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    円/ヒルマ

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    円/ヒルマ

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    昼星、心から共感しあえる日は永遠に来ないのかもしれないけど、それでも一番大大大大好きで大切な人同士で、帰る場所であり続けてほしい
    サチロに一瞬だけ彼女ができます。

    #昼星
    dayStar

    だれにもいわない相手のことがどれだけ好きでも、相性がよくても。
    どれだけ応援していても、尊敬していても。
    『違う』ただそれだけのことが、致命的なダメージになるタイミングがある。
    多分どんな二人にもその試練は複数回与えられていて、その荒波を乗り越えた者たちだけが、最後まで添い遂げられる二人になるのだと思う。
    根拠はないけれど、俺と光来くんはそうなれるのだと思っていた。それなのに。

    「いつも真っ直ぐ前を見て、どこまでも走っていける光来くんが好きだよ」
    少しでも気を緩めたらうっかり泣いてしまいそうだったから、指先が冷たくなるくらい強く拳を握りしめてから、俺は続けた。
    「でも、振り返ったらいつでも俺がいて当たり前だと思ってる光来くんが好きかどうかは、もう分からない」
    こんな最後の最後で今更だけれど、少しは光来くんも堪えてくれたら、俺の9年も報われる。
    俺は惨めな期待を込めて、亜麻色の双眼を見つめた。でも。
    「そうか」
    表情を変えないどころか、瞬きひとつすることもなく、夜闇にも負けない眩しい恒星はそれだけ言った。
    「…うん。そうだよ」
    「分かった」
    あんまりだろ、と思って、俺は思わず乾いた笑いを漏らすところだった。
    背を向けて歩き出しても、追いかけてもこない。
    長い付き合いだが、俺から光来くんに背を向けるのは初めてかもしれない。最初で、そして最後だ。
    俺たちは、別れた。


    光来くんとの6年、片思い期間も入れれば9年の灯を消して帰宅した俺は、ベッドに倒れ込んで目を閉じた。

    あれは確か二十歳くらいの頃だったか、いつか万が一光来くんと別れたら俺はどうなるのだろう、と考えたことがあった。
    死ぬかもな、とぼんやりと思った。
    俺は中学のあの日あの高台で光来くんに出会って、すべての重荷を降ろし、執着を捨てた。代わりに光来くんにHPを全振りしてきたわけだから、命の炎の向け先がなくなったら多分自然に死ぬんだろう。
    そんな風に思ったのだけれど。

    現実は、あっけない。
    百年の恋が終わった夜だというのに、死ぬどころか涙も出ない。
    でもこれは俺が薄情なんじゃない。涙も出ないような振り方をした光来くんが悪いのだ。
    俺だっていつか光来くんは海外リーグに行くだろうと分かっていたし、言わずもがなそれを楽しみにしていた。
    でもまさかそれを報道で知るとは思わないし、本人に問いただしたらミラノ・マルペンサ行きのフライトの日まで決まっているとは思わない。
    そしてこう言ったもんだ。
    「行く前には言うつもりだったに決まってるだろ」

    俺は脳内の99%がバレーで占められている光来くんが好きだから、残りの1%をもらえていればそれでよかった。それを2%にしてほしいだなんて、かけらも望んだことはない。俺にも俺のやることがあるし。
    でも、バレーが100だというのなら。俺は0は要らない。
    光来くんが気まぐれに振り返ったときにいつも笑顔で待っている男には、俺はなれない。

    寝返りを打って、光来くんが部屋に来るといつも使っていた枕を壁に向かって放り投げた。
    この枕に頬をのせてうつ伏せで寝る光来くんは赤ん坊みたいな寝顔で、それを見ると俺はいつもわけもなく泣きたくなったものだった。

    ずっと一緒に部活して。高校のうちから付き合い始めて、それから6年も恋人同士だった。
    抱きしめ合うのもキスもセックスも、俺たちは全部の初めてを交換した。他の人を知りたいなんて思ったこともない。
    ずっと光来くんだけを見ていた。
    光来くん強いね、かっこいいね、大好きだよ、かわいいね。
    トータル1万回は言ったであろうその台詞たちは、単なる惰性ではなく毎回心底思ってそう言っていた。光来くんは、うんとかおうとか、そういう相槌をうつだけだったけれど。

    考えてみれば、俺たちは全てが違っていた。
    だってまず、光来くんが一番好きなものを俺はそこまで好きではなかったし。
    高校を卒業した後も、すぐにVリーグ入りした光来くんと未だに獣医学部で学生をやっている俺では、日々の生活や価値観も異なることばかりだった。
    でも、それでいいのだと、光来くんが言ってくれたから。だから俺は、光来くんという強い光を目印にしてここまで歩いてきた。

