひとしきり母さんを眺めたあと、苦く彼が呟いた。瞬間、ぞくりと怖気が駆け抜ける。
     記憶を消すことを望んだのは父さんじゃないか。否、それより。
     本質的に、病は治らないはずだ。母さんが今発症していないように見えるのは、単に原因を取り除いただけ。
     では、呪いは? 本当に解呪されているのか?
     結局、誰が何のために父さん達を呪ったのかは不明なまま。解けた確証はどこにもない。もしあれが間違いなく父さんで、その身体には依然呪いがかかったままだとしたら。
     今、このひとが、あの言葉を呟いたら、母さんは────

    「あなたが本物の夫なら、私を、言葉一つで殺せるはずですわ」

     美しい透明な声が、静謐な空間に無情に響き渡る。
    「……にせ、もの?」
     恐る恐る呟くと、母さんは哀しげに目を伏せ首を振った。
    「病に影響を及ぼした呪いの根源は、彼の心にかけられたものでした。私を大事に想ってくださっていた、心」
     細い指は、彼女の心の臓を伝う。彼女の首を絞め続けた呪いを、その痕跡を、さざなみが揺らめく指輪の指で辿っていく。
     あんなに苦しんでいたのに。どんなに窒息しそうでも、母さんが病そのものを厭ったことはなかった。
     ただ、父さんや僕ら家族を残して一人、尽きてしまうかもしれないことだけをひたすらに案じていた。
    「あの想いは、彼だけのもの。たとえ言霊にどれほどの力があろうとも、その源がなければ呪いは顕現しません」
     今、母さんは強い眼差しで、伴侶の姿をした男を真正面から見つめている。
     その瞳にはかつて見た恋慕も、慈しみも映っていない。
    「あなたに私は殺せないと、申し上げているのです。
     ──……『炎の、指輪』」

