「君の故郷の話が聞きたい(下)」
跳躍装置を備える宇宙船は大型で、スイートなこともあり客室は上等だった。レバリーと同等、とまではいかないが、キッチンまでも併設されている。
その部屋の大きなベッドの端っこで小さくなって丸まっているのが今のアベンチュリンだ。
ブランケットを肩の上まで引き上げた。クシュン、とくしゃみが出る。
アベンチュリンの口に体温計を突っ込み、無慈悲に引き抜いたレイシオは「まあ風邪だな、普通に」と言った。
「丈夫な方だと思っていたんだけどな……」
「長いこと濡れたままでいたせいだ。……何か食べたいものは」
「何もない……」
ひどい鼻声。少し耳も遠いように思う。海鳴りのような音が、前よりはっきりと聞こえる。頭が痛い。寝ているのにグラグラする。喋ると喉と鼻と目の奥が熱かった。
「胃に何でもいいから入れないと薬を飲ませられないんだが」
「……じゃあ、お姉ちゃんの作ったスープ」
CHAPTER4:―料理―
「……」
レイシオは黙り込んだ。
アベンチュリンはゆっくりと瞬きをした。失言だったな、と思う。目が潤んでいて、薄く張った涙の膜すら熱い。
「……ごめん、忘れて。子供っぽいワガママ言った」
ふん、とレイシオは鼻を鳴らす。
「……冗談、と言うなら無視するところだったが、我儘なら仕方ない。君の姉のスープのレシピを言え。作ってやる」
アベンチュリンはブランケットをはねのけ、ガバッと起き上がった。
「作ってくれんの!? ってか君、料理できんの!?」
「寝てろ!!!」
「いっった!!」
指の関節で額を突かれたアベンチュリンはベッドに沈んだ。
レイシオが乱れたブランケットを掛けなおした。
レシピ。熱でふわふわして思考が拡散する脳で考えr。
もう遠くにいってしまった思い出だから、どんなんだったか。
アベンチュリンは額をさすりながら言う。
「レシピは……、えっとね……水」
「ああ、それは分かっている」
「豆……なくてもいい」
「何豆だ」
「知らない。そこにあるもの」
レイシオは溜息をつく。
「……それから?」
「草」
「……草?」
「これも、そこにある適当な草だよ。ないこともある」
「……で?」
「塩、以上」
「以上!?」
「声でっか。貧しい星はこんなものだよ。豆があるのは相当豪華な食事だ」
胡乱げにレイシオが言う。
「味はどうなんだ、それは」
「むしろこの材料から美味しいものを作れると思う? それは料理じゃなくて錬金術だね。君風に言うのなら『料理は栄養の摂取形態の一つにすぎない』」
「僕は生活に重きを置いている方だからそんなことは言わない」
少し待っていろ、と言ってレイシオが立つ。
アベンチュリンは目を閉じて浅い眠りをとろとろと揺蕩った。
受話器を上げる音、レイシオが何かを言っている。しばらくしてドアが開く音。ああ、食堂車のほうに材料を頼んだのかな。トントン、と規則的な音。それは何だか分からなかった。
耳鳴りのように、ごうごうと音がする。夢境から目覚めた時からずっと。風か海の音のようだと思っていたが、目を閉じると、いつもより鮮明に聞こえた。
(……大声で呼んでるみたいだ)
耳を澄ますより先に、インクが紙にじんわりと染みるようにアベンチュリンの意識は溶けた。
「……君、起きてるか? 眠いなら後にするか?」
レイシオの、普段より数段落ち着いた声で目を開ける。
「寝てた……」
「薬なしでも穏やかに眠れるのなら寝ていても構わない。後で目が覚めた時に食べたらいい」
「ううん、今食べる……」
身体を起こし、背にクッションを挟む。全身が気怠く、頭がぐらぐらした。
力の入らない手でスープをすくい、こぼさないようゆっくりと口に運ぶ。
はたと目を見開いた。レイシオを見上げて言う。
「……冷ましてくれたんだ」
「当然だ。君は起きるのも辛そうだった。口はよく回っていたが。熱も高い。食べたらもう一度寝るといい」
「うん……。ありがとう……」
言うなり、ぼたぼたと涙が溢れた。
スープをこぼしてしまいそうで、慌ててサイドテーブルに置いた。身体を丸め、抱きかかえるようにした膝に熱い目元を押し付ける。狭まった気道からくぐもった音が出た。
姉もそうだった。かわいいカカワーシャが火傷しないようにね、と念入りに冷まして。甘ったれな弟を、そのまま甘やかす人だった。
嗚咽が漏れる。
(レイシオ、困ってるだろうな)
いい大人が突然泣き出して。それでも、どうしても涙が止まらない。
「……背を、さすったほうがいいだろうか」
あまりに意外な言葉に泣きぬれた顔を上げると、レイシオは手を中途半端に浮かせて視線を彷徨わせていた。
アベンチュリンは声をあげて笑って鼻を啜った。
「大丈夫だよ。ちょっと、ホントにまずくてびっくりしただけ」
「泣くほどか」
「うん」
レイシオは言いたいことを煮詰めて飲み下したような顔で「そうか」と呟いた。
そうやって、引かれた不可視の線にちゃんと気づいて、無理やりに乗り越えようとしない。向こう側にいてくれる。どこまでも人格者で安心した。
「姉のスープとは似ていたか」
「全然似てない! ベクトルの違うまずさだ」
「だろうな。缶詰の豆に、食用の葉野菜だ。君の知っている味とは似つかないだろう」
「でも嬉しいよ、ありがとう、教授」
味は全然違う。それでも、レイシオは、アベンチュリンのためにスープを作ってくれる人で、冷ます手間をとってくれる人だ。
アベンチュリンに、そこまでする価値を見出してくれる人だ。
それが、涙が出てしまうほどに。
味気ないスープを飲んで、空の皿をレイシオに渡す。
涙の余韻を拭い去るように微笑んで、膝を抱えて、レイシオに言う。
「ツガンニヤに着いたらさ、そこのもので僕が作ってあげるよ」
「……まずいんだろう」
「まずいけども!」