2023.11.30「何をやってるんだ君は」
呆れた声と共に赤井が布団を抱えて部屋に入る。一人ベッドで悶えて転がっていた降谷を後目に、赤井は寝室の端にマットレスを置いた。降谷のベッドがある壁側とは真逆の位置だ。
「何でそんな離れたとこ?」
「寝惚けた君に踏まれるのは御免だからな」
「一度寝たら滅多に起きないよ」
と降谷が言っても赤井はそこを寝床に決めたようだ。黙々とマットレス、敷布団、掛布団を用意する。一応用意してあった一式が役立って良かった。何だかお泊り会みたいだ。
「あ。寝室チェックしていいよ」
盗聴器やら何やらを気にするのは降谷や赤井のような立場では職業病みたいなものだ。しかし赤井は枕にカバーを掛けながら首を振る。
「不要だ」
「そ?」
「君はいつも先に眠っているだろう」
「あー、うん」
降谷はいつも赤井より先に眠った。おまけに赤井がいつ降谷の寝室に入って来ているのかも全く分からない、快眠爆睡だ。それは実に分かりやすい、敵意はないという意思表示になる。そういうつもりで先に眠っていたのではないが赤井が安全を感じるのなら何よりだ。
「赤井の気配ってなんか安心するんだよなあ」
「……」
「あと腹も減る」
「なんだそれ」
ふ。赤井が小さく笑った。
わらった。
今日初めて見た笑みよりもずっと自然で柔くて、幼さすら感じるかおだった。
赤井は寝床を用意するとまた部屋を出た。多分身支度と戸締り火の元の再確認。
「うあー……」
降谷はソワソワと落ち着かなかった。ソワソワキュンキュンしちゃうだろドキドキじっとしていられない。不自由な利き手が恨めしかった。両手を伸ばしたい。何処って赤井のほうへ。
なんだあの男ほんっと性質悪いなそりゃモテるわあんなん。
赤井の、今までの降谷への忌避するような冷淡な態度と、武装を解き始めたこの柔っこい態度の落差よ。
これだけでも降谷は逆上せそうなのに赤井の懐に入れた相手なんて一体どうなるんだろう。FBIの連中が赤井をシルバーブレッドだキングだと崇め祀るのも納得である。そしてそれを加速させる見目の良さ。あの鋼鉄のハンサムが綿みたいにふわっと笑うんだぞ。
「もおおおおズルイ~~」
「だから君は何をやってるんだ」
赤井は呆れた顔で戻って来た。降谷が暴れているのが聞こえていたようだ。
「あ。おかえり」
「何が狡いんだ」
「赤井秀一がギャップ萌えの権化だから」
「何だそれは」
赤井は受け流す。赤井は自身の武器となる魅力を正しく理解しているだろうが、どうにも興味は薄そうである。手慣れてるとかスカしてるといった意味ではなく、正しく「興味がない」のだろう。
勿論得をすることもあるだろう。しかし損をすることもあるだろうな、と、この神に愛されたような男に初めて思った。赤井は案外、光の当たらない影を視ているみたいだから。
「不用意に暴れて悪化させるなよ」
「はーい」
降谷は赤井にお任せしようと照明のリモコンを赤井へ差し出した。
睡眠中にギプスの腕が動かないよう固定しているクッションを確かめ、寄り掛かる。
「んじゃおやすみ」
「ああ。おやすみ」
赤井は応えると降谷がベッドに入ったのを確認し、照明を落とした。完全に闇ではなくベッドサイドの小さな間接照明だけは点けたままだ。
降谷は赤井が布団に身を横たえさせるのを、ベッドの中から見ていた。赤井は仰向けになり、ふう。深く息をつく。
「おつかれさま」
降谷は言った。
薄明りの中、赤井が顔だけこちらに向ける。
「今日もありがと」
「雇い主から高額な報酬を貰ったからな」
「ふは」
「笑いごとじゃない」
「赤井秀一を雇ったなんてすごいな俺」
「……」
「おつかれさま。おやすみ、赤井」
今日も赤井は完璧なハウスキーパーだった。家事は重労働だ。しかも降谷の介助も完璧にこなす赤井は、身と心を休める暇があるのだろうか。
感謝と労わりを込めた降谷に赤井は穏やかな声で「おやすみ」と応えた。
赤井がそっと目を瞑るのも、白い横顔に癖のある前髪が流れるのも、降谷はじっと見ていた。こんなに見られていては眠れないと苦言を寄越されるかと思ったが赤井は何も言わない。沈黙が流れる。
赤井は何も言わない。
沈黙。
それどころか何と、すうすうと寝息が聞こえてきたではないか。
「……へ?」
思わず降谷は声を出し慌てて口を閉じた。
え。寝た?