     微かな残響を伴って、澄んだ声が闇に呑み込まれていく。

     重苦しい沈黙が、暗い広間を支配した。ややあって、鼓膜を密やかにくすぐる嗤い声が静寂を静かに破った。
    『まさか、あっさり見抜かれるとは思わなかった』
    「私も指輪の持ち主ですもの」
     くつくつ可笑しそうに笑う『父さん』とは対照的に、母さんの声は澱んだ闇を祓って響く。
    「……指輪? 母さん、記憶が……?」
     もう、ほとんど確信した上での問いだったが、母さんはどこかばつが悪そうに俯いただけだった。器用に何かを察したらしい父さんが、端正な顔を愉悦に歪める。
    『つれないな。こんなに君が「好き」なのに』
    「あなたがお好きなのは、私が持つ指輪でございましょう?」
     間髪入れず、母さんが冷ややかに切り返した。目の前の応酬はとてもじゃないが、あの仲睦まじい両親のものとは思えない。
    『水が認めた人間だ。お前もまた、相応の器に違いない』
     正しくつれない様子の母に落胆する様子もなく、彼は変わらず薄笑いを浮かべるばかりだ。
     どういうことだ。父さんの中身が、指輪? だから、母さん本人ではなく、母さんの水の指輪を欲している?
     頭の中で必死に情報を整理している真っ最中、溜め息混じりに物騒な単語を吐かれ、また怖気が走った。
    『人間は脆くて面倒だよ。手っ取り早く魔力を喰うこともできない。あの、ナントカの秘法ってやつがあれば生き永らえられると思ったんだけどな。……主のこんな、朽ちかけた器でも』
     進化の、秘法。
     それこそ魔物に作り替えるつもりだったっていうのか。父さんの身体を、この化け物は。
     その指輪は黄金の誂えだし特殊な魔道具なのだろうから、条件を満たせば秘法を発動させられるのかもしれないが。まさか、そのためにグランバニアを襲った……なんてことは……
     まだ憶測ばかりで混乱しているものの、何となく見えてきた、気がする。
     どうして『これ』が父さんの中にいるのか。どうして僕達をここで待ち構えていたのか。
     恐らく父さんが絶命した瞬間、炎の指輪は自らの魂──魂と呼ぶものがあるならば、だけど──を、父さんに注ぎ込んだ。禁忌魔法で失われた生命機能の代わりに。
     それが主人への情や忠誠によるものか、何らかの野心あってのことかはわからない。
     けれど、魂を移した器は想定以上に壊れてしまっていた。どういうわけか、父さんの『炎』は父さんの亡骸に入り込んだあとかつての核に戻ることが出来なくなった。朽ちてゆく肉体を維持しながら、使い勝手の良い新たな器を得る機会を窺っていたのだろう。その指に宿した、指輪の魔石の力を頼りに。
     自身と縁を同じくする水の指輪。その持ち主、あるいは主人の血を宿す次代の人間という『器』を。
     僕らに構わず一人ぶつぶつ呟き続ける彼に、母さんが険しい声で呼びかける。
    「その方は稀代の魔物遣いと呼ばれた御方です。人ならざるものであるあなたに、容易く操れる器だと思いましたか」
     ……ぴくり、
     ほんの微かに、父さんのこめかみが震えた。
     気に障ったのかと思わず身を固くした、けれど。
    「今も抗われているでしょう。あなたに『彼』を支配することはできません」
     きっぱり断じた母さんをじっと見つめた、次の瞬間。
     ここに来て初めて、まるで幼い子供みたいに、『彼』は心底嬉しそうに頬を綻ばせてみせたのだった。
    『……すごい。さすが、水の主なだけあるね』
     無邪気に笑い、揶揄うようにぱちぱち手を叩く。そんな仕草もひどく狡猾に見えるばかりで。
    『ああ、この話し方? それなりの時間を共に過ごしたからね。ホンモノの主のようだろう?』
     目の前の『父さん』がまた得意げに肩を揺らした。なまじ端正な顔立ちの所為か、父さんと同じ造形で妖しく微笑むこの人が、さっきから妙に空恐ろしく感じられて仕方ない。
     それでも、母さんは彼の挑発には一切乗らず、終始背筋を綺麗に伸ばして佇んでいた。
    「指輪に選ばれた。誰もがそう言いました。私も、今まで不思議に思ったことはなかった。テュールさんが何故、伝承の指輪を手に入れることが出来たのか」
     意味が、よくわからなくて。
     澄んだ声を思わず振り返ったが、視界の端に父さんが若干鼻白んだのが見えた瞬間、突然視界が拓けた気がした。
     ────まさか。
    「父さんが、従属……させた?」
     母さんは答えなかった。沈黙が肯定の代わりだったのかもしれない。父さん……炎の指輪もまた、苦く笑っただけだった。
    「あなたには感謝しています。私達、指輪の力に何度も救われてきましたもの。だからこそ」
     そこまで告げて、母さんは父さんをまっすぐ睨み据える。きっと彼には向けたことがない、ひどく険しい表情で。
    「私は、止めなくてはなりません。英雄王テュールに……彼の国を、滅ぼさせるわけにはいかないのです」
    『父さん』は、眉ひとつ動かさなかった。逞しい腕を胸で組み、厳しい視線をポーカーフェイスで受け流す。今更ながら『父さん』の黒髪が凡そ五年前と変わらない……恐らくは、まったく伸びていないことに気がついた。
     否、さっきから呼吸さえしていないのではないか。父さんの姿をした、この化け物は。
    『新しい核が要る。もう、この器はいくらも保たない』
     自身の大きな掌を開いてじっと眺め、彼は再びぽつぽつと、意味のわからぬ独白をこぼし始める。
    『不思議だね。人間には魔核なんてないのに。この脆い器はとっくに主のものではないのに、我を本当の意味で受け容れようとはしないのだ』
     ────口調が。
     父さんらしからぬ言い回しに緊張が走った。同時にびりびりと殺気を感じて、身体が勝手に剣を構える。生唾をこくりと嚥下した、微かな気配に反応して『父さん』が仄暗く笑んだ。

