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    burukare

    @burukare

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    burukare

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    前置きが長い
    テレセク曦澄時空の話

    それの切っ掛けは魏無羨だった。
    何の偶然か、義兄弟で藍氏双璧と呼ばれる兄弟とくっついてしまった。
    その際のあれやこれやは割愛するが魏無羨は姉のことが大好きである。勿論、俺も好きだがあれは姉のお願いを叶えずにはいられない生き物だ。
    弟に恋人が出来たことをいたく喜び、会ってみたいわと笑う姉に奮起したのは言うまでもない。
    だが、そこは魏無羨。何故そうなったのか、無駄な企画力を発揮して、『恋人のカッコいいところを自慢する会』を開くと言い出したのだ。
    姑蘇楽団で活躍する音楽家である藍兄弟。チケットを取って招待すればそれだけで目的は達せられるだろうに、ホテルの会場を手配し、ディナーショーレベルの企画を立てた。
    両親と姉とその婚約者の金子軒だけでは無駄に広い会場が埋まらないと元学友の聶懐桑とその兄である聶明玦、それから金光瑶を招待した。
    聶明玦と金光瑤は藍曦臣の友人だそうで喜んで招待に応じてくれたがそれでも席が余る。
    そこで楽団を通じて余った席を販売したところプレミアが付いてしまった。
    元々が内々の企画である。
    先のディナータイムは藍兄弟とその叔父である藍啓仁、それから両親と姉に金子軒が同じテーブルを囲み婚約の顔合わせのような様相を呈していた。
    姉はニコニコと魏無羨の出会いから今までに至る惚気を聞きながら楽しそうに食事をしていたし、藍忘機は黙って魏無羨の世話をしていた。藍曦臣は両親と話を弾ませ、藍啓仁も難しい顔をしてはいたが眉間の皺は薄かった。
    デザートが終わる頃、藍兄弟が立ち上がりスタンバイをする。
    そして、マイクを持った魏無羨が滔々と司会を始めたのだった。

    そんな一回きりだろうと思っていた企画が噂になり姑蘇楽団に要望としてご意見が寄せられたのだと聞いたときには目を剥いた。
    「またやらないのか、という声が多く」
    「はぁ……?」
    「あれは無羨が企画したものですから答えようもなく」
    「別にあれは魏無羨が藍忘機を姉に紹介するべく企画しただけだからあなた方がやりたいのなら好きにやればいいのではないか?」
    ソファに並んで座り、近況を報告していたら齎され情報に首を傾げる。
    困った顔の恋人に楽団で公演を打つようにしたらいいのでは?と言えば首を振られた。
    「あれは私と忘機が恋人のために考えたプログラムです。普段とは違う楽器の演奏や曲の構成、アレンジ。全部、あなたのことを想って作ったものです」
    低く甘い声が耳元で囁く。腰に手を回され、距離が近くなる。思わず逃げだしそうになる身体を強く拘束される。
    「なので、あなた方が居なければ意味がないでしょう?」
    甘やかな表情でこちらをじっと見てくる人に勝てた試しはない。
    「何が言いたいんだ?」
    「公演中は私の選んだ服を着て、見ていて欲しい」
    「はぁ?」
    この人の演奏は大好きなので見に行くのは望むところだがそこで服を選ぶというのが分からない。
    「招待席を用意します。そこで私が選んだ服を着たあなたが見ていてくれたらモチベーションが上がるでしょう?」
    上がるでしょう?と言われても分からない。分からないが飲み込まなければ話が進まない。
    「……その条件で何公演するつもりだ?」
    「一公演の予定ですが?」
    「ホールはどこを?」
    「これから日程を擦り合わせて空きを探すので……」
    と挙げられたホールは動員数としては小規模なホールだった。
    「あなたと無羨の予定を押さえなくてはいけないので半年程先を考えているのですが、いかがでしょう?」
    それならば一日空けるのは可能だろうと頷いた。ぱぁっと表情を明るくするのを可愛らしいと思うようになってしまったのが運の尽きだろう。
    今頃、魏無羨も同じような話を聞かされているだろうがあの色ボケは二つ返事に決まっているのでこれで開催が決定したも同然であった。

