Sweet/Bitter「先生、これはなんですか?」
ベレトの部屋を訪れたリンハルトはテーブルに少量ずつ並べられた珍しい試食品の中からブロック状の茶色い塊を指して尋ねた。交易で新しく遠方からもたらされた嗜好品の一つで料理長から「味について率直な意見を聞かせてほしい」と言われているものだ。今後の会食やお茶会に導入する創作菓子の参考にしたいらしい。他の職員にも同様に配られたのだが、ベレトが受け取った試食品の種類が一番豊富だったように思う。食べ物に対して好き嫌いがなく、食堂に出入りする回数の最も多いベレトの意見を料理長は特に重視しているらしかった。
「『ショコラーデ』というそうだ。元は木の実だと聞いた。粉末状に砕いて乳などを混ぜて溶かして固めるとこの形になるらしい」
四角いブロックを均等に並べた形のショコラーデを興味深げにためつすがめつしながらリンハルトは聞く。
「そうでしたか。どうやって食べるんですか?」
「粉末状のものは主に飲み物として摂るらしいがこれはこのまま食べられると聞いた」
「へえ……」
ベレトはショコラーデを小さく割って、何も考えずにひょいっと口に入れてみた。
「んぐっ!」
しかし口に放り込んだ直後、ベレトは思い切り顔をしかめて反射的にショコラーデの欠片を皿に吐き出す。まさか異物でも混入していたかとリンハルトは心配するが、ベレトが次に発した言葉を聞いて脱力する。
「……苦い」
「……」
数秒の間が空いた。ベレトはとんでもない苦みを洗い流すためにごくごくとお茶を飲む。
至極真面目な表情でそんな事を言うので、リンハルトはふふっと笑ってしまった。
「そんなにですか?」
「うん……」
「飲み込むこともできないなんてよほどひどい味なんですね……」
それでより一層、興味を引かれたのかリンハルトはショコラーデの皿に近づき匂いを嗅いでみる。その香りは甘く香ばしいように感じるが、うっかり口に含めばテフもこのくらい苦いのであてにならないと思う。
続いてリンハルトはベレトの頬に可愛らしい顔をずいっと寄せてくる。リンハルトがふいに距離を詰めてきたので一体何をするつもりなのかとベレトが不思議そうに眺めていると、あっという間に白い額と菫色の眼(まなこ)が息のかかるところまで迫ってきて柔らかく接触する。彼はベレトの唇に僅かにこびりついたショコラーデの残滓をぺろりと舐めとった。
「!」
そうして驚きに固まっているベレトへ白い頬を歪めて味の感想を述べる。
「うわあ……たしかにこれは苦いですね……」
「君は……」
ベレトは今し方赤い舌先が通過していった自身の唇を押さえながら真っ赤になって狼狽える。リンハルトは悪戯ものの子猫みたいな笑顔を浮かべてベレトに告げる。
「でも先生の唇はすごく甘かったです。ご馳走さまでした」
***
「懐かしいな、そんなこともありましたね」
リンハルトはくすくすと笑いながら今は伴侶となったベレトとソファーに並んで座り、学生時代の思い出話に興じていた。
彼らの目の前にあるテーブルには卵形に成形されたチョコレートが硝子の器に盛られている。あの時の塊とは異なり、砂糖をふんだんに使用したそれは舌が焼けるほど甘い。
「自分にとっては笑い事じゃなかった……」
ベレトは少々むっとした表情でショコラーデを一つ口に放り込む。外層を噛み潰すと中から洋酒がどろりと溢れてくる。あの後は動揺しすぎて、試食したものの味をほとんど覚えていない。
「学生時代の君は大胆すぎて困った」
「でもまんざらでもなかったんでしょう?」
ベレトの肩に腕をまわし自信たっぷりにリンハルトは言ってのける。ベレトもそこは否定せず黙々とチョコレートを口に運んでいく。……実際そのとおりだったのだからタチが悪い。気を許した相手だからこそ、度々ふいうちをくらってしまったのである。
深いため息を吐いてからベレトは言う。
「自分としてはもう少し自制して欲しかった」
「僕から行かないと、あなたとの仲がちっとも進展しなかったので」
「あたりまえだろう。子供に手を出すわけにはいかない」
「ほらね、あなたはいつもそうやって僕を相手にしなかったじゃないですか。本当を言うと少し焦れていたんですよ」
リンハルトはソファから腰を上げ、ベレトの太ももに正面からまたがるとその顎に指を滑らせた。扇情的な眼差しを向けられベレトはぞくりとする。
「『ベレト先生』は院内で大人気でしたからね。卒業して離れたら僕の知らないところで誰かと結ばれちゃうんじゃないかっていつも不安に思ってました」
「そんなに前から?」
「ええ、ずっと大好きでしたよ。うーん……けっこうわかりやすくアプローチしてたと思うんだけどな……伝わりませんでしたか?」
ベレトは数度瞬き、少し考えてから答える。
「あの時は君の言う『大好き』がどういうことなのか自分にはよくわからなかった。恋というものをまだ知らなかったから」
「じゃあ僕が先生の初恋の相手ということですね」
「そういうことになるな」
「ふふ嬉しいな……」
リンハルトは心から嬉しそうに笑うと子猫のようにベレトへ擦り寄り、その頬にキスの雨を降らせた。ベレトは穏やかに微笑みながら、リンハルトの長い髪を指で梳く。
「愛していますよベレト」
ベレトも返事のかわりにリンハルトの髪に軽いキスを浴びせる。
リンハルトはベレトが手にしていたショコラーデをつまみとる。
「ショコラーデ美味しいですね」
茶目っ気のある微笑みを浮かべてからリンハルトはショコラーデを口に含み、舌の上で溶かす。その意図を察したベレトは口を少し開けて、伴侶の唇が近づいてくるのを受け入れた。とろとろになったショコラーデがリンハルトの舌先から流れ込んでくる。唇と唇をぴたりと合わせそのたとえようもない甘さを享受する。濃密なショコラーデと内包されていた洋酒を互いの舌を絡み合わせて味わい、酔いしれる。
極上のスイーツをじっくりと堪能した後、リンハルトは恍惚とした表情で囁く。
「ショコラーデとあなた、両方をいただけるなんて今夜は最高です」
ベレトは頬を染めつつ、リンハルトを受け入れる。
二人にとって長く甘い夜が緩やかに更けていく。