流星煌めき君想ふプロローグ.零れ落ちた流星
星々の瞬きと煌めく月を眺め、隣で仏頂面をして歩く彼に思いを馳せる。月に似た瞳を片目に宿し、ふと浮かべた笑みがまるで花が綻ぶように可憐な彼を。
「月が綺麗だね。」
かの有名な文豪は、アイラブユーを「月が綺麗ですね」と訳した。自分がそれを知った時、「何で月?」という思いが勝っていたが、彼に恋情を抱いている今なら分かる。月と彼の綺麗さが重なり、「好き」だと言いたくなって、だがそれを言えない何かしらの理由があって、遠回しに出たのがこの淡く端麗な言葉なのだと。無論、これは自分の考えであるため、全くの根拠は無い。
きっと彼は知らないだろう。「月が綺麗だね」の言葉の意味を。
だからこそ自分も、聞く人が聞けば恥ずかしい言葉をスラリと言える。彼がこの言葉を知らない事を理解しているから。
「あぁ? 月? 興味ねぇ。」
予想通りの返答をした彼に、自分はクスリと笑う。隣から視線を感じるが、それも気にしないようにして斜め上を見上げた。
「確かに桜くんは風情よりも食い気だもんねぇ。」
「おい、お前何馬鹿に……あっ」
「ん? どうし……」
言い切る前に、窄んでいって言の葉が枯れる。彼を見つめたまま、ゴクリと喉仏を動かして唾を飲み込み、息を小さく吐いた。
星屑が散ったように輝く、オッドアイの瞳。琥珀色の瞳は月を、もう片方の鈍色の瞳は夕闇の空を彷彿とさせ、まるで夜空そのものだ。
「通った……。」
「え?」
「い、今! 流れ星っ……! 流れ星が通った!」
彼の手が自分の制服の袖を手繰り寄せ、ギュッと強く握られる。「ほら、見ろよ!」と、自分に呼びかけてくる彼の姿は、今までに見たことがないくらい嬉しそうだった。
(君はオレをどれだけ惚れさせたら気が済むんだ……。)
ニヤけそうになる口元を片手で覆い、彼の手が掴む袖はそのままにして。彼の透き通る肌が指さす空を見上げる。
「本当だね。凄く綺麗だ。」
「俺、流れ星見たの初めて……。すっげぇな、あれ。」
「じゃあさ、流れ星が消える前に願い事を三回言えたら願いが叶うって言われてるの、知ってる?」
「え、本当なのか!?」
「うん、そうらしいよ。試してみない? 叶うかどうか。」
迷信なんだけどね、という言葉は、彼の前では飲み込むことにする。あまりにもその表情が期待に満ちているから、何だか可哀想で言えなかったのだ。
彼は流星に負けないくらい目を輝かせて、空を見上げる。
その瞳を追うようにして、自分も空を見上げる。流れ落ちる星々の行く末を見守りながら、心の中で三回願いを唱えてみた。叶えられはしないだろうけど、やらないよりかは幾分かマシな気がする。
「てっぺんとる、てっぺんとる、てっぺんとる!」
「ははっ、桜君らしい願いだねぇ。」
風鈴高校一年一組級長─────桜遥は、いつもとは違って表情をきらきらとさせながら星空を眺めた。
琥珀色と鈍色のオッドアイで眺めていた視線の先が、自分の言葉によって移動する。空から自分へと移されたその星のような瞳に、鼓動がひとつ高鳴った。
夜風に靡く黒と白でハッキリと分けられた髪が、柔く彼の頬を撫でる。簡単に彼に触れられる風が羨ましいと感じた。
「蘇枋は? 何願ったんだよ。」
桜と同じく風鈴高校一年一組の副級長─────蘇枋隼飛は、桜の問いにゆっくりと蘇芳色の瞳を隠すように閉じた。
「……秘密だよ。」
「あ? んだよそれ、つまんねー。」
くるりと蘇枋に背を向けて歩き出した桜を眺め、半歩遅れて彼に追いつくように足を早める。
「桜くん、願い事は人に聞かせたら叶わなくなるんだよ。」
「えっ……!」
「嘘だけど。」
「んだよてめぇ!」