    そうして開催された公演は瞬く間にチケットが完売し、次の公演の要望が山と寄せられたらしい。藍啓仁と共に首を傾げる双璧に魏無羨と顔を見合わせて肩を竦めたのも仕方ないことだろう。あの人たちは自分たちの人気の高さを理解していないのだ。
    次の年から二日間三公演になり、ホールも押さえられる中で一番大きなコンサートホールが選ばれるようになったが軒並み売切れである。
    そんな双璧のコンサートが近付いているのである。
    「江澄、綿綿が採寸に来いってさ」
    「また作るのか……」
    「あの二人に言っても無駄なのは知ってるだろ」
    金家系列のオーダーメイド専門店の店員の名前を挙げられて肩を落とす。
    あの人は服も靴も仕立てると言って聞かないのだ。しかも、三公演に増えてからは三着仕立てられるのだから無駄遣いもいいところだ。
    魏無羨も同じ目にあっているので互いに溜息しか出ない。
    「懐桑の所にも行かないとだしな」
    「そうだな」
    オーダーシューズを扱う店を半分道楽で営む友は喜々として革から選んでくるだろうから丸一日確保しなければならないのが憂鬱だ。
    コーヒーを飲んで気を取り直す。
    そういえば魏無羨に言っておかなければならないことがあったと思い出す。
    「そういえば、最近ねえさんが阿凌を連れて帰って来てるんだが」
    「うん、この間会いに行ったから知ってる」
    昼過ぎにやってきて、姉や甥と戯れていたが夕食が終わる頃に藍忘機が迎えに来たのだった。一泊すら許さない執着に呆れた記憶がある。
    「阿凌がずっと好きなアニメを流しててな」
    「うん、流行ってるよな」
    「そのテーマソングが耳に残って……」
    「もしかして……」
    「藍曦臣に聞かれてしまったんだ」
    耳に残る曲が鼻歌として出てくることなんて誰にでもあるだろう。
    沈痛な面持ちで魏無羨が黙り込む。
    今までのあれこれで察してしまったのだろう。
    今回のコンサートで子供向けアニメのテーマソングがアレンジされることが決定したことを。
    「今日、 藍湛に会いに来たのは譜面を作るため、か」
    どの楽器を使うかを検討して、譜面を起こすところから始めるのだがまだCDも出てないのでその番組を見ながら作業をするのだ。あの双璧がと思えば居た堪れない。
    「まあ、俺も迂闊なことしたからお相子かな」
    「は?」
    「…… お前、デュオでチェロ弾いてるやつ知ってる?」
    「それくらいは」
    「エレキだから変形したチェロ使ってたんだけどそれがカッコよくってさ」
    この場合、カッコいいは楽器に掛かっているわけだが。
    「藍忘機は気に入らなかったんだな」
    頷く魏無羨になんとも言えなくなる。
    「……この間、チェロが届いたんだよなあ」
    魏無羨の事となると抑制が効かないのは今に始まったことではない。楽器としては使用したことはあるだろうからまだマシか、と嘆息する。
    今回のセットリストがどうなるのか、と言う意味で気が抜けないのである。
    勿論、リクエストをすれば即座に組み込まれる。だが、それは二人のことを分かった上でするものなのでイメージを崩したりとか新たな楽器を購入したりとかは望んでない。
    本当にどうなるのか、と冷めたコーヒーを飲み干して新しいものを用意する。
    コーヒーを飲むだけで誰かを呼ぶのは面倒だと社長室にはコーヒーメーカーを置いていた。ふわりと香るコーヒーの匂いに少し気が解れる。
    魏無羨が前触れもなくこの部屋にやってくるのはよくあることだ。
    今日のように藍家の兄弟について話をしたり、姉や甥について話したり、極稀に仕事の話をしたり。いつも饒舌に語る義兄の口が今日は妙に重いことにも気付いている。普段と変わらぬよう装っているけれど、何かを言おうと口を開いては閉じて別のことを話しだす。こちらも暇ではないのだ。さっさと言いたいことは言って欲しい。
    「魏無羨、このコーヒーが無くなるまでに話さなければもう聞いてやらん」
    ハッと目を見張る魏無羨に鼻を鳴らす。気付かれてないとでも思っていたのか。あーとかうーとか意味のない声を漏らしながら鼻を擦る義兄に馬鹿なのかと思う。
    「江澄、その……」
    「なんだ」
    「籍入れることにした」
    「……そのつもりがあったんだな」
    「はは、俺は入れなくてもいいって言ったんだけど藍湛が……子供を引き取ろうと思って」
    「子供?」
    「うん……阿苑って子。温情と温寧の親戚で」
    「あぁ、覚えている。お前の散々惚気られたからな」
    二人が付き合う切欠になった子供だ。忘れるはずがない。
    「事故でその子が孤児になっちゃったみたいでさ」
    「そうなのか」
    いくら親戚が居ると言っても子供を育てるのは並大抵のことじゃない。引き取ることが出来ずに孤児院に居るという話だ。
    「それなりに蓄えはあるし、何度か会いに行って、引き取る条件とかも調べてたんだけど」
    「どうせお前、あいつに言ってなかったんだろ」
    「よくわかったな」
    分からないはずがない。
    少し前に藍曦臣が困っていたからこれが原因だろう。
    「温寧たちと相談して、引き取れる条件をどうにかできるって話になった時に藍湛には言ったのかって言われて……」
    溜息しか出ない。
    どうせこいつは自分がしたいことに巻き込むのは違うとかそんな馬鹿なことを考えたに決まっている。
    あれだけ分かりやすく執着されているというのにこいつだけが軽く考えているのだ。
    「それで結婚か」
    「ん……」
    むにむにと口元を動かす義兄を可愛いと思うのは藍忘機くらいだろう。あの魏無羨がこうも恥じらったりする姿を見るのは気持ち悪くて仕方がない。
    「いつするんだ?」
    「籍だけ入れて養子縁組の手続きをする予定」
    「は?」
    公表するかどうかはともかく式も何もしないとはこいつは何を言っているんだ?
    「それを藍忘機は受け入れたのか?」
    「書類が揃ったらすぐに、っていう話はした」
    「そうか……」
    名実ともに伴侶にすることを優先したのかもしれないがそんなことを認めるつもりはない。
    今日は藍曦臣を呼び出す必要がある、と仕事の段取りを組み直すことを決意した。

    日を改めてやってきた藍曦臣は頬を染めながら近づいて来る。
    花も恥じらうとはこのことか、といつも思っている。
    「阿澄に呼んでいただけるなんて嬉しいです」
    「ついこの間も会っただろうが」
    ついつい憎まれ口を叩いてしまうが、以前好きだと言っていた茶を用意しているのは俺も会いたかったからに他ならない。
    先日の藍忘機との話し合いの結果、曲目は決まったと聞いている。それらを演出家、デザイナーに伝え、どのような演出にするか、パンフレットの作成などの相談を始めたらしい。
    驚かせたいから秘密、と曲目を教えてくれはしないが半分くらいは検討が付いている。
    まぁ、今日呼び出したのはその話がしたい訳ではないのだが。
    「魏無羨と藍忘機が籍を入れるそうだな」
    まどろっこしいのは好まないので単刀直入に言う。
    「そのようですね。先日、忘機からそのような相談を受けました」
    「籍を入れるつもりはないのだと思っていたが……」
    「無羨はあまり考えていなかったようですね。ですが、忘機は機会をうかがっていたようです」
    「だろうな」
    義兄が家に帰ってこないと思ったら、彼氏が出来たから同棲することになった、と腑に落ちない顔で告げてきたのが大学の頃。
    あれだけ魏無羨を避けて、遠ざけようとしたくせに手が届いたと思ったら囲い込んで離さない。藍忘機と言う男に散々文句を言ったが右から左へ全て聞き流されて、その視線はずっと義兄に釘付けで離れない。嫉妬深く、出来る限り毎日という絶倫ぶりで大変なのだと惚気なのか愚痴なのか分からない相談を聞く程度には魏無羨へと執着している。
    その執着を嬉しいと喜んでいるのだから破れ鍋に綴蓋であるとはいえる。
    その藍忘機が正式に自分のものと出来る手段を考えないわけがないのだ。
    「式はどうするんだ?」
    「はい?」
    「魏無羨が書類が揃い次第籍だけ入れると言っていた。だが、うちの義兄を娶ろうと言うくせに式も挙げないつもりなのか? もちろん、あなた達も人気商売だ。世間的にも風当たりは強い。盛大にしろとは言わないが家族を集めてお披露目する機会を設けるべきではないのか?」
    まずは既成事実をという腹積もりなのかもしれないが腐っても魏無羨は江家の養い子で俺の義兄である。ちゃんと送り出してやる義務がある。ねえさんだって、そんなことは許さない筈だ。
    「……忘機はそのことについては何も」
    「ほぅ?」
    独占欲が強い藍忘機のことだ。二人だけでとか考えている可能性はある。
    だが、誰も反対をしていないというのに挨拶すらさせない気なのかと沸々と沸き上がるものがある。
    「藍先生はなんと?」
    「叔父上は……好きにしろ、と」
    「どうせ、言っても聞かないから匙を投げただけだろ」
    よく分かったな、とでも言いたげに目を丸くする藍曦臣に素直すぎるというのもどうなのかと思ったりする。
    「………藍家と言えば規律に厳しく、礼を重んじると聞いていたのだがなぁ?」
    「阿澄、そのですね。忘機は何も言っていなかっただけで考えていないとは……」
    「それがどうした? あの藍忘機のことだ。魏無羨が望めばいくらでも叶えるだろう。だが、魏無羨は変なところで遠慮する大馬鹿者だからな。今回のようなことでねだったりはしないだろうな」
    本当に腹が立つことにあの馬鹿は何に引け目を感じているのか、籍を入れることに対しても罪悪感に似たものを感じているようだった。
    「そちらが何もしないというのならこちらで勝手にさせてもらう。姉に言えば喜んで準備をしてくれるだろう」
    「阿澄? 準備とは何を……」
    「藍曦臣、私は江家の当主として私の家族を幸せに出来ないやつに預ける気はないからな」
    藍家が物の役にも立たないのなら仕方ない。姉に連絡を取って全てそちらで仕立てるしかない。
    丁度いいことに金家のテイラーに採寸に行く予定はある。これを流用すれば衣装の用意は出来るだろう。
    「あぁ、そうだ藍曦臣」
    「何でしょうか」
    「何時頃書類は揃いそうなんだ?」
    「えっと……コンサートの予定もあるのでそれが終わる頃になりそうだ、と」
    「そうか……分かった。呼び出して悪かったな。あなたも忙しいだろう。今日はもう帰って休むといい」
    「阿澄!?」
    「これから暫く、私も忙しくなる。連絡が取れなくても心配しないでくれ」
    「ちょっと待ってください! 阿澄、話をっ……」
    「これから家族会議なんだ。あなたは遠慮してくれ」
    焦った顔をした藍曦臣をあしらうとまずは姉に連絡を取る。
    「姉さん? 俺だ」
    『あら、阿澄どうしたの? こんな時間に珍しいわね』
    いつもと変わらない姉さんの声を聞きながらしょんぼりと肩を落として部屋を出ていく藍曦臣の背中を見送る。
    罪悪感がないとは言わないが譲れないものがこちらにもあるのだ。
    「魏無羨が籍を入れると決めたんだそうだ」
    『まぁ! 阿羨が!? それはお祝いをしないといけないわ! 結婚式はいつ挙げるのかしら?』
    嬉しそうに、楽しそうにする姉に俺は事情を説明し、あの馬鹿な義兄に思い知らせてやろうと提案を持ちかけたのだった。



