空に浮かんだ黒い渦地球よりもはるか遠くにある、真っ白な雲に覆われた星でありながら、数多くの生命が芽生え続けている『白星』。
波打ってさざめきあう青い海と、それを目指すように流れゆく川。それを取り囲むよう生い茂る緑溢れる小さい山の上、そこから街が見えるその場所にポツンと木でできた一軒家があった。
今も昔もさほど変わらない平穏なこの島『団扇島』の山で、三つ編みをして黒いリボンでとめた金色の髪が風になびいて煌めき、一人の少女は暖かな日差しに、頭につけている冠にある青い宝石と共に照らされながら背筋を伸ばす。
ふぅ。と息をついて、今は出かけていない姉妹分の洗濯物を干す。
ふと冷たい風が肌をかすめる。まだ緑は残っているが、団扇島はもうじき秋に入ろうとしているためか夏の風と入れ替わりはじめている。
風で曲がった赤いネクタイを戻して物干し竿に服をかけようとした時だった。先程の小さな風とは比べ物にならないほどの突風と共に土煙と草が巻き起こった。
「あーくたびれた!後もう一周!」
「夜宵」
姿が見えないもののわざわざ目の前で停止した上で声を出してくれたおかげで、犯人が特定できた。さっきまで出かけていた姉妹の『黒咲 夜宵』だ。
「え?あっ」
土煙が風に流され、片目が隠れた黒い髪の上に生えた耳を一つピコッと動かしながらこちらを見て、すぐにその状況を理解する。
「……光夢、起きてたんだ?」
「話逸らさないでくれませんか?」
「だって洗濯物干してるとか知らないもん!」
またすぐに土埃まみれになってしまった洗濯物を見て、金髪の少女『黒咲 光夢』は思わずため息をついた。
「どうするんですかもう……」
「また洗濯すればいいじゃない」
子供っぽい楽天的な提案を返す夜宵に、光夢が物言いたげな視線を何も言わずに向ける。
「わ、わかった!わかったわよ!手伝うってば!」
「この前、全然洗濯終わる気がしないって言って思いっきり洗濯機をぶん殴ったの誰でしたっけ」
「殴ってないわよ!」
「じゃあなにしたんですか?」
「蹴った」
「そういう訳じゃなくてですね……」
反省する気のないそのとんちにすらないような自信満々な答えに返す気力も失せた。
「ところでもう一周って?」
「この島全体を二十周するノルマ」
「いつそんなノルマを作ったんですか」
「今日」
「……いつ頃からです?」
「ついさっきよ?体感三分前ぐらい」
何の因果かよりによってどうして洗濯物を干す今日に限って六万平方キロメートルある島を走り回ってるのか、この日のこの瞬間に思わず光夢はいるなら神様を恨みたくなった。
夜宵の足の速さは百メートル走をおよそ二秒程で走りきる程の足の速さなので余裕ではあると思うが、あともう少し外に出るのが遅ければと結果論だが後悔をしている。
「それじゃあと一周いってくるわね!」
「あっこら!」
先にこっちの手伝いをしなさいと止める前に、爆速で走り去っていってしまった。
「もう……」
「大変そうだな、光夢」
「ええもうほんとに、有希さんからもなんか言ってあげてくださいよ」
「何言っても聞かんだろ。特に俺の場合」
そこを通りがかった黄色い布地で紫色をした髪をポニーテールでとめる青年が光夢に話しかける。彼───『桐ヶ谷 有希』の住む家はここと近い場所にあるため、私事がてら様子を見にきたのだろう。
「有希さんは散歩ですか?」
「それもかねて今日の晩飯の材料を調達しにな」
「あー……有希さん大家族ですしね」
「その言い方だとなんか俺が親みたいになるだろ」
「あながち間違いではないのでは?」
少し間を空けてから、それはそうだなと笑って返す。数分もまだ経ってないうちに、さっきと同じような突風が巻き起こり、土煙の中から夜宵の声がした。
