目が覚めたら柴犬になっていた。
(何で!?)
「ワフゥ!?」
疑問の叫びは犬の鳴き声になって自分の喉から飛び出していく。
いやいやいやどういうことだ。全く理解が追いつかない。
昨日の自分は加護家の自分の寝室で極々普通に眠りについたはずだ。それなのに目の前の水溜まりには確かに柴犬の顔が映っている。目が覚めたら公園に一人、一匹?で、しかも柴犬になっているなんて。悪夢か?そうだ絶対に悪夢だ。ここは頬をつねって……柴犬の手でどうやって?
混乱のまま周囲を見渡して、すぐそこに転がっていた小石に手を押しつけてみる。尖っているところが食い込んで痛い。痛いなら、夢じゃないか。
(なんで夢じゃないんだ?)
「フゥン?」
とにかくまずは冷静になろう。どうやって冷静になれってんだコノヤロウ。れいせい、れいせいってなんだっけ。冷製?霊性?例性?
(だぁぁぁぁぁああ!!)
「アオーン!」
叫び声は遠吠えに変換された。
兎にも角にも、まずは加護家に帰って自分がどうなっているのかを確認しに行こう。夜の間に突然姿を消して行方不明扱いです、なんてことになっていたら最悪だ。せめてもの救いは、いのりさんとのレッスンがシンスプリントの警戒中で休みになっている事だろうか。その関係で、瞳さんからしばらくアシスタントコーチの仕事もお休みね、と言われている。しばらくと言っても一週間くらいなものなので、いつまでも柴犬のままでは居られないけれど。とりあえずコーチが犬になっているのでレッスンができません、なんてことにならなかったのは不幸中の幸いだ。
今いる公園にも見覚えがある。初めていのりさんに出会ったあの日、彼女を追いかけた先で会話をしたのがこの公園だった。リンク場の方まで行けば、加護家までの行き方も分かるはずだ。
すくりと立ち上がって、公園の出口を目指して脚を踏み出す。
コテンと転がる。
(あれ?)
「ワフ?」
犬って、どうやって歩いてるんだっけ?
改めてゆっくりと立ち上がって、頭の中で犬の動きを反芻する。犬は、そうか、人間が四つん這いになるのとは違って、たしか、右の前足が出る時、後ろ足も右が出るんだ。頭の中で描いた動きを、今度はそのまま自分の体に落とし込む。
今度は、歩ける。よしよしこれで加護家に向かえるぞ。
パッと目線を上げて公園の出口を目指す。
公園の出口に何だか全身真っ黒い人が立っているのが見えた。
しかも煙草を吸っているのか嫌に独特な臭いがこちらまで漂ってくる。
犬の嗅覚だと煙草って結構酷い匂いなんだな。
ていうか、今どきどこも禁煙の看板が立っているだろうに、なんで煙草吸ってるんだあの人。
段々と距離が近づいて、顔の判別がつくようになってきた。
その人物とバッチリと目が合う。
なんだ夜鷹純か。
えっ夜鷹純?
「……犬?」
突然の夜鷹純の登場に固まっていると、目の前にかがみこんできた夜鷹純と至近距離で目が合う。
鼻 が ひ ん 曲 が り そ う。
煙草の臭いが酷いなこの人。夜鷹純なのに。
「ふ、不細工。」
鼻筋を細い指先でついとつつかれる。
今、笑った?あの夜鷹純が?この人普通に笑えたのか?
「君、迷子なの。」
しかも、犬なんか当然放っておくだろうと思っていたのに普通に話しかけにくる。
(迷子ではないんですけど。)
「アウ~ン」
人間の言葉にはどうしたってならない鳴き声で返事をしてみるが、果たしてこれは伝わっているのだろうか。
「何だっていいけど。ついてきなよ。」
(は?)
「フゥ?」
夜鷹純は静かに立ち上がると、吸いかけの煙草を地面に落としてジュッと踏み潰した。そしてそのまま自分が捨てた煙草を拾わずに公園の外へ向かって歩き出してしまう。
いやいや煙草のポイ捨ては駄目でしょうとか、普通動物についてこいとか言ってもついてこないからとか、色々と言いたいことが喉元まで募って、
(はい)
「ワン」
諦めて返事をした。
加護さんすみません。俺のことは探さないでください。
その後、通りすがりの警察官に「ノーリードは危ないでしょ!」と怒られる夜鷹純を目撃することになり、リードが無い代わり、俺は夜鷹純に抱えられることになったのだった。
鼻が死にそう。