    ぐずぐずと落ち込むこの人を見ることなど滅多にない。
    兄の友人ではあるが穏やかな気質で、この人の弟が私と同年代なこともあり可愛がられているとは思う。
    兄は人を励ますことに関しては不得手で、今もうまい飯でも食って忘れろと山盛りの茶碗を差し出している。
    兄のことは尊敬しているし、好きだがそれではこの人の悩みは解決しないだろうことは明らかだ。
    「ねぇ、曦臣兄。もし、逆だったらどう思うのさ」
    「逆?」
    「どうした、懐桑?」
    私が口を挟むとは思ってもなかったんだろう二人から珍しいものを見るような目で見られた。
    そりゃあ、面倒なことは避けて通る私だけど、友人の大事に関わるのだからアドバイスくらいはするよ。
    「兄さん、もし、もしだよ? 私が誰かと準備出来次第籍を入れる。けど、式はするかどうかわからないって言ったらどうする? あ、私が嫁の立場ね」
    「はあ? 何を言ってるんだ? そんな甲斐性もない奴にお前をやるわけがないだろう!」
    「わぁ! 私愛されてるね!」
    目を見張ってこちらを見る藍曦臣に笑って見せる。
    「曦臣兄は藍忘機がお嫁に行くとして籍を入れるだけ。お披露目も何もしないって言っても気にしない?」
    「それはっ……」
    「江兄が言ってるのはそういうことだよ。たぶんね」
    兄のお酒を少し貰って口を湿らす。
    「藍家は魏兄を迎える側だけどさ、江家は違うでしょ? 江兄はお姉さんもお嫁に行って、魏兄も……半分くらい入ってたようなもんだけど完全に藍家に入っちゃうんだから寂しいよ」
    「阿澄……」
    悄然とした様子の藍曦臣に一つ提案をすることにした。
    「アンコールの楽曲は決まってるんですか?」


    姉を訪ねて金家に向かう。
    今日も金凌が足元に駆け寄って来たのを抱き上げる。
    「随分重くなったな」
    「じうじう、あーりんおっきくなった?」
    「あぁ、大きくなった」
    「じうじうより?」
    「まだ、舅舅の方が大きいぞ。それに阿凌が舅舅よりおっきくなったら抱っこしてやれないだろう?」
    「そっかぁ、ならあーりんちっさくていい!」
    にこにこと笑いながら可愛いことを言う甥を抱いたまま出迎えてくれている姉の元へ向かう。
    「ふふ、阿凌は阿澄のことが大好きね」
    「うん!じうじうすきぃ!」
    手放しの好意を向けられるなんてそうないことなのでとても嬉しい。
    姉に連れられ応接に通される。
    膝に阿凌を座らせ、本題に入った。
    「姉さん、魏無羨の話なんだが」
    「阿羨にも困ったものね」
    頬に手を当て、眉を下げる姉に頷く。
    「あいつはいつも急だ」
    「本当に。準備が間に合わないところだったわ」
    そう言って持参した鞄の中からタブレットを取り出した。
    それを見えるように机に乗せて、指を滑らせる。
    「これは刺繍は終えているの。腰の部分とかはゆとりを持たせているけど後で詰めることが可能だし、帯もあるから問題なく着れるわ」
    真っ赤な布に袖口は巻雲紋、前身頃に鳳凰と龍が金糸で刺繍されている。紅蓋頭まで用意してあって、そちらには蓮花が見事に咲き誇っている。
    トールソーに着せてあるが動きやすいようにサイドは深くスリットが入っていて、その下にはもう一枚布があるように見える。
    「阿羨は動きにくいのを嫌うから下はパンツにしてあるの」
    他にも合わせた装飾の数々の写真がある。
    「これ以外にもね、一応モーニングコートにテールコートも用意してみたの」
    確かにフォーマルだ。モーニングコートは織り方が特殊なのか艶を持っていて、シンプルな中にも華やかさがある。襟の部分は濃い色の布を使っているので締まって見える。
    テールコートは逆に艶を抑えたシックな印象だ。襟と胸ポケット部分だけ布が違う。よく見れば釦も少し変わったものを使ってるみたいだ。
    「あとは……そう! これなんかどうかしら?」
    そう言って見せられたのはウエディングドレスのような白い衣装だ。
    「最近、パンツスタイルのドレスがあってね? これならシルエットも綺麗に見えるし、デザインによっては男性でも着やすいかと思って」
    マリアベールとセットになったそれは首元まで詰まっているが刺繍とレースで上半身は埋められていて、下半身は裾が広がったドレスパンツになっている。首から袖まで隠れているが腕回りなどは刺繍などの密度が薄いからうっすらと肌が透けて見える仕様のようだ。所々青い刺繍が入っているのは藍忘機を意識してのことだろう。
    「随分、作ったんだな」
    「勿論よ。阿羨の為ですもの! もちろん、阿澄のためにも準備はしているわ」
    満面の笑みを浮かべる姉に感謝をするべきかどうか少し悩みながら今は義兄のことだと意識を切り替える。
    膝の上では阿凌が飽きたのか手遊びを始めたのでつんつんと指で突いてやるときゃっきゃと笑っている。
    「この間の採寸があるが……」
    「そうね。でも、やっぱり一度着てみてあわせる必要があるのよ」
    金家は宝石商としても有名で、その派生としてウエディング部門も持っている。
    姉はその部門を任されていることもあって妥協をする気は欠片もないようだ。
    「……確か、金家はスポンサーもしていたな?」
    「えぇ。お二人の衣装もうちで仕立てているからその宣伝も兼ねてね」
    「それならいっそのこと大々的に宣伝をしたらいい」
    「どういうこと?」
    大体のコンサートなど流れは同じだ。それは双璧も変わらない。
    メインのセットリストがあり、そこにMCが入る。それが終わって、カーテンコールもしくはアンコール。これを何回するかは会場の時間との兼ね合いもあるが藍兄弟はアンコールで二回、それぞれソロで奏でる、という流れだ。
    アンコールは毎回同じではないが、事前に何をするかは大体決まっているものだ。
    「アンコールの時に映像を流す。曦澄に話せば否とは言わないだろう」
    「それは、どんな内容なのかしら?」
    身を乗り出し、目をキラキラさせる姉に幼い時分に悪戯をしていた時のような気分でその構想を語って聞かせた。

