君よ、灰になんてなるな。 ギィ……ン! と鈍い音を立て剣が弾かれた。
かろうじて取り落とさなかったが、右手がジンジンと痺れている。ガイアは鋭く舌打ちをした。
膝を緩め、腰を軽く落とし、剣を構えなおす。ふ、と息を吐いて相手を見据える。
ただのヒルチャールだ。炭を塗ったかのように黒い皮膚。手足は枯れ木のように細く、背を丸めてギャアギャアと喚いて威嚇している。
しかし、妙だ。
いつもは戦術もへったくれもなく、まるでそれしか知らないかのように突撃してくる。その攻撃はあまりに単調で、対処するのは容易い。
しかし、今日は。
ガイアの武器を落とそうとした。
その技には覚えがある。千岩軍の連中の決まり手だ。数度軍事演習をしたときに嫌と言うほどくらったから間違いない。身体が覚えている。
考える隙を与えないつもりか、再びヒルチャールが飛び掛かってくる。
重力に任せ、棍棒が渾身の力で振り下ろされる。
到底、痺れた片手では受けられない。両手で剣を握り直し右下へと受け流す。
息をつく間もなく、一合、二合と打ち合わせる。
衝撃で肩の関節が悲鳴をあげている。ガイアはぐ、と唇を噛みしめた。
(——コイツ、剣を折るつもりか⁉)
冷や汗が頬を伝った。
武器破壊も千岩軍の十八番だ。同じところを執拗に叩き、剣を砕く。生きたまま相手を捕らえる術。宝盗団の活動が活発な璃月では必須の技だ、と。
(しかし……なぜそれをヒルチャールが⁉)
奇妙なほど澄んだ音を立て、剣が半ばから砕けた。
「ッ……!」
体勢が崩れ、前のめりになり膝をつく。
ゴウッと空気を切り裂いて頭のすぐ上を棍棒が掠めた。
ヒュウと口笛を吹く。命拾いした。剣が保っていれば肋骨が砕けていたところだ。
折れた剣を見遣る。使い物になりそうにない。
ならば。
空中に右手を滑らせる。
大気中の水分を凝集させ、凍結。
ぐ、と握り締めた手には、歪な錐のような氷柱があった。
地面を蹴り、ヒルチャールに切迫する。勢いのまま気管を刺し貫く。
声帯も潰れたのか、舌を出し痙攣したヒルチャールは声もなく頽れた。
ガイアは一息吐き、負傷具合を確認する。肩はじりじりと痛むが、骨は折れていないし、関節も外れていない。妙なヒルチャールに相対したにしては上出来だ。
「しっかし……一体なんだったんだ?」
槍と棍棒。武器は違えど、その型は、戦法は。千岩軍そっくりだった。
しかも、武器の破壊を狙っていた。
つまり、このヒルチャールは、ガイアを生きたまま無力化しようとしていた。
それほどの知能が怪物(ヒルチャール)にあるのかは甚だ疑問だが、理由の分からない行為はひたすらに気味が悪い。
「まあ、俺のきのせいだったらいいが……」
折れた剣を拾い上げる。中間から砕け、もう直せそうにない。一度熔かして打ち直すしかなさそうだ。騎士団の予算はカツカツなのに、果たして騎兵隊長の失態に補填はあるだろうか。自腹で、と言われそうで嫌だ。
ヒルチャールの喉に突き刺した氷剣を見る。
脆いうえ、氷元素使いであっても、そうほいほい作り出せるものではない。あくまでその場しのぎのもので、あまり実用性はない。
おとなしく備品の破損届を出して、ジンとリサの小言を聞き流すしかない。
体温で既に溶け始めた氷剣は、ヒルチャールの喉から流れ出る血を薄めながら、地面に広げている。
ガイアははた、と瞬きをした。
なぜ死体が残っている⁉
ひゅ、と喉が嫌な風に鳴る。
ヒルチャールは、殺せば、その死体は光にほどけて失せるはずだ。それなのに、なぜ。
ガイアは再び氷剣を形作った。周囲の温度がぐっと下がる。吐いた息が白い。涙の膜が凍りかけ、睫毛に霜が降りる。視界を遮るそれを指先で払い落とし、ヒルチャールを注視した。
まだ息がある? まさか。確かに己の剣は喉を刺し貫いた。間違いなく致命傷だった。
一歩、二歩、倒れたヒルチャールに近づく。ピクリとも動かない。絶命している。
(やっぱり、コイツは他のとは何かが違うのか……?)
屈んでつぶさに観察する。
体格も、装備も、これといった特徴はない。残るは仮面に覆われた顔貌だ。
普通のヒルチャールはすぐに光の粒となって空気に溶けてしまうしまうから、ガイアはその下を知らない。
仮面に左手をかける。留め具を外し、ゆっくりと持ち上げる。
「ガイア隊長!」
後ろから声を掛けられ肩が跳ねた。仮面から手を放し振り返る。部下のアイザックだ。握ったままだった氷剣を放す。
「どうした? 何か進展があったか?」
はい、と顔を歪ませた彼が頷いた。急いたように続ける。
「アランが、見つかりました。死体で……いえ、その、見ていただけますか」
「……死んでいたか。残念だ」
悼むために剣を抜こうとして手を腰に添えて気づく。自分の剣は半分に折れて向こうに転がっている。
アイザックも気づいたようで、「派手にやりましたね」と苦笑した。自分の帯剣ベルトの金具を外し、ガイアに渡す。
「俺のを使ってください」
「お前はどうするんだ」
「大丈夫ですよ。上官が帯剣していないのは締まらないでしょ。俺だって一応神の目はありますし、隊長に守ってもらいますから」
「責任重大だな」
ガイアは剣を受け取る。胸の前に掲げ、死んだアランのために僅かに祈った。氷元素の影響が残って未だ真冬のように冷たい風が髪を揺らした。
「……それで、どこかおかしいところでもあったのか? ただ死んでいたってわけじゃなさそうだな?」
「はい……」
アイザックは神妙に頷く。
「見ていただかないと分からないと思うのですが……」
十年以上騎士団にいれば死体も見慣れる。獣に食い荒らされた流浪の旅人だって見た。アランも、そういった口に出すのが憚られるような損傷をしているのだろうと思っていた。
幌布の上に横たえられたアランを見て、ガイアは言葉を失った。
思いの外綺麗な姿だった。太腿が大きく避け、ぬらぬらとした肉と嘘みたいに白い骨が覗いている。胸元は乾いた血で赤黒く染まっている。
「あそこに横たわっていました」
アイザックが細かに震える指で低木の藪を指す。
血だまりがあり、そこに血でできた一本の線が伸びている。
下手人は、大方、大腿を狙って機動力を削ぎ、放っておいても死んだだろうに、蛇のように執拗に追い詰めて胸を一突きした。そんなところだろう。
その点でおかしなところはない。
しかし、奇妙なのはその右腕だった。
アランの体格に釣り合わない、枯れ枝のように細い腕。何より、皮膚が黒く、ハリがなく萎びている。それはどこか、スメールの古代の埋葬法(ミイラ)を思い起こさせる。
その腕には見覚えがあった。
ヒルチャールの腕にそっくりだ。そのものだ。
ガイアは眉を寄せ、言葉を絞り出す。
「こりゃ……どういうことだ……?」