寝た振りかと降谷はじっと見詰める先で、赤井の胸は静かに上下する。一定の呼気に動かない瞼。
え。マジで寝た?
寝てる。赤井秀一が。速攻で寝た。
降谷はベッドの中から寝息を立てる赤井を凝視した。信じられなかった。赤井のような警戒心と猜疑心の塊が人前で簡単に眠るとは考えにくい。けど寝てる。まさか降谷に倣って無害を主張するために敢えて眠ったとか?
いや。赤井が眠らないのには目的があった筈だ。
恐らく赤井は降谷のことを見張りたいがために夜遅く眠って朝早くに起きていた。そして身体を横たえ十分に休息を取ることもせず、まるで戦闘中のような短い睡眠しか得ていなかったのだろう。だから赤井は、ただでさえ青白かった顔色を悪化させていた。
そんな赤井が何故今日になって速攻寝るんだろう。
こうして同じ部屋で眠ることが赤井の目的だったとか。今日はこれまでの一週間とは少しだけ違っていた。それは赤井の目的達成の欠片になっていたのだろうか。
赤井は何を遂げたいのだろう。
何を知り何を納得したいのだろう。
「……まじで寝てる」
迫力過多な赤井秀一が目を瞑ると、ただただ美しいひとでしかない。彫りの深い目元から削いだような頬のラインは鋭利。小振りな唇がほんのり愛嬌を添えている。赤井の声は時折おっとりした音になるから、それが赤井の圧倒的迫力を多少緩和させていた。
瞳も。ほぼ武装中の銀の弾丸だけれど、時々真珠になるのを知っている。
手を伸ばしたくなる無垢なまなこ。
こんなに近くなるなんて、思わなかった。
「おやすみ。あかい」
降谷もゆっくりと眠りの縁に身を任せた。
穏やかな寝息が聞こえる。
心地の良い気配だった。
赤井は一体何と戦ってるんだろう。まさか薬の後遺症とかで、赤井には降谷が化け物にでも見えているのだろうか。なにそれ怖い。
目が覚めた。
カーテン越しに薄っすらと朝の光が漏れている。降谷は目覚めが良く目覚まし時計がなくても時間通りに起きられるタイプだ。
赤井はどうだろう。
赤井は、未だすうすうと寝息を立てていた。
降谷が眠る間際に見た赤井は仰向けだったが今の赤井はこちらに身を向けている。いや、少し俯せ気味だろうか。枕に頬を押し付けて薄く唇を解き、無防備に寝顔を晒している。
案外童顔かも。
降谷は眠る赤井を観察した。
下ろした前髪の所為もあるだろうが、どうにも赤井の寝顔は幼かった。いつものアレは何だと思うくらい印象が違う。武装のない赤井の寝顔は稚くて、ちょっと可愛いかもと思ってしまった。
あらぬ発想に降谷は案外驚かなかった。
だってキュンとしちゃうだろこんなの。
ピピピピピピ。
アラームが鳴る。
連休に入っても生活サイクルを崩さないよう、毎朝七時にアラームをセットしていた。降谷が起床するといつも赤井は目前で降谷をじいと見ていたから、この時間に赤井が眠っているのは初めてのことだ。赤井を寝かせておきたい気持ちもあったが今日のところは起こしたほうが無難だろう。
少しだけアラームを鳴らしてから、止めた。
ゆっくりと赤井が目を開ける。
「おはよ」
降谷が声を掛けても赤井は反応を返さなかった。
目覚めが悪いタイプなのかな。意外だ。赤井はぼんやり降谷を見ている。いやもう全然目が開いてない。今にも閉じそうな双眸につい笑みを零す降谷にも、赤井は何も言わない。赤井は瞬いた。ああ。真珠みたいな瞳だ。
「……っ、」
降谷は息を呑んだ。
赤井はわらった。
ふんわりどころじゃない。
ふにゃんと蕩けるみたいにわらった。
「……あかい」
降谷が息を呑むのにも赤井は反応を返さず、また目を瞑ってしまった。完全に寝惚けてる。寝惚けた赤井の寝息が朝の光に紛れて溶けた。
降谷は、左手で口元を抑えた。そうでもしないと思い切り叫びそうな心地だ。予想外も予想外。信じられない心地である。
やっと分かった。
赤井のふにゃりと蕩けそうな笑みはまるで安心した子供のような笑みだった。勿論そんな赤井秀一の顔など初めて見たが、どういった意味かは分かる。赤井は降谷の姿を確認して心から安堵したのだ。
じゃあ逆なら?
赤井は降谷の姿を見ていなければ安堵出来ないということだろうか?
やっと分かった。
降谷に何の興味もなかった男がこんなにも執着する理由。
赤井は、不安なのか。