ボトルメール一、あなたは海の彼方
僕の中に残っていた、温かいもの。それが粉々に砕かれた瞬間。破片をかき集めて、ボトルに入れ、蓋をした。優しい笑顔、気遣ってくれる声、交わしたいくつもの言葉。かけがえのない親友を失ってからも、なおも心の中から消すことができなかった日々。
「さよなら、ライ」
海に流して、すべて忘れよう。それでもこんな風にボトルメールにして、ぷかぷか浮かぶのを眺めているのは、未練にほかならないけれど。
♢ ♢ ♢ ♢ ♢
「よぉ、シュウ!」
「トム。しばらくだな。あの件は片付いたのか」
「ああ、手こずったがな。この前アドバイスもらって助かったよ。さすがは『ライ』だな」
「それは禁句だ」
「ハハッ。悪い悪い」
相変わらず、陽気な奴だ。組織を抜けて以来、俺は前にも増して物騒なオーラを漂わせていると言われるが、こいつは気にならないらしい。
「トム、これから朝飯か?」
「ああ。二日分食わねーとな」
「ん?何を持っているんだ。それは……ボトルメールか」
「よくわかったな」
「海藻の切れ端が貼りついてる。事件絡みか?」
彼はにやりと笑った。
「お前にとっては、そうかもな」
押しつけられた瓶に内心驚いているうちに、奴は大量の朝飯を抱えて部屋へ入っていった。何だと言うんだ?
煙草を咥えたまま、壁にもたれて瓶を眺める。トムは中身を見た上で、俺に見せるのがふさわしいと判断したはずだ。ならば危険物は入っていない。見たところも安全そうだ。
「しかし、古風なことをするものだな」
呟きながら蓋を開け、ビニールにくるまれた手紙を手に取った。慎重に、便箋を開いていく。その紙に、見覚えがある気がした。いくつかの文字が、目に飛び込んでくる。
「!これは……」
『ライ』『あなたを、愛しています』『B』……なるほどな。
「君か……」
俺が潜入を中断し、あの金色の男と離れFBIに戻ってから、間もなく二年になる。こみ上げてくるものがあるが、ここで涙を流すわけにもいくまい。だがここまで見てしまった以上、帰宅してからゆっくり見るなどと、悠長なことも言っていられん。大体、いつ帰れるかもわからんのだからな。
俺はむさぼるように手紙を読んだ。ジェイムズとジョディがそばを通り、声をかけてきたことには気付いていたが、返事をするどころではなかった。
読み終えて、手紙を丁寧に畳み、胸のポケットへしまった。トムは太平洋のど真ん中でこれを見つけ、わざわざ持ち帰ってくれたのだ。うまいランチをおごってやろう。
二、恋の瓶詰め
『ライへ
あなたは僕の前から消えてしまいました。どこへ行ったのかな。元いたところへ帰ったのでしょうか。Mで始まる名前は偽名だろうから、もう使っていないのでしょうね。
この先、あなたの所属場所を探せば簡単に見つかるのかもしれないけど、探したくない気もするんです。今日の僕はどうかしている。いや、あなたに出会ってから、ずっとどうかしていた。
今からこの手紙にそんな僕を吐き出して、瓶に詰めて海へ流します。それは、この想いを捨てるということなのかな。わからない。ただ、今までと同じように持っているのは、あまりにも辛い。自分が自分でなくなる。
ああ、胸が苦しいや。きっと途中で瓶が割れて、海の底へ沈んでしまう手紙だろうから、何を書いてもかまいませんよね。今日はVに呼ばれているけど、あと一時間だけ、時間があります。浜辺で待ち合わせなんて、あの人、僕の思考を読んでるのかな。Gはあなたを必ず殺すと言っています。あなたを殺すのは僕ですからね。忘れないで。
