「好きです」
アメリカへ発つ後輩の見送りに訪れた空港で、もう間も無く飛行機に乗ろうという男から突然そんな事を言われた。
後輩──沢北栄治のことは好ましく思っていたし、一年半という月日を共にして離れ難いという気持ちはあるし、正直、好きだと言われてまんざらでもない。しかし、そう言われてまず最初に思ったことは『え? 今?』であった。
「ごめんなさい急にこんな事言って! 最後に、伝えたかっただけですから」
続くそんな言葉に、ついカチンときてしまった。言うだけ言って逃げるつもりか。もう、顔を合わせることもないし気まずくならないからと。ほろ苦い青春の思い出として、オレへの気持ちをここに置いていくつもりかと。
そうは問屋が卸さない。負けず嫌いの性分が顔を出して、試合中相手を煽る時のような気持ちで、ついその言葉を口にしてしまった。
「オレもお前のこと、好きだピョン」
沢北の顔がみるみる歪んでいって、最終的には『人って、そんな顔できるんだ』と思えるくらいのくしゃくしゃな顔で泣き出した。人間の皮膚に無限の可能性を見てしまった。
「電話します。出てくださいね。日本に帰ってくる時は連絡しますから。好きです。大好きです」
泣きすぎて何を言ってるんだかよく分からない言葉をなんとか解読して、肩をバチンと一回叩く。
「すぐ泣くピョン。今よりもっと強くなって帰ってこいピョン」
「わがってばすよお〜〜」
沢北の熱い手が背中に回って、強く抱きしめられる。暑い日だったから二人とも汗ばんでいたけれど、不思議と心地良くて、そっと頬を目の前の肩に押し付けた。
かくして、オレと沢北は恋人同士となった。
「卒業おめでとうございます! 卒業式行きたかったっすよ、もう、ちょうど試合と重なっちゃって……。あ、深津さんまた寮生活なんすよね。どんな感じすか? へぇ、あーいいなー。オレ? オレは最近料理のレパートリー増えましたよ! 次会った時食べてほしいです!」
恋人になったとはいえ、あれからすぐにアメリカへ旅立った沢北との逢瀬は全てビデオ通話だった。週に一度、お互いの顔を見て、たわいない話をする。そんなやり取りをもう半年以上続けている。
「深津さん、髪の毛伸びてきましたね。触ってみたいな」
「触りに来いピニョン」
「それが忙しくてなかなか帰れそうにないんすよ……。もし帰れることになったらすぐ言いますから、そしたら会ってくださいね。絶対ですよ」
「……寂しくないピニョン?」
「いや寂しいっすよめちゃくちゃ! でも、物理的な距離は空いてるけど、あの時よりあなたに近づいてる気がします。付き合ってるってすごいっすね。オレ、今幸せです。って言ってもやっぱり触りたいっすけどね。へへ」
「……スケベピニョン」
「あっ触りたいってそういうんじゃなくて! いやそういうのもあるけど……いや違くて!!」
画面の中の恋人が、あまりにもいじらしくて、あまりにも愛おしく思えた。だから。
「来ちゃったピニョン」
「は!? いや来ちゃったじゃないっすよ! えっどうやって!? 飛行機ちゃんと乗れました? 手配は!?」
「馬鹿にしすぎピニョンオレのこと何だと思ってるんだピニョン乗れたからここにいるピニョン」
「だってアンタ遠征の度に迷子になったり違う電車乗ろうとしてたりめちゃくちゃだったじゃないですか!!」
「オレだってやればできるピニョン。河田がちょっと手伝ってくれたくらいピニョン」
「か、河田さん〜〜! ありがとう〜〜!!」
せっかく時間を作って家まで会いに来たというのに失礼なことばかり言う恋人をじとりと睨む。しかし、はるばるアメリカまで来た理由を思い出して居直った。バッと両手を広げれば、沢北の頭にはハテナマークが浮かぶ。
「え、何、どうしたんですか」
「……今日はハグ、しないピニョン?」
そう口にした瞬間、沢北はフラッとよろけて扉に衝突し、そのまま頭を抱えて動かなくなった。
「殺し屋だ……日本から殺し屋がやってきた…」
「物騒な言い方やめろピニョン」
もう一度、両手を広げて待つ。沢北は恐る恐るオレの手を握って、そのまま強く抱きしめた。半年ぶりの感覚。ふわりと懐かしい匂いがする。あの日と同じ、沢北の匂い。心地の良い匂い。
「好きです。大好きです。ずっと深津さんと、こうしたかった」
会いたかったのは、触れたかったのは、多分オレの方だ。急にアメリカまで来てしまう程に。ずいぶん絆されてしまったものだと思う。しかしそれを伝えるのも癪なので、代わりに熱い背中をそっと抱きしめ返した。