雨に濡れた水篠ハンターは、分かりづらかったが泣いていたのだろう。けれど俺はそれを拭う事も出来ず、決死の告白にも答えを返せなかった。
全くの青天の霹靂。考えてみた事もなかった告白を受けて、どう答えを返すべきかと悩む俺をよそに、水篠ハンターは何事も無かったかの様な顔で俺の家へ通い続けている。あっさりしすぎたその態度はまた俺の悩みのタネになったが、水篠ハンターが変わる事はない。
今日も今日とて、遊びに来た水篠ハンターは真剣な顔をしてゲームをしている。どうしても格ゲーで俺に完勝したいらしく、まだ読んでいない漫画もたくさんあるがそれは一度置いておくそうだ。俺はその横で新刊を開く。ちらっと横目で見た水篠ハンターは、ムニッと唇を歪ませた。確か、これは水篠ハンターがうちに来て一番に読んだシリーズだったはずだ。
「読みますか?」
「……よ、みます」
俺が読み終わったそれを差し出せば、誘惑に勝てなかった悔しさを隠さないまま受け取る。けれど、とても慎重に、それぞれの手が触れ合わない様に端の方を持っていった。あの告白を疑わないのは、この僅かな違いがあるからだ。
俺に触れる事を避ける様になった姿を見ると、可愛らしく思う様になった。漫画やゲームに集中している後ろ姿を見ると、無防備な首元に触れたいと。そうするとどんな反応をするだろうかと。
気になっていた続きの内容が満足いく物だったのか、本を閉じて深く息を吐くところになんとも言えない衝動を感じて、一度そこを離れる。コーヒーを淹れながら、あっさり変化してしまった自分自身の気持ちに頭を抱えた。
意識していなかった人から好意を向けられて、それを迷惑に思ったり、嫌悪したりしなかったのだからこうなる事は予想出来た。しかし、いかんせんその変化が早い。これはもう、ずっと前から好きだったのでは? と自分でも疑ってしまう。けれど、それは無いと断言出来る。もしそうだったら、今更触っていいかどうかなんて事で悩んではいない。
淹れ終わったコーヒーと、ついでにお茶請けの補充として菓子のパーティーパックを持って行く。水篠ハンターが律儀にもうちに来る度に持って来る土産のひとつだが、最近はうちの近所の薬局でばかり買って来るのかこういう物ばかりだった。先日は、嬉しそうにポイントが溜まったのだと少し高い生菓子を持って来ていた。とは言え薬局で売られている様な工業製品らしいチープな味で、対抗する様に1ピース数千円のケーキを食わせた事がもはや懐かしい。
格ゲーのレベル上げを再開した水篠ハンターは、NPC相手であればそれなりに満足行く勝利を挙げられる様になっているらしい。目下の目標はハメ技の完全習得だと気炎をあげている。
「進捗はいかがですか?」
「気を抜くとコントローラーを壊しそうです」
「っふ、ふふ、ははは! それはどうか、勘弁してくださいね」
「笑い過ぎです、白川ハンター。どうせ、ハンターはみんな一度はコントローラー壊してます」
納得のいかない顔で画面を睨んでいる。誰よりも素早く動く人なのに、どうしてそこまで拘らなければいけないのかと思えば、入り過ぎる力の調整に苦労しているとは思わなかった。そして、言われた通り、俺もコントローラーを壊した事があるから気持ちは分かる。
「こればかりは慣れるしかありませんからね。ああ、でもここ。手のひらの付け根で支えると持ちやすいですよ」
指だけで持とうとすると支え難くてその分力が入る。だから手のひら全部を使うと良い、と水篠ハンターの手を指差して言うと、びくりと震えた手が逃げて行く。触ってはいなかったはずだが、と思いつつ顔を上げると、その近さに俺も驚いた。
「すみません、ちょっと、驚いてしまって」
「いえ、こちらこそ」
そわそわと落ち着かない水篠ハンターから、こちらも落ち着かない気持ちで少し距離を取る。全くの無意識で近づいてしまって、ひどく動揺してしまった。あまりにも酷い現状に耐えかねて、思い切って話を切り出す。
「あの、先日のお話なんですが……」
「はい!? ど、どの話でしょうか」
「あー、俺を、その、好きだと」
「あ、ああ! はい! その話は、えーっと」
「今、お答えしてもよろしいですか?」
「答え、ですか……」
「はい」
動揺を落ち着けるために深呼吸を繰り返すと、水篠ハンターも同じ様に胸を押さえながら呼吸をする。そして、お互い改めて向かい合った。
緊張した顔をしている。あの日の様な悲壮な顔はしていないが、明るいわけでも無い。俺を、怪しんで、疑っている。
「俺も、あなたが好きです。恋人になっていただけますか?」
自分が好かれるなんて思っていないんだろう。それはそうだ。つい先日、友人扱いをしたばかりで、きっとあの日水篠ハンターはとてもショックを受けたはずだ。一体、どの口でこんな事を言うのかと訝しんで当然の所業だが、しかしこれ以上先延ばしにする理由ももう思いつかなかった。
「い、いいんですか……?」
「こちらがお願いしている立場ですよ? 悪いわけがありません」
信じられないのなら、信じさせればいいだけ。疑念や不安で目を揺らしながらも頷いてくれた水篠ハンターに、俺は決意を新たにこれからもよろしくと頭を下げた。