「褒めてくれてもいいんじゃない?」
あの夜にそう自ら強請ったのは色々言い訳みたいなものがある。
完全な二人きりで誰にも聞かれる心配がなかったから。
そのKKさえも肉体を失って声しか聞こえない状態だったから。
これまで色々軽口を叩きあってきたし、何度も手放しで褒めてくれていたから。
我ながら上手く大型のマレビトを倒せたから。
終わりの見えない戦いに心細くなっていたから。
僕の思いを知ってか知らずかKKは心から感心したように
「ああ……すげえよ、オマエは」
と褒めてくれて僕は満たされた気持ちになった。
お互いに殺し合いのような状況だったけれどKKに出会えてよかったし、もし体がないままならずっと僕と二心同体でもいいよ。なんてKKには言わないけれど。
世界は思っていたよりも優しいのかもしれない。
凛子さんやエドさんが言うには僕が階段を上って鳥居を潜ることで時間が巻き戻ったとかなんとか。
わかるのはあの夜に亡くなった人は誰もいなくなったということ。
凛子さんも絵梨佳ちゃんも(ついでに般若も)お別れをしたはずの麻里も……KKも。
般若のことは絵梨佳ちゃんと凛子さんに任せることにして(KKは一度殴ってたけど)残念ながら世の中から負の感情が消えたわけではないので、僕は麻里と兄妹としての関係を再構築しながら新しいバイトを始めた。
KKが僕の体から抜けたのと、あの夜が結界とか儀式でバフがかかっていたせいで今の僕のエーテル能力はあの夜ほどではない。でもそれは後者の理由からKKも同じだし、マレビト自体が弱体化して数も減ったので足手まといにはならずに済んでいる。
あの夜までは突っ込んでエーテルぶっぱなすだけだったKKがきちんと戦うようになったからと凛子さんには感謝された。
KKは相変わらずぶっきらぼうで「もっといいバイトがあるだろ」とか「夜は家族と過ごすもんだろ」とか僕を心配しているのが見え見えの悪態をつくけれど戦闘中はハイになっているのかあの夜のように褒めてくれる。
多分何もかもが上手くいっている。絵梨佳ちゃん曰く「暁人さんはあの夜にあれだけ頑張ったんだからご褒美だよ」だそうだけど、すべてが丸く収まったのならそれでいいと思う。
これ以上望むのは贅沢だ。
「よし、片付いたし帰るぞ、暁人」
最後の悪霊を浄化したKKが胸ポケットを確かめるので路上喫煙禁止だと言えば帰ってからのご褒美を確かめてんだよと返ってきた。ご褒美という言葉に引っかかりを感じてしまう。もちろん時給は交通費危険手当諸々込みでついているけど。
「……どうした?」
元刑事だけあって妙に察しのいいKKに問われて何でもないと首を振る。
そう、目の前にいるのは元刑事で別れたとはいえ妻子持ちで倍ほど年上のおじさんだ。
あの夜にも何度か見たし、本人の口からも聞いていたし、知ってたはずだ。知ってたんだけど、実際に実体に向かい合うと何か……うまく言えないけれど、すごくムズムズする。
何かもっと気の利いたことを言いたいのに、自分よりも体格の良い姿や色々なものや人を見てきただろう目を見ると後ろめたいことなんてないのに何だか気後れしてしまう。
別にKKに褒められたいわけではない。繰り返すけど今でも普通に褒めてくれる。口が悪いけど褒めて伸ばすタイプだし、パワハラとかモラハラとか気にしているのかもしれない。
「オマエは真っ直ぐ帰れよ」
証拠品を持ってKKが背中を向ける。わかってる。明日も講義があるし家には麻里がいる。でも僕には違う気持ちがあって、気持ちのままKKを追いかけることができなくて聞こえる程度にお疲れさま、とだけ返した。
体を取り戻してから暁人との距離感が上手く掴めていない。
