恵がかわいそうな雰囲気遊郭パロの話太陽が沈み、月が出始める頃に花街は漸く目を覚ます。
伏黒恵は花街の出口に程近い場所で茶屋を営む両親と姉に囲まれて育った。
この茶屋、魔扈羅庵は花街に来た客たちの情報を交換する場として開かれている。
主な内容としては、どこがぼったくりでどこがいいとか、初めてならあちらがいいとか、と思えばやれあそこの郭の可愛い娘がとうとう見世に出ただの、あちらの廓の遊女が駆け落ちして死んだだのと金子事情が厳しい男たちが安い酒を舐めながら噂話を交換するだけだ。
そんな茶屋に一際浮いた男がいる。
男は五条悟と言い、この花街最大の大店である五条屋の若き主人である。
白の毛と6尺以上ある長身で、五条屋の容赦のない折檻が有名であるがゆえに街をぶらつくだけで五条の旦那が出たと妖怪扱いされている。
そんな男は長身を黒の長し着で隠し格子窓から花街に繰り出す客を値踏みしている。
「五条の旦那、酒を飲まないんだったら出ていっていただけませんか」
恵の不躾な声色に怒ることもせずにこにこと嗤っている男は飄々と答える。
「金だったら毎度過ぎるほど置いていってるだろ?どんな客がきているのかこの店は丁度なんだよ恵何度も言ったろう?」
たしかにその台詞は何度も聞いた。耳にタコができるほどだ。
「ええ知っています。ですがあんたがいることで他の客の酒が不味くなる。金だけじゃなく酒も頼んでください」
ここは茶屋とはいえど夜の花街を利用する客向けに開かれているため売り上げの殆んどを酒に頼っている。
この男が言うように確かに過ぎるほど置いていく。だがそれは場所代であって酒代ではない。
五条悟が窓にいるだけでこちらにくる客は少なくなり、店にもともといた客もそそくさと退散する始末だ。
そのため徐々に売り上げが下がっていて生活が苦しくなっていっているのだ。
この男一度座ると二刻は居座る。せめて酒の一つでも頼んでもらわなければこちらの損するだけだ。花街で強力な権力を持っているとはいえ互いに商売をする人間同士なのだから理解してもらわなければ困る。
「やれやれ、恵は癇癪を起こした娘みたいだ」
仕方ないというそぶりでようやっと酒を頼む。
甕ごと目の前に置いてやろうかと恵は思うが以前小振りな物でやって「頼んでもないのに置いたから」などと宣い金を支払わなかったことを思い出す。
酒とつまみを持って行くと手を捕まれた。
「なんですか?」
手を離せという前に男は口を開く。
「ここはさ、若者が二人もいるのに客とらないの?」
あまりに突然で言っている意味がわからず数秒固まってしまう。
恵は男の言っていることをゆっくりと理解した。
若者二人というのは自分と姉のことだと理解する。
次いで客をとる、というのをここで酒を啜る客を指しているのではないことを理解する。
この五条悟という男は自分と姉に身体は売らないのかと聞いている。
言葉の意味を理解した。
かっとなって、てめえなにいっていやがる。罵詈雑言を吐くつもりだった。その前に父の大きな手が恵を男から引き剥がす。
「五条の旦那、すいやせんがもう二度とこないでいただけませんか」
乱暴に外された手を五条は見つめている。
「いままではこの花街を取り仕切る大旦那だと思って目をつむってきましたが流石に限界だ」
父は言葉を続けようとしたが五条が無言で立ち上がったことにより遮られる。それを見た母が慌てて奥からでてくる。
「五条様、どうかお赦しを!」
☆☆☆
「悟様」
恵を囲った店から古巣へと様子を見に来れば戻ったことに気づいた若い番頭が耳打ちしてきた。
「なにかあったか?」
「いえ、此方は問題がないのですが、その……彼方のことで」
「なにが聞きたい?」
花街に生きるものは上を目指すものが大多数だ。この男も出世欲が強く番頭集の中でも特に強くそれを隠しもしていない。悟が一番嫌いな部類だ。
「なぜ野薔薇なのです?此方には経験の豊富な番頭が数多くおりますし、何より女に店を与えるなど」
「……野薔薇はその辺の男より腕っぷしも、口も達者だ。それに彼女はここにいる番頭の誰よりも金の扱いが巧い」
お前であることは望外である。そんなこと聞くなぞ野暮だと言外に伝えれば男は苦虫を噛み潰して自らの席に戻った。
たしかに当初は彼処を七海にでも任せようかと思ったが恵に懸想してもらっては困るしなにより此方の店がたち行かなくなる。
伊地知であれば金は回せるだろうがしつこい客に押しきられてしまう可能性がある。そうなると危ないのは恵だ。
他は論外だ。それに比べ野薔薇は禿であった頃から客の選び方や金の扱いが巧く姉役も頼りきりであった。今回の話も誰にしようか迷っていた時に姉役から持ちかけられたのだ。
野薔薇は遊女にはむかないから店をあたえてみてくれないかと。
野薔薇は女だから恵を抱くこともない。かといって恵は彼女の好みでないし、ましてや悟が執心しているとなれば抱かれようなどと考えることもない。
悟の思惑を察することができ、男とも対等に張り合え、金の扱いは誰より巧い。単純に、野薔薇以外の選択肢が無かっただけだ。
☆☆☆
かわいそうに
与えられた店に囲われた恵を見て野薔薇が最初に抱いた感想は憐憫であった。
あの店から姉役の薦めもあってここを与えられたのは野薔薇の少ない人生で良い出来事であった。
両親とは仲は良かったが村の田畑は不作が続いていた。彼らの首はすでに回わっておらず村全員が餓死寸前だった。
両親が苦渋の決断であったことは野薔薇にも伝わっていた。野薔薇としてもそれしか残されていないなと思っていたし、それで良いと思っていた。
生きていればどうにかなる。
母と父はそう言い残して最後まで涙をみせ、貰った少ない金子を大事そうに持っていった。
この店は五条の若旦那が9年もの間懸想し続けた人形を隠すためのものだ。
人形がほしいがために彼は手段を選んでいなかった。人形がいた店に借金をふっかけ、それを肩代わりする名目で人形を手にいれたのだ。
その店の家族は直ぐにこの花街から追い出されて、五条が用意した家に住むことをよぎなくされているようだ。
人形を取り戻したくてもこの花街の門をくぐることも難しいようにしたらしい。
実に五条悟らしい外道さだ。たかが人形、されど人形。その人形が伏黒恵である。