遠くで断続的に銃声がする。ステーションのロビーのガラスがビリビリと震えた。
この星の玄関であるこの国は、二年前から内戦中だ。ガウディ人とボニタス人が、国会の議席数を巡る討論から始まり、暴動に至り、今は星での生存をかけて争っているのだという。
かつてはステーションの周囲も戦場だったが、交渉の末、今はステーションを中心とした半径3キロメートル圏内は武装禁止の緩衝地帯になっている。しかしそこを出れば市街戦が繰り広げられている。ボロボロになった家屋が、着陸する前から見えた。
アベンチュリンは肩をすくめた。
「ここを介さないとツガンニヤに行けないなんて終わってるね。いや、ツガンニヤに近いからこんな情勢なのかな」
「他星の介入が難しい地域、ということだ。……乗り換え便までさほど時間がない。今回は外に出ないほうがいいな」
「時間がない? 六システム時間あるだろ。君、いつもなら『見分を広めるべきだ』だの『無教養を正せ』だの言うくせに」
「この星はあまり君に見せるべきではないし、……見るとつらいだろう」
「へえ、そんな感性あるんだ。でも見るよ。見るべきだろう、僕は」
正面出口から外に出ると、生ぬるく埃っぽい風が頬を撫でた。うっすらと硝煙の臭いがする。
見える範囲でも瓦礫が散らばっていて、戦場だった頃の余韻が残っている。
「お兄さんたち!」
幼い少女の声。顔を向けると、七、八歳くらいの少女が手を振っていた。
「……彼女は何人?」
アベンチュリンがレイシオに小声で問う。
「ガウディ人とボニタス人の容姿に違いはない」
「じゃ、何が違うの? 宗教?」
「それも同じだ」
「……何が違うの?」
「さあ。彼らの中では何かが決定的に違うらしい。が、部外者には、同じに見える。……歴史的にも遺伝子的にも、実は彼らは同一人種のはずなんだが」
「……あまり深堀しないほうがよさそうな話題だね」
駆け寄ってきた少女が言う。
「観光案内なら私に任せて!」
「か、観光……?」
「そう! 緩衝地帯の案内をします! 地元なのでとっても詳しいですよ。お代は5000信用ポイントいただきます」
少女は痩せた腕をぶんぶんと振り自分を売り込む。黒髪のおさげが一緒にぴょこぴょこと跳ねた。
レイシオに視線をやると、好きにしろという風に視線を逸らした。
こんな土地での観光案内など怪しいにも程がある。が、何か問題に巻き込まれても、少女一人程度の力じゃたかが知れている。問題はないだろう、と好奇心が勝ってしまった。
「それじゃあ、お願いしようかな。僕はアベンチュリン。こちらの気難しそうなのがレイシオ」
アベンチュリンは手を差し出す。
「はい! 私はボニタス人のゾーイといいま……めっちゃ透けてる!?」
地面が透けて見えるアベンチュリンの手を二度見したゾーイは悲鳴をあげた。
もう見慣れてしまったが、そういえば自分は随分透けていた。実害がないから忘れがちだが。後ろでレイシオが深い溜息をついている。
「え、え~~……お兄さん大丈夫ですか!?」
「あー、大丈夫大丈夫、そういう種族ってことで、ね? はい握手~」
「ひょえ~~……」
ゾーイは瓦礫をぴょんぴょんと軽やかに飛び越えながら喋る。
「右手に見えますのが学校です。戦争が始まるまでは沢山の子供が通っていました。ガウディ人のミサイルが一番最初に狙ったのがここでした。なんて卑劣! 私たちから教育を取り上げるなんて!」
教え込まれたような硬い口調だ。ゾーイはよく意味を分かっていないらしく、言葉が上滑りしている。
そう言うように大人に仕込まれているのだろう。天外から来た者がボニタス人に同情するように。
そして、きっと彼女はそのことを知らない。ただ忠実に、大人たちに頼まれたからセリフを言うだけだし、星の外の者に親切心で案内をしているつもりなのだろう。いい子だ。苦しいほどに。
「……ゾーイ、君は道に慣れているかもだけど、僕はちょっと転んでしまいそうだ。手を繋いでもらってもいいかな」
「はい、もちろん! レイシオさんは大丈夫ですか? 手を繋ぎましょうか? それとも、ゆっくり歩きますか?」
「僕は大丈夫だ。ありがとう、ゾーイ」
ゾーイの小さな右手を取ったアベンチュリンは彼女に問う。
「君もここに通っていたのかな」
「私は通ってないです。入学前に戦争が始まっちゃって。今は屋根のない学校に行ってます」
「そっか」
「卒業までに戦争が終わるといいなって思います。 あ、今の学校も悪くないんですけどね!」
ゾーイは再び固い口調に戻り、続ける。