「やぁ紫芋ナンパ野郎!」
「誰がナンパ野郎だ、したことねえよ一度たりとも」
「ナンパのナも知らなさそうですしね、有希さん」
「でも強い風が吹いたら船が動かせないのは知ってるじゃん」
「それは難破だろ」
「ほらナンパしってるじゃない!」
一本とったりと得意げな顔をして胸を張る夜宵に、有希は表情一つ変えずに反撃を開始した。
「夜宵、お前まだ十八周目だろ?」
「え?そんな訳ないじゃない。ちゃんと頭で数えたし」
「ふーん……突然聞くが一+一はなんだ?」
「え……えーっと……」
口元に手を当てて夜宵が緻密な計算をしてる途中で、有希は容赦なく式を小さな脳の入った夜宵の頭にたたき込んでいく。
「二×五、十四+三、四-二……」
「あーもう!わかんなくなったじゃない!!」
「ハッハッハ!自分の頭の弱さを恨むんだな!」
高笑いをして夜宵にされた得意げな顔を返した。そんな光景を、光夢は幼い子供がよくやるような喧嘩を見ている気持ちで微笑んで眺めていた。
ふと、喧嘩で頭いっぱいな二人を差し置いて、空から馴染みのない音が空の上から聞こえ、光夢はその音がした東の空を眺めた。
しかし、その空は特に変わりの無い青い空の上を白い雲が風と共に流れているだけだった。
「……気のせいでしょうか」
===
「……今の轟音なんだったんだろ」
「千里ー?置いてくよー?」
光夢たちの住む山から少し離れた別の山の森の奥で、バケツいっぱいの甘い樹液を運ぶ、骨で灰色の髪を結び、肩からウエストバッグを下げている背丈の小さな女性、『永夜 千里』がぼうっと眺めて呟いた。
そんな千里に呼びかける、同じようにバケツを抱えた夕焼け色の尻尾と薄灰色の羽を生やしたパイロットキャップを被っている『暁月 黄桃』と、その後ろで背中から生えている四本の腕でバケツを抱え、軍服を着込んでいる『夜凪 七夏』が待っていた。
今行くよと、千里が背中から薄い羽を広げて飛び上がった。背後から草をかき分けて走ってくる音が聞こえてきた。
「千里!!」
「え……」
バケツをその場に置いた黄桃がそれに真っ先に気づき、背を屈んだかと思えば一瞬にして千里の元へとたどり着き、千里と彼女が持っていたバケツを抱えたまま自分が置いたバケツの元へ戻る。その後ろで何か鋭いものが風を切る音がした。
あまりにも大きいその黒い影の正体は甘い樹液を狙ってやってきた黒い熊だった。もうすぐ冬が来るからか、食料を得るためにいつもより気性も荒くなっているようだ。
「た、助かった……ありがとう……」
「礼を言うのは早いよ!今はあのクマをなんとかしなきゃ……」
「ならここは私が引き受けよう」
「いやダメだよ!?七夏は確かに強くても一人で、しかもそんなにバケツ抱えた状態じゃあ無茶だよ!」
「な、なんかクマ撃退できそうなもの、唐辛子とかなかったっけ……!」
千里は自分のバッグの中を弄る。そうこうしてるうちにクマがこちらへとにじりよってくる。
「な、ならこっちだって考えがあるんだから!」
すると、黄桃が両足両腕を広げて大の字のようになり、激しく羽を動かしながら赤い尻尾を立ててクマの前に立ち塞がる。
「……なんだそれ」
「威嚇!虎舞から教わったやつ!」
「それこそ私がよかっただろ」
「羽のない子にそんなこと言われても!?」
「あっ!あったよ丁度いいのが!」
でかした!と言いながら黄桃が千里の方を向くと、その手には緑色の楕円形の────手榴弾を取りだしていた。
「待って待ってオーバーすぎるよ!」
「だってもうこれしかないもん!過剰防衛でもなんでも危険なやつにはコレ一本!」