    「それはいいわね! 準備にあまり時間はないと思うのだけど旦那様に話をしてみるわ。阿澄は阿羨と予定を合わせてスタジオに連れて来てちょうだいね」
    「分かった。あいつは引っ張ってでも連れて行くから安心してくれ」
    スタジオの準備もあるから、と早速金子軒に連絡を初めた姉と同じく魏無羨にメッセージを送る。内容としては衣装合わせに行く日を教えろというものだ。あいつは寂しがりやなところがあるのでそう言えばお前はいつ行くのだ、と返ってくるだろう。
    「阿澄、あなたの予定は大丈夫なの?」
    「……父上に話を付ければ暫く代わってくれる、と思う」
    「そうね……私からお母様に言ってみるわ」
    仕事の合間を縫ってするには少しばかり無理があるが何なら睡眠時間を削ればなんとかなると思っていたが姉にはお見通しだったらしい。
    各国を視察と称して飛び回っている両親を頼ると告げるとあからさまにほっとした顔をされた。しかも、先手を打って母に話を付けると言われてしまえば口を挟む余地はない。
    教えなかったらそれはそれで後から口煩く言われるだろうことも分かるので、この機会に話をしておくのもいいことだろう。
    「あ、返って来たな」
    予想通りの返信だったことに口元が緩む。姉からスタジオが空いている日を確認してその日を伝えると一緒に来ると言うので一方的に時間を取り付ける。
    朝一であることに文句を言うだろうが藍曦臣から藍忘機に話を回しておけばあいつが送り出してくることだろう。ついでに藍忘機と藍曦臣の同席は禁じておけばいい。
    これも以前から姉が当日のお楽しみ、と衣装合わせをしている部屋には絶対に立ち入らせなかったのですんなり話も通るだろう。
    「姉さん、この日に」
    「わかったわ、阿澄。私に任せて」
    頼もしい姉に一つ頷いて、金家を後にする。泣きそうになっている阿凌に俺の方が泣きそうだった。


    「藍曦臣、邪魔をするぞ」
    無遠慮に藍曦澄の部屋を訪れる。離れになっているお陰で誰にも咎められることがないのがいい点だろう。
    目を丸くしてこちらを見ている藍曦臣はクラリネットの練習をしていたらしい。
    しっかりした防音室になっているためドアを開けるまで気付かなかった。
    「練習中だったのか、悪かったな」
    「いえ、それはいいのですが……」
    楽器を置いてこちらに近づいて来る藍曦臣に早速頼みを告げることにする。
    「今日は頼みがあって来たんだが」
    「頼み、ですか?」
    「あぁ。金家のプロモーション動画を今度の公演に流したいんだが許可を貰えないだろうか?」
    「プロモーションと言いますと?」
    「動画はこれから撮影予定なんだが、姉が任されている部門で広く告知したい内容の動画だな。あぁ、アンコールの時に流すくらいの短いものになる」
    「はぁ……私は構いませんが」
    「助かる。映像は無声で音は無いから演奏は自由に入れてくれて構わない。要望を伝えるなら二回目のアンコールで流したいのであなたはそちらで演奏してくれると嬉しい」
    「えぇ、それくらいなら融通は利きます」
    「ありがとう。助かる」
    単刀直入に告げた内容にたじろぎながらも藍曦臣が頷いてくれたのでこれで一つの懸念は消える。
    「それで、どのような内容になるのですか?」
    「……映像はまた出来上がったら見せるが、リハーサルでは流さない。本番だけで使用する。三公演全てで映像は変えるがコンセプトは全部同じだから曲を変更する必要はない。あと、藍忘機には終わるまで内緒にしていろ」
    「忘機に?」
    そもそも藍兄弟が主演のコンサートなのでアンコールとはいえ主演の片割れに秘密とは難しい内容だろう。だが、そこはそこ。映像をスクリーンに映すだけならスタッフは然程必要なく、そこはうちから派遣すれば問題はない。そこ以外でもスクリーンを使うというのならまた別ではあるが、アンコールの時だけなら何とかなるだろう。
    「あぁ、あいつに知られるとうるさいからな」
    「……それはあなたのお姉さまが主導しているのでしょうか?」
    「発案は俺だが姉が嬉々として準備をしているからな。まぁ、楽しみにしていろ」
    姉がしっかり関わっているとなれば魏無羨が止めるわけもなく、魏無羨が喜ぶとなれば藍忘機は受け入れるだろう。それであれば藍曦臣が反対をしたところで無駄である。
    物言いたげにこちらを見詰める藍曦臣に首を傾げた。
    「急に来て悪かったな。俺は帰る。練習を続けてくれ」
    「あの!」
    「どうした?」
    「あの、この間のことですが……」
    「あぁ、そのことか。それなら気にしなくてもいい。こちらで勝手にすることにしたからな」
    「それはどういう……」
    「準備があるので私はこれで失礼する」
    情けない顔をしている藍曦臣に笑って見せて部屋を後にした。
    あちらと違い、あまり性格はよくないので振り回せるだけ振り回してやる。
    怒っていないと言ってやれるほど大人ではないので。
    それで愛想をつかされたらその時はその時だろう。
    少しばかり痛むものを感じながら、姉に許可が取れたことを連絡した。