相棒だとオレは言い張っているが向こうがどう思っているかははっきり聞いていない。ただ反応から判断しても不快には思っていないはずだ。
一時期蔑称となっていたゆとり世代の真逆のような暁人の仕事ぶりは文句のつけようがない。指示を聞き、必要なら質問や提案をし、納得すればその通り動こうとする。トラブルは付き物だが応用力も悪くない。こっちの指摘を正面から受け入れ次回に活かす気概もある。多少自分を後回しにしがちだがフォローできる範囲で可愛いもんだ。
世代間ギャップもコミュニケーションの一環であり、あの夜に繰り返された軽口の応酬も最初の命の奪い合いに比べれば十分ラインを守れていたはずだ。
あの夜とは状況が違うと言えばそうだ。今の東京は朝も昼も夜もそこいらじゅうに人がいて、何でもない独り言をどこで拡散されるかわかったもんじゃねえ世の中だ。
「考えすぎ」
明らかに苦笑しながら凛子が印刷した書類を置く。オマエもこっち側だろと先日の調査結果を確認する。デジタルは簡単に消えるが紙は残る。サインして返す。
「コピーして挟んでくれてもいいんじゃない?」
「オレは今日の分も書いてるんだよ」
「暁人君、口数減ったわね」
急に核心を突かれて咄嗟の返事が出てこない。さっきのはアイツの物真似か。凛子が電話線からどれほど見聞きしていたか知らないが、オレたちを一番見知っているのは事実だ。最初の一言も揶揄だとようやく気付いた。
「オレは何もしてねえぞ」
これでもあの夜と同じような距離感を維持しているつもりだ。本当は令和の東京で同性とはいえ二十代の若者と四十代のおっさんが相棒なんて言い張るのは困難だと理解している。それでも今更父親代わりにも一晩だけの知り合いにもなれやしない。
「もう彼無しではウチは回らないんだから、ちゃんと捕まえておいて」
ありがたい業務命令にオレは投げやりな返事で応えた。
仕事熱心な所長様は早速依頼を寄越してくれる。こっちの陰鬱とした気分も晴れればいいのだがストレス発散したところ暁人のよそよそしさは変わらない。上と下で別れて殲滅して合流したところで無事を確認しコミュニケーションを試みる。
「お疲れさん、今日もいい動きだったぞ」
「ありがとう、KKの指示も良かったよ」
誉め言葉は受け取るものの一度オレを見てすぐ視線を逸らす。そうだ、コイツは今時妖怪でも真っ直ぐ目を合わせて喋るような奴なのにオレを直視しようとしないのだ。避けるのとはまた別の拒否感。いや、拒否とは違うか?
「いい加減オレがアレコレ言わない方がいいか?」
「いや……まだ人がいる状況に慣れてないからKKに確認してもらったほうがいいよ」
思考と判断に私情が混じっていない。出来過ぎていて心配にもなるがこの言葉自体は無理をしている様子もないのでオレはそうかと素直に受け取った。
大学と家と仕事と未だ完全に落ちついたわけではない暁人にこれ以上負担を増やすのも気が引ける。しかしまだ何か言いたげに口を開き、閉じるのでオレなりに言葉を考える。
「今でもオマエに十分助けられているし、長く働いてもらわねえと凛子にどやされる」
「就職先が見つかって助かるよ」
「オマエの方がここでいいのかって疑問は残るがな」
間違いなくウチよりも待遇がよく、安全な仕事が腐るほどある。オレの時代と違い売り手市場なのだ。先達としては暁人の将来を考えてアドバイスするべきなのだろうが。
「こんなに必要とされる仕事なんかないだろ」
確かにな、と返して段々と現在の暁人との距離感を把握していく。取り調べの感覚を思い出すが暁人を追い詰めて自白させたいわけではない。職務質問の方が近いか?
