寝ていると思ったのに 授業の休憩時間。
ガルグ=マク大修道院の裏庭、あまり目立たない場所にある大樹の根元で片膝を立てて座り、眠りこんでいるベレトをリンハルトは見つけた。
(先生、こんなところで眠るなんて珍しいな……)
気持ちの良い陽気にまどろみ、昼寝に適した場所を探してうろついていたリンハルトはそんなベレトを偶然発見したのだった。
リンハルトはベレトの衣服に触れるか触れないかというぎりぎりのところまで近づき、しゃがみこんでベレトの端正な顔を下から覗き込みしげしげと観察する。涼やかな目元や鼻筋が通った中心部、頬から顎にかけてのライン、両耳のひだ、ほのかに色づいた唇……。彼を構成する一つ一つのパーツや藍色の毛髪を熱心に観察する。続いて均整のとれた戦士らしいがっしりとした体躯、頑丈な靴に覆われた足先まで順繰りに眺め回す。
大樹の葉陰を通して、木漏れ日が斑模様となってベレトの体に降り注いでいる。その上をタンポポの綿毛が舞い、天使の羽毛のように漂っている。
(綺麗だな……)
小鳥の囀りとむせるような緑の匂いの中で木陰に休むベレトはとても神聖なもののように見えた。その様子はため息が出るほど綺麗で、リンハルトは少しだけベレトの体に触れてみたくなった。
天の御使いではなく、生身の人間であることを確かめるかのようにそろりと手を伸ばし整った頬に白い指をあて……しかし人差し指の腹が軽く触れた途端にかっとベレトは目を見開き、リンハルトの手首を乱暴に掴むと草むらに押し倒した。
「先生……」
リンハルトは驚いて自分を組み伏せているベレトを見つめた。心臓がどくどくと早鐘を打ち、胸の中で暴れ回る。許可無く触れたことを怒ったのかとも思ったが、ベレトの両眼は表面に薄膜が張り付いたかのように不明瞭だった。どうやら完全には覚醒しきっておらず、反射的に動いてしまっただけのようだ。切れ長の青い瞳が揺らめく深海(ふかみ)の光を無心にリンハルトへ注いでいる。
(やっぱり綺麗だな……)
リンハルトはベレトの体の下で場違いな感想を抱く。
やがてリンハルトと見つめ合ううちにベレトの焦点が徐々にあってくる。そしてある時点ではっと我に返り、ベレトはがばっと身を起こしてリンハルトから離れた。
「すまない、体が勝手に……」
「いえ、謝らないでください。先生に断り無く触れようとしたのは僕のほうですから」
体についた草を払い除けながら、リンハルトは立ち上がる。ベレトは自分の所業を悔いるように額に手を当てていた。
「昔からなんだ……眠っている時に触れられると無意識に相手を取り押さえてしまうことがあって……ジェラルトに護身術を仕込まれたせいだと思う」
「そうでしたか。でも僕は別に嫌じゃなかったですよ、先生にああいうふうにされるのは」
「え?」
微笑みながらそんなことを言うリンハルトにベレトは思わず聞き返す。
「おかげで先生をじっくり観察できましたし……」
ああそういう意味か……と納得しかけたベレトだが、リンハルトは続けて言う。
「綺麗なものは好きなので」
「綺麗?自分が?」
数度瞬き、確認するようにそう口にしたベレトに「はい」とリンハルトはなんのてらいもなく言ってのける。
リンハルトは午後の陽気に誘われ、ふわあっと片手を口に当てて大欠伸をした。
「本当にいいお天気ですね……昼寝の続きをしましょうよ先生。今度は僕もご一緒していいですか?」
「ああ、かまわない」
「……ではお休みなさい」
リンハルトはこてんと草むらに横たわり、長い睫に縁取られた瞼を閉じる。艶のある緑髪が草花の上に広がり、タンポポの綿毛がリンハルトの制服にもふわふわと降り注ぐ。リンハルトはベレトの隣ですぐに健やかな寝息を立て始めた。白猫のように愛らしい頬に陽だまりの破片が草間の形に落ちる。
ベレトは穏やかにそれを見つめてからその傍らに座り込むと大樹を背にして、再び目を閉じる。しかしあまりにもリンハルトが幸福そうに眠っているので、つられて彼の様子を真似て草むらに寝そべってみた。すると思いの外心地良い眠りが訪れた。
そうしてうかうかと寝過ごし、二人して午後の授業を遅刻してしまった。
【おまけ】
~隠居後~
畑仕事を終えたベレトとリンハルトは昼食後に森を散歩した。森の葉陰は涼しく、夏にも居心地が良い。大樹の傍で休んでいると、疲れからかその日はリンハルトよりも先にベレトが眠ってしまった。
穏やかに眠る伴侶を愛しく思い、リンハルトは髪を摘まんだり頬を撫でたりしてみる……が一向に起きる気配もない。
「緩くなったなあ先生」
世の中が平和になったせいか、ベレトはふいに触れられても飛び起きたりはしなくなった。昔は仲間であっても眠っている最中に触れられると、反射的に警戒体勢をとってしまうことも多かった。そうでなくても緊張ゆえか、ほんのわずかな刺激でも確実に目を覚ましていた。それが今はこんなにも無防備になっている。
「それとも相手が僕だからかな?」
リンハルトは微笑みながらベレトの肩に寄り添い、満足げに眠りについた。