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    円/ヒルマ

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    円/ヒルマ

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    道を踏み外す5秒前の近居昼星

    これからよろしくあれは高校三年の時だった。
    あいつはいつだって俺の姿が見えなくなると探しにくるし、気づけばそばにいた。
    言葉遣いは良いが口は悪く、俺をなめる奴が減ってもあいつだけは辛辣なことを言い続けるので俺はよくキレたが、案外それが居心地よくて、犬と猫の中間のような性格のデカい生き物をいつも隣に置いていた。

    あの日は部活で熱くなりすぎ、皆が帰ったあと頭を冷やすためにしばらく体育館の裏に座り、ひとり考えごとをしていた。
    スッキリしてきたしそろそろ帰るかと思った頃、砂利を踏む音が近づいてくる。
    「光来くん」
    慣れた呼び方と共に現れたのはもちろんあいつだった。
    「なんだよ、まだいたのかよ」
    「そろそろクールダウンできた頃かなと思って。一緒に帰ろ」
    あいつはそう言って俺に右手を差し出した。俺はその手を掴んで立ち上がる。
    「お前、ほんと俺のこと好きな」
    もちろん戯れに出た言葉だ。でも、あいつは常にたたえている笑みをすっと消した。
    「うん。好きだよ」
    「マジ顔やめろ」
    「うーん、そう言われても実際マジだし?」
    右手の親指と人差し指の間を、すり、とゆっくりと撫でられた。
    「っ!」
    背中をびりりと電気が流れたような感覚が走って思わず手を振り払うと、逆に素早く握り直されてそのままじりじりと体育館の外壁に追い詰められる。
    「お前、なん……」
    「俺は光来くんの顔も体も性格も好きだし、毎日会いたいし話したいし、笑わせたいし怒らせたいし、できればセックスもしたいけど」
    声こそ優しげだが、目は全く笑っていない。
    言い知れぬ緊張感に、俺の喉がひゅっと鳴った。
    「……一発殴るか?」
    俺は、妙な空気を変えるための精一杯の台詞を吐いた。
    「ああ、やっぱり今のはいったん全部忘れて」
    あいつは突然パッと両手を離し、ホールドアップのポーズを取ってにこっと笑った。
    「光来くん自覚ないから、いま言っても振られるだけだし。一回忘れて、大人になった時にでも思い出してよ」
    「ハア? わけわかんないこと散々言っといて、勝手じゃね?」
    そう、こいつは案外勝手なところがあって、しかも俺に許されることに慣れている。傍目には逆に映るらしいが。
    「光来くんもいい勝負だと思うんだけどな」
    ほらもう行くよ、とあいつが歩き出したから、俺も仕方なく後を追った。

    あれだけのことを言われたにも関わらず、俺はそれから十年もの間、本当にその出来事を忘れていた。たぶんあれはあいつが記憶封印魔法か何かを使ったのだと、後に俺は思うことになる。

    「……くん。光来くん。起きて」
    重い瞼をどうにか持ち上げると、天井で回るシーリングファンが目に入った。
    俺の家にシーリングファンはない。
    「起きた?」
    目の前にぬっと現れたのは幸郎の顔だ。
    「起きた……」
    いつのまにか掛けられていたブランケットをどかしながら目を擦る。
    「もう二人とも出かけちゃったよ? 寝かせといていいって言うから起こさなかったけど」
    「ふーん」
    ロードワーク後とはいえ午前中から人んちのソファでそこまで熟睡できるのすごいよね、と幸郎はブランケットをたたみながら言う。
    「二日続けて練習ない休みなんて滅多ねえもん。気が抜けた」
    「そっか。それに奥さん同士の仲が良いってのも結構楽だよね。こうやって向こうチームだけで旅行に行ってくれると、たまの息抜きできるし」
    「それはっきり言ったらダメなやつじゃね?」
    俺は呆れて肩をすくめる。
    「だから本人たちの前では絶対言わないじゃん。それに男なんてそんなもんじゃないの」
    「お前ホント嫁さんたちの前で猫被ってるよな」
    「おかげで信頼得てるから、オーナーさんの旅行中にこうやって光来くんのこと預かれるんだよ」
    幸郎はにこにこと俺を見る。
    「俺はペットじゃねえし、預けられてるんじゃなくて自分から遊びに来てるだけだ」
    「そうだね。ペットならもっと飼い主に懐くもんね」
    「……」
    これは絶対に口にはできないことだけれど、俺はあまり妻に興味がない。万が一相手の好きなところを訊かれたら、俺に干渉してこないところと答えてしまいかねないくらいには。
    好きか嫌いかで言われたらもちろん好きだ。でも愛しているかと問われたら答えられない。多分、幸郎の紹介でなければ、結婚どころか付き合うこともしなかった。彼女は、幸郎の妻の幼馴染なのだ。
    そういえば、妻に限らず俺の人生で付き合った女は、全員幸郎の紹介だったことに今はじめて気がついた。

