うただちゃんの初恋「え、白川ハンターってそんなに漫画集めてるんですか?」
理由は良く覚えていないがS級ハンターの集まりが協会であり、その休憩時間の多愛ない雑談から知った事だった。白川ハンターは、会社の自分のデスクにまで漫画を置いておく程なのだと。聞いた瞬間に、俺の胸が高鳴った。
「ええ。自宅はそれはもう凄いですよ。あそこまで集めるのは、興味のない僕からすれば執念ですね」
「適当な事を言わないでください。暇を潰すのにちょうど良いと言うだけです」
「おや、では僕も暇をつぶしにお邪魔しても?」
からかいの色の濃い最上ハンターに対してイラついているのを隠さないから、白川ハンターは良い餌食になるんだと思う。
それはともかく、俺は、もたらされた情報に対してどうしたら十分にそれを利用出来るか目一杯考える事に忙しかった。だから、俺が何もしなくても次につながる一手があちらからやってきて、危うく乗り遅れそうになりながら慌てて続く。
「良いですね。俺もご一緒したいです」
きっと、最上ハンターは本当に白川ハンターの家に行くつもりはなかったんだろう。白川ハンターも、それが分かっているからこんな軽口に分かりやすく反応していた。けど、俺がそれに乗っかった事によって断るに断りきれず、ふたりとも、とても困った顔をしている。あまりにも正直な反応に、それが狙いじゃなければ撤回していただろうが、俺は気づかないふりで白川ハンターの返事を待った。
「水篠ハンターも、漫画にご興味あるんですか?」
「はい。妹が受験勉強をしている横でそういうのを読んでいるわけにはいかなくて、自分では集められないんです」
言った事も本当だし、二次覚醒をするまでは俺に余裕がなかった事もある。けど、特に今は、ダンジョンを回る方が楽しくて生活に必要な事以外が疎かになっていた。諸菱くんに絶えずダンジョンに入り続けていると褒められて、それはそれとしてちょっとダンジョンばかりにかまけすぎじゃないかと流石の俺も危機感を覚えたのだ。
レベル上げは大切だし、強くなる事が最優先ではある。けど、だからって全部のダンジョンを俺が攻略してしまえば目の前のふたりを筆頭に迷惑がかかる人もいるので、四六時中ダンジョンにいる訳でもない。そして最近は、普通に開いている程度のダンジョンであればすぐに終わらせすぎて時間を持て余している。
ここで白川ハンターが頷いてくれれば一番手っ取り早いんだが、と思っていると、少し唸り声も混ぜてため息をついた白川ハンターが、渋々首を縦に振った。
「では、うちにご招待しましょう。言っておきますが、書店や漫喫に比べたら全然量はないですからね」
「有名どころはあるんでしょう? それなら大丈夫です」
「ハァ……そうですか」
ちっとも大丈夫じゃない、なんてセリフが透けて見えそうな白川ハンターを、最上ハンターは器用にも静かに笑っていた。
その後、案の定とでも言える速さで、俺は白川ハンターの家に入り浸る様になった。
最上ハンターははじめの一回以降来ていないが、俺は白川ハンターが家にいると聞けばすぐにその家に向かって申し訳程度のお土産を対価に漫画を読み漁る。そのうち、漫画よりは種類が少ないがめぼしいハードは一揃いあるゲーム機にも興味が出て、物慣れなさを白川ハンターに隣で指導してもらいながら遊ぶ様にもなった。
真剣に遊ぶ俺を、白川ハンターは困ったり呆れた顔をする事はあっても、止める事はなかった。
たびたび家を空ける事はあったが、その頻度が増えたせいで葵に怪しまれた。
「お兄ちゃんまさか、彼女でも出来た?」
「出来てない」
まさかとは何だ。失礼な言い方しやがって。
じわじわ憤りが湧いてくる俺にも気づかず、葵はまだ怪しんだ風に俺の顔を覗き込んでくる。
「嘘だぁ。最近お兄ちゃん、帰ってくるたびに同じ匂いしてるよ?」
「は?」
「いっつも同じ人と会ってるんでしょ? そんなによく会うなんて彼女以外にないじゃん」
論破してやったとドヤ顔をしているが、全く的外れの勘違いをどうやって正してやろうかとその頬をもちもち揉む。
「彼女さんじゃなくても、そんなに良くしてくれている人ならきちんとお礼はしないとダメよ、旬」
「母さんまで……ちゃんとしてるから、大丈夫だよ」
葵と違って微笑ましげなだけの母さんに強く否定は出来ない。いや、変な勘違いをしているわけじゃなさそうだから否定はいらないのか?
不満そうな葵はまだ納得していない様だったが、母さんにそう纏められてしまえばしつこく絡んでくる事も出来ずに諦めた。けれど、何かあればまたからかってやろうと思っているのが丸分かりの悪巧みをしている顔をしていたから、紛らわしい真似は出来ない。
……紛らわしい真似って、どんな事だ?