    『どちらでもいい。その器、いただこうか』

     空気が揺らいだ、瞬間鼻先を振り抜かれ咄嗟に退いた。三歩の間合いを一瞬で詰めた『父さん』が、グランバニアの宝剣に体重を載せて叩き込んでくる。
     やっぱり速い。この剣捌き、父さんそのものじゃないか……!
     数度の斬撃をはね返し、正面から受け止める。ギリギリと鍔迫り合いが続く中、父さんの唇が冷たい笑みを形作った。
    『勇者が聞いて呆れるね。一生悔いて生きればいい。僕と、母親を救えなかったことを』
    「お黙りなさい!」
     思わず怯んだ耳許を、母さんのメラミが掠めた。素早く剣を弾いた父さんが左手をかざす。たったそれだけの仕草で、火球は呆気なく指輪に吸われて消えた。
    「リオ。お父さんは絶対に、あなたを怨んでなんていません」
     いつの間にか母さんが、華奢な腕をめいっぱい広げて、僕と父さんの間に立ちはだかっている。
    「私も、あなたに感謝しかしていない。……何もしてあげられなかった私達を、今も親と呼んでくれるあなたを」
     そうして語りかけられる、優しい、やさしい言葉が、自分の中の惨めさを浮き彫りにしていく。
     だって。二人は大切な、僕の父さんと母さんで。
     そんなの当たり前で、何があっても変わらない。二人が僕らにしてくれたことなんて関係ない。たった今、ここにいる僕が二人の証明なんだ。もっともっと強い優しい人になって、さすがあの二人の子供だねって僕とルナが言わせてみせる。それだけで良かったんだ。
     だから、苦しい。自分はもっとちゃんとできると思ってた。
     二人の子供なのだから、どんな状況であっても迷いなく勇者の使命を果たせるって、愚かにも信じ込んでいた。
    「愛しく思う以外にあるものですか。あなた達が生まれてくれて、テュールさんがどんなに嬉しかったか」
     それは、……違うよ。
     父さんは苦しんでいたよ。母さんを助けられなくて、一人だけ子供達に助けられて、あまつさえ、ずっと探し求めていた勇者が自分の息子だったなんて。
     石化を解いて、父さんに名乗った時。天空の剣を持てたと伝えた瞬間の、彼のあの壮絶な瞳が忘れられない。
     初めから何もかも間に合っていなかった。探し求めた存在は生まれてすらいなかった。一体何のためにお祖父様は命を落としたのかって……深い絶望のあまり、闇の精霊に魅入られてしまうほどに。
     炎の指輪の言う通りだ。僕には何も出来なかった。母さんを取り戻せたのも、魔界への道を拓けたのも、魔王を討ち果たせたのも、全部全部、父さんとルナと、仲魔達が導いてくれたから。
     僕は勇者なのに。せっかく、父さんと母さんと竜神から、比類なき力を授かったというのに。
     なんて、無力な。
    「信じて。リオ」
     どこまでも優しい母さんの声が、情けない僕を掬いあげる。
    「私は……、私も、テュールさんも。あなた達の親になることができて、本当に、幸せでした」
     ずっと欲しかった言葉が、たった今、紡がれていく。
    「あなた達が生まれる前、男の子だったら剣の稽古をつけてあげたいって……お父さん、笑っていらっしゃったんですよ」
     そんな想い出を、今、嬉しそうに聞かされたら。
     そんなふうに愛しげに、微笑まれてしまったら。
     ずっとずっとこらえてきたものが、熱を伴って喉奥から迫り上がる。もう我慢できなくて、見開いたままの両眼からぼろぼろ、熱い雫が溢れ出た。
     家族を夢見たのは、僕だけじゃなかった。
    『勇者』だから、じゃない。
     僕を、ただの息子にしてくれる。ただの子供にしてくれる。いつだって僕よりずっと強くてずっとすごくて、ずっとずっと大きかった。そんな父さんと母さんだったから、だから、僕は。

    「テュールさん」
     儚く、けれど強い響きで。彼女は忘れたはずの夫の名を呼ぶ。
    「負けません、と、申し上げたではありませんか」
     紛い物めいた瞳の伴侶の、その内側に向かって。
     その言葉がどんな意味を持つのか、僕にはわからない。きっと二人にしかわからない、けれど。
    「……もう、待っているだけなんて、嫌だって……」
     ずっと気丈に、まっすぐ父を見据えていた母が、初めて、痛々しい涙に綺麗な声を歪ませた。

    「置いて、いかないで」

     差し伸べられた手が、母に優しく触れる幻を目で追う。
     ゆらりとかざされた掌が、昔何度も見たように、母さんを愛しく抱き寄せる幻を。
     今、目の前の『父さん』の表情はやっぱり冷たいままだ。
     いつだって幸せそうに母さんを抱きしめていた。きっと父さんなら、あのとろける微笑みで「置いていくもんか」って言う。けど今、その返事はどんなに待っても聴こえて来ない。母さんの懇願は届かない。
    『……心配せずとも、我が物にしてやろう。主のつがいよ』
     碧い頭を掴もうとした、父さんの大きな掌を母さんが跳ね除けた。たったひとすじ泣いたきり、傷心も落胆も見せず、ただ翡翠の瞳に強い光を宿して。