願いが叶うか叶わないかは、きっと神様のさじ加減だ。
良い子にはそれなりの対価を、悪い子にはそれ相応の罰を。
桜は確かに今まで不当な扱いを受けてきたのかもしれないが、悪い子に見せ掛けた実は良い子ちゃんなのだ。風鈴高校にやって来てからは、神様が本当の彼に気づいて幸せを運んでいるように思う。
そして蘇枋は、良い子に見せ掛けた悪い子だ。人の考え、行動を読み取るのを得意とするが、自分の考えは一切相手に与えず情報をシャットダウンさせる。煽り性能も高く、人をからかってきたのも事実で、その素行を神様がみているとしたら、とても良い子とは言えないものだろう。
(桜くんと違って、この願いは叶わないよ。)
でももし、この流星においては神様の意思も存在せずに、願いを叶えてくれるのなら。他の願いを払い除けても、どうかこの願いだけは叶えて欲しい。
「……桜くんに好きになって貰えますように。」
先を歩く桜が、風に乗って振り返る。揺れ動く髪が意外にもサラサラで、触り心地が良さそうだと思った。
「何か言ったか?」
「ん? 桜くんはオレの言葉にも信じてくれる素直で良い子だなぁって。」
「っ! に、二度と信じるか!」
桜の後ろ姿を眺め、滑らかな弧を描くように口角を上げ、目は三日月を描く。可愛くて愛おしくて、欲しくて欲しくて堪らない。蘇枋にとって桜とはそんな存在であった。
ぷいっと顔を背けて、前をずんずんと歩く桜。桜のオセロのような髪色の中、ちらりちらりと赤に染った耳が見え隠れする。照れたら耳まで真っ赤に染まる事を、桜は知らない。
桜自身が知らない部分まで、蘇枋は彼を愛している。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
1.新月の君
世界人口約七十億人。その中で自分が実際に接点を持てる人は約三万人程度らしい。
人と人が巡り会う確率というのは、二十四万分の一。パーセントで表せば、僅か0.00004パーセントほどしかないだとか。
「そのテレビ見てから、人と人との巡り合わせって、本当に大事だと思ったんっすよ!」
放課後、教室の中心で席を囲んで話す見慣れた五人の景色。最初は一匹狼だった桜が楡井を連れ、そして蘇枋を隣に置いて、柘浦と桐生が増えて。いつの間にか五人という体制が当たり前になってきていた。
最初は教室で放課後話すことに意味があるのかという表情をしていた桜だが、今はとやかく言わず、むしろ誰も言わなくても教室に残るようになっていた。
桜の大きな成長ぶりに、蘇枋はニコニコが止まらない。それを見て桜が不機嫌そうにするのさえも、少し心地よい。
「で?」
楡井の話に耳を傾けていた桜だが、相槌は素っ気なくむしろ単調。しかし楡井もそれに負けじと桜に顔を近づけた。
「「で?」って、桜さんそれは酷くないっすか!? つまり、この五人が集まれたのも、クラスのみんなと会えたのも、凄く奇跡だって事っすよ!」
「知ってる、聞きゃあ分かんだろうがそんくらい。」
「俺、桜さんに会えて本当に良かったって思ってるんです!」
「っ、はぁ!? お、あ……う、るせぇ!」
「桜ちゃん照れてるねぇ。」
「真っ赤やな!」
「りんごだね。」
「うっせぇ!」
赤く染まった頬を見つめ、思わず「美味しそうだな。」と口から滑り落ちそうになるのを寸前で堪える。
真っ赤な頬に口付けを落としたい。
その頬がどれだけ甘やかなものか味わいたい。
表面上は素知らぬ笑顔のまま、ニコリと笑って桜を見つめる。心の中は荒波のように荒ぶっているがそれを少しも感じさせなかった。
「ていうか俺もそれ見たよ。友人に出会う確率は、二億四千万分の一だったかなぁ。」