「この辺りは文教地区でした。あそこは、博物館でした。ガウディ人が火を放って、我々の歴史は灰燼に帰しました」
あそこは、あそこは、とゾーイは次々に指をさす。その全てにガウディ人の悪行の痕跡があるという。
「そして、あの、大きな穴の開いているのが、私の生家です」
ゾーイの指の先には、二階部分に砲撃を受けた家があった。風雨に晒され傷んで色あせたベッドが見える。
「お隣が、逆賊の家です」
「……逆賊?」
「ガウディ人のことを、そうも呼ぶんですよ」
ゾーイ家の隣家も、砲撃の煽りを受け屋根が剥がれかけていた。
「……そんな仲なのに、君たちはお隣に住んでいたんだね」
「戦争が始まるまでの話ですよ」
「……」
アベンチュリンはしゃがみこみ、ゾーイと目を合わせた。
「もし……もし君が嫌じゃなければ、君とお隣さんの話をもう少し聞きたいんだけど大丈夫?」
彼女がこの戦争で親しい人を亡くしているのならば辛い記憶に無遠慮に触れることになってしまう。確かめると、ゾーイはきょとんとした顔で頷いた。
「戦争が始まるまではお隣さんと仲は良かった?」
「はい。七つ上のお兄さんが住んでいて、本を読んでもらったり、一緒に晩御飯を食べたりしていました」
「君のお父さんやお母さんもお隣さんと仲が良かったのかな?」
「はい、昔は。……今は嫌いなのかも」
「どうしてそう思うの?」
「悪口をたくさん言うから。全部ガウディ人の奸計? だったって」
「そっか……」
アベンチュリンはゾーイの小さくて痩せた手を握る。ゾーイは——おそらく幼いために、アベンチュリンの持つ瞳が何者の証拠なのかを知らないのだろう。「お兄さんの目、宝石みたいでかっこいいですね」と無邪気に言った。
「ゾーイ。君はガウディ人のことをどう思ってる?」
「悪いやつ。……えっと、ガウディ人は裏切り者の蛇で、私たちの善意を食い物にして……」
「……それは、本当の話?」
「お父さんとか先生とかが言ってた。だから、本当だよ」
「ガウディ人と関わる中で、君が(・・)そう思ったの?」
ゾーイは首を振った。お兄ちゃんはいい人だったよ、とポツリと言う。
「でも、ガウディ人は悪いやつって大人はみんな言うよ。だから、それが本当なんでしょ? 私もお兄ちゃんのこと、ちゃんと嫌いになったよ」
「……なるほどね」
CHAPTER5:―歴史―
発着場に戻り、ガラガラのロビーのソファに腰かけた。
アベンチュリンは前かがみになって額に手を当てた。
「レイシオ、君の言っていた意味がよ~く分かったよ。戦場を見るのは平気だけれど、“これ”はずっとしんどいね」
「まだ時間はある」
レイシオがガラスの向こうの外を指す。くたびれたジャケットを着て、痩せた脚を半ズボンから覗かせた十五歳ほどの少年がニコリと笑って礼をした。
「ガウディ人の子供もお前を“洗脳”したそうだが」
「直接的な物言いをするねレイシオ!」
ガラス越しに手を振って断る。
レイシオに尋ねる。
「僕に一切の遠慮をせずに教えてほしい。聞きたいことがあるんだ」
「ああ、聞こう」
「カティカ人は残忍で、人を食う野蛮な民族だ」
「……」
「エヴィキン人は、狡猾で盗人で、負け犬で、容姿しか取り柄のない宇宙の恥晒し。落伍者だ」
「……」
「……と、言われているが、そんなことはない。だって、僕がその証明だ。自分のことはよく分かっている。僕はロクでもない気の狂ったギャンブラーかもしれないが、少なくとも、民族ひっくるめて誹りを受ける謂れはない。……それで、レイシオ」
胸の布地をぐっと握り締める手が、透けている。息を吸って、吐く。身体が震えている。レイシオの赤い瞳を睨むように、縋るように見た。
「……じゃあ、カティカ人は、本当に、残忍で人を食う野蛮な民族なんだろうか」
レイシオの瞳は冷たい。いつも通り。
彼は絶対に正しい――それが真実かは分からないが、彼の哲学が反映された信頼するに足る――答えを返してくれる。
視線も彼の哲学も、滾々と湧き出る冷水のようで、その冷たさが好きだった。何にも拠らず、凛として。
彼の薄い唇がそっと動く。
「本当に知りたいのか」
「知りたくない。けど、知らなきゃいけない。今しかない」
「……答えはNOだ。彼らは食人文化を持たず、また特別に残忍というわけでもない。カティカ人はエヴィキン人より体格がよく、武器の扱いに長けている。肉食文化だからだ。君たち、菜食中心のエヴィキン人とは違って。それゆえに、君たちから見たら『ナイフ』だったのだろうな」
