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    菫城 珪

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    POIPOI 19

    菫城 珪

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    盤上に咲くイオスの校正が嫌すぎてこちらのトリミングした。とはいえこちらも書き直したい部分も多いので本連載時にはもっと文章直したいところ

    出奔魔術師の旅日記22 野兎のスープと自己紹介
     
     頭が、割れそうな程痛い。
     瞼を刺す強烈な光に無理矢理意識が覚醒させられると同時に鈍い頭痛が襲ってきた。体を起こそうとするが、体はずっしりと重く気分も最悪で一歩も動きたくない。
     覚醒しきらないままに男はゆるりと孔雀青の瞳だけで周囲を窺う。真上を向けば視界に入るのは目に染み入るような青と強烈な陽光。
     眩しさに小さく呻いて上空から徐々に地上に視線を向ければ、黒々と茂る森の端から太い幹を巡り、やがて自分が横になっている草原へと辿り着いた。鼻先をくすぐるのは青臭い草の香りと何やら食欲を唆る良い匂い。
     草原に似つかわしくないその匂いに自分が今どこに居るのか本気で分からなくて思考が停止している時だ。
    「起きたか?」
    「っ……!」
     低い声がして慌てて飛び起きれば、鈍かった頭痛が一気に激しさを増して吐き気すら襲ってきた。昨夜、外套に包まれて転がされている間に少しでも体力を回復させようと最後のポーションと魔力回復薬を飲んだが、それでも不十分だったようだ。
     鋭い痛みに一瞬顔を顰めたのを声を掛けてきた相手は見逃さなかったらしい。傍らに置いた荷物から小さな小瓶を2本取り出して差し出してきた。
     一本は薄緑の液体に、もう一本は鮮やかな黄色の液体に満たされている。ポーションと魔力回復薬のようだが、凝った装飾の施されたその小瓶は見るからに上質の物だ。
    「……いいんですか?」
     その価値に気が付いて恐る恐る訊ねれば、相手は押し付けるようにして小瓶を差し出してくる。
    「飲まないと動けねぇだろ。本当は昨日のうちに飲んどけばもっと楽になってたんだろうが、名乗った後気絶するようにぶっ倒れて寝てたからな」
     ここまできてやっと男は自分の現状へと思考が追い付いた。
     追っ手に追い付かれそうになった所で出会ったこの男に助けられたのだ。名をノエルと言っていて、自分は咄嗟にユークと名乗ったな、と思い出しながら礼を言って笑顔を作る。
     同行を乞うたからには不調を引き摺って足を引っ張る訳にはいかない。何より追っ手に見つかった際に動けないようでは困る。
     ここは素直に甘えておこうとまずは魔力回復薬である黄色の薬液から飲み下す。昨夜口にしたものよりずっと口当たりも良く飲み易いそれは瞬時に体に魔力を与えてくれたらしい。枯渇している魔力が補給された事で頭痛と体の重怠さが少し軽くなったのを感じながらユークはホッと息をつく。
     続けて薄緑の液体を飲み下せば、ずっしりとのしかかっていた疲労感が薄れた。どうやら奮発した品質の良い物を寄越してくれたらしい。
    「ありがとうございます。これの分も含めて報酬はお支払いしますね」
    「いい。どうせダンジョン攻略の際に落ちて余ってるやつだ」
     ノエルが鞄の中に手を突っ込むとじゃらりと音を立てながら同じ小瓶を大量に掴み出して見せた。鞄の見た目の割に沢山入っている所を見ると空間魔法の施された物かもしれない。
     ダンジョンで落ちたという事はドロップ品なのだろう。高品質な代物は深層でしか出ないと以前聞いた事を思い出しながら目の前にいる男の強さを推測する。
     逃走経路に選んだこの森は高ランクの魔物も多く潜む危険地帯だ。そんな場所でノエルは一人で野営していた。彼は一人でこの場所で一晩過ごすつもりだったのだろう。
    (この辺りに魔物の気配もなかったな)
     ぼんやりと周囲に視線を向けるが、やはり周りに魔物の気配はない。野外に生身で無防備に過ごしているというのに、此方を窺う気配すらないのだから、魔物の方から本能的に避けているのかもしれない。
    「飲んだら飯にするぞ」
     促されてノエルの方を見れば、焚き火に小振りの鍋が掛けられていて中で何やら煮込んでいるらしい。先程から漂っている良い匂いの正体に気が付いた所で空腹を訴えるようにユークの腹が鳴る。
     すっかり忘れていたがこの二日程は携帯食を少し口にしただけで殆ど飲まず食わずだった。
    「……頂きます」
     空腹に急かされるまま差し出された器に満たされたスープとスプーンを受け取って匂いを嗅ぐ。何かの肉とハーブだろうか、食欲を刺激する香りに思わず湧いた唾を飲み込んで器に口をつけた。
     途端に口の中に広がるのは肉の甘みの溶けた汁とハーブの複雑な風味だ。肉に少々の獣臭さはあるものの、それすら味わいになっている。