「そうなんですよ! 俺、それ見た時に、こんな確率の中この四人に会えた事が本当に嬉しくって……。」
たとえば、二億四千万人もの人が目の前にいたとして、その中で楡井を見つけるなどほぼ不可能に等しい。しかも見つけたとて、仲良くなれるかは分からない。
この風鈴高校で五人が揃わなければ、というか、風鈴高校を選んでいなければ、一生縁もなく過ごしていたのかもしれない。
(特に桜くんは出会わなかったんだろうなぁ……。)
元々桜は町の外の人間だ。ここに風鈴高校という不良校で有名な学校がなければ、そもそも彼の生い立ちがもっと良ければ、きっと桜はここにいない。
「オレは桜くんと出会えたこと、幸せに思うなぁ。」
「なっ……!?」
「この四人だけじゃないよ。きっと、他のみんなもそう思ってる。」
桜が、風鈴に来てくれてよかった。自分が風鈴以外に進まなくて良かった。
ふっと、甘い微笑を漏らせば、桜はたちまち顔を赤く染めあげる。
「う、うるせぇな! んなのっ……お、れ……だって……」
どんどん声が小さくなり、最後の方は聞き取れなかったが凡そ予測はつく。蘇枋も楡井も桐生も柘浦も、桜の反応にまるで親のような目線を浴びせて微笑んだ。
「てか面白いなぁ! 人と人の確率とか、考えたこともなかったわ!」
「ツゲちゃんは豪快だもんねぇ。数字とか精密な感じで物事を捉えるんじゃなくて、ふんわりとしたイメージっぽい。」
「桜さんもそんな感じですよね!」
「悪かったな、数字に弱いバカで!」
「そんな事言ってないですよー!」
教室内に五人だけの笑い声が響いて轟く。桜を見ればムスッとした表情をしながらも、目尻を下げていて、この空間を気に入ってる事がよく分かった。
この可愛さが皆には分からないのが可哀想だと思うと同時に、皆に桜の可愛さが知られないようにと願う。真反対の感情に頭が揺らぎそうだった。
「そう言えば、好きな人に出会う確率は三十億分の一らしいですよ。」
楡井の言葉に、思わず口を閉ざす。それまで笑顔を保てていたはずなのに、一気に表情が抜け落ちたような気がした。
「友人よりも遥かに上やな!」
「友人は沢山いても、好きな人はたった一人だからね。……って、桜ちゃん、顔真っ赤だよ。」
「なっ、はぁ!? ま、真っ赤じゃねぇ、しっ!」
桜の顔は赤に染っていて、白い首筋までもほんのりと色づいている。どこまでも真っ白で純粋な人だ。
(……三十億分の一、か。)
友人として出会った最初は、二億四千万分の一の確率だった。しかし今はもう違う。蘇枋は桜を友人とは思っていない。桜は、たった一人の好きな人だ。
いや、今思えば最初から、蘇枋にとって桜は三十億分の一の確率で出会った運命だったのかもしれしない。
空っぽだと思っていた彼の心に、深い信念があったこと。
意外にも仲間を思っていること。
どうでもいいという態度を取りながらも、街や仲間が傷つけられたら落ち着かないこと。
感謝になれていないこと。
全部好きだった。嫌いなところなんてない。否、あったとしても、それすらも好きだと思えた。
桜と出会って、蘇枋の心に光が宿った。
まるで月のようにぽっかりと浮かぶその淡い灯火。何も感じられずに欠けていた新月のような心が、桜と出会って満ちて、満ちて、満ちて。いつの間にか満月状態になっていた。
「桜くんは、三十億分の一人と出会ったことはある?」
「あ、ある訳ねぇだろ!」
「あはは、だよねぇ。」
蘇枋の心は、こんなにも桜で満ちているのに。桜の心には蘇枋がいない。まさに桜の心は、桜に出会う前の蘇枋の心の状態─────新月のままだ。
その事が虚しい。いや、悲しい。それとも、寂しい?
