はたもとひろの初恋悪魔城に入る直前のことだった。
家を出てすぐのところで待ち構えていたトーマス・アンドレの秘書に連れられ、当のトーマスがいるホテルへと案内された。今からダンジョンに入ろうと準備を整えて出てきた出鼻を挫かれて気分がいいわけがなかったが、世界一のハンターの誘いともなればそう簡単には断れないだろう。少なくとも、話くらいは聞いておいた方があとが面倒じゃないと判断して、車に乗り込んだ。
もちろん、部屋に着くまでは往生際悪く断っていいのなら断ってしまいたい気持ちがあったが、トーマスの前に立った瞬間にここに来ることを選んだ自分に間違いはなかったと確信する。部屋に一歩踏み入った瞬間から全身にのしかかる威圧感に、ゲートの中でもないのに背筋を冷たいものが走った。
部屋の奥と手前という距離のある立ち位置にも関わらず、存在感の大きさですぐそばにいるような気分になる。その迫力に気圧されていると出来るだけ悟られないように進んで、目と鼻の先、攻撃射程圏内にまで来た。不遜に笑ったままのトーマスは、じっと俺の頭から爪先までを眺めて何かを検分しているらしい。頭の上から見下ろされて、だんだん腹の底に怒りが溜まる。俺は、そんなに不躾に扱われる存在なのか?
いい加減我慢もしていられないと態度に出そうになったくらいで、やっとトーマスは話を切り出した。
「ミスター水篠。俺のギルドのミスター右京があんたのことを狙ってる。心当たりはあるか?」
「……さあ、わからないな」
誤魔化したが、右京の名前はもちろん覚えていた。あのトカゲのリーダーだ。けれど、それは俺が殺した男の話だ。生きているらしい人間なのなら、奴の親族か何かだろう。解せないのは、わざわざトーマスが俺に会いに来る理由になるのかと言うことだ。
警戒が解けないままトーマスの次の出方を伺っていると、ずいっと腰を折って顔を近づけてきたトーマスが、今度は俺の顔を中心に眺める。さっきはひたすら不愉快だった視線が、興味深そうなものに変わっていると気づいた。
「いい目をしている。気に入った。どうだ? このまま食事にでも行かないか?」
気に入ったとは口ばかりで、俺は試されているんだろう。それ以上の内心が読み取れない笑顔とサングラスが邪魔で不愉快だ。
「悪いが、用事がある」
相手ばかりが余裕を持った駆け引きは他の何よりも神経を使う。それから逃げるためにさっさとここから退散してしまおうと背を向けるが、どうしてかそれで相手が機嫌を損ねるとは思わなかった。実際に、背後のトーマスは俺をどう引き止めようかと考えているらしかったが、怒っているような威圧感は一切ない。
「ミスター水篠。また連絡する」
「先にあんたのところの右京とやらの問題をどうにかしてくれ」
扉を閉める直前に見たトーマスからは、次は逃さないだけの自信が伝わってきた。
悪魔城から帰って、携帯に溜まっていた連絡の中にトーマスからのものもあった。しかし特に返信することもなくいたら、俺がS級になったニュースが届いたらしく、わざわざその祝いの連絡が届いた。時差があるからか、秘書の代筆か、メールで届いたそれに簡単に礼だけ返信したら、そのまま今度こそ秘書と名乗る相手とのやりとりが始まって、あれよあれよと再び会う約束がされてしまう。あまりにも早く話が進む誘導をされて、危うく詐欺を疑いかけた。
指定されたホテルの部屋に行くと、すでにルームサービスで食事が用意されていた。豪華なそれに少し気後れしたが、今にも立ち上がって迎えに来そうなトーマスに進まざるを得なくなってしまう。
ワインを注がれたグラスで乾杯を交わして食事が始まると、トーマスからの賛辞も始まった。
「S級認定おめでとう、ミスター水篠。再覚醒とは素晴らしい! 滅多にない例の上に最上級クラスになるとは、これ以上ない幸運だ。この俺からしても羨ましい。ご家族も、さぞ鼻が高い事だろう。日本はS級ハンターがそれほど多くはいない国だからな、引く手数多なんじゃないか? 悩ましいだろうが、それは幸福な悩みだ。いくらでも悩むと良い」
カパカパとグラスを空けながら、トーマスは機嫌よく喋り続けた。きっととんでもない値段がするだろうワインがあっという間に一本無くなり、二本目も半分が過ぎると用意されていた食事の皿も大概空いていた。俺も俺でトーマスの話す内容を話半分に聞き流しながら、食べたことのない高級な味を堪能させてもらったが、ルームサービスを追加しようか、ラウンジにでも移動しようかと聞かれてしまうと答えに困る。
結局、トーマスは前回も今回もなぜ俺に会いに来たのか、なぜ俺に興味を持ったのかはっきりとした答えを言っていない。藪をつついて蛇を出したくなくて自分から聞く気にはなれないが、かと言ってこのまま目的もわからず一緒に食事を出来るほど気を許せる相手でもない。
「まさか、もう帰るつもりじゃないよな?」
トーマスはニヤリと笑いながら、空だった俺のグラスに酒を注いだ。帰すつもりがない宣言代わりのそれを飲み干してしまうのは簡単だが、問題は目的が分からないことだけでトーマスとの話そのものはそれほど苦痛ではないのだから、やっぱり正直に尋ねてスッキリした気持ちで飲み直した方がいいだろうか。
手に取ったグラスをくるりと揺らして、俺の答えを待つトーマスの顔を見て、覚悟を決める。
「今日、なぜ来たんだ? そんなに暇だったのか?」
マイク代わりにグラスを差し向けて尋ねると、トーマスは笑みを深めて残っていたナッツの殻を軽く砕きながら答えた。
「ミスター水篠。俺のパートナーになってくれ」
断られるだなんて微塵も思っていない顔で誘いをかけられるが、俺はその意味を測りかねる。スカベンジャーギルドには、トーマスのパートナーと呼ばれるようなポジションはもうなかったはずだが、まさか、俺のために役職を空けるわけはないだろう。
「つまり、どう言うことだ?」
「うん? そのままの意味だ。……うむ、そうだな、ステディなら分かるか?」
「すてっ……! こ、恋人か? 馬鹿にしてるんじゃないよな?」
「そこらの一山いくらの女じゃないんだ。お前相手に、からかいや冗談でこんなこと言う訳ない」
笑ってはいるが、真剣に言っているのは分かる。サングラスも変わらないが、前回よりは表情が読めるようになっている。それでも、素直に信じられる話じゃない。
「そう警戒するな。俺はただ、お前が気に入ったんだ。お前を手に入れたいが、どうせ合衆国には来ないんだろう? それなら、こんな方法ででも手綱は握っておかないとな」
またナッツの殻を砕く手を動かし始めて、その太い指先で小さなナッツを器用に摘んで口に運ぶ。