君への贈り物「どうしたんですの先生?お茶が冷めてしまいますわよ」
執務の合間のわずかな休憩時間の事。侍女が運んだ茶にも口をつけず、分厚い商品目録(カタログ)を開きなにやら難しい顔をして考え込んでいるベレトへフレンが声をかけてくる。
「……今年のリンハルトの誕生日に何を贈るか考えていた」
「まあ」
フレンの表情がぱっと明るくなる。夢見る乙女の眼差しで両手を合わせ「あいかわらずぞっこんですのね」と口元を綻ばせる。
「書物は普段から贈っているし、花はすぐ枯れる……」
貴族の出であるリンハルトはそもそも物欲が薄い。大抵のものは最初から揃っているものだから、欲しいものを聞いても毎回首を傾げてしまう。
「ひさしぶりに手作りのお菓子を用意するというのはどうでしょう?」
「たしかに喜ぶが、それも毎度やっている」
目録の品々とにらめっこし、けっきょくどれもピンとこなかったのかベレトはパタンと本を閉じる。
そんなベレトにフレンは一つの提案をする。
「でしたらこのようなものはいかが?」
***
ベレトは竜に騎乗し、砂漠の真ん中にあるオアシスを目指している。後部にはリンハルトがベレトの腰にしっかりとしがみつきながら乗っている。伴侶は時々眠たげな声をあげて彼の背中にもたれかかってくる。
「ベレトの背中は気持ちがいいですね。景色もいいですし、眠くなります……」
「本当に眠らないでくれよ。落っこちたら怪我では済まないからな」
ベレトは軽く注意をする。
二人乗りのため、竜の負担にならぬよう低速で途中休憩を挟みつつの移動である。
「けっきょく行き先を聞いていませんが、どちらへ行くんです?」
「それはまだ秘密だ」
ベレトは微笑しつつ答える。フレンが言うにはこういうお祝い事は『サプライズ』で行うのが効果的らしい。
地上の景色をよく観察し、頭の中の地図と照らし合わせつつ進む。
幸い天候も上々で遠乗りにはうってつけの日和である。彼らを乗せる竜も青空に翼を広げ、文字通り順風に飛行している。
ガルグ=マクを離れ、いくつかの山脈を越えて彼らは赤の谷の隙間にある小さな砂漠を目指す。フレンに教えられた目印の遺跡を越えると、釣り場ほどの大きさのオアシスが見えてきた。
「あそこだな」
やがて目的地に到着し、ベレトは竜を降ろすのに最適な平地に当たりをつけ着陸させた。
適当な木に手綱をくくりつけるとリンハルトと手を繋いで、ビスケットと水筒の入った籠を下げオアシスへ向かう。
しかし柄にもなくちょっぴり浮かれていたベレトは、猫の額ほどの砂場を抜けた先にあるオアシスに辿り着いたところで愕然とする。
「これは……」
「何もないですね……」
眼前には澄んだ水を湛えた湖があり、小さな水辺を取り囲むように背の低い木々と蕾をつけた下草が広がっている。だが本当にそれだけだった。フレンが嬉嬉として教えてくれたような素晴らしい景色とはほど遠い。
肩を落とすベレトにリンハルトは尋ねる。
「本当はどんな予定だったんですか?」
「赤の谷にある砂漠には、一年にほんの数日だけ咲く花々があると聞いた。この谷に住む者しか見たことがないが、それ以上美しい花々は見たことがないと……」
フレンの予測だと月の満ち欠けから考えて、今日が満開になるはずであった。しかしいかんせん数百年前の知識である。気候変動やその他の影響でズレが生じてもおかしくはなかった。見渡す限りただの一輪も開花せず、蕾をつけた草は重たく頭(こうべ)を垂れている。
リンハルトは落ち込むベレトへ優しい微笑を向ける。
「それを僕の誕生日に見せてくれようとしたんですね?その気持ちだけで十分ですよ」
「けっきょく何も用意できなかったな……」
「別にいいですよ。こうして忙しいあなたが一日いっぱい休みをとって僕と過ごしてくれる……それだけで満足です」
リンハルトは心から嬉しそうにそう言うと、ベレトの手をとり草むらに寝転んだ。
「さあせっかく天気もいいですし、お茶会にも少し早いですから僕とひと眠りましょう。疲れちゃいました」
ふわあっと欠伸をするリンハルトの隣にベレトも横たわる。
「……けっきょくいつもと変わらないな」
「そんなことありませんよ。普段なら昼寝の後は執務室に戻ってしまうじゃないですか。今日はこの後も一緒に居られます」
幸福そうに微笑むリンハルトを見てベレトの胸にじんわりと温かいものがこみあげる。気を取り直してベレトも目を瞑る。そうして二人は穏やかな微睡(まどろ)みの中へ落ちていった。
***
「リンハルト……」
興奮ぎみのベレトの声でリンハルトは目覚めた。重たい瞼をこすりながら開くとそこには類(たぐ)い希(まれ)なる風景が広がっていた。
ほんの数時間前まで閉じていた蕾がまるで夢の続きのように一斉に開花していた。
半ば透けた紫紅の花々が湖のほとりを絨毯のように覆い尽くしている。それらの花びらに陽が差すと、精巧な玻璃細工の如くきらきらと照り輝くのである。常緑に降り積もる細雪(ささめゆき)にも似た幻想的で美しい景色だった。
ベレトもリンハルトもしばらくの間言葉を失い、彼らを取り囲む百花繚乱の絶景に魅入っていた。
やがて衝撃が去ると、二人は視線を合わせ微笑みあう。どちらともなくそっと手を重ね、感動を共有しながら口づけを交わす。
ベレトはリンハルトに頬を寄せ、耳元で囁くように言祝ぐ。
「誕生日おめでとうリンハルト」