どの表現もあっている気がして、尚更嫌な気持ちが加速した。
「な! そ、そういうお前はあんのかよ!」
ガタガタと机が激しく動く。椅子が倒れそうな勢いで立ち上がった桜は、赤く染まった頬のまま蘇枋を睨みつけた。
バカにしたつもりはないのだが、しょうがない。怒っている桜を宥めてどうにかしようなんていう優しい考えは、はなから持っていなかった。
「あるよ。」
「……え?」
蘇枋の返答が意外だったのか、それとも予想外だったのか。桜は目を丸くして、蘇枋をじっと食い入るように見つめた。
蘇枋は王子様のように優雅に微笑み、立ち上がっていた桜の瞳を眼帯の着いていない片目だけで捉える。足を組み直しながら、蘇枋は笑った。
「だから、オレはもう出会ったよ。」
(三十億分の一の君に、オレはもう出会ってるから。)
蘇枋は桜を見つめたまま、小首を傾げてみせる。タッセルピアスが重力に従ってシャラリと音を立てながら揺れ動いた。
「オレ、何かおかしなことを言ったかな?」
「す、すすすす、蘇枋さん!? 好きな人がいらっしゃるんですか!?」
「まさかあのすおちゃんに本命? 気になるねぇ。」
「誰や蘇枋! ワシの知っとる人か!」
「あはっ、秘密。」
「相変わらずの秘密主義やな!」
桐生は「ゲームと同じくらい面白そうだねぇ。」と言葉を零し、柘浦は「誰や!」と永遠に蘇枋を問い詰める。むさくるしさで蘇枋は珍しく顔を顰めた。
楡井は鼻息荒く、蘇枋の事をメモしたマル秘ノートを見返し始める。過去に蘇枋が助けた女の子やその他蘇枋が関わりのある女性を対象に調べ始めていた。
そして桜はと言うと、未だに立ち上がったまま固まっている。口もぽかんと開けていて、何とも間抜けだ。しかし、その間抜け面すらも、可愛い。末期だということは分かっているが、そう思わずにはいられなかった。
「桜くん、大丈夫?」
「はっ、あ、へ……お、お前好きな奴いんの!?」
「そうだよ。」
「え、えぇ? お前に……すきなやつぅ?」
若干の疑いを含んだ目が、蘇枋へと向く。今までの行いからすれば疑われても全然おかしくはない。が、好きな人に疑われるのは少しばかりおもしろくない。
桜は椅子に深く座り直して、未だ照れで赤く染まった頬のまま、気難しい顔をして何かを考え込んでいる。よっぽど、蘇枋を疑っているらしい。
(まぁ確かに、前に流星見た時に言われたなぁ……。)
─────に、二度と信じるか!
ここに来て仇になるなんて、そんな上手い話があってたまるものか。からかわれすぎて最近は警戒心が強まったのか、桜は蘇枋の言葉を中々信じない。
「またお前嘘ついてるだろ。」
「オレが嘘ついた時なんてなかったよ。」
「それ自体が嘘じゃねぇか。」
と、桜が言った瞬間、チャイムが鳴り響く。ふと時計を見れば、もう下校時刻だ。
楡井は「時間が足りません!」と、柘浦と一緒にまっするぱわーへ行くことを提案してきたが、桐生、蘇枋、桜は早急に却下してすぐさま帰る。
結局、楡井と柘浦は蘇枋の好きな人は誰かを当てるべく、まっするぱわーで話し合いを。桐生と蘇枋と桜は真っ直ぐと帰路に着くことにして、それぞれが別れて歩き始めた。
「すおちゃん、途中まで一緒に行ってもいい?」
トントンと、肩をつつかれ振り向けば、そこには桐生の姿があった。
蘇枋は笑顔で了承し、二人で帰路を辿り始めた。
⋯⋯
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
サンプルは以上になります。
続きは新刊にてご覧下さい