    それが苦しくなったのはいつからだっただろう。

    光来くんはいつでも全速力で前に進んでいく。何にも縛られず嵐にも堕とされない、バレーの神様に愛された白銀の鴎。
    その姿は強くて、かっこよくて
    綺麗で、綺麗で
    大好きで、大好きで
    でも、本当は

    嗚呼、俺は愚かだ。
    あの鴎を心から愛しながら、本当はいつか己の指先に降りてきてくれたらと、暗い埠頭で待っていたのだ。

    神様への片思いみたいな永い初恋は、こうして終わった。





    あれから1年半が経った。
    俺は研修医としてキャリアの第一歩を踏み出し、忙しい日々を過ごしている。
    命を預かる重圧は、苦しいけれど嫌いではない。

    光来くんは昨シーズンはイタリア、今シーズンはドイツのリーグでプレーしている。
    イタリアのチームは光来くんに合っていた。今年のチームは、まあまあ。
    日本では向こうのリーグの放送自体観る機会があまりないから、ネットで動画をいくつか観てそう思っただけだけれど。

    光来くんとは、別れてから一度も連絡をとっていない。
    簡単に傷に触れたくないくらいには好きだったから、友達に戻りたいとも思わない。
    光来くんはどうだか知らないけれど、そもそも俺は光来くんをただの友達だと思ったことはなかったのだ。

    最近知り合って短期間付き合った女の子はいたけれど、彼女と過ごしてさらに実感してしまった。
    俺は、光来くん以外の人間に興味がない。
    彼女は可愛くて良い子だったからできる限り優しく接したつもりだし、好きになれるものならなりたかった。でも女の子は鋭い。すぐに「他に好きな人いるでしょ?」と振られて終わった。当然だ。

    そんなことがあって、俺はもう諦めた。
    今世は最初から最後まで、光来くんしか好きになれない人生なのだと。
    別によりを戻したいなんて思ってはいないし、誰に愚痴るつもりもない。
    俺の気持ちは俺だけが知っていればいいことだから、誰にも言わない。光来くんだって、知らなくていい。


    とは言いながら、つい連絡が来ていないか見ちゃうんだよね、と自分を嘲笑いながら、職場からの帰り道にバッグからスマホを取り出す。
    今日もいつもどおり。メッセージが来ているのは、姉、オフだった同僚、あとは芽生からも。
    姉から送られてきた甥っ子の写真を眺めていたら、画面が通話リクエストに切り替わった。
    そこに表示された名前を見て、俺は固まる。
    「……なんで」
    1年半、ついぞ画面に現れることのなかったその名前に、思わずそう呟いた。
    頭の中では、出なくていい、いや出るな、というもう一人の自分の声がしている。でも、指が勝手に緑色のボタンを押していた。
    「……もしもし」
    『お前、残業しすぎだろ』
    懐かしいその声は、スマホの向こうからと同時に、すぐ背後から聞こえた気がした。

    3回深呼吸して、振り返る。
    「なんで、いるの」
    絞り出した声は、みっともなく震えていた。
    「先週でシーズン終わったから」
    耳に当てたスマホを下ろしてポケットにしまいながら、光来くんは何でもないことのようにそう答えた。
    「知ってるけど、そうじゃなくて」
    「恋人に会い来て悪いか?」
    光来くんは被っていたパーカのフードを取って、こちらに歩いてくる。
    「恋人? えっ……」
    光来くんは目の前まで来ると無言で立ち止まり、俺の左手を強く掴んだ。
    「え、相変わらず馬鹿力。何?」
    「これ、やる」
    光来くんが、流れるような手つきで俺の薬指に輝く環をはめた。街灯に照らされて、その環はきらりと光る。
    俺の手を握る光来くんの左手の薬指にも、同じものがはまっていた。
    「なんでサイズ知ってるの?」
    頭で思っていることと違う言葉が口をついて出てしまった。
    「昔、寝てる時に測った。いつか使うだろうと思って。お前が太ったりしてなくてよかった」
    「忙しくて太る暇ないよ。ていうかそんなことよりさ……え、この指輪、っていうかこの指にはめる意味、光来くん知ってるの?」
    「知ってる。お前は俺を何だと思ってんだ?」
    「元彼」
    「あ?!」
    光来くんはばっと目を見開いて、ガラの悪い顔に変わる。実は俺、昔からこの顔が好きで、なんてことを言っている場合ではない。
    「俺たち、別れたよね?」
    「別れてねえ」
    嘘でしょこの人、と思いながら、俺はスマホを持ったままの右手で顔を覆う。
    「別れたと思ってたから、一回彼女作っちゃったよ……」
    「はあ?! 浮気かよ、殺すぞ?」
    光来くんは喧嘩を売られた子犬のようにキャンキャンとわめいている。
    「浮気じゃないでしょ。俺は別れたと思ってたんだから。だって最後に会った時、好きかどうか分からないって言った俺を追いかけてこなかったじゃん。俺たち、その後連絡も一切とってなかったよね? 1年半もだよ?」
    俺の失意の1年半。思い出すだけで落ち込める。
    しかし光来くんはあっけらかんとして口を開く。
    「お前が怒ってるのは知ってた。だから連絡しなかった。イタリアに行ってしばらくは疲れきってたのもあるし、お前もめちゃくちゃ忙しくて大変だって兄貴から聞いてたしな」
    「だからって、いきなりこんなのある?」
    没交渉から1年半ぶりの登場でプロポーズ(おそらく)なんて、聞いたことがない。