    それからは驚くほどに忙しかった。
    両親は本当に帰ってきて、色々な案件を請け負ってくれた。
    母に至っては「落ち着きのないどうしようもない子だけどないがしろにされるのは面白くないわ」と姉に協力を惜しまなかった。
    そうして、今日が約束を取り付けた日である。
    現地には共に行くと伝えてあったのでまずは我が家で合流である。
    両親も戻ってきているので、魏無羨が来ると二人も出迎えた。
    「おじさんにおばさんも! いつの間に帰ってきてたの!?」
    「お前がこの家に寄り付かないから知らないだけでしょう」
    ツンと突き放す母とは裏腹に「元気だったか」と声を掛ける父。送って来た藍忘機が所在無さげに立っていることにざまあみろと思ってしまった。
    「こいつを連れてくるのは骨だったろう。後はこちらで引き受ける」
    「別に構わない。魏嬰、終わったら迎えに来るから呼んで」
    「藍湛、ありがとな! 終わったら連絡するよ! 仕事頑張って!」
    ひと時でも目を離したくないと言いたげな藍忘機が振り切るように車を出す。
    それに大きく手を振っている魏無羨の腕を掴んだ。
    今日はいくら時間があっても足りないのだ。
    「ほら、行くぞ」
    「もうか? そんなに慌てなくても……」
    「姉さんが待ってる」
    「よし! 急ごう!」
    現金なことだが姉には何物も勝てないのは真理なので仕方ない。
    両親に挨拶をして、車を出した。
    「今日は綿綿のところじゃないのか?」
    「姉さんが色々試したいということで別の場所だが彼女もスタッフとして来ているはずだ」
    「ふぅん?」
    少し郊外にある建物が目的地だ。
    駐車場に停めて、先に聞いていたスタジオに向かう。
    「なんか倉庫っぽいな」
    「そうだな」
    広い空間を得るために中は空っぽの部屋はそう見えるだろう。
    いくつかに区画分けされている中の一つに足を踏み入れる。
    「阿澄! 阿羨!」
    「姉さん!!!」
    久し振りに会う姉の姿に魏無羨が飛びつく。犬嫌いのわりにその姿は大型犬のようだといつも思う。高い位置で結わえた髪が揺れてまさに尻尾だ。
    「久し振りね、阿羨。顔を良く見せて」
    にこにこと笑み崩れる義兄を嬉し気に見る姉の姿は昔はよく見たものだった。
    懐かしい気分になることが少し寂しい。
    「姉さんに会えて嬉しいよ。今日はどうしたの? 江澄からも聞いてたけど姉さんまで来るなんて」
    「ふふ、良いことよ」
    「ほら、魏無羨行くぞ」
    襟首をひっつかんで更衣室に向かう。
    そこで当初の目的の衣服を合わせてから目的に移る。
    「これで三着だな。本当にあいつらはよくやるよな」
    「そうだな」
    綿綿が合わせ終わった服を持っていき、代わりの服を持ってきた。
    それを尻目に元の服へと着替え終わるとのろのろと着替えていた魏無羨の服を遠くへ投げる。
    「なにすんだよ!?」
    「お前はまだ終わってない」
    「はぁ!?」
    「魏さん、こちらに着替えてください」
    最初はモーニングコートだ。
    「なんだこれ?」
    すかさず綿綿が衣装を着付けていく。流石に綿綿を邪険に扱うわけにはいかず、魏無羨も大人しくしている。
    それを持ちこんでいたカメラで顔は映らないように気を付けながらその様子を撮っていく。
    「こんな感じでいかがでしょう?」
    「……いいんじゃないか? あとは姉さんだな」
    「あ?」
    疑問符を浮かべている魏無羨の手を掴み、更衣室を出ると待っていたとばかりに姉がその手を取った。
    「よく似合ってるわ」
    喜ぶ姉の顔に満更でもない顔をするので完全にこちらのペースだ。
    「さぁ、阿羨。ここに座って」
    いつの間にか用意されていた椅子に座らされる。
    何をされるのか未だに分かってないが姉に言われて逆らえるわけもなく、浅く腰掛けた魏無羨をスタッフがあっという間に取り囲んだ。
    「え? ぇえ?」
    「阿羨、動かないで」
    優しいながらも有無を言わせない姉がメイクをしていく。その後ろで赤い髪紐を解いて髪をセットしていくスタッフが居る。
    両手をそれぞれ取られ、爪にも色を乗せていく。
    口を開こうにも姉に動ないように言われては何もできないので視線だけでこちらに問うてくるが俺は撮影に忙しいので疑問に答えることは出来ない。
    なるべく顔が分からないようにメイクされている姿を映すのも大変なのだ。
    そうして、満足いく出来になったところで綿々がベールを持ってくる。複雑に結われた髪に付けられたそれが顔を隠し、胸元まで覆う。
    そうなってから立つように促された魏無羨はどこか心細そうだ。
    「何なんだよ」
    「ふふ、阿羨にはモデルになってもらおうと思って」
    「モデルぅ!?」
    ベールで隠れているから全身を写していく。微調整を綿綿がしていく様子も映す。
    姉の言っていることは間違っていない。これは金家のウエディング部門のプロモーションで、所謂花嫁の準備を撮影している訳だ。これのモデルが魏無羨なのは色々な思惑があるわけだが、対外的には同性婚による利用拡大を目指して、としている。
    勿論、社長である金子軒の許可は取ってあるので問題はない。
    「お前が姉さんの役に立つんだ。光栄に思え」
    「そりゃあ、姉さんの役に立つなら何でもするけどさぁ……これ、俺には合わなくない?」
    「まぁ! 阿羨は私がデザインした服が気に入らない?」
    「姉さんが!? そんなことないよ! でも、こう、かっちりした綺麗な服って俺のキャラじゃないっていうか……」
    「ふふ、これは特別な時に着る服なのだから阿羨が一番綺麗に見えるように作ってるのよ」
    口元を複雑にもにょもにょしているが目に見えるようだ。姉には滅法弱い義兄なので、文句の一つも言えないだろう。一通りの撮影と微調整が終わったところで次の衣装だ。
    まさか、再度着替えさせられ、髪やメイクも直されるとは思ってないだろう義兄に僅かばかりの同情を寄せながら、長くなりそうな撮影を思った。

