「へへ、それでね、その時宮城が……」
「……お前、時間大丈夫ピニョン?」
日本に一時帰国して三日目のことだった。
前日に山王バスケ部メンバーで東京で飲んで、話し足りないからと深津さんにワガママを言って今日の約束を取り付けた。ずっと憧れていた、深津さんと二人きり。二人で居られれば正直場所はどこでも良かったのだけれど、深津さんが自宅を提供してくれた。
山王に居た頃はよく寮の部屋に遊びに行っていたけど一人暮らしの部屋に行くのは初めて。まさか自宅に招待されるなんて思っていなくて、嬉しさと緊張で舞い上がってしまったオレは当初の予定より多く酒を飲んだ。その結果、元々アルコールに強くないこともあってものすごく酔った。ものすごく酔って、とりとめのない話を延々深津さんに聞かせ続けて、そして。
「あと十五分で終電だピニョン」
いつの間にか日付が変わっていた。
「あれ、ほんとだ、すみません……こんなに長居するつもりは……」
これは少し嘘だ。本当は今日深津さんに告白をしてお付き合いをして、そのまま泊めてもらえたら……なんて夢を見ていた。結局、告白すらできていない。
「今日はどこにホテル取ってるピニョン」
「あ、昨日と同じとこで……ここからそんなに遠くないんで平気っす。なんならトレーニング兼ねて走って行きます」
「そんなに酔って何を言ってるピニョン」
深津さんは優しい。高校時代も、厳しいけれどずっと優しかった。今だってこうやってオレのために時間を取ってくれて、オレの中身の無い話にこんな遅い時間まで付き合ってくれて。だからつい、甘えてしまう。期待してしまう。
「へへ、じゃあもう今日は深津さんとこに泊めてもらおうかな〜、なんて」
冗談っぽく、軽い感じで伝えてみる。数秒経っても返事が返ってこないのでチラリと深津さんを見れば、いつもの無表情のままツマミのさきいかを齧っていた。そのまま更に数秒待ったけれど返事は返って来ず、目の前の景色も特に変わらず。これは、どうやらフラれたらしい。
「……まあ、そこまで迷惑かけられないんで今日はもう帰ります。もし終電逃してもタクシー呼ぶんで大丈夫ですよ」
缶やらのゴミをひとまとめにして、礼を言って立ち上がる。玄関へ向かえば、見送りをしてくれるのか深津さんが後ろを着いてきた。
「今回はいつまで日本にいるピニョン?」
「明後日の便でアメリカに戻る予定です。また帰国する時には連絡しますね」
少し遠くから電車の音がする。深津さんの家は駅からそんなに離れていないので、終電にはなんとか間に合いそうだ。
「……外は寒いピニョン」
「最近急に寒くなりましたよね、特に夜は」
「オレは東京の電車があまり好きじゃないピニョン。混んでて、忙しなくて、落ち着かないピニョン」
「はは、ちょっと分かります。便利ですけどね」
「あと最近タクシーも値上げがすごいピニョン」
「ああ……ガソリンも今高いですしね……?」
ここにきて、深津さんのトークが止まらない。さっきはオレばかり話していて深津さんは聞いてばかりだったから、今度はオレが深津さんの話を聞きたい。聞きたいのだけれど、終電の時間は迫っている。
「そして外は寒いピニョン」
そして戻った。話が最初に戻った。
「深津さん……?」
「……ピニョン」
もしかして、という気持ちとそんなはずない、という気持ちがせめぎ合う。外は寒くて、電車は嫌いで、タクシーは高い。
「あの、もしかしてなんですけど、引き止めようとしてくれてます……?」
「……別にそんなんじゃない、ピニョン。ただ最近本当に外が寒くなったと思うピニョン」
「まあ、秋田とそこまで変わらないっすよね、体感」
深津さんは相変わらず無表情で心の内が読めない。オレは今まで、どれだけこの人の感情を拾えたのだろう。もしかして、取りこぼしてしまったものがたくさんあったのだろうか。
「あと最近この辺りは治安が悪いピニョン。このくらいの時間になるとイケメン狩りが出るんだピニョン。お前なんか恰好の餌食だピニョン」
「え、何、イケメン狩り?」
「イケメンを狙って不良たちがカツアゲしに来るんだピニョン。危険ピニョン」
いよいよとんでもないワードまで飛び出し始めた。さすがにちょっと作り話っぽいけれど。というか深津さんオレのことイケメンって思ってるの。初耳。
「……ほ、本当ピニョン」
「いや、でもオレみたいな背高くてガタイの良いやつは狙ってこないんじゃないすかね……」
こっそりと手元の時計を確認する。終電まであと三分。
「…………あの、ちょっと怖いんでやっぱり深津さんの家に泊めてもらおう、かな」
そう言ったら、深津さんの顔が少し明るくなった気がした。可愛い。
「構わないピニョン」
弾んだような声に胸が高鳴る。この人のことを、好きだと思う。
「あの」
再び部屋に戻ろうとする深津さんを呼び止めれば、ん、と少し掠れた声が小さく返事をした。
「オレ、深津さんのことが好きです」
無音の部屋に、小さく電車の走行音が響く。多分、これが終電だ。
「すみません。何か、騙してるみたいだって思っちゃって。泊めるのやっぱり嫌だって思うなら、タクシーで帰ります」
「……嫌だなんて、思わないピニョン」
「そんなこと言われたら期待しちゃいます。最初は泊まらせたくないって雰囲気だったじゃないですか……」
深津さんがオレを手招く。一旦履いた靴をもう一度脱いで、深津さんの部屋に再び足を踏み入れる。部屋の中央まで歩みを進めたところで深津さんは立ち止まって、こちらを振り返った。
「……本当は、考えてたんだピニョン。お前を泊めて良いのかって」
「はい……」
「お前のことを好きなオレが、お前を部屋に泊める。何か騙してるような気分になったピニョン」
「ん、え?」
「お前と同じだピニョン」
深津さんの小さな声が絨毯に吸い込まれていく。一言も聞き漏らしたくなくて、呼吸も止めたいくらいなのに、心臓はバクバク鳴ってうるさい。
「深津さんが、オレを?」
「好きだピニョン。あとイケメン狩りは嘘だピニョン」
「だと思った……」
「必死だったピニョン……」
オレを引き止めるためにそんな変な嘘までついて、そんなばつが悪そうな顔をして。そんなの、なんだか、すごく。
「オレ、深津さんのこと好きすぎておかしくなりそう……」
「安心しろ、オレを好きな時点でお前は既におかしいピニョン」
「そんなことないです! オレじゃなくったって深津さんのこと好きな人大勢いるに決まっ……い、嫌だ! 深津さんがオレ以外から言い寄られるなんて嫌すぎて頭おかしくなる!」
「やっぱりもうおかしいピニョン……」
頭を抱えるオレを見て、さっきまで眉を下げていた深津さんが楽しそうに笑う。
「……ねえ、今度はオレ、深津さんの話たくさん聞きたいな。聞かせて?」
「いいピニョン。始発の時間まで喋り倒してやるピニョン」
そう言って未開封のさきいかの袋を掲げるものだから、今度は二人で声を出して笑い合った。夜はまだ、始まったばかり。