    「お前、結構あっさりしてんだな。あんだけ俺のこと好き好き言ってたくせに」
    光来くんは、俺の左手を握ったまま歩き出す。仕方がないので、そのまま並んで歩いた。
    「いや、だって……まさか光来くんがそこまで俺のこと大好きだとは、思わないじゃん……」
    「何でだよ。知ってんだろ、そのくらい」
    「知らないよ。光来くん、言わないし」
    「俺はそういうの言わねえ」
    亭主関白丸出しで、光来くんはぷいと横を向く。6年間俺に抱かれていつも泣いてたくせに。いや、泣いてはいないけど。
    「はあ、本当に嫌になる……俺はどうしてこんなに光来くんのこと好きなんだろうね。こんなに馬鹿なのに……」
    「強くてかっこいいからだろ? お前、昔からずっとそう言ってるじゃねえか」
    「正解です……」
    そうだった。光来くんがこの性格のまま無事に大人になれてしまった原因の一端は、俺にあるのだ。

    「責任取るね」
    「ん? おう」
    光来くんは、よく分かっていなさそうな顔で頷いた。
    「そういえば、光来くんの指輪もあるんだね。意外」
    「そりゃセットで買ったに決まってんだろ」
    光来くんはドヤ顔をしている。
    「セットじゃなくてペアっていうんだよ。ねえ、俺たちは職業柄、普段は指輪しないでしょ。あとで俺が二人分預かるけどいいよね」
    「別にいいけど、何でだよ?」
    光来くんは小首をかしげている。かわいい。
    「絶対になくすでしょ、光来くんは」
    物に頓着しない光来くんが、つけない指輪をちゃんと管理できるとは思えなかった。
    「そういやそうだな。お前が持っててくれ」
    「うん」

    まったく俺がいないとダメなくせに1年半もほったらかしやがって、と内心で悪態をついていると、隣から強い視線を感じた。
    「なに?」
    「お前って頭いいけど、案外単純だよな」
    光来くんはふふんと笑った。
    「それ、光来くんに言われるの?」
    ねえ、そういえば忘れてることあるでしょ、と俺が立ち止まると、光来くんも立ち止まった。

    殴り合いでも始めるんですか?という勢いで、胸ぐらをつかまれた。
    強い光を宿した瞳が、昔と同じように俺をじっと見上げている。
    「幸郎。これからもずっと俺を好きでいろよ」
    「はいはい」
    答え終わるのと同時にぐっと強い力で引き寄せられて、唇が重なる。

    結局また、初恋のやり直しだ。それも、今度は無期限。
    嬉しいなんて、悔しいから言わないけど。



    幸郎は知らない。
    本当はこの指輪は1年半前、イタリアに行く前にサプライズで渡そうと用意していたことも(結局失敗したけれど)。
    そもそも海外に行ったのだって、一番はバレーのためだが、いつかの未来に日本よりも堂々と二人で暮らせる場所を探しに行く意味もあったことも。
    幸郎はあの日で別れたと思っていたと、本当は俺が知っていたことも。
    だから幸郎を取り戻して、それからずっと一緒にいるための方法を、時間をかけてちゃんと考えたことも。

    実は俺は、幸郎が思うほど馬鹿ではないし、幸郎が思うよりもロマンティストだ。
    でも、本当のことは誰にも言わない。
    たぶん、いや絶対に俺のほうが好きだなんて、幸郎にだって教えてやらない。
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