    「……疲れたぁ」
    すっかり喋る元気すらなくしてしまった魏無羨を車に押し込める。
    姉は金子軒が迎えに来た。阿凌は車で眠っていたので寝顔を見るだけにとどめた。
    別れを告げてくたりと後部座席に沈む魏無羨は連絡というものも思いだせないらしい。
    この計画がバレても困るので都合は良い。
    「この事、藍忘機には言うなよ」
    「なんでだよ」
    「プロモーションだと言っただろう。まだ発表されていない内容を告げるなと言っているんだ」
    「成程な」
    すんなりと納得したことに安堵する。
    「姉に着せ替え人形にされたとでも言っておけばいい。間違ってはいないだろう」
    「そうだな」
    自宅に戻ればいつから居たのか藍忘機が待っていた。
    胡乱な視線を向けてしまうのも致し方ないだろう。
    「らんじゃーん、迎えに来てくれたのか~」
    「うん。約束した」
    「その割に、連絡の一つもお前はしていなかったけどな」
    魏無羨を肘で突く。
    「金夫人から連絡は貰った」
    姉が連絡をしていたらしい。疲れ切った魏無羨を見てのことだろう。
    無表情のくせに魏無羨を抱き上げて車に運び込む姿に呆れてしまう。
    一刻も早く連れ帰りたいとでも言うのだろう。こちらとしても引き留めるつもりもない。
    「それでは」
    「またな、江澄」
    「あぁ。またな」
    滑るように車が出ていくのを見送って、流石に疲れたと肩を落とす。
    それから、藍曦臣に連絡を入れたが留守番電話に繋がったのでメッセージだけ吹き込むことにした。
    「曲の長さもあるだろうから一度動画の長さについて話しをしたい。都合を教えてくれ」
    撮影したものの確認は明日に回すことにして今日はもう休むことにした。


    寝ている間に三度着信があり、メッセージが残されていた。
    忙しいはずなのにいつでもいいと返ってくるのだからおかしなやつだ。
    両親に任せているとはいえ仕事はある。
    決済が必要なものなどを考えて予定を組んでいく。
    ある程度映像が出来ていないことには見せることも難しいのでせめて一種類は手を付けておかなければいけない。
    あれやこれやを考えながら身支度を整えて仕事用のパソコンを立ち上げる。
    メールの確認をして、急ぎのものには返信する。
    それをしてから三日後の日付を指定した。時間はそちらに合わせるとメッセージを送ると秒で返ってくる。
    あの家は早寝早起きをモットーにしているのでこの時間なら十分すぎる程なのだが、それでもびっくりする。
    午前中が良いとの返事に昼まで空けおけばいいだろうと、了承の返事をした。

    午前中は仕事をさばいて、午後は動画の編集を進める。
    こういうことは魏無羨が得意だというのに、と舌打ちをしてしまうのは許されたい。
    使うシーンを切り貼りして、繋げていく。
    音声は入れないのでそこを気にしなくていいのでその点は楽だ。
    そうして何とか藍曦臣に見せても問題ないものが出来るまでに二日掛かった。
    短い動画じゃなかったら無理だったな、と眼精疲労が激しい目を労っていたら乱暴にドアが開かれ、魏無羨が現れた。
    「やっほー、江澄!」
    「連絡の一つも寄こしたらどうなんだ」
    騒がしいと苦情を言ったところで聞く耳は持っていない。
    何をしに来たのだと睨みつけると机の上に何かを置かれた。
    「江澄、ポスター出来たからまた貼っといてよ」
    「あぁ、出来たのか」
    丸められたポスターを広げると定期演奏会の時に撮られたのだろう藍兄弟の写真がそれぞれアップで配置されている。今回の公演タイトルも決まったようだ。
    「錦上添花……また仰々しいタイトルを付けたものだな」
    「えー、似合いだろ? 顔もスタイルもいいのが二人も並んで、これまた極上の音を奏でるんだぞ?」
    「はいはい」
    まったく間違っていないのがあの兄弟なのだが何とも複雑な気持ちになる。
    日時に各種プレイガイドの案内と料金が載せられているがこれは盗難が出るのではないかといつ見ても不安になる。
    実際にポスターが無くなったという話も噂ではあるが聞いた記憶がある。
    「また、エントランスにでも貼っておく」
    「ありがとな。まぁ、そんな宣伝必要ないかもしれないけど!」
    それには同意をしておいた。
    先行販売はこれからであるがいつもものすごい倍率なのだから。
    関係者枠でご用意されているがもし自分がこのチケット戦争に参戦するなら胃がキリキリと痛んだことだろう。
    「あとこれ、ボックス席な。姉さんに渡しておいて」
    「分かった」
    「おじさんとおばさんは来るのか?」
    「初日の公演だけだが、来るそうだ」
    「なら、これを」
    姉夫婦と甥、それと両親の五枚分のチケットを渡される。
    俺の分はまた藍曦臣に渡されるのだろう。自分で渡したいとか何とか。それなら他のチケットも含めて渡してくれれば問題ない気がするがそこはそれというものらしい。
    「温姉弟と阿苑も呼んだんだ」
    席は離れることになるが家族になるのだから少しでも自分たちのことを知って欲しいと申し込みをしたらしい。孤児院としても実際に血の繋がりのある親族とトップクラスの演奏者の公演を観に行くのであれば止めることもない。孤児院では経験できない教養の一環としてこの上ない機会だと言われたそうだ。
    「ボックス席で姉さんたちとは隣になるから時間があれば紹介したいな」
    「姉さんは喜ぶだろうな」
    金凌は少し気難しい所があるから友達が出来るかもと思えば喜ぶだろう。
    「じゃあ、俺は帰るな」
    「あぁ、さっさと帰れ」
    「江澄もあまり根を詰めるなよ」
    大きく手を振って去って行く魏無羨に誰のせいでと思わないでもないが、何も言わない義兄にこちらが勝手にしていることなので飲み込むしかない。
    伸びをするとぱきっと関節が鳴ったのが物悲しかった。