「オマエ、オレが怖いか?」
思いついたように質問を投げかけてみる。的外れでもいい、大事なのは反応だ。
「怖くはない……と思うけど」
柄が良い方でないのは自覚している。暁人のように第一印象で無害だと印象付けるのは不可能だ。しかし暁人はオレの、知られたくないような深い部分まで知っている間柄だ。
「けど?」
またオレを一瞥して俯く。手足に小さく無駄な動きが多い。葛藤しているのと困惑しているのと……こういう他人の挙動を見透かそうとするのが悪いのか。
「いや、KKが悪いとかじゃなくて……」
「オマエがそう思ってるだけかもしれねえだろ、言ってみろよ」
オレとオマエの仲だろ、と付け足せばうんともううんともつかない曖昧な返事をして、器用にも上目遣いでオレの表情を伺った。
「何か……目上の人みたいだなって」
「みたいというかまあそうだろ。今更何言ってんだ」
歴然とした事実にそのまま返してしまうは、暁人はそうなんだけどさ、と口ごもる。
「だって、あの夜は……浮いてるだけの黒いおじさんだっただろ」
確かにオレとオマエの仲だとは言ったが流石にそれは傷つくぞ。否定しきれないのがまた腹立たしい。
「誰のお陰でエーテル使えたと思ってんだ」
「あの状態で使ってくれたら良かったのに……せめてガードだけでも」
白無垢に引きはがされ冥界に引きずり込まれた時のことを思い出しているのだろう。必死にオレの名を呼んで、弓でマレビトどもを撃退した事実には感謝しかない。しかしできないものはできないのだ。
「エーテルを顕現する肉体がねえと無理なんだとよ」
エドの言い分なので細かな原理はわからないが腕から指先にかけて巡る回路が重要なのだろう。
「肉体……」
「オマエ、オレが生き返って嬉しくないのか」
「嬉しいに決まってるだろ!」
妙な部分に引っかかりを覚えたらしいのでわずかに不安になるが危惧した感情はないらしい。流石にKKが生き返らないほうが良かったとか言われたら化けて出るぞ。
「ただ、実際にKKが生きてるのを見たら……何か、どう話したらいいのかわからなくて」
「はぁ!?」
電車で「幼児はタダだったね」と揶揄されたこと、「褒めてくれてもいいんじゃない?」と誇らしげに称賛を強請られたことを忘れてはいない。あの時の軽口の応酬は、オレの実像を実感してなかったからできたってのか?
思いもよらない事態に頭を抱えそうになる。そうか、コイツはしっかりしていると思ってもまだ大学生のガキだ。親も亡く、親戚づきあいも薄く、大人との関わりと言えば大学の教員かバイト先の会社員か顧客がせいぜいか。
「今更気にすることはないだろ」
「わかってるけど! KKの姿を見ちゃうと何か言葉が出てこなくて……」
単純にオレに嫌われるとか怒られるとか思っているわけではないらしい。信頼されているのは幸いか。正直慣れだとは思うが、黙って待つのは得意ではない。
オレは少し考えてジャケットを脱ぐと、何をされるかわかっていない暁人の頭から被せて腕を乗せる。意味のない声が聞こえたが無視する。
これであの夜が再現できるなんて世の中お手軽ではない。それでもジャケットからはみ出した暁人の指に力が入るのが見えた。
「これでどうだ」
「……いつもこうするの?」
「狐面でもいいぞ」
あの女装はどうかと思うがと付け足すと絶対に着ないよ!と返ってきた。
世の中案外単純なものだ。暁人の声に明らかにハリが戻ってきたのを感じて嘆息する。
「オマエ、意外と繊細で単純だよな」
「どっちだよ。 あとKKに言われたくない」
ほらな、と見えていないのをいいことに煙草を出す。こんなに気分の良い時に吸わないのは勿体ない。
「年とか関係ねえ、オレの隣にいてもいいと思えるのはオマエだけだ」
「……うん、ありがとう」
ジャケットの中の肌が赤く染まっていたことをオレは知るのはもう少し先の話だ。