「それ以前に私たちも吹き飛ばないか……?」
低い唸り声を上げていた黒いクマが、こちらが弱腰なのを判断して一直線に鋭い牙を剥き出しながら走ってきた。すぐに千里がピンを抜こうとした時、横からクマ目掛けて黄色い液体が飛んできた。
咄嗟に目を閉じたクマだったが、三人の前で悶え始め、そのままどこかへと走り去って行った。
「今の……うわくさっ!?」
残り続けるキツイ臭いに思わず千里が鼻をつまむ。
「こっちこっち!」
遠くから声が聞こえ、とにかくそこに向かう。ようやく森を抜けると、小さな水筒を抱えている、赤い服が目立つ『照代 明朱』が待っていた。その後ろから大きな紫色の羽が生えた『宵闇 夏樹』が現れ、三人に心配の言葉をかける。
「だ、大丈夫だった!?クマが出たって虫の知らせが……」
「うん、みんな無事だよ。色々ケガしかけたけど……」
「それにほら!採れたての樹液も……」
千里がそう言って、七夏が離さずちゃんと持っていたバケツを受け取ろうとした時、とてつもない悪臭が漂い始める。
「……ね?」
「どこが!?え、なんでそんな臭いの!?」
「ごめん、私のせいだねそれ……」
明朱が水筒を見せた。その水筒には製造方法は秘密だがとてつもなく臭い液が入っている。
「その臭いがうつったのか……」
「……どうする?臭い誤魔化して虎舞に押し付ける?」
「多分速攻でバレるよ、黄桃」
「だよね……」
「そんな心配は必要ない、むしろアンタらが無事でよかったよ」
どこからか話を聞いてたのか、『蓮見 虎舞』が大きな羽音を立てて降りてきた。
「まあそれの処理は後々考えるとして……今日は疲れただろ?前に千里が有希から貰ったとかいうハーブでも使って茶を作ろうと思うんだ」
「え、虎舞お茶なんて作れるの?」
「全然知らない。少なくとも千里は知ってるだろと思ってな」
「私だより!?いや……大昔に見たことはあるけどさ……見たことあるだけだよ?成功する保証は無いからね?」
自信が無いと伝えたものの、ああと虎舞は即座に返答を返す。
「わかったよ。どうなってもほんとに知らないからね?」
「千里ちゃん特製のお茶だー!わーい!」
「夏樹、落ち着いて。鱗粉が舞う」
「あっごめん」
七夏がずっと持っていたバケツをそれぞれ手が空いている者が持ち、家路を辿る途中、夏樹の頭になにか冷たいものが落ちてきた。ふと空を見上げてから、あとからそれに気づいた一同も同じように空を見上げる。
美しい青に染った空が、薄暗い灰色へと塗りつぶされていく。風の流れも雰囲気も変わり始め、急いで帰り道を進む。
案の定、強い雨が降り始めたがなんとか自分たちの家である虎舞が作ったハニカムを繋げて丈夫に加工した、ドーム状の蜂の巣の中へと入る。
冷たい風が吹き抜けるものの、蜂の巣の中はとても暖かく特に気にならない。雨は段々と激しくなり始め、ついには雷もなり始めた。
「……嫌な雨だね」
「私たちのような虫にとって雨なんて全部嫌でしょ。水溜まりで飲水ができること以外は……特に私なんて鱗粉禿げちゃうもん」
「それもそっか、私はそんなに気にならないけど、太陽が見えないのは気が沈んじゃうなぁ」
「ねえこのクッサイ樹液どうするの?ここにずっと置いとくつもり?」
「千里、これ上手く使えば兵器にできるんじゃないか?」
「臭い樹液かぁ……できるかなぁ」
鼻をつまみながらそんな提案をする七夏。千里が火薬も何も入ってない手榴弾を手に取り、右手と左手の中でバウンドさせながら悩む。そんな千里と七夏、黄桃の話を聞いてしまった明朱が心を痛めた。
「……なんかもっと気が沈んだかも」
「まあまあ、"アレでも"使い道あるんだからよかったんじゃない?」
