「シロップ」「かんかん照り」 簓が出ているトークバラエティ番組を流しながら、細々とした家事を片付けていると、テレビから聞き慣れた騒がしい声が流れた。自分もかつてあの中にいる一人だったと言うのが今は全く信じられない。あの頃からうまく立ち回っていた簓だが、最近はより一層それを感じさせる。お題に沿ったトークを芸人が各々披露する中、一際よく回る口から軽快な言葉がスラスラと滑り出ていくが、ある一文に引っ掛かりを感じた。
「ほんで、あんまりにも暑すぎてどないしよーって考えとった時に、当時の相方が思いついたんがかき氷で~」
「……? いや、俺とちゃう! 言い出したんはお前やったやろ!」
思わずテレビに向かってツッコミをいれてしまう。簓の話すトークを聞いて、「ああそういえばそんなこともあったな」と、ついさっきまで忘れていたことすらも忘れていた、養成所に通っていた時の思い出。
◆
「暑い~暑すぎる~」
二人ともネタを考える手が完全に止まっているのは、ただでさえ暑い日本の夏の中、まともにエアコンが作動しない簓の部屋が原因だった。
一応エアコン付きの物件ではあったが、あまりにも古くてそよ風のような冷風ではまるで焼け石に水だった。扇風機を取り合うことにも飽きて、二人して畳に寝転び、天井を仰ぎ見ていた。何もしていなくても首筋を汗が流れていく。麦茶の中の氷がカランと音を立てた。流しっぱなしにしていたテレビからはレポーターの陽気な声。チラと目線を向けると、豪華なフルーツがたくさん乗った高級かき氷を紹介していた。
「ええなぁー…うまそやなー…」
「せやな…うわ、二五〇〇円もすんで…」
「かき氷にその値段よう出さんわ…」
「…いつか余裕で食えるようになりたいわ」
まともに動いていない思考で、反射的な会話を繋げる。すると突然、机を挟んだ向こう側で簓がガバッと起き上がった。なんとなく嫌な予感がする。
「せや! 食べにいくのが無理なら作ったらええやん!」
やっぱり、と心の中で一言呟いた。
「いきなり何を言い出すんや…」
簓はかなり乗り気なようで、ニヤニヤしながら机越しに身を乗り出す。
「いやーこういうさ、若かりし頃の下積みエピソードみたいなやつ! 一つや二つ作っとこかーって!」
「男二人でかき氷作る話なんて一体どこで披露すんねん…何もおもろないやろ…」
「それを面白くすんのが腕の見せ所やん!」
なーなーろしょー! ええやろ? ネタ作りも行き詰まったし! な?
と段々と駄々をこねはじめる。普段は滅多にこう言う風に無理を言うことは無いが、時々どうしても譲れない何かがあったりするとこのスイッチが入ってしまう。そしてなんだかんだ盧笙が最終的に折れてやるのだ。
「…しゃーないな」
しぶしぶ承諾のを伝えるとやったー! と大袈裟に喜んでみせる簓に思わず口元が緩む。なんだかんだ甘いな、と思いながら。
外に出てみると案の定、猛烈な暑さが蔓延していた。青く高く、まるで絵の具で塗りつぶしたような青い空には雲一つなく、日陰もできないアスファルトを焦がすように日光が照りつけている。
「あっつー…」
「帰りたい…」
「いやまだ出たばっかやん…」
口ではそう言いつつ、簓の表情にも若干後悔の色が滲んでいる。まだ歩いてそれほど経っていないが二人ともすでに汗だくだった。しかし、これだけ暑い中買いに行くのだ。きっと出来上がったかき氷は余程美味く感じるだろう。こめかみを伝う汗を拭いながら、盧笙も段々とその気になっていた。
ようやく最寄りのドンキに到着し、自動ドアが開くと中から冷蔵庫並の冷気が流れ込んできた。
「うわーっ! 涼しいー!」
「ほんま、生き返るわぁ!」
二人で口を揃えて同じようなことを言いつつ店内へ進もうとすると、簓が隣でくつくつと笑い始めた。
「なんや? 何かおかしいことあったか?」
「いや盧笙…だってお前…ふははっ! なんでそんなドンキ似合うんやっ」
「何のことや?」
「いやっ、自分の服見てみぃ! あっかんホンマおっかしいわ」
そう言われて改めて自分の格好を見直してみる。ヨレヨレのTシャツ、高校ジャージのハーフパンツ、サンダル…適当な格好に違いはないがしかし、簓も同じような適当な格好をしている。
「いやお前も同じような格好やん」
「なんでわざわざ健康サンダル履いてきとん! しかもヤンキーが着る有名な犬やんそのTシャツ! 正装すぎるやろっ!」
なんやねんドンキの正装て、と雑な返しをしつつ遂に爆笑しはじめた簓を放っておいて辺りを見回すと、すぐにシーズン物が集められた特設コーナーを見つけた。