続けて大丈夫か、とレイシオが問うた。
自分は相当ひどい顔をしているらしい。耳鳴りがごうごうとうるさい。アベンチュリンは「続けて」と小さな声で言った。
「人を食う、というのは誤解だ。彼らの埋葬儀式に、遺体の上に鹿肉を並べ、それを食う、というものがある。鹿肉を死者の肉体と見做し、それを食べることで、死者の魂を自分たちの道行に連れて行く、置いていかない、という意図があるものだ。その様が、本当に人の肉を食べていると誤解され広まったに過ぎない。……と、一部では理解されている」
「…………ツガンニヤに鹿はいないから、きっとそれは山羊だね」
言葉の残骸を幾度も喉に詰まらせた末、どうにかして絞り出したのはどうでもいいことだった。
レイシオは目を瞑り、静かに「そうか」と言った。
そうだよ、と呟く。指先が冷えていて、脳の奥が痺れる感じがする。
レイシオは続ける。
「……僕はエヴィキン人にもカティカ人にも特別な思い入れはないが」
「おいウソだろ、君の隣にいる素敵なビジネスパートナーはエヴィキン人の生き残りだぞ」
「本当だ。……特別な思い入れはない。ゆえに、どちらが悪とも、どちらが善とも言わない。そこに正義なんてものがあったのかも言わない。ただ僕が言えることは、彼らは対立し、エヴィキン人(片方)は滅び……カティカ人(もう片方)も、カンパニーの手で壊滅状態になり、自然消滅する人数しか生き残っていない、ということだ。これはどのような意見も入っていない、ただの客観的な事実だ。……君が受け入れるべきは、これだけだ」
「はは、十分キツいな……」
自分を抱きしめるように身を丸める。カティカ人が残忍で、自分とは完全に別種だったらよかったのに。
母を殺したのはカティカ人だ。
姉を殺したのはカティカ人だ。
同胞を殺したのはカティカ人だ。
それは真実だ。
真実なのは、それだけだ。
皆が死んでいるせいで、どちらに神の御旗があったか答えられる者はいない。そんな旗があったのかすら。
(きっとなかったんだろうな)
せめて、自分たちが善だと信じたかった、のに。
彼らがアベンチュリンに伝えてきた言葉全てが真実だと信じたかった、のに。
涙は出ない。こんなことでは涙はもう出ない。けれど、泣けたほうが幾分マシだったに違いない。引き攣る喉で、細く息をすることしかできないこの苦しさに比べれば。
レイシオが言う。
「……鹿と山羊の齟齬があるほどに、この説は信ぴょう性がない。『そうも言われている』程度に捉えても問題はないだろう。君が誰の言葉に耳を傾けるか、どれを真実だとするかは自由だ」
「うん……。……ところでツガンニヤに詳しいね、レイシオ。君はツガンニヤについてほとんど知らないと聞いた気がするんだけどな」
「……」
「聡明なバカめ。薄々感づいてはいたけど、僕がツガンニヤの話する必要あったかな」
「それでも、君の話を聞きたいんだ。君がどう生きてきたのか。……君のことを知りたいから」
黒髪の少年がガラス越しに再度近づく。コツ、とガラスを叩き真剣な顔で何かを訴えている。彼はステーションの中に入ることはできないらしい。
レイシオとアベンチュリンは外に出た。
たれ目がちの柔和な顔をした少年はペラペラのジャケットの内側から銃を取り出した。
「!?」
「ここ緩衝地帯じゃなかったっけ!?」
二人が身構えると少年は慌てたように叫んだ。
「あっ、ごめんなさい! 違うんです!!」
少年は銃を足元に落とした。蹴って二人の近くにやる。両手を上げて敵意がないことを示す。
「これを、ボニタス人の案内人の女の子に渡してほしくて」
「ゾーイに?……爆発物か?」
数歩後退したレイシオが怪訝そうに言う。
「違います!!!」
「……もしかして、君。ゾーイが言っていた“元お隣さん”のお兄ちゃん?」
少年は頷いた。「僕はキト。ガウディ人です」と名乗る。
「ゾーイには僕が教えたんです。戦争になったら、星外から来る人相手に商売してお金を稼ぐといいって。少しでもあの子が楽に生きられるように」
「仲がよかったんだね」
「はい、とても」
キトはうっすらと微笑んだ。
「それで、君はなんでこの銃を手放すの」
「僕にはもう必要なくなったので」
少年は悲しそうに眉を下げる。
「徴兵されたんです。今度一斉攻撃をするので戦力が必要で。……兵士にはライフルが支給されるから、それはもう僕には必要ないんです」
「なぜゾーイに?」