    「美味しい……」
     久々に暖かい物をゆっくり腹に入れてぽつりとユークは呟いた。野味溢れる味わいだが、温かなスープが空腹と疲れきった体には殊の外染みる。
    「昨日捕まえた野兎とその辺に生えてたハーブのスープだ。悪くないだろ」
    「はい。兎は初めて食べましたが、クセがなくて美味しいんですね」
     食べ易いよう配慮された細かく切られた肉を噛み、飲み込む。柔らかく旨味の強い肉質は今まで食べた事がないものだ。家畜化された動物や家禽よりも歯応えがあって旨味のが強いのに、魔物よりもずっとクセがなくて食べ易い。
     あっという間に一杯目を完食すると待ち構えていたように二杯目が入れられて、更には棒状に焼き締められた携帯食も渡された。思わずノエルを見遣れば、もっと食えと言わんばかりに緋い瞳に促される。逆らっても仕方ないし、空腹には勝てないとユークは大人しくそれに従った。
    「飯は食える時に食っとけ。いざって時に力が出ない」
     ノエルの信条なのだろうか、妙に実感が篭った言い方だった。冒険者としての経験が長いのなら、食事を摂らなかった事で苦い経験をした事があるのかもしれない。
     そうやって二人でぽつぽつと話しながら食事を進めていくと、あっという間に鍋は空っぽになった。
    「……顔色もだいぶ良くなったな。それ食い終わったらもう一本魔力の方飲んどけ。まだ本調子じゃないだろ」
    「お見通しですか」
    「勘だけどな」
     さらりと言ってのける相手の様子に思わず苦笑を浮かべる。
     魔力量が多い人間程、枯渇すると回復に時間を要するものだ。ユークの場合、幼い頃以来の本当に久方ぶりの魔力切れで回復にどれほど時間が掛かるのか自分でもわからなかった。
     体感的には昨夜と今し方飲んだ魔力回復薬に休眠を合わせて三分の一ほど回復したくらいだろうか。多少の魔法を使うのには苦労しないと思うが、逃亡中の身分としては有事に備えて体調も魔力もなるべく万全にしておきたい。
     最後の一口を飲み込むと手にしていた器を取られ、代わりに投げ渡されたのは鮮やかな黄色の小瓶だ。食事の片付けを任せてしまう事を心苦しく思いながらノエルの厚意に甘えさせてもらって魔力回復薬を一息に飲み込む。じわりと染み込むように馴染む魔力に小さく息をつけば、緋い瞳がじっとこちらを見ている事に気が付いた。
    「何か?」
    「まだ全回復しないのか」
     笑顔を作って訊ねれば、ノエルはさらりと聞き返してくる。見透かされている事に驚きながら、ユークは困ったような笑顔を作った。
    「そのようです。しかし、よく分かりますね。もしかして鑑定持ちですか?」
     鑑定のスキルを持っていてそのスキルレベルが高ければ他人の能力を覗き見る事が出来る、とは聞いた事があった。
     自分はやった事がないが、覗き見られるのは嫌だなぁと呑気に考えながら苦笑してみせれば、彼はゆるりと首を横に振る。
    「いや、さっきも言ったがただの勘だ。渡したのはダンジョンで出た最上級品だが、それを二本飲んで回復しないのはすごいな」
    「……あの、今さらっとすごい事言いませんでした?」
    「何が?」
     本気で分かっていなさそうなノエルの様子に、ユークは本当に苦笑するしかなかった。
     ポーションや魔力回復薬は人の手によって生産される以外にダンジョンでも見つかる事がある。人が作る物とのダンジョン産の大きな違いはその品質と効果だ。ダンジョン内で見つかる物は人が作る物より遥かに効能が良い。どんなに偉大な錬金術師や薬師が最上級の設備と材料をもって挑んでもその効能を再現することが出来ないと言われているくらいだ。
     しかし、高品質な物になればなる程、魔物が稀に落とすものだったり、ランダムで配置される宝箱に入っている物が中心でその数は少ない。だからこそ、ダンジョン産のポーションや魔力回復薬は貴重品として高値で取引され、常に品薄なのだとユークは聞いていた。
     そんな貴重品をこの男は大量に持っていて碌に知らぬ人間にぞんざいに投げて寄越すのだ。喉から手が出る程欲しがっている者も多いだろうに、それをあんな風に扱っているの欲しがっている人が見たら卒倒しそうだ。
    「ダンジョン産の最上級品なんて、超がつく貴重品でしょう? こんな見知らぬ人間にホイホイ渡していいんですか」
    「さっきも言ったがダンジョン攻略の際に見つけたのが余ってるからいい」
    「自分で使うでしょうに」
    「ここ暫くは使ってねぇな」
     不敵に笑うノエルの表情に嘘は無くて、ユークは驚くしかなかった。
     そういえば、いつだったか兄がしてくれた土産話の一環として単身でダンジョンを踏破する若い冒険者がいると聞いた事を思い出す。もしかすると、目の前の青年がその冒険者なのかもしれない。
     しかし、ユークの持つ見識はとても狭い。魔術やそれに準ずる事柄に関する膨大な知識はあるものの、閉じた環境でずっと暮らしてきたから普通の人なら当たり前の、極一般的な常識にすら欠けているところがある事も自覚している。