あなたは、なぜあんな嘘をついたんですか?あなたがやったんじゃないってことぐらい、彼の手を見ればわかります。なのに、自分が殺した、なんて。彼を、あなたが。それは、僕にあなたを憎ませるためですか?そうだとしても、その意味がわからないし、あの時はまだ、あなたを憎むことはできなかった。心の底からはね。
今は違います。あなたが本来のあなたであれば、彼を助けることはできたはずだと、そればかり考えてしまう。あなたは彼を助けるためにあの場に駆けつけたはずだと、僕の中の愚かな僕は、まだそう信じようとしている。
何を信じればいいのか、わからないんです。だから、あなたを憎いと一瞬でも感じた、そこに僕はしがみついている。
この場所で信じられるのは、きっと自分だけだ。なのに僕は、あなたを信じようとしてしまった。それだけではなく、……わかっているでしょう?僕はあなたのことが、この世の何よりも大切なんです。自分よりもね。
この言葉を告げられる日は、きっと来ない。だからここに書いておきます。
あなたを、愛しています。 B』
バーボンは、ずいぶんと危ない真似をしたものだ。まあ彼のことだ、この手紙が組織の奴らに拾われたとしても、「ハニートラップですよ」とでも言ってごまかすだろう。そこまでしなければならないほど君を苦しめたことも、いつか謝らなくてはならない。
同僚が海で拾ってきてくれた手紙を、俺は大事に懐に持ち続けている。彼は間違いなく『こちら側』の人間だ。あの青い瞳が喜びで輝くのを、再び見られる日は来るだろうか。そのためにも、あの組織を倒さなくてはな。
三、蓋が開いて
ふと目が覚めると、彼が俺の髪をそっと触っていた。本当にここにいることを確かめるかのように。俺が起きたことに気付いて、微笑んでいる。
「ふふ」
「どうした?」
「僕ね……あなたにボトルメール書いたことがあるんですよ。瓶に入れて海に流すやつ。今思えば、危ないことしたなあって。今頃は海の底だろうけど」
「ああ……」
そういえば、言っていなかったな。
「零くん、ちょっといいか、腕を」
「ん?何か取る?」
「ああ。確か……」
俺は何もまとわずベッドを離れ、少しばかりよろめきながら、クローゼットの奥をごそごそやり始めた。あった。俺の宝物だ。
「あかい?あった?大丈夫……?」
半分寝ているような彼の声に応え、振り向く。その手にあるものを見て、カッと青い瞳が見開かれた。
「なっ……それ、お前っ」
ガバッと起き上がり、ベッドから降りて飛びかかってくる。
「おい、危ないぞ」
「何でっ、いつ、どこでっ」
「あれから二年というところか。同僚が海のど真ん中で見つけてな。さあ、ベッドへ戻ろう」
「同僚って……」
悔しさのあまりか、恥ずかしさのあまりか、俺を布団へ引きずりこんで、ぎゅうぎゅうと抱きしめる。少々苦しいが、腕の中から返事をしてやる。
「トムだ。一度会っただろう」
「……会ったことない人なら良かった」
「奴は信用していい。自分が追っていた事件絡みかと拾ったこれを、中身を確かめた後、誰にも見せずに俺に渡してくれたよ。その後も、他言していない」
「それはありがたいですけど……誰にも読まれないつもりで書いたのに。あなた、全部知ってて僕と再会したってことですよね」
「ああ。ツンツンしてかわいいなと思っていた」
「やっぱり、憎らしい……」
組織は壊滅し、俺たちは共に日本で暮らしている。晴れて恋人同士となるまでには、実にいろいろなことがあった。自らの危険を顧みず、想いのたけを綴って海に流した彼は、二年の間にその想いをすっかり拗らせていた。だが、固く閉じられた蓋をひとたび開ければ、花の香りと新緑の輝き、真夏の日差し、秋の彩り、それに凛とした冬の静けさが俺たちを包んだ。彼は四季の全てであり、俺の全てだ。二度と離れはしない。