「こういう時分は、何かに縋りたくなるでしょう? 僕はそれがこの銃……一発の弾丸が入ったこの銃だった。一発あれば、なんだってできる。こんな状況でも、僕は無限の選択肢を持っているって思い込めた。だからこれが彼女にもそうであってほしいんです」
「僕らがガウディ人からの一斉攻撃の情報を得て、それをゾーイに流さないと君は確信しているのかい?」
「いいえ。確証なんてどこにも。でも仮にその情報が流されたとして、何も変わりませんから」
それは、その攻撃がボニタス人にとってどうしようもないほど致命的であるということで。
アベンチュリンは唇を噛む。一つの民族が滅び、言葉を交わした少女は死ぬだろう。
キトはそれでも、ゾーイに選択肢をあげたいのだ。
黙りこくっていたレイシオが言う。
「……ゾーイは君の知っている子供ではなくなっている。身を守るか、あるいは尊厳を守るために使うことはない。これは彼女に選択肢を提示し得ない。ゆえに、これは渡せない」
「ちょっと、レイシオ!?」
キトを残酷なまでに真っ直ぐに見て、レイシオが冷たい声で告げる。あるいは、審判のように。
「ゾーイはこの銃で君を撃つ。絶対に」
キトは息切れしたような乾いた声で笑った。
「そうですか。……そうだろうなぁ。彼女の家族のことはよく知っています。全然悪い人じゃないんだけど。この戦争の中じゃ仕方ない話です。いつか彼女が彼女専用の弾丸を見つけられるといいんだけど」
レイシオがキトに尋ねる。
「君はこの星を出ようとは思わないのか?」
「今、出国は禁止されているんです。それに……もし、制限なく出国できたとして。僕はきっと出ません」
「なぜ」
「星を渡り歩くお仕事をされている方は忘れがちですけれど……開かれている星であっても、ほとんどの人が生まれ育った星のなかで生涯を終えます。星の外に出るのって、本当は、とても怖いことなんです」
アベンチュリンは昔を思い出す。
自分は出なければ死ぬから出た。そこからは運命に引き摺られるように星を転々とした。しかし、最初にツガンニヤを出られたのは、鮮烈な、いっそ呪いにも近い祈りがあったからだ。オブリビオニスの人々が、軽率に天外に出る選択ができなかったのも仕方ないのかもしれない。彼らが未来を展望できない愚人だからではなく。
キトが銃を指した。
「これはあなた方にあげます」
「ううん、僕らは別にいらな……」
キトが、アベンチュリンの瞳を見てゆっくり首を振り、微笑んだ。兵士になるとはとても思えない、柔和な笑み。それでも、この子は人を殺すことを強いられる。
「あなたは、“たった一発の弾丸”の価値をよく分かっているでしょうから」
「っ!」
ツガンニヤと同じ星系にあるこの星の民だ。幼いゾーイは知らなくても、キトは当然エヴィキン人のことを、その悪名を知っているのだろう。しかし、彼は何も言わなかった。
「君は……」
アベンチュリンが尋ねる。
「兵士になった君は、目の前にいるのがゾーイでも撃てる?」
「はい」
微笑んでキトは言う。
「それはなぜ?」
「僕が僕の銃を捨て、国の銃を取ったからです。僕が、彼女のお隣のお兄ちゃんから、ガウディ人の兵士になるからです」
——彼は……とても聡明な彼は、この星の戦争の愚かさにも気づいているに違いない、とアベンチュリンは思った。
そして、それでも彼は彼自身の銃を捨て。
選択肢を提示し得ない残酷な銃を握らねばならない。
キトが去った後、アベンチュリンはレイシオに尋ねる。
「君は弾丸一つで何ができると思う?」
「……なんでも。彼と同意見だ。君は今、なんでもできる。星を滅ぼす戦争を始めることも、人生を終わらせることも、そして、引き金を引かないことも」
「……君の弾丸は、その脳だね。しかも一発じゃない」
「ああ。君は?」
アベンチュリンは黙り込んだ。
(僕には、何が選択肢を提示してくれただろうか。何を手にしていた?)
地母神の祝福? 違う、それは僕が望んで手に入れたものじゃないし、望むと望まざると関係なく、いっそ暴力的に何かをもたらした。僕が望んだ道を指し示してはくれなかった。冷たい指に示された道を、僕の進む道としただけで。
黙り込んだアベンチュリンは、ゆっくり銃を掲げた。
「……今、初めて手に入れたよ」
蹲るアベンチュリン。手の中に宇宙がある。それは、とても。
「怖いね」
「それでも捨てるな」
「……うん」
「さあ、立て。そろそろ船の時間だ」
船に乗り込む。離陸する。
「大攻勢があるってさあ、彼らはどうなるかな」
「彼らの人生を生きるだけだ」
「だよねぇ……」