    「────させ、ません‼︎」

     次の瞬間、強烈な魔力が迸り激突した。
     拮抗する。指輪の力が激しく渦を巻く。炎の力と水の力、ぎりぎりでせめぎ合って──それを見下ろす父さんが薄く笑った。
     恐ろしいほど熱が増した、刹那、頭上で魔力が爆発する。
     かろうじて魔法で防いだ母さんが衝撃で半歩、ぐらりとたたらを踏んでとどまった。
    「母さん!」
    「リオ」
     集中しているのか、母さんは父さんから目を逸らさない。
     水煙が立ち込める中、まっすぐかざした両腕で炎の侵食を阻みながら、苦しい息で僕を呼ぶ。
    「終わ、らせて。あなたの、手で」

     ────剣を、
     握りしめた掌が、じっとりと汗ばんでいく。

    「どうか、……封じて。天空の、剣で」
     わかってる。
     炎の指輪を封じれば、父さんの肉体は今度こそ朽ちる。仲魔達の暴走も落ち着くだろう。それでいい。父さんだって、きっとそれを望んでる。
     でも、……でも。
     いやというほど覚悟してきた。何があっても怯まない、そういられると信じていた。僕は、勇者だから。なのに実際はどうだ。莫迦みたいにがくがく震えて、指一本動かすことすらままならない。
     立ちつくす僕をわずかに振り返り、母さんが微笑んだ。残酷で切実な願いを、淡い吐息に織り交ぜ放つ。
    「あなたに、しか、出来ないわ」
    「かあさ……っ!」
     ごめんね、と微かに母さんが囁いた気がした。
     言わないで。そんなこと、動けない僕が悪い。
     そうして言葉を交わしている間にも、母さんは炎の魔力にじりじりと押され、追い詰められていく。
    「お、願……い。……はやく、…………っ」
     駄目なんだ。もう、決めないと。
     あれは父さんじゃない。身体だけ。弱った父さんの中に入っている今なら斬れる。わかってる。わかってるのに。
     母さんまで喪う前に、葬れ。自分。
     なのに、わかって、いるのに、
     竜神にだって問われたのに。戦うって、誓ったのに、
     …………足が。腕が、動かなくて────

     父さんの、指輪の左手と相対していた母さんの右腕が、ぼろりと無惨に崩れ落ちた。

     肉が、髪が焦げる臭いが充満していたことに今更気がつく。
    「……く、あ……ッ!」
     均衡を崩し、それでも膝をついて踏みとどまろうとする母さんを、父さんの姿をした化け物が濁った眼差しで見下ろした。
    「ッ、母さん‼︎」
    『ああ、残念。……ほんと脆いなぁ』
     今にも崩れ落ちそうな母さんを前にして、そいつは父さんじゃないみたいに冷たく嗤う。
     なんで。
     どうして僕は、あれが父さんかもしれないなんて思ってしまったんだろう。
     違うじゃないか。父さんはあんな眼をしない。あんなに大切にしていた母さんを、自分の手で傷つけるはずがない。なのに、どうして僕は、微かな期待を打ち消せないんだ。
     母さんが、父さんに殺される。
     そんなもの、絶対に見たくないのに。
    『もう少し粘ってくれると思ったのに。折角の器が、ぼろぼろじゃないか』
     一瞬慈しみに似た色を宿した父さんの瞳が、次の瞬間、酷薄なものに変わった。
    『我に明け渡せ。楽にしてやる』
    「……だれ、が……!」
     潰される。それでも膝だけで踏みとどまろうとする母さんが、炎霊の圧に抗う力を奪われてゆく。水の障壁がついに歪んだ。すぐさま炎が強まって、片腕を失った母さんが苦しげに喘いだ。
     もう、やめてよ。父さん。
     剣を引き摺り、ほとんど無気力に足を踏み出した。せめてもと治癒魔法を灯し腕を伸ばす。斬るためじゃない。戦意なんてもうなかった。ただ悲しくて、母さんを助けたくて、『彼』を、止めたい一心で。

     ……けど、その時。
     崩れゆく母さんが、何故かぴたりと動きを止めた。
     見えない壁に背をもたれたように、
     不自然な均衡を保って。

     ──────違う。

     支えてる。
     母さんを、……父さんが。
     視えないのに、確かに今、側に居る。
    「……とう、さん、っ…….!」
     そう、思った瞬間、全身の毛が逆立った。僕の中の、二人の血がどくどく激しく脈打って、身体中を巡り出す。
     お祖父様とお祖母様の魂を、見送った時と同じ。
     父さんの魂だ。
     本物の、本当の父さんの魂が今、母さんに寄り添ってる。
     強く強く、その存在を抱きとめている。
    「────……な、……た……」
     涙声で呼んだ母さんには、父さんが視えたんだろうか。
     光に包まれた母さんが、肩越しに背後を仰いで、
     ふわ り、と。
     春風のように軽やかに、微笑った。
     愛しさが咲きほこる、花のような笑顔で。

