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    ya_so_yan

    @ya_so_yan

    9割文章のみです。勢いで書いたものを置いておきたい。後でピクシブに移すことが多いです。

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    ya_so_yan

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    冬のピスリシュピス。体調に気をつけて。
    (※ちょっと薄暗いです)

    シンドローム ケホ、と乾いた音が聞こえて、アイリッシュは素早い身のこなしでベッドに歩み寄る。
    「オヤジ、大丈夫か」
    「やれやれ……心配しすぎだよ」
     ヘッドボードに枕を立てかけ、そこへ背中を預けて本を読んでいたピスコは、長身を屈めて覗き込んでくるアイリッシュに苦笑した。
     ゆったりとしたナイトウェアをまとう肩は、スーツ姿の時よりも小さく見える。アイリッシュはその肩に、そっとカーディガンを羽織らせた。温度も湿度も快適に整えられた寝室で、大袈裟だと揶揄されるのを承知のうえで。
    「喉が乾燥するとよくねぇよ。また紅茶を淹れてくる」
    「そろそろブランデーでも飲みたいところだがね」
    「ダメに決まってんだろ」
     即、却下され、ピスコはしかし気を悪くするどころか、柔らかく笑い声を立てた。日頃は滅多に己の意に逆らわない息子のような男が、太い眉を吊り上げぴしゃりと叱咤してきたのが、愉快だったらしい。
    「まったく……」
     人の気も知らないで、とアイリッシュは口をへの字に曲げた。

     ここ数日、ピスコは体調を崩している。
     重篤な病ではなく、少し風邪をこじらせた程度のこと。それでも、権力上の駆け引きを主な仕事とする彼は、他者にどんな弱味も見せるわけにはいかない。高齢であることも踏まえ、しばらく静養を取っていた。
     付きっきりでいたかったアイリッシュだが、ピスコのそばに付き従うだけが仕事ではない。単独の任務をこなす間も、油断するとベッドで寝込んだ父親代わりの男の姿が頭に浮かんでしまう。内心気が気ではないのをジンに見抜かれ、いつまで親離れできないのかと揶揄されて、危うく手が出そうになった(ウォッカの仲裁でその場は身を引いたが)。
     任務を終えると、必ずピスコを訪ねた。邸宅には信用を置ける数少ない使用人がいるものの、思ったよりも動けているようで、身の回りのことは自力でこなしていた。
     それでも、アイリッシュはピスコをベッドに押し込んで、半ば強引に世話を焼いた。

     深夜のキッチンで紅茶を準備しながら、溜息をつく。
     湯の温度、茶葉を蒸らす時間なども、ピスコから叩き込まれた作法のひとつだ。
     彼の好むように紅茶を淹れること――実際のところ、彼のために出来ることは、これくらいしかない。
     ピスコはそれほど深刻な症状に苦しんでいるわけではない。急激な冷え込みと激務が重なって、体力を失っただけのこと。
     だが、寒さに体力を奪われてしまうという事実は、ピスコの老いを否応なく突きつける。
     “桝山会長”を演じる時には敢えて老人らしさを装うが、本来の彼はその毅然とした立ち振る舞いと気迫で、およそ年齢を感じさせない。しかし事実として彼の肉体は老いている。今回、それを思い知る。
     ピスコが好む品のいい香りがふわりと漂ってくる中、アイリッシュは項垂れた。

    「お待たせ致しました、ご主人様」
     寝室に一歩戻るや、アイリッシュは憂いを悟らせまいと、わざとおどけてみせた。
    「おや、気の利く執事バトラーが戻ってきた」
     面白がって調子を合わせてくるピスコに内心安堵しつつ、サイドテーブルにトレイを置いて、ティーカップに紅茶を注ぐ。武骨なアイリッシュの手が、繊細に動く。
     ソーサーごと手渡すと、ピスコはカップを持ち上げ、香りを確かめてから口をつけた。
     口髭の下から、ほうっと吐息が溢れる。
    「お前が淹れてくれる紅茶が、どんな薬よりよく効くよ」
     穏やかに目を細めながらそんなことを言われて、単純にも舞い上がりそうになるのをぐっと堪え、あくまで軽口のうちとして扱うことにした。
    「そりゃあいい。早く元気になれよな、オヤジ」
     ……俺には、こんなことしかできねぇけど。
     そう小声で付け足したのを聞き逃さず、ピスコの片眉がぴくりと跳ねる。
    「アイリッシュ……何を言っているのかね」
     膝に乗せたソーサーにカップを戻し、男は自身を父と慕う若者へ手を伸ばした。
     乾いた掌が、アイリッシュの頬を撫でる。
    「私が弱りきらずに済んでいるのは、なぜだと思っている?」
     彼の手のぬくもりを与えられながら、思慮深い眼差しにじっと見つめられて、アイリッシュは相槌も打てなくなる。
    「息子に弱ったところなど見せたくないという、意地だよ」
     答えながら、ピスコは微かに苦笑した。おとなげないだろう、とばかりに。
    「お前がいるから、私は踏ん張れるんだ」
     アイリッシュの頬を撫で下ろした掌を広い肩に置き、ぽんぽんと優しく叩いてから、ピスコは自身の膝へ手を引っ込める。
    「それに、ここまで私好みの紅茶を淹れられるのは、お前だけだよ」
     そう言って、再びカップを持ち上げる筋張った指を見つめながら、アイリッシュは拳を握った。
     もちろん、心底嬉しい言葉だ。しかし――
    (……それじゃあ、俺はいるだけでいいってことになるじゃねぇか)

     老いによる肉体の衰弱は、避けられないだろう。
     けれど、まだ致命的ではない。ピスコはまだそこまで弱ってはいない。
     もう数日休めば、彼は一人でも立ち直る。強い男だ。
     今回に限ったことではない。彼は、どのような局面も己の力で乗り越えてきた。ある時は権力を駆使し、ある時は不屈の精神で――でなければ、表社会でも裏社会でも、現在の地位を築けはしない。
     未熟な若造の助けなど、必要としていない。いつもそうだ。

     けれど、彼がもっと弱れば……
     その時、ピスコが必要とするのは――

    (何考えてんだよ、俺は……!)
     仄暗い、浅ましい願望に、アイリッシュは頭を抱えたくなるのを堪えて、ピスコに悟られぬよう唇を噛み締めた。

     病んでいるのは、きっと自分の方なのだと。
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