「"アレでも"……!?」
「あっほら!いい香りが漂ってきたよ明朱ちゃん!」
無理やり話を変える夏樹。だが実際暖かくてスッキリとした香りがどこからともなく漂ってきた。
「なんとか茶を淹れることができたぞ」
「あれ、割と早かったね」
「アタシにかかればこんなもん……?」
ふと、虎舞がそばにあった机に出来上がったハーブティーを置いて、外を確認しに行った。
その直後に、千里と七夏もすぐに異変を感じ取ることができた。平らな机に置いたハーブティーが揺れていることを見て、その他も気づいた。
「……地震?」
「大雨の次は地震ってついてな───」
ため息混じりに黄桃がそう言った途端、おおきな木一本が地面から引き抜かれるような音が聞こえたのと同時に、虎舞が危険を知らせた。
「今すぐ姿勢を低くして床にしがみつけ!!」
その場にいた全員が言われた通りにその姿勢を取った。メキメキとひび割れるような音がし、ハニカム構造の屋根が飛ばされ、目も開けられないほどの雨風に晒される。
千里が片目をなんとか開け、空を見る。
「……なにあれ……!?」
曇り空の向こうで、見たこともない大きな黒渦が巻き起こっていた。
突然、夏樹の叫び声が響き渡る。
「夏樹!!」
黄桃が床から手を離すと同時に雨風に負けない勢いで飛び、黒渦に吸い込まれそうな夏樹の手を掴み、踵を返す。
しかし、渦の吸い込む力があまりにも強く、戻るどころかどんどんと黒渦の中へと引き寄せられていく。
「まずい、助けに行かなきゃ……!」
「任せろ!」
七夏が背中から生えている四本の腕の、最も二人からの距離が近い二本の腕から風の流れを予測して糸を飛ばす。
風に流された糸が見事に黄桃の体に引っかかる。しめた!とこちらへ引き寄せようとした時、まるで渦が意識を持っているかのようにさらに吸引力が強くなる。
しがみついていた床にヒビが入り、ついに宙に浮くと同時に七夏が飛ばした糸も引きちぎれる。
あっという間に黒い渦はそれを全て吸い込み、やがて霧のように暗雲や雨と共に消えていった。
===
空にぽっかりと穴が空き、まるで流れ星のように落とされる。目線の先には茶色い地面と並び立つ古そうな建物が見えた。
体勢を立て直すまもなく頭から地面に落ちた。
「いったァ……く、ない?」
結構な高さから落ちたはずなのに、一切の痛みも感じないことに不思議そうに立ち上がった夜宵が、周囲を見回す。そこを通りがかっていた住人であろう人達がこちらをじっと見ていた。誰も彼も見た事ない顔ぶれであり、気まずい空気が流れている。
「えっ、と……どうも?」
なにがなんだかわからず、困惑が隠しきれない夜宵の頭の上に何か硬いものが降ってきて前に落ちる。
「これは……千里の、バッグ?」
面識がある故、すぐに誰のものかが特定できた。手に持って夜宵は手でぐるっと回して確認する。
その時、遠くから誰かが揉めている声が聞こえてきた。次から次へと何が起こってるのか分からないまま、夜宵はバッグを肩から下げ、その声の元へと走る。
「なあわかるだろ?なにもしなけりゃ火傷もしないからさ?」
「そうそう、ボクらにちょーっと貸してくれるだけでいいからさぁ」
「……お主たちのようなものに渡すものなどない」
家と家の僅かな隙間を抜けると、赤と黒の二色しかない服と髪をした人と、薄肌色の地味な色合いの人が、緑髪の人を取り囲んでいる。実際にはあまり見ないような構図だが、明らかに恐喝をしている場面だ。
夜宵は恐れず赤と黒の人の後ろに近づき、もしもしと肩を叩いた。「あん?」と言いながらまんまと振り向いたところを、夜宵は頭を振りかぶり頭突きをお見舞いした。
