寿司食う話白川は気持ちの良い金の使い方をする。感謝や敬意を金で示す方法を知っている。物に見合った価値を支払うべきと、本気で考えている。
そのせいか、滅多に旬との食事に大衆向けの店を使おうとしない。
物への価値と同じように、旬や旬との関係の価値として、配される食事の質はともかく、特別な理由でもない限り廉価な大衆食堂は似合わないと思っているらしい。
だからいつものように家に招かれて少しした後、訪ねてきた出前から受け取ったものを見て、旬は少しだけ首を傾げた。
「こんなに食べ切れるか?」
「残ったら明日も食べるから、気にしなくていいぞ」
それっぽい模様の印刷されたプラスチックのトレーは、広いはずのテーブルの短辺を直径とするくらい大きい。そしてそこにみっしり詰められた握り寿司。驚くべきは、さらに四分の一ほどの大きさで一口大の細巻が詰まったトレーが別にある事だ。いくら健啖な成人男性二人とはいえ、食べ切れる量ではない。
疑問はさておき、よくCMが流れている回転寿司の店名が印刷された袋から割り箸を抜き出して、促されるままに寿司を取る。小皿に出したパックの醤油をつけて食べるが、普通にうまいと旬は思った。
「珍しいな、こういうの」
頼んだ店もそうだし、絶対に食べ切れない量を頼んだ事もそう。白川は気持ちの良い金の使い方をするが、それは無駄金を使うという意味ではない。
なんとなく腑に落ちない思いが、旬に素直に食事を楽しめなくさせていた。
「ものすごくうまいわけじゃなくても良いから、とにかく無心でたくさん食べたい事とかないか?」
「ん? うーん……?」
返ってきた答えも腑に落ちなくて、旬はさっきよりも深く首を傾げる。その間にも淀みなく食べている白川は、片頬を膨らませて尚箸の先に次の握りを摘んでいた。旬の考えがまとまる事だけを待っている顔で、感慨も思い入れも浮かんでいない。
「ちょっと、それは分からないけど、いつも連れてってもらうところのよりは遠慮なく食べれていいとは思う」
多分、白川にはそういう時があるんだろう。それで納得した旬は、これからも自分の事は気にするなと伝えたくて、白川に負けじと寿司を食べ進め始めた。
気付けばトレーの底が半分以上見えるようになっていて、そこまで中身がなくなると残っている寿司ネタにも偏りが出てくる。旬はそろそろ満腹を感じ始めていたが、白川はまだ食べられるのか箸運びに衰えがない。それに感心しながら、最後にまだ残っているいくつかの好物を食べて終わりにしようと、偏りなく選んでいた箸先をずらした。
ふたつ、みっつ、特に好んでいるネタを最後のひとつだろうと構わず食べて、次で最後にしようかもう少し食べられそうかと悩みながら次を選ぼうとしたら、寿司ばかりを見つめていた視界の外から箸が伸びてきて、最後に食べようと思っていたネタをあっさりと攫われていった。え、と声を上げる間もなく、一番の好物のマグロは白川の口の中に放り込まれて、やっぱり何も思っていない顔で咀嚼される。
「……最後の、マグロ」
思わず未練がましい恨言を溢すと、なんだか久しぶりに白川が意識を取り戻したような顔で旬を見た。それで止まる事がなかった口の動きもスイッチを切ったように止まって、今何を食べているのか気づいたのか「しまった」とでも言いた気に眉を顰める。
旬も、あまりにも子供っぽい事を言った自覚があって居た堪れなかったが、すでに口から出たものは取り消せない。しかも、白川は旬が寿司や刺身ではマグロが好物だと知っている。
「いや、でも他のトロとかは全部お前が食べただろう」
口の中のものを飲み込んで、いくらか言葉を選んだ後に白川は正当性を主張する事を選んだ。
対して旬は、神妙に頷いて、その上で反論する。
「やっぱり、最後は一番好きなので〆たいだろ」
「なら、自分の側とかに確保しておくべきだったな」
「あれだけ無心で食べてたんだから、俺の好きなのくらい譲ってくれても良かったのに……」
「悪い。そこまで意識してなかった」
白川は悪びれないが、旬は強く出られない。これは白川が食べたくて買ってきたもので、自分はその相伴に与っているだけで、白川の言う通り絶対に譲りたくないものは自分で確保しておけば良かっただけの話だ。無理矢理奪われたわけでもなく、自分のものだと主張さえしていれば白川は興味も向けなかっただろう。なのに白川を責めるなんて、あまりにも甘ったれた事を言っている羞恥がじわじわと旬の中で大きくなった。
それ以上の反論が出来ない旬を見て、白川は少しだけ呆れの混じったため息を吐いた。野生動物を懐かせた達成感があったのはもう随分前の事で、今はもっと甘えてくれて良いのにと恋人としての立場で贅沢な不満を覚えている。
好物を食べられたと拗ねるなら、いっそ新しく買って来いくらい言っても許すのに、と。
耳の先を赤くさせて、恥ずかしさに肩を縮こまらせている旬を見て、とりあえず残っていた鉄火巻きを口に突っ込んで機嫌を取る事にした。