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    フカフカ

    うさぎの絵と、たまに文章を書くフカフカ

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    フカフカ

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    K2/ドクターTETSUと和久井くんの話/和久井くんがほぼ一人前になったくらいっぽい/二人がファミレスでおしゃべりしたり、おすすめのメニュー聞いたり、悪戯したり「こいつ大きくなったなあ」になったりする話/カップリング要素なし/このT先生は老けにくい種類のT先生/ふんわり

    全く傷ひとつない 天は明るく、地は冷たい空気に撫で清められている。
     全く傷ひとつない、美しい昼下がりだった。真田はひとり、歩行音の隙間に杖音を混ぜながら幹線通り沿いをほとほとと歩いた。澱みなく、出来うる限りに姿勢良く、商店の陳列窓にだって居丈高に映るほどの歩みの強さで、道をそぞろ歩く他の連中を次々に追い越していった。履き込んだブーツの底に枯葉やら梢やらが硬くぶつかる。秋は気まぐれに移ろうが、木々はよほど素直に冬支度を始めている。
     日向をしばらく行って、木漏れ日を浴びた。立ち止まると、足元にファミリーレストランの背高き看板の影が触れた。この地域にありふれて、人々の生活にうまく溶け込んだらしい、少しばかり草臥れた佇まいのレストランの扉を、真田はまた居丈高で、ひどく姿勢良い態度でえいと押しあけ、中へ滑り込んだ。
     扉を一枚くぐると、またもう一枚、厚いガラスを入れた内扉が現れる。真田は待合用のソファにしばし腰掛け、ブーツのつま先から枯れ葉の欠片と、土埃を落とした。立ち上がり、コートの裾を払う。他に人のいないのを幸いに、天井隅の防犯鏡を見上げて己の出立ちを確かめる。
     人並みよりは十分に鍛えた体をやや陰気に削がれた、壮年の頃を幾らかすぎた男の姿が見える。肌の色は水気を含んだ浜辺の砂のよう、髪は色濃く豊かで、首から肩にかけての逞しさも、ずぶの素人とは比べ物にもならない。高い頬骨から口元にかけて、骨格の落差が生む薄い影が貼り付いて、唇に乗せた笑みをより険しく、油断ならないものにしている。
     真田は歪む鏡の中の己の姿に一つ頷いて、二枚目の扉を押し開いた。
     ポン、と機械音がして、店の奥から橙色のエプロンをかけたウェイターが転がり出てくる。真田は先んじて片手を挙げ、己が遅い昼食を楽しみに駆け込んできた欠食老人ではないことを十分に示そうとした。
    「待ち合わせだ」
     自分の声を、まるで慣れ親しんだ楽器の音色を聴くように聞いた。ウェイターは緊張の面持ちでエプロンの裾で丸い給仕盆を拭きつつ、真田を好きにさせた。「ごゆっくりどうぞ」