     まあ世の中にはこういう人も普通にいるのだろうと納得する事にした。
    「後でいくら請求されるのかちょっと怖いですね」
    「やったんだから気にするな。もう一本飲むか?」
    「これ以上は中毒になりそうなので遠慮します」
    「はは、違いねぇ」
     軽口の応酬を終えて、お互いにくすりと笑い合う。少しだけ緊張感がほぐれた気がして、ユークは改めてノエルを見た。
     精悍な顔立ちは整っていてまるで御伽噺に出て来る騎士のようだ。真紅の瞳はまるで宝石のようで、陽射しの中でより鮮烈に緋く輝いて見えた。
     体格は決して屈強ではないものの、すらりとした長身は良く鍛えられていてしなやか。髪も着ている服も深い漆黒。身のこなしや佇まいに隙はなく、まるで獣の……そう、例えるならまるで狼のよう。昨夜も外套の隙間から垣間見ていたが月明かりの中、その凛とした姿に心境的にも随分助けられた。
     そして、初めてノエルの姿を見た時からユークの中には不思議な感覚がある。近くにいるとそわそわするのに、何故か安堵するという不思議な感覚。
     ポーションなどを飲み、休息も取ったがそれだけでは説明し難い魔力の凪を感じている。これまで生きてきた中で一番穏やかなもので、言い知れない心地良さがあった。
    「……ノエル」
    「なんだ?」
    「もう少し、貴方の事を教えて下さい。貴方と仲良くなりたいです」
     ユークの言葉にノエルは驚いたように真紅の瞳を丸くする。変な事を言っただろうか、と内心で不安に思っているとノエルはユークの近くにあった岩にどかりと腰を降ろした。
    「……名前はノエル・ガデューカ。年は23。生まれは北の方。職業は冒険者、現在ソロ。得意なのは長剣と氷魔法。趣味は人助けと美味い飯と酒を探す事」
     一息にそこまで話してノエルは小さくにやりと笑みを浮かべてユークを見た。どうやらお前の事も話せ、という事らしい。
    「私はユーク。年はもうすぐ23歳。生まれは南東の方で今現在の職業は逃亡者。ああ、犯罪者ではないのでご安心を。趣味は魔術とその研究、それから錬金術です」
     当たり障りなく真実を話せば、ノエルも信じてくれたようだ。
    「昨日の連中、只者じゃないだろ。何やらかしたんだ?」
     答えたくなかったら答えなくて良い、と付け足しながらノエルが当然の疑問を口にする。既に巻き込んで迷惑を掛けているし、不思議と彼になら話しても良いか、という気がしていた。
    「色々と複雑なんですが、実は無理矢理結婚させられそうになりまして」
    「……まさか相手は昨日のおっさんか?」
     この世界では同性婚も珍しくないとはいえ、想像したのか顔を顰めるノエルの様子にユークはくすりと笑みを零す。
     向こうはそんなに必死に追っていたのだろうか。
    「いいえ、相手は別の方ですよ。昨夜の偉そうなのは私の上司みたいな人です。頭は硬いし、小煩いからあんまり好きじゃないんですけどね……。なんとなく予想ついてると思いますけど、お相手はこの国のお偉いさんです。ちょっと前に呼ばれた夜会でやらかした際に目をつけられまして」
    「やらかしたのか」
    「そりゃもう派手に。一応言い訳しますが、不可抗力だったんですよ?」
    「不可抗力で夜会でやらかして貴族に気に入られて無理矢理結婚させられそうになってるとか面白い状況だな」
    「当事者としては笑えませんよ。まあ、お陰でずっと夢だった自由気ままな旅が出来そうなんですけど」
     言葉を切って、空を見上げる。
     故郷の街とは少し違うように見える深い青はどこまでも高く澄んでいた。
     森に満ちる木と草の匂いはユークにとってそれだけで新鮮なものだ。
     渡る風は甘く、道端に咲く小さな野花ですら、知らぬ世界を見ている。そう思うだけでこの世界の何もかもが愛おしい。
     心地良さそうに風に髪を靡かせるユークの姿に、ノエルは目を細めた。
    「……私、生まれた街の外へ出た事が殆どないんです。仕事でよそへ行く事はありますけど、必ず誰かが一緒だし仕事が終われば即帰還で自分の足であちこち見て回った事がなくて。現状を特別不満に思った事はないですが、やはり一度自由に旅をしてみたかったから……だから、状況はともかくとして今楽しくて仕方がないんです」
    「……そうか」
     短い言葉と共に突然くしゃりと頭を撫でられて、ユークは戸惑う。
     大きな手は手袋越しだというのに暖かくて、不思議な感覚が大きくなる。こちらを見る真紅の瞳に胸がざわめき、落ち着かなくなった。
    「ダンジョンには付き合ってもらうが、それ以外はお前の好きな所に連れて行ってやるよ」
     柔らかな低い声に心臓が弾む。
     初めての感覚に戸惑いながらも、ユークには出逢ったばかりのノエルの言葉がとても嬉しかった。
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