    細かい所にも手を入れてクレジット――金家のテイラーとかウエディングブランドの名前を入れる。江家が全面協力だが表立っては金家の扱いである。その分、うちの輸入した貴金属や繊維類を存分に使ってもらっている。
    それを姉夫婦に確認してもらうようにメールを送ったところで藍曦臣がやってきた。
    「呼び出して悪いな」
    「いいえ。私もあなたに会いたかったので」
    頬を弛める藍曦臣に少し肩の力が抜けた。
    「こっちだ」
    防音になっているシアタールームに案内する。
    ここで昔は姉と義兄と一緒に練習したものだ。
    今でもグランドピアノが置かれているし、こちらに遊びに来た阿凌が遊び半分で弾いている。
    「そこに座ってくれ」
    革張りのソファを示して、部屋の明かりを落とす。大きなスクリーンに先ほど完成したばかりの映像が映された。
    モーニングコートに着替えさせられた人物が化粧を施され、髪をセットされ、ネイルを施されている。顔は映らないがどこか浮き立ったような雰囲気いいがある。ベールをされて立った姿をしたからゆっくり映す。顔は見えないのにどこかはにかんだような気配がした。これで完成ではないとその周りでテイラーが衣装を調整していく。花を持った人が来て色んな種類の花を掲げて見せては横の台に置いて行く。やがて、それが簡単なブーケのような形になっていく。最後にリボンが掛けられたところでクレジットが入る仕様だ。
    ひたすらに花嫁になる準備をするだけの動画。だがそのために動いている人たちが沢山映る動画でもある。
    「この流れで三パターン作る予定だ」
    「モデルは魏さんですか?」
    眉を下げ、複雑そうな表情で藍曦臣が言う。見る人が見ればわかるし、姉や綿綿の姿は隠していないのですぐに分かるだろう。
    隠すことでもないので頷いた。
    「姉が魏無羨のために用意していたものだ。この機会に、と張り切っていた」
    「そうですか」
    すぐに準備できるものではない衣装が準備されている。それだけ楽しみにされていることなのだと伝わったのだろう。
    「アンコールの時に流すが難しいか?」
    「いいえ。……今、練習中の曲があるのです」
    何かを決意したように表情を改めた藍曦臣が切り出した。
    「もう一度見せてください。それと、他の動画も同じ長さになりますか?」
    「見せるのは構わない。他のはこれから作るから同じ長さと言うのなら善処しよう」
    「同じ長さになればありがたいです。……ピアノを借りても?」
    「構わないが……最後に調律したのは半年前だぞ?」
    「ふふ、少し弾くだけですから」
    俺が、最高の状態で弾いたのを聞きたいとはさすがに言えなかった。
    椅子の高さを合わせる男の嫌味なほどに長い脚にイラっとする。
    簡単に音を確認した藍曦臣がこちらを向く。それに頷いて再生した。
    動画に合わせて流れてきた曲はあまりにも有名で、思わず藍曦臣を凝視する。
    メンデルスゾーンの結婚行進曲がアレンジされている。
    先ほど藍曦臣は練習している曲だと言った。
    これを練習する意図とは何だろうか。
    動画の終わりとともに最後の一音が響く。
    「どうでしたでしょうか」
    「……俺に聞く必要は無いだろう。あなた達のコンサートだ」
    「いいえ、私のこの曲はあなたのお眼鏡に適いましたか?」
    普段湛えている柔らかな笑みを消して藍曦臣が問い掛けてくる。
    これが喧嘩にもならない、俺の癇癪に対する答えなのだと理解する。
    「これをどこで弾く気なんだ?」
    「あなたが許してくださるなら式場で弾きたい」
    「かの御高名な藍曦臣の生演奏か。随分と贅沢なものだ」
    椅子から立ち上がった藍曦臣が近付いて来る。
    薄暗い部屋の中、待機画面のほのかな灯りに浮かび上がる藍曦臣の顔がひどく切羽詰まって見えて思わず吹き出してしまった。
    「阿澄、もう一つ我侭を言ってもいいですか?」
    「なんだ?」
    目の前に立ち止まった男が片膝を着く。
    突然のことにたじろいでいると右手を取られた。
    「その時は私と一緒に演奏してくださいませんか?」
    「……はぁあ?!」
    あまりの内容に一瞬何を言われたのか分からなかった。
    何とか咀嚼して飲み込んでみてもまだよくわからない。
    どこをどうしたらそう言う話になるのか。
    「あなたと一緒に演奏をしたい」
    再度請われてそれが空耳ではなかったことを知る。
    「あなたも知っていると思うが私は音楽に堪能な訳ではないんだが?」
    「いいえ。あなたの演奏は知っています。丁寧なタッチで優しい音を出す。でも感情に素直でご姉弟で演奏している時は生き生きと、楽しい音を奏でていた。私だって、忘機が魏さんと出会った演奏会に参加していたのです。覚えています」
    「何年前の話だ。俺はもう弾いてないんだぞ?」
    「阿凌と一緒に演奏したりはしているのでしょう?」
    何故知っている、と聞こうとして言葉を飲む。そう言えばこの男の友人には阿凌の叔父が居たことを思いだしたからだ。
    阿凌も懐いているので阿凌が話せば筒抜けになるだろう。
    「羨ましいと思っていたのです」
    情けなくも眉を下げて、捨てられた犬のように見上げて来る男に俺はほとほと弱いのだ。
    「俺は一曲しか無理だからな」
    練習をこれからすると思えば一曲でも厳しい。
    しかも、まだ動画の作成だとか仕事もある。練習にどれだけ時間が割けるか。
    「えぇ、えぇ!!!」
    強く握られた手が痛い。それを訴えれば立ち上がり、抱き締めてくる。
    頭に頬擦りしながら更にとんでもないことを言われる。
    「連弾しましょう」
    「無理だっ! というか、あなたは練習していると言ったではないか!」
    「別にこれから連弾の練習に変えればいいだけです」
    「現実を見ろ!!」
    「この上なく見ています」
    腰をしっかりとホールドされ逃げられない。体格差もあり腕の中にすっぽりと納まってしまうのが気に食わない。
    嬉しそうな浮かれた声でお願いしますと言われて、阿澄と呼ばれて、この人はずる過ぎる。
    「阿澄、愛しています」
    「あぁ」
    「もう、許してくれないのかと思いました」
    「別に、あれは……俺が勝手に癇癪を起しただけだろ」
    「いいえ、自分が大切にしているものを蔑ろにされたら悲しくてやるせなくなるものです」
    そう言われて初めて悲しかったのだと自覚した。
    この人は気持ちを言葉にするのが上手だ。
    「公演が終わればしばらくはオフです。そうなったら一緒に練習をしましょうね」
    「……わかった」
    大人しく藍曦臣の胸元で頷くと今度は抱き上げられた。
    「あぁ、嬉しいです! 本当に、嬉しい……阿澄」
    「分かった。分かったから、下ろしてくれ」
    「ふふ、阿澄」
    中々下ろしてくれない藍曦臣の肩を掴み、唇に噛みついた。
    目を見開き力が抜けた腕から飛び降りる。
    「今動けなくされるのは困る。全部終わってからだ、阿渙」
    そう言って笑ってやれば珍しく真っ赤になって顔を覆うから腹を抱えて笑ってしまった。