白川ハンターや最上ハンターは、案外忙しくしていない。何よりも重要な仕事はダンジョンの攻略で、万全な状態で挑むためにそれぞれ間隔を空けてレイドに向かっているし、レイドがない時も人に任せられる仕事は全部任せてしまっているらしい。少なくとも、特別な事がない限りは残業なんて絶対にしないそうなので、夕方以降に連絡をとれば大抵捕まえる事が出来た。
「では、今日もお邪魔します。土産は何が良いですか?」
時々は他の人と飲みに行っていて断られるが、それでも週の半分は白川ハンターの家で夜が深けるまで過ごしている。そうなればもう遠慮は殆ど無くて、こうして連絡をするのも形式的な意味合いしかなかった。今日、土産として頼まれたのだって、トイレットペーパーが無くなりそうだから買って来てくれ、だ。それはもう、土産じゃなくて買い出しではないだろうか。言われなくても、白川ハンターの家でどの銘柄が使われているか覚えている俺も俺だけれど。
言われた通りにトイレットペーパーと、ついでに確かハンドソープも無くなりそうだったと思って買っていくと、よく分かったな、だなんて感謝のかけらもない出迎えのセリフ。もっと何かないのかと不満に思う気持ちもあるが、無くて困るのは俺では無く白川ハンターで、買って来たのはただの俺のお節介なのだから素直に感謝されるのも違う気がする。
最近は白川ハンター一押しの格ゲーをする事が多く、やっと対戦で勝てる様になってきた。コマンドを覚えて仕舞えばこっちのもの、と初めは軽く見ていたが、キャラごとの性能や特性の差まで含めて覚えるとなると大変で、しかも白川ハンターはすでに殆どのキャラを使いこなしている。初めは有利なキャラを俺に譲って自分は使いづらいキャラを使うくらいの余裕まであったから、ついムキになってしまった。俺自身のステータスによって互角に出来る様になると、わざと同じキャラを使っての対戦で経験差を見せつけられた事まであるのだから、大概この人も性格が悪い。
「今日こそは勝ちます」
「もう十分勝てる様になったでしょう。まだご不満がおありで?」
「確実に、完勝を、して見せます」
「はは、期待していますよ」
全く、その余裕がムカつくな。
そうしてやっと勝率が上がって来たところで、今度はレーシングゲームを取り出してコテンパンにしてくるのだから、なんて負けず嫌いなのかと歯噛みした。
葵はこんな頻度で会っていて恋人じゃないわけない、なんて確信を持って言っていたが、それこそ、こんな性格の悪い人を恋人にするなんてあるわけない。
「水篠ハンターも上手くなりましたね。おかげで、とても楽しいです」
余所事に意識が行っていたが、手は必死にガチャガチャとコントローラーを操っている。画面では白熱したレースが続いていて、いや、あ、ゴールだ。白川ハンターが俺よりもわずかに早く、ゴールに入った。最終ラップで詰めていた息を大きく吐き出す。また負けた悔しさと、早く次を競いたい思いでいっぱいだった。白川ハンターは、隣で大きなマグカップに並々注がれたオレンジジュースを飲んでいる。その間に次のレースを始められるよう画面を進めた。
最近は、テーブルに酒が乗っている事がない。初めは酒ばかりだったはずが、子供みたいな目的で集まっているからか次第に割り物のお茶やジュースをそのまま飲む様になって、合わせて食べ物も菓子ばかりになっていた。俺は酒を飲んでも酔わないからそれでも不満なんてちっとも無かったが、白川ハンターが甘ったるいジュースでスナック菓子を食べているのは違和感ばかりが優っていつも可笑しくてしょうがなかった。
「今はネットを通じて誰とでも一緒にゲームを出来ますが、やはり、こうして隣り合って一緒に騒ぎながら出来るととても楽しいです。こんな風に遊ぶなんて、子供の頃以来ですから」
穏やかな顔が、瞼の裏に焼き付いた。幼い頃を懐かしんでいるのか、気恥ずかしそうにする白川ハンターは画面の方ばかりを見て俺を見ない。おかげで、助かった、
目頭が熱い。顔が熱い。耳が、うなじが、体中全部が熱い。バクン、バクン、と心臓が爆発しそうな鳴り方をしていて、震えそうな手をコントローラーを握って抑えると、今度は足先から血の気が引いてちいさく震えたと思ったら全く動かなくなった。何が起こったのか分からなくて、俺が止めていた画面を進めて次のコースを選んでいる白川ハンターから顔を逸らすと、その勢いでぽろりと涙が溢れる。慌てて気付かれない様に拭ったけれど、まだ目の周りは燃える様だった。
ぐるぐる回る頭はそれでも、この状態異常に恋と名付けた。
白川ハンターのあの顔を思い出す度に、心臓は痛んで、足は止まって、涙が出る。ようやく落ち着いたのは数日後で、その間、もちろん白川ハンターの家には行けなかった。
何がどうしてそうなったか分からないけど、俺は、白川ハンターに恋をした。
その直前まで恋人にするなんてありえないなんて思っていた相手に、あっさりと。葵に言われた事も含めて意識する土台はあったのかもしれないが、それにしてもちょろい。こっちはまだ俺自身が恋をするなんて予想だにしなかった事象を信じられてもいないのに、今まで通りと唱えて電話をかけようとすると途端に動悸が激しくなってしまうのだから体は正直だ。
でも、俺が恋? 本当に?
いつかは恋とかして、結婚して……って気持ちがなかったわけじゃない。でも、いつかはいつかでしかなかった。
家族のために生きてきて、弱いからなんて逃げる理由にはならない中で戦っていた、俺はあの頃の俺が嫌いだ。誰も頼れなくて、信じられなくて、助けてくれない周りみんなを恨んでいた。身近にいる人も、遠い世界の存在も、全員が俺よりよっぽど恵まれていると思っていて、なのに何で助けてくれないんだ、なんて事ばかりを思っていた。そうして、それでも家族のために戦っている自分は偉い、だなんて事を、ずっと。
一番、理不尽に思っていた相手が、S 級ハンター達だった。白川ハンターは、そのひとりなのに。
でも、それでも、こんな気持ち、恋以外になんて定義したらいいって言うんだ。