相手は大きくよろめいて、顔を抑えて悶える。それを見た地味な色合いの人物はまるでなってないヨレヨレのパンチを夜宵に向けて放ったが、体を捻って回避し、がら空きの脛に蹴りを入れた。急所を的確に蹴られて悶えているその人物に向け、かかってこいと挑発をする。
「ちぃ……!一旦引くぞ!鼻血が止まらない!!」
「覚えとけよ!あぁスネが痛い……!」
今にも転びそうな、前のめりでフラフラな逃げ方をしていく。
「……助太刀、感謝する。黒髪の男」
「いいの……私女だわ!」
「えっ」
もしもしと声を出したのが聞こえてなかったのか、本気で男と思われていたようで「すまぬ!」と謝られた。
「いや別にいいのよ……ぶっちゃけ慣れてるし。それよりあんた、なんであんな……えっ、と……へなちょこに絡まれてたの?」
言葉を選ぼうとしたが、寄って集って脅してたのにも関わらずなってない戦い方を見て何も浮かばなかった。
「ああ、それは……」
緑髪の女性が腰に手を当てると、目を丸くして腰周りを見た後、周囲の地べたを見回す。
「な、ない……!拙者の道具がない!!」
「ど、道具?」
「あ、説明が足りなかったな……」
コホンと咳払いをした後、冷静さを取り戻してから説明を続けた。
「拙者はこの町に住む忍者……というのは知ってるか?」
「ごめん知らない、そもそも忍者を始めてみたけどあんたすっごい目立つわよ。忍ぶ者と書いて忍者のくせに緑て」
「そ、そうか?そんなことは……それに忍者とは……いやとにかく!拙者のような忍者には七つの道具を使い役割を持っているんだ。……今となっては拙者だけだが」
「……つまりそれをあいつらに盗まれたわけ?」
いや。と首を振って否定した。
「盗まれる前にお主が来たからな」
「じゃあ無くした?」
「肌身離さず持っている。眼鏡がないと生活できない者のようにな」
「聞いたこともないわよそんな人……えー?じゃあ……思い込み?」
「そんなわけなかろう!?」
「じょ、冗談だから……」
ただ、本人にも思い当たりがないとなるとどうしようもない。頭を掻きながら夜宵は周囲を見回すと、何かを抱えて走っている人物が見えた……背中に羽が生えているのにも関わらず使わないまま。
「……怪しいわね」
背をかがめてその場に土煙だけを残して走る。それに気づいたようで、抱えているものをまさぐった後、なにかを放り投げた。
それに疑問を持つ間も無く、すぐに答えが転がってきた。
「ッたァ!?」
あと数歩で手が届くその時、足裏に激痛が走り盛大に顔から転ぶ。
「だ、大丈夫か!?盛大に転んだが……」
「な、なに……?なんなの……!?」
緑髪の女性がすぐにあとを追いかけて、転んだ夜宵に声をかけた。上手いこと立ち上がれず、座ったままヒリヒリと痛む足裏を見ると、尖った石のようなものが靴を貫通して突き刺さっていた。
「撒菱……拙者の道具だ」
「あんたの七つ道具!?」
「いや、忍者がいざとなった時に持ってる必須の道具だ」
「違うのかよ!」
幸い、素足までは貫通はしておらず、抜く際に特に酷い痛みはなかった。
しかし、七つの道具が入っているであろうものは持ち去られてしまった。
「……あんた追いかけたらよかったんじゃないの?」
「……あ」
「あんたもしかしなくてもアホでしょ」
「す、すまぬ、主の心配が勝ってしまい……」
「ごめん。アホなんて言って。私の姉妹と似てやさし……」
ふとハッとした夜宵が立ち上がってもう一度周囲を見渡した。
「そうだ、光夢は!?あの時、あれに飲み込まれて……それで……」
「む?なにか大切な友人がいるのか?」
「友人っていうか唯一無二の家族っていうか……」