    「光来くん、お腹空いてる?」
    「まあまあ。でも、せっかく休みだから食うより飲みたい」
    「まだ昼前だけど飲んじゃおっか」
    幸郎がキッチンに行き、冷蔵庫を開ける。
    「いいな。一杯飲んでから昼飯行こうぜ」
    「そうだね。これにしよっか?」
    幸郎が一本の瓶を取り出して俺に見せる。
    「それ何だ?」
    「もらいもののスプマンテ。小さいボトルだし、今飲むのにちょうどいいでしょ」
    「スプマンテってなんだよ」
    「スパークリングワインだよ。光来くん、開けてくれる? 馬鹿力の出番だよ」
    「うっせえな」
    俺は悪態を吐きながらも立ち上がり、幸郎の手から瓶を受け取った。
    勝手知ったるキッチンの引き出しを開けて栓抜き(オープナーっていうんだよ、と前に幸郎に言われた)取り出し、コルクに刺す。
    ふと、隣でトマトとチーズをスライスしている幸郎の手元を見ると、あることに気がついた。
    「お前の指輪って、俺のと似てるな」
    幸郎の左手の薬指に嵌っている結婚指輪は、真ん中あたりがねじれたようなデザインで、珍しいとよく人に言われる俺のものと同じだった。
    「そりゃね。同じブランドの同じシリーズだし」
    「そうなのか?」
    アクセサリーのことなんか何ひとつ知らないから、買うときは相手に任せきりだった。
    「今まで全然気が付かなかったのもすごいね。光来くんも買って1年経ってるでしょ」
    「人の指輪なんか気にして見てねえし」
    「まあ、光来くんはそうだろうね」
    幸郎はほんの一瞬こちらに視線を寄越して、またすぐに自身の手元に戻す。
    「たまたまか?」
    「まさか。ーーちゃんにアドバイス求められたんだよ。俺も光来くんも、仕事中は指輪しないでしょ。だからこそ、こういうちょっと変わったデザインもつけられるから案外いいよって言ったんだ」
    「へえ……」
    俺はそう答えながらも、なんだか胸がざわざわとした。でもそのざわざわの正体は知らない方がいいような気がした。
    幸郎は器用な手つきでトマトとチーズを皿に並べ、オリーブオイルをかけ、岩塩と胡椒をガリガリと削る。ドライバジルはかけるなよ、と俺は釘を刺した。分かってるから大丈夫だよ、と幸郎は答える。
    「光来くん、お昼は何食べたいの?」
    「回転寿司」
    「はは、回るほうがいいんだ。いいよ、行こ」
    手を洗った幸郎は、にこにこと俺を見る。
    「お前は食いたいもんないのかよ」
    「特にないよ。光来くんと一緒に食べられれば何でもいいしね」
    「あっそ。お前ほんと俺のこと好……」
    好きだよな、と言いかけたそのとき。
    俺の脳内を、走馬灯のような映像がフラッシュバックした。

    暗い体育館の裏。掴まれた右手。背中に触れた、ひやりとする壁の温度。いつも笑顔の幸郎の、笑っていない瞳。
    幸郎が俺に、最初で最後に「好き」と言った日。
    どうして今まで、忘れていたのだろう。

    手にしていた名前の分からないワインの瓶を、無意識にぎゅっと握る。
    「なあ。俺、思い出したんだけど」
    全部思い出した。あの日の出来事と、あいつの言葉と、その意味も。あの日の俺がまだ自覚していなかった気持ちも。思い出して、いま初めて全部、理解した。
    「……でも、ちょっと遅かったな」
    並んでワークトップに置かれた、二人の指輪に嵌る同じ指輪を見て、俺は呟いた。
    「いや? 俺はいつでも」
    そう言うと、幸郎は何故だかふふ、と笑って俺の後ろに立った。
    「?」
    幸郎が後ろから俺を緩く抱きしめるように腕を回し、俺の手からボトルを奪って易々とワインの栓を抜いた。
    そして、耳元で最低最悪な質問をする。
    「ねえ。俺たち、どうする?」
    ーーわりと深刻な場面のはずなのに何だこいつ。軽い。答えなんか決まっているのにクソみたいなこと訊きやがって、腹が立つ。
    俺が黙っていると、幸郎は二脚のグラスにスプマンテとやらを注ぎ、一脚を俺に寄越した。
    「まあ、とりあえず」
    体が離れ、いつもの穏やかな笑みをたたえた幸郎が俺に向かって自分のグラスを差し出す。
    「これから、よろしく」
    地獄行きの乾杯は、高級なガラスの触れ合う華奢で優しい音がした。


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