    藍曦臣をお預けにした以上、中途半端なことは出来ない。
    動画を作り、仕事を片付け、ピアノを弾いた。
    両親が仕事を手伝ってくれてt本当に助かった。
    そうして迎えた当日、雲深音楽学校の生徒も後学のためと招待されているためそこまでのドレスコードはないが周りを見れば力の入った客ばかりだ。
    そのお陰で悪目立ちすることもないのでありがたい。
    「よう江澄」
    「あぁ、来たのか」
    光沢のある白いスーツは光の加減で淡い青に見える。黒いシャツを合わせてループタイをしている。ループタイの留の宝石は金家で用意しているアクアマリンだ。藍忘機の自己主張の激しさを喜ぶのは魏無羨くらいだろう。
    「良い色だな」
    「まぁな」
    薄いピンクのシャツに紫の光沢のあるグレーのジャケットを羽織っているのだが、ラペルピンが付いていて、それにアイオライトが使われているのだ。光の加減で菫色にも藍色にも見えるそれが何を思って用意されたのか分からないほど鈍くはない。
    どんどん入口に吸い込まれていく観客を見てそろそろ、と二人並んで中に入る。
    席も並びだ。毎回同じセンタ―ど真ん中。最前では聞きにくいので少し下がるがそれでも前方席だ。周りには女性が多いが夫婦だったり恋人同士の姿も見える。子連れはボックス席だろう。
    ブザーが鳴りざわめきが静まっていく。
    いつもこの瞬間が一番ドキドキする。
    スポットが当たり、主役が舞台上に現れた。
    二人とも白いタキシードに黒いスラックスだ。蝶ネクタイはネイビーで統一しているがポケットチーフの色が藍忘機は赤で、藍曦臣は紫を差している。実はカフスボタンも同じように色違いなのだがカメラに抜かれなければそこまで気付かれはしないだろう。
    前髪も後ろに流して、惜しみなく美貌を晒している二人に周囲からは溜息しか聞こえない。
    沢山の楽器が並べられているなか、二人が持っているのは見慣れたバイオリンとクラリネットだ。
    懐かしいメロディが流れる。初めて舞台で二人を見た時の曲だ。幼い子供が習う曲がアレンジを施されて演奏されている。
    隣の魏無羨は藍忘機に釘付けだ。
    そうして始まったコンサートは曲を変え、楽器を変えて演奏していくわけだが。
    白い変形のチェロがある。あれが魏無羨が言ってたやつかと思いはしたが並んでそれを抱えて奏でる姿は何というか目の毒だった。
    数曲を終えるとマイクを取って藍曦臣が話し出す。
    「本日は私たちのコンサートにお越しくださり大変嬉しく思ってます。まさか、こんなに続くとは思ってなかったので驚いてます」
    ね、と藍忘機を見て藍忘機が頷く。
    いつものことだがそれだけか、と怒鳴りたい。
    「いつもとは違う曲、楽器というのは新鮮で、とても勉強になります」
    「兄と二人で曲をアレンジしたので楽しんでください」
    珍しく文章を話した藍忘機に隣でよくできたと子供を褒めるような視線を向けている義兄に溜息しか出ない。
    ふっと藍曦臣と目が合う。そうして嬉しそうに笑う姿に息を呑む音があちらこちらから聞こえた。
    「それではそろそろ次の曲に行きましょうか」と二人が構えた楽器に開いた口が塞がらなかった。
    何故、それを選んだ、と問い詰めたい。
    しかも流れてくるメロディが恐れていた子供向け番組の主題歌で、阿凌なら喜ぶだろう。たぶん、親子連れも。
    それぞれ黒と白の音符様の何かを右手で上下に擦るように動かしながら、左手で下の丸い何かを揉む姿はシュールとしか言いようがない。
    それなのに流れてくる曲は滑らかで、流石としか言えない。
    隣の魏無羨が唖然としているのだから余程だろう。
    曲が終わってまたマイクを取る。
    「この曲は甥っ子のような子のお陰で知ったのですが、中々に奥が深い番組でした」
    「この楽器はオタマトーンと言います」
    「忘機が持ってきたときは驚いたけど使ってみると面白いね」
    頷く藍忘機にふにふにと顔になっている部分を揉みながら軸を揺らす藍曦臣に何とも言えないものを感じる。
    これで何故売店に電子楽器(オタマトーン)が並んでいたのかの謎が解けたが、分かりたくなかった。
    それ以降は普通に、よくある楽器を使っての演奏で変な動悸もなく、安心して見ることが出来た。
    最後の曲を追えて頭を下げた二人に盛大な拍手を送る。二人が袖に下がっても拍手は鳴りやまない。そうしてまたスポットが灯り、二人が出てくる。
    拍手が収まるのを待って、藍曦臣が藍忘機を見た。
    それに頷きを返し、藍忘機がバイオリンを構える。
    アンコールだ。
    流れてきた曲は最近よく聴くポップミュージックだ。
    魏無羨が気に入っていたのを知っているのでそのために演奏しているのだろう。
    演奏中、ずっと魏無羨を見ていて鬱陶しい。
    演奏を終え、お辞儀をする二人にまた拍手が起こる。そうして、舞台袖にはけていく。
    暗転した舞台にまだ拍手が続く。
    その裏でスクリーンが降りてきていることを俺は知っている。
    そうして、スポットが灯り二人が出てくるがすぐにスポットが消えて、スクリーンに動画が映された。
    藍忘機はスクリーンを使うということしか聞いていないと聞いている。
    そして、何故、それを選んだ! と叫びださなかった俺を誰か褒めて欲しい。
    動画に合わせてオタマトーンがワーグナーの結婚行進曲を奏でていた。

    公演の終了を告げるアナウンスと共に会場の明かりが点る。
    隣に座る魏無羨が物言いたげにこちらを見ているが知ったことではない。
    藍忘機は動画を見るやいなや一度も客席を見なかった。
    舞台上で客にずっと尻を向けているのはどういうことだと言いたいが、仕方ない。
    祝わせようともしない義兄にも、奪っていく藍忘機にも意趣返しが出来きたのだから。

    そうして、二日間・三公演。毎回違う映像に、毎回違う曲を奏でるオタマトーン。
    二公演目は愛の喜び、三公演目はメンデルスゾーンの結婚行進曲だった。
    毎回、藍忘機が動画をガン見するのが可笑しくて仕方ない。
    初回を見ていた両親の評判も良かった。母がいい出来だと魏無羨を褒めたのだからそこは自信を持てる。
    三公演目は姉家族も、それから魏無羨が呼んだ温姉弟と阿苑も来ていた筈だ。
    温姉弟は真っ赤な花嫁衣裳で着飾られた人物が魏無羨だと気付いただろうか。
    「江澄、やってくれたな」
    「何の話だ? ちゃんと事前に言っていただろう? プロモーションだってな」
    悔しそうな義兄の顔を見るのがこれ程楽しいとは思わなかった。
    これは姉も全面協力しているのだ。文句を言えるものなら言ってみるがいい。
    「ありがとな」
    嬉しそうに笑った魏無羨からの素直な感謝の言葉に逆に何も言えなくなる。
    座席に座ったままでよかった。
    たぶん、立っていたらそのまま崩れ落ちていた。
    そろそろ、俺たちも退去しなければいけないのだが目の奥が熱くて、息が苦しい。
    それでも、何とか飲み込んで席を立った。
    スマホに初めて藍忘機からメッセージがあった。
    「……魏無羨! 藍忘機に本番で十分だろと言っとけ!」

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