「ならそっちを先にすべきだろう。拙者の七つ道具はあとから回収しても……」
緑髪の女性は突然、言葉に詰まった。夜宵は耳をピクッと動かして首を傾げる。
「……すまぬ、やはり拙者の七つの道具を優先してもいいだろうか……」
「え?どうして……」
「忍者でありながら、その、体術には疎い上に武器の殆ども盗人が持っていったものに入ってしまっていて……」
「え……スペアとかないの?」
「ない」
清々しいほどにキッパリと答える。思わず夜宵は天を仰いだ。すると、緑髪の女性は夜宵の肩に掴みかかり激しく揺らしながら言い訳をし始めた。
「ち、違うのだ!そうすればほら、すぐに取り出せるわけで!こちらの要件が終わればすぐにお主の手伝いをすると約束する!」
「わかった、わかったから!まぁ、あいつもすぐへばるような奴じゃないし、きっと大丈夫……だと思う」
「感謝してもしきれぬ……そうだ。まだ名を名乗ってなかったな」
夜宵の肩から手を放し、緑髪の女性は自身の胸に手を当てて名乗り始めた。
「拙者は七人の飛蝗が一人、『伺見 出破』だ」
「私は黒咲夜宵……うぇ、気持ち悪」
激しく揺らされてたのが今になって響き、吐き気を催す。
「派閥はあるのか?」
「は、派閥?……あー、なに?七人の不幸とかなんとかっていう」
「七人の飛蝗だ」
「そうそれ。……いや、そんなのないしまずあんたのそれは派閥なの?」
「かっこいいと思って拙者が勝手にそう言ってるだけだ」
出破と名乗ったその自称忍者の話の意味のわからなさに、夜宵は息を吸った後片手で頭を抱え、さっきの吐き気と共に頭痛まで現れそうになった。
「えー、じゃあもう妖怪とかでいいわよ。別に間違いじゃないし」
「……?よう、かい?」
「なんでピンと来てないのよ!あんた忍者とか言ってたし人間なんじゃないの!?」
「何を言ってるんだ。拙者は人間では無いぞ?」
え?と疑問を返した時、ふと夜宵はさっきの羽が生えていた人物を思い出した。あの人物の背中に生えていたのは確かに四枚のトンボのような羽だった。
「まさか、姿こそ違うけど……ここって虫だらけの町なの……?」
「ほう、勘が鋭いな!ここは正しく人間で言う虫の住む町、『時雨里』だ」
「し、しぐれざと?」
見たこともなければ、一度たりとも聞いたことがない。出破を助けるために走っていたので、周囲の景色をあまりよく見ていなかったが、建物は藁や草をつんだような物ではなく、少しヒビが入っていたり苔むしていたりするものの石壁で作られ、屋根もしっかりとした瓦などを使っており、まるで人が建てたようなものばかりだった。
しかしその町をゆく人々の容姿を見ると、羽が生えているものが多い。
「……そんなに珍しいのか?」
「珍しいってかなんていうか……」
夜宵たちが住んでいた島にも、例えば千里のような人の姿をした虫はいたが、皆が皆、人の姿をしていた訳ではなかった。この時雨里には人の姿はあれど他の生き物の姿が見られない。あのよく見かける、六本ほどの足のある一般的な虫、チョウチョやトンボすら飛んでいない。
「本当なら拙者がこの町を案内したいところではあるが……」
「そういやそれどころじゃなかったわね!?あいつどこに逃げたのかしら……出破は心当たりとかないの?」
「……ない」
「ぶっちゃけそんなことだろうとは思ってた。こうなったら聞き込みするなりなんなりして、手当り次第探すしかないわね。もしかしたら、光夢らしい姿を見た人もいるかもだし……」
あの時の謎の渦のようなものもなく、変わらない青い空をふと眺め、夜宵は光夢の無事を祈りながら出破と共に、流れで時雨里の中に居る盗人を探しに向かうことにした。