「あっ! ろしょーこれやりたい!!」
簓が一目散に見つけて手に取ったのは、蛍光色が使われた派手で、大きな水鉄砲だった。某有名ゲームに出てくるアイテムを水鉄砲にしたものらしい。
「そんなんどこですんねん」
「なぁ盧笙、バーベキューってしたことある?」
「いやもう興味次にいっとんのかい!」
目に付くものに手当たり次第興味を持ち始め、テンションが上がっていく簓を見ていると、つられて思わず楽しくなってしまう。最近はこんな便利なものがあるのか、とアウトドア用品を眺めていると、
「なーなー! 花火! 花火も買おや!」
手にしているのはとんでもない量の手持ち花火やロケット花火が詰め込まれた、とにかく売り場の中で一番派手で、一番大きなセットだった。
「いや二人でする量ちゃうやろそれ! ほんで金も無いねん!」
あれも欲しい、これもやってみたい! など、夏ならではのグッズにいちいち反応し、どんどん本来の目的から脱線していたが、やっとかき氷機までたどり着いた。テレビで見ていたような、ふわふわしたかき氷が作れる物を手に取ってみる。
「うわ…これこんなするんや…」
でかでかと書いてある値段は四五〇〇円。想定より大幅に予算をオーバーしている。二人で顔を見合わせ、どうするか逡巡し始める。せっかく暑い中ここまで来たのだ、こうなったら意地でも本来の目的は達成したい。
他に良いのはないかと探してみると、電動の立派なかき氷機が並ぶ中、小さな手回し式のペンギン型かき氷機が遠慮がちに鎮座していた。
「よっしゃ! ペン子にしよ!」
一番値段が安いペン子の箱を簓が手に取る。
「名前安直すぎるやろ! キガ子とかにしたれよ」
「…は? きがこ…?」
ポカンとした顔の簓を横目に、今度は食品コーナーへと進む。数多くの商品がひしめく中、ようやくかき氷シロップを見つけた。定番の味から変わり種まで、幅広い種類が並んでいる。
「盧笙はどの味がええ? 俺はなー、メロンもええけどレモンとかもええなぁ!」
「いや待て、よう見てみ」
棚に並ぶシロップから選ぼうとしている相方を軽く小突き、少し離れた場所にあるワゴンを指差す。そこには在庫処分品として半額シールが貼られた食品が詰め込まれていた。
「おっうまいことあったやん」
盧笙はそう言いながら半値になったイチゴシロップをカゴに放り込んだ。
「ええー! おもんないやん!」
「どうせすぐ飽きるんやでこれで充分や」
オカンみたいなこと言うやん、と文句を垂れる簓についでやから買い物もしてくでと言い、日用品コーナーへ。色々な商品を眺めていると、ついつい買いすぎてしまうので注意しながら商品を厳選する。
一通りお互い必要そうな物を見繕ってレジで会計を済ます。いつの間にか小ぶりな手持ち花火のセットもカゴに入れられており、レジでバーコードを読み取った時にその存在に気がついた。
「油断も隙も無い奴やなホンマ」と簓をじろりと見ると、いたずらが成功した子供みたいな顔で笑っていた。
商品が入ったビニール袋を一つずつ持ち、行きも通った道を歩く。相変わらず照りつける真夏の太陽に肌をジリジリと焼かれる。二人の頭上には相変わらず嘘みたいな青空に、合成したかのような入道雲が高くのぼりゆっくりと行き過ぎる。ジワジワと蝉時雨が降り注ぐ中、引きずるように歩くサンダルが間延びした音を立てている。くだらない事ばかりを話して腹が捩れるくらいに笑い、ガサガサとビニール袋を揺らした。笑いすぎて苦しくなり思い切り息を吸うと、夏の匂いと自分の汗の匂いが鼻孔を駆け抜けていく。昨日泊まった時に使った安いシャンプーで髪が軋む。
「…夏やなー」
「ほんまにな」
いつの間にこんなに時間が経ったのだろう、簓とコンビを組んで毎日がとにかく目まぐるしい。きっとこれから先も、こんなペースで時間が過ぎていくのだ、と確信めいた物を感じた。
ようやく簓の部屋まで帰ってこれたが、相変わらず部屋の中は蒸し暑い。どれほど意味があるのか分からないがエアコンを付け、買ってきた商品を取り出し始めると簓があっ! と声をあげた。
「やばい…氷作るの忘れとった…」
思いつきのまま外へと繰り出したので、製氷機に新しく氷を作るのをすっかり忘れてしまっていた。いまからこの小さな冷蔵庫で氷を作ろうと思うとどれくらい時間がかかるのか…。
「しゃーないっ! ジャンケンや!」
コンビニまでどちらが氷を買いに行くか、簓はジャンケンで決めるつもりらしい。
「ええわ、俺行ってくる」
