「瞳」 リンハルトは藍晶石みたいな瞳でよくベレトを凝視してくる。
大抵は好奇心に満ちたきらきらした眼差し。実験対象を見つめる学者然とした知的な双眸。
ベレトに炎の紋章が宿っていると知るや、リンハルトはことあるごとにまとわりついてはベレトを観察してきた。
(最初は自分に欠片も興味がなさそうだったのにな)
それを思い出す時、ベレトはいつも微苦笑してしまう。
ベレト自身はハンネマンに調べられるまで己が紋章持ちであることすら認識していなかったが、相当に珍しいものらしい。
そんなわけで彼が親愛の情を寄せてくるのも、興味深い研究対象であるということの延長だろうと思っていた。言葉からも表情からも溢れんばかりの好意が伝わってくるが、それ以上の意味はないだろうと。紋章学に対する情熱が別の形をとっているだけであろうと。
そう思っていたのに……。
いつからだろう?その視線に別の想いが入り交じるようになったのは。
***
こんこんという控えめなノック音に気づいたベレトはすぐに扉を開いた。
「あっ先生、こんばんは。今からお時間空いてますか?」
ほとんど間を置かずにベレトが戸口へ出ると、小さな紙包みを脇に抱えたリンハルトがそんなふうに誘ってきた。
きらきらと期待に満ちた視線を注がれたベレトは何度か瞬き、懐中時計を見る。時刻は20時を少しすぎたあたり、まだ就寝まで間があった。
「特に用事はないが……」
「では僕と一緒にお庭に行きましょう。実家から面白いものが送られてきたんですよ」
「面白いもの?」
「百聞は一見に如(し)かずですよ先生」
この時間帯に生徒が彼の部屋へ訪室することはめったにない。自由時間になっているとはいえ、ほとんどの生徒が良家の子女で構成されているこの学院では夜の訪問を差し控える傾向がある。
何の誘いだろう?と首を傾げつつもリンハルトの後について、ベレトは中庭に出た。
大修道院の照明がかろうじて届くあたりの草むらでリンハルトは立ち止まると紙包みを開いた。
すると中から細長い紐状のものが数十本ほど出てきた。彼はその中の一本をつまみあげて宙に垂らし、マッチを取り出した。
「見ててくださいね、先生」
マッチの火を紐の先端に当てると、小さな火球を中心として細長い雷光が幾筋も樹枝状に伸び、火花を散らした。
朝露にきらめく綿毛のようなゆかしい光にベレトは目を凝(こ)らす。
軽い驚きをもって光に見入るベレトへリンハルトは解説した。
「線香花火というものらしいです。遠い東方の国で夏に行われる遊びだと手紙には書いてありました。ひいきにしている商人からもらったんですって」
「玩具……なのか?」
「そんなようなものですね。風流人の手慰みなので」
そんなふうに話している間に、リンハルトが垂らした一本はじりじりと火球を膨張させ爛熟(らんじゅく)した果実のようにぽとりと落ちてしまった。思いの外短命なものらしい。ほんのひととき恋に身を焦がす蛍のように。
「あー……燃え尽きるのが案外早いですね。先生もやってみますか?」
リンハルトに線香花火を手渡されたベレトはさっそく火をつけてみた。腰をかがめて火球から迸る小さな雷光を注視する。だが最初に手に取ったものはリンハルトのものよりも早くに燃え尽きてしまった。草場に落ちていく黒炭がなんとも物悲しい。
風向きや持ち方で少しばかり火球が長持ちするような気がして、ベレトはもっと慎重に紐を垂らしてみた。3本目あたりからコツが掴めてきたのか、線香花火が落下するまでの時間が伸びたように思った。ベレトの視線の先で細(ささ)やかな火花が儚く咲いては光の分枝をめいっぱい伸ばして、また火の果実を振り落としていく。
七本目を手にとったあたりだろうか、次々に線香花火の先端へ火を点(とも)していくベレトをリンハルトが一心に見つめていることに彼は気がついた。
「君はこういうものにも興味があるんだな」
「実を言うと線香花火そのものにはさほど惹かれませんね。綺麗だとは思いますけど。それよりもこれを目にしたあなたがどんな反応をするのか知りたくて」
「自分が?」
「はい。たわいもない事ですけれど、線香花火を手にするあなたの表情や仕草を見てみたいなって……」
リンハルトの瞳には花火の瞬光とともにベレトの横顔が映し出されている。そこには観察者の怜悧(れいり)な視線ではなく、恋慕のこもった少年らしい輝きがあった。彼の手元にある光よりもベレトが花火に没入している姿にこそリンハルトは美しさを見出しているのであった。
だがベレトはまだその双眸に浮かぶ熱情の意味を正しくは知らない。ただリンハルトにそういう視線を向けられた時、いつも胸の奥から熱い血潮が駆け巡るような不思議な感覚にとらわれる。
……とそんなことを考えているうちにベレトの手の中で最後の一本が燃え尽きてしまった。最後の線香花火、その美しく燃え上がる玉の緒を彼は見逃してしまった。
中庭は小さな灯を失って暗がりにうち沈む。
「終わっちゃいましたね……もっとたくさんあれば良かったのにな」
名残惜しそうにリンハルトが言うのでベレトは微笑みながら同意した。たしかに娯楽として楽しむにはこの線香花火というものは些か持続時間が短すぎるように思う。
「たしかに。それならもう少し長く楽しめるだろう」
「そうしたら先生ともっと一緒に居られたのに……」
寂しそうなリンハルトの呟きを耳にしてベレトは数度瞬く。リンハルトは濃藍の夜空を背景に隣でしゃがんだままのベレトへ顔を近づける。そして仄白く輝く月照の下でそっとベレトの頬へキスをした。猫の尻尾が頬を掠めていくようなほんの刹那の出来事だった。
ベレトはたった今リンハルトが触れた自分の頬に手をあて、瞳を見開いた。冷たい夜気の中で自分の体温が上昇しているのがはっきりと感じられた。
しかし当のリンハルトは何事もなかったかのように線香花火の燃え滓を拾って帰り支度をする。
「良い思い出ができました。また来年もお願いしますね先生」
「……ああ」
まだ少し呆然としているベレトに微笑みながらリンハルトが声をかける。
星空の色に染まった瞳には、リンハルトを見つめるベレトの姿が鏡面のように映じられていた。