     昼食どきを過ぎた店内には、一時の喧騒の引いた後の、熱っぽい空気がほのかに残っていた。まばらに席を埋める人々の控えめな話し声にジャズ調の店内音楽、キッチンの方向から漏れ聞こえる調理の物音とが、美しい秋の日差しをふんだんに取り込んで明るい天井から、臙脂のカーペットの床上にまでゆったり敷き詰められ、ゆるゆると回遊していた。
     真田は店内を見まわし、杖を一際強く握って、窓辺の一席へと近づいた。
     かつ、と空いたソファ席の下へ杖先を当てる。向かいに座った人影が勿体ぶって手元の本を閉じ、殊更に時間をかけて真田を見上げた。
    「どうも」
     若い唇が皮肉げに、それでいて待ちわびたように動いた。見ようによってはまだ学生とも言い張れるような格好の青年が、窓辺からの陽の光を浴びて、真田を迎え入れた。
     長い前髪に顔の半分を覆い隠しておきながら、確かに瞳二つ分の熱心な視線を、真田へ浴びせかけてくる。それが真から快い感情でのみ作られたものとは信じないが、それでも、かつては己の翼の下へと仕舞い込み、あれこれと世話をつけてやった──真田なりに、真田風のやり方で──養い子を前に、何か大きな目的を達したような安堵を覚えたのは確かだった。真田は「おう」とぞんざいに返事をして、ソファ席へ座った。「何飲みますか」
    「僕のおすすめでよければすぐに」
     和久井はシャツのボタンを上から一つ開けて、前のめりになって真田へ口を開いた。窓辺は日差しの作用でひどく暖かい。
    「任せる」
     養い子の歓待の手際とやらを見るのも悪くはなかろう、という真田の悪戯めいた傲慢さは、和久井がするりと席を立ったことですぐさま霧散した。「じゃあ水を」
     言うや否や、サックスブルーのシャツの背中を真田へ向け、ドリンクカウンターへと消えた。二十秒も経たないで戻ってきて「氷は抜きましたから」とグラスを差し出してくる。受け取ってやろうかとテーブルへ投げ出していた右手を差し伸べるも、和久井はこれを避けた。薄緑色の、凹凸のないグラスを右手の親指と中指とで器用に繊細に支え、肩より高く持ち上げて遠ざけ、真田が訝しがって手を引っ込めるまで、その姿勢を保った。
    「はい」
     つ、とぬるく冷えたグラスの質感が、真田の手の甲へと降りてきた。見上げる先で、和久井が目を細める。水入りのグラスが真田の手の甲を押さえ、それをさらに和久井の指が支えている。手をテーブルとグラスとに挟まれて、身じろぎだってできない。真田は久方ぶりに養い子に独特のいとけない仕草を目の当たりにして、声を忘れた。
     和久井という子供の内側にはいつも、精いっぱいに張り巡らされたいばらの如き険しさと、そのいばらを己の骨としなければ立つことも歩くこともできない自分への重たい熱のような憤り、未来を渇望するが故の砂のような飢え、それに加えて、丁寧に均した大地のごとき肥沃な精神があった。その肥沃さは時折、和久井の手指の仕草、ほの白い頬に浮かぶ表情、眼差しの光に変わって、真田の眼と心とを貫いた。
     和久井が他愛なく、前触れなく披露する児戯めいた悪戯もまた、そうした和久井の豊かさの一片としてあった。
     無言の真田に焦れたのか、和久井はたちまちに居住まいを正してグラスを持ち上げ直し、真田の手を己の掌で拭った。乾いて温かな肌の感触が真田の手のみならず、何か目に見えない所をも撫でたような心地がした。和久井の悪戯の時間は、時計で測ってもおおよそ十秒もなかっただろう。しかし真田は、この間に月まで走って、また戻ってきたかのような気分になって、心地よく草臥れ、背もたれへ上体を投げ出した。
     向かいの席に収まった和久井が、美しい眉を顰めて真田の手を握り直した。脈を取られるより先に腕を縮めて「何もねえよ」と断る。和久井はしばし無言で真田の様子を見つめていたが、ややあって緊張を解いて「ドクターTETSUは真水がお嫌いかと」と言った。
    「人を生食で生きてるみてえに」
    「そんなつもりはありませんよ」
     今度こそメニュー表をとり、和久井は真田の目の前で「これが季節限定のセット、こっちが単品もの、ドリンクはここです。手の込んだものはオーダー制、それ以外の簡単な飲み物はドリンクバーで飲みたい放題」と説いた。真田は今度こそ「お前のおすすめは?」と尋ねた。
    「ありません、そんなもの」
    「ならお前、この中なら何を頼む?」
     和久井はメニューに目を落としさえせずに「ショコラチーズケーキとクラッシュナッツのアイスドリンクホイップクリーム付き、チョコレートソース増し」と応えた。「血管が詰まる」真田は世間風の言い回しでこれを断った。
    「そうなったら困りますよ、僕が」
     和久井は眉を下げ、ほのかに笑んだ。
    「お前が?」
     真田は凭れていた体を起こし、テーブルに腕をついてかつての養い子の顔を覗き込んだ。
     出会った頃に比べて顎の線は精悍で、目元はより陰影深く、やや物憂げで人の目をよく奪いそうだった。暴力さえ身近だった若く荒れた生活を潜り抜けたようには見えにくい、鼻梁の線の揺るぎなさは変わりなく、対していつまでたってもその肌は薄灰色がかって、磨けば光る石のようだった。
     真向かいに見つめてみれば段々に、己がこの若者をひと時でも手元に置いていたことが疑わしくなりそうだった。この青年はもはやほとんど完成されていた。
     それでも真田がこの子供の手を握って、およそ子供が長じてからも誰にだって打ち明けにくいだろう経験をさせ、思いを味わせ、打ちのめしては後になって、和久井の破片を集めて金で継ぐような真似をしたことは、消えようもなく、確かだった。
     推し黙る真田をよそに、和久井は例の悪戯の気配なみなみした目つきで言った。
    「あなただってさいごの最後に唇を拭われるのに、ファミレスの浄水器の水なんかじゃあ満足できないでしょうし、僕もそんな色気のない真似はごめんなので」
     和久井の頭の中にはどうもすでに、真田がショコラチーズケーキとクラッシュナッツのアイスドリンクをたらふく平らげた代償にこの場で血管をどうにかして、涅槃へひとっ飛びする仮初のビジョンが浮かんでいるようだった。
    「馬鹿を言え」
     真田はテーブルに放られていた薄緑色のグラスをとって、常温となった中身を一息に飲み干してみせた。和久井はまだ身を乗り出したまま、目を細めて真田を見つめ笑っている。
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    recommended works

    maru464936

    PASTTwitterの過去つぶやきまとめ。リーゼお婆ちゃんが亡くなった時のちょっとした騒動。語り手はフィーネ似の孫だと思う
    無題孫たちの述懐で、「母方の祖父は、物静かで穏やかなひとだった。」みたいに言われてたらいいよね。

    「だから私たちは、祖父にまつわるさまざまな不吉な話を、半ば作り話だろうと思っていた。祖母が亡くなった日、どこぞの研究所とやらが検体提供のご協力の「お願い」で、武装した兵士を連れてくるまでは。
    結論から言うと、死者は出なかった。数名、顎を砕かれたり内臓をやられたりで後遺症の残る人もいたみたいだけど、問題になることもなかった。70を超えた老人の家に銃を持って押しかけてきたのだから、正当防衛。それはそうだろう。
    それから、悲しむ間も無く、祖父と私たちは火葬施設を探した。
    私たちの住んでいる国では、土葬が一般的だけど、東の方からやってきた人たち向けの火葬施設がある。リストから、一番近いところを調べて、連絡を入れて、みんなでお婆ちゃんを連れて行って、見送った。腹立たしいことだったけど、祖母の側に座り込んだまま立てそうになかった祖父が背筋を伸ばして歩けるようになったので、そこは良かったのかもしれない。怒りというものも、時としては走り出すための原動力になるのだ。
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