「…え? 何で?」
「別にすぐそこやし」
本人はどうやら気が付いていないようだが、かなり顔が熱を持って赤くなっている。このままもう一度外に出れば熱中症になりかねない。いくら空調の効きが悪いとはいえ、外よりは室内のほうが幾分かましだろう。
さっさとサンダルに足を突っ込んで財布と携帯だけをポケットに突っ込みコンビニへと向かった。
氷を調達して戻ってくると、机の上にはすでに箱から出された新品のペンギン、半額のシロップと茶碗が用意されていた。
「盧笙~わざわざホンマおおきにな!」
すっかり顔色が良くなった簓を見てやはり自分が買いに行ってよかったと思いつつ、盧笙は袋の中から買ってきた氷を取り出し、ドサっと置いた。
「えっ盧笙…? これは…」
「おう、氷や」
「…いやデカいし多すぎるやん!」
大きめに割られた氷がゴロゴロと一キロ分入った袋を前に、簓から突っ込みが入る。
「氷なんてなんぼでも使えるんやで別に多くてもええやろ!」
さっさとやるで! といい、ペンギンの頭の部分を捻り蓋を開ける。
説明書を二人で覗き込みながら氷を入れて蓋を閉めるが、氷が大き過ぎてうまく閉まらない。ああでもないこうでもないと、なんとか工夫しながら氷を閉じ込め、いよいよ簓がハンドルを回し始める。
「…あれ? 回らへん」
余程氷が硬いのか、ハンドルは一向に動く気配がない。
「ちょお貸して」
今度は盧笙がハンドルを回してみる。渾身の力をグッとこめると、ガリッと音をたててわずかに削られた氷が出てきた。
「おおー! できた!」
二人して歓声を上げ、さらに力を込めてハンドルを回すが、内部で氷が引っかかって中々回らない。今度は勢いをつけてハンドルに力を込めると、バキッと氷が削れる音とは違う音が鳴り響いた。
「ペン子ー!」
「キガ子ー!」
今度は二人して別々のペンギンの名を叫ぶ。
恐る恐る回してみると、ハンドルは力なくクルクルと空回りをするばかりだった。あまりの馬鹿馬鹿しさとくだらなさで、二人して今日一番の声で笑い合った。
「あまりにも短い命やったなぁ! っはははは!」
「もー! ほんっまに! 今日俺ら一体何しとったんやっ! アホらし!」
ひとしきり笑い合った後は渋々後片付けをし、ようやくネタを書き始め日がとっぷり暮れてから近くの公園へとネタ合わせをしに出かけた。住宅街の中にあるような小さな公園だ。抑え気味の声量で、タイミングやテンポの調整を一通り終わらせると、満を辞してと言わんばかりに、簓が昼間買った花火を取り出した。
公園の水道付近で花火に火をつけると、明るいオレンジの火花が二人の顔を照らし、もくもくと火薬の煙が立ち上った。手持ち花火なんて、どれくらい振りだろうか。次々と火を灯しては、色とりどりの火花が目の前に広がり、消えてゆく。
二人の間を生ぬるい風が通り過ぎ、煙を運んでいった。一番小さな袋だったこともあり、あっという間に遊び終わってしまった。
「あー、もう終わってしもたな」
最後の線香花火が消えて名残惜しそうに呟く簓を見つめていると、えも言われぬ感情が滲んだ。
「また今度やったらええやん」
励ますように言葉をかけると、せやなと返事が返ってきた。二人で花火の後始末をし、その日は各々の家路へついた。
◆
「簓さん、ほんまに何でも持ってってええんですか?」
「おう! ここにあるもんはもう使わんからな~どんだけでも持ってき!」
養成所時代から暮らしたこの部屋を引き払う日が近づいている。盧笙とコンビを解散した後もしばらくこの部屋で暮らしたが、拠点を移すにあたってとうとう部屋を出ることに決めた。数人の後輩芸人が引越しを手伝ってくれているおかげで、驚くほどスムーズだ。
「この服もらいます!」
「ドライヤーも!」
ええよええよ~と適当に返事をしながら、携帯でマネージャーと仕事の後始末についてやり取りを続ける。
「簓さん、これなんですか?」
後輩の一人が手にした黄色いビニール袋を広げながら聞いてきた。
中身を覗き込むと、あの日適当に片付けそのまま放置していたかき氷機とシロップが入っていた。
「あーこれな、壊れてもうてるんよ」
こんなん何ゴミに分別すんのやろなーと言いながら、あの夏の暑が一瞬、フラッシュバックする。
どこまでも続く青空と白い入道雲、蝉時雨、うだるような暑さの中、響かせるように二人で笑い合った夏の日。胸を刺すほどに眩しい思い出を捨てるように、未開封のシロップがゴトンと音を立ててゴミ箱の中に落ちていった。
胸の中にはただ、虚しさだけが残る。