     彼女が視ている父さんも、
     きっと、同じ顔で微笑っていたに違いない。

     ────それが、最後に目にした両親の姿だった。
     濡れた頬を拭って、託された願いを受け取った。
     渾身の力を篭めて、
     天空の、竜の剣を、
     思いきり薙いだ。





     霧のような光が晴れた後に、母さん達の姿はなかった。
     魔力と共に溶けたみたいに、全て消えてしまっていた。
     ただ、二人が立っていたところに、煤けた剣と、小さな指輪が二つ、残されていた。
     一つは、蒼い石に清廉な白銀の輪。
     もう一つは、煤けて砕けた紅い石を照らして輝く、眩いばかりの黄金の輪の。
     剣を握りしめたまま、動けなかった。指も足も固まりきって、息を吐くのもままならない。
     かつての仲魔達を全て足止めして、息を切らしたルナとヘンリー殿下が駆けつけてくれるまで。僕はその場で茫然と立ち尽くしていた。ずっと、ずっと。
    「ぉ、かあ、……さ」
     細い、かぼそい声がようやく聴こえて。
     強張った身体を叱咤し、そちらを向く。
    「……ルナぁ、……っ……」
     ごめん。
     ごめん。駄目だった。ごめん。ごめん。ごめん。
    「ぼく、が……父さんを、……かあ、さ、……────!」
     そこから先はもう、言葉にならなかった。
     僕も。ルナも。
     思いっきり、声をあげて泣いた。お互いを抱きしめあってわんわん泣いた。二人きりの、幼い頃に還ったみたいに。
     守れなかった。守りたかった。誰よりも、何度だってこの手で取り戻したかった。
     声にならなくて必死に縋りついたら、温かい手がぎゅうっと抱きしめ返してくれた。
     いつの間にか、僕らを遠巻きに取り囲んで、懐かしい顔触れが並んでいる。
     生まれる前から一緒にいた、大切な、父さんの仲間の魔物達。
     大泣きする僕達双子を、彼らはずっと離れたところから静かに見守っていた。ヘンリー殿下も同じように、家臣の皆様と共に僕達を見つめている。
     泣き声が小さくなった頃、魔物達は誰も何も言わず、それぞれがどこか見えないところへと消えていった。
     ひっきりなしにしゃくりあげ、ようやく妹と顔を見合わせる。ぼろぼろ、溢れる涙と鼻水で、二人とも酷い顔だったけれど。きっとお互い、どうしようもなく悲しくて、悲しくてたまらなかったのだけれど。

    「…………っ、きこえた? 今」

     聴こえたんだ。
     こんなの聞かされちゃ、いつまでも落ち込んでられないなって思わされる、そんな声。

     ────…………、だ い す き 。

     たった今、最後の最後に届いた母さんのその囁きは、ものすごく幸せそうな。どんな顔で笑っているか、見なくてもわかってしまうくらい────
     とてもとても、満ち足りた声だった。
     あたたかい、音だった。

     泣きそうなお顔で遠い空を見つめたヘンリー殿下には、もしかしたら、父さんの声が聞こえていたのかもしれない。
     ルナもまた、滴る涙を勢いよく散らして頷いた。
     滂沱というほどぐしゃぐしゃに泣いているのに、妹はその目許に不思議なくらい、晴れやかな笑みを浮かべていた。
    「ほんっっっ……と。お母さん達、お互いのこと好き過ぎなんだから!」


    ◆◆◆


     その後、勇者と謳われた暗蒼髪の青年は、かつて伝説となった翡翠の髪の勇者と同じく、何処へとも知れず姿を消した。
     彼が用いた天空の武具は剣を除き、世界に残された三国にそれぞれ封じられた。
     彼と同じく、天空の剣の行方を知るものはいない。
     残された妹姫はラインハットの新王に嫁ぎ、両親に代わって弟君を立派に育て上げた。
     グランバニアの争乱があったが故に、ルナ王女の輿入れに反対する者も多かったが、誰より彼女を強く望んだコリンズ王が説き伏せた。彼女に従属した魔物達は終生人間と敵対することはなく、コリンズ王とルナ王妃のもと末長く、仲睦まじく暮らしたという。
     成長したアルス王子は再びグランバニア王家の証を継ぎ、両親と二つの指輪、そして、天空の盾が眠る塔の守護者として、グランバニア王国を見事再興した。
     あの日、彼らの元を去った英雄王の仲魔達は、それきり人間の前に姿を表すことはなかった。
     彼らの絵物語はいつしか、あの妖精の城の、英雄と女神の悲劇を描いた城の絵に額を並べ、飾られることとなる。




    ◇◇◇




    「────見てるんだろう。マスタードラゴン、出て来い!」
     冷たくなったフローラを抱きかかえ、思いきり声を張り上げた。マスタードラゴンはこの状況をどこからか視ているのだろうと、頭のどこかで確信していた。
     果たして、僕の呼びかけに応じた銀鱗の竜は瞬時に宵闇を切り裂き、鮮やかに姿を顕した。
     時間がない。腕の中から急速に失われていく体温を必死に繋ぎ止め、神竜の瞳を不遜にも睨み据える。

    「マスタードラゴン。あなたなら、消せるんだろう」

     白々しく目を細めてくるのが憎たらしい。わかっているくせに、これ以上何を談判しろと言うんだ。
     今なら間に合うんじゃないか。間に合わなかったとしても、それなら尚更、命など要らない。
    「フローラの、記憶、を、……」
     それでも口にした瞬間、抑えきれない哀しみが一瞬、全身を支配した。ぞくりと身体を震わせたものは恐怖だろうか。
     だけどもう、決めたから。
     僕の所為で死なせるものか。
     誰より大切な君を救えない。殺してしまう、そんなの、そんなこと、僕に許せるはずがない。
    「僕がいなくなれば、呪いは終わる。……そうだろう?」
     正面から睨み合った神竜の眼差しは、尚もひたりと僕だけに注がれていた。
     僕が消えれば、呪いも消える。
     そうして、僕を忘れれば、君を冒す病も治る。
     忘れていい。忘れてしまえ。それで、君を取り戻すことができるなら。
     僕の意図を察したらしい、神竜の円い瞳が何かを反射して冷たく煌めく。初めて、神竜が視線を逸らした。
    『そなたの蘇生は、叶わぬぞ』
    「そうでなきゃ困る。呪いなんかに振り回されるのはもう、うんざりなんだ」
     忌々しく吐き捨てれば、竜帝はそれ以上何も問わない。僕も、残された時間をすべて君に注ぎたかったから、そちらはもう振り向かず、腕の中の妻だけを見下ろした。
     僕と彼女の涙で、ひんやり湿った頬を愛しく撫でる。
     出逢ったあの瞬間から、君を想わない日はなかった。
     どうか、悲しまないで。
     また少しの間、離れ離れになるだけだから。
     人生なんてほんの一瞬。あっという間のことだよ。
     君が覚えていなくても、僕は君のもの。今までも、これからも。僕の心、想い、魂、このすべては永遠に、君のもの。
    「……君だけを愛して死んでいける。本当に僕は、幸せだ……」
     本心からそう思うのに、これでお別れだと思うと、胸が張り裂けそうなほど軋んだ。ぽつ、ぽつりと、僕の眼から再び溢れたぬるい水滴がフローラの額を濡らしていく。
     もっと一緒にいたかった、なんて我が儘を言ってはいけない。
     僕はもう、たくさんもらったのだから。
     今度は、君がもらう番。
     たくさん、愛しておいで。大切な子供達を、今度こそ。君が得られなかった時間を、思い出を、家族を……取り戻しておいで。
     君が目覚めるのを待っている人が、たくさんいるよ。
     みんなまだ、母親が必要な年齢だから。どうか僕のようにしないであげて。最後の最後まで残酷な、勝手なことしか言えない夫で、申し訳なく思うけど。

     濡れた頬に自らを擦り寄せ、やわらかな君を抱きしめる。
     最後の口づけはあまりにも痛くて、甘かった。

     少し早いけど、先に行くよ。
     君が来るのを虹の向こうでずっと、待ってる。
     いつか君が生に飽いて、神の御許に還る日を。
     君と再び魂をつがえて生まれ落ちる、その時を。





     いつか、遠い遠い未来にもう一度、
     君と共に生きることができるなら、

     僕は────…………
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