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    okomeittoai

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    okomeittoai

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    この話は子供との絡みが好きな作者が、おずおずと子供に向き合っているrnisがみたいと書いたもだもだ家族形成パロです。rnを好きになってしまったisgが、引退後に喪失感に襲われて子供を養子を取るところから不器用にも家族になろうと三人が集まる話です。ちょうどいいところまで終わったので、誕生日もあるし試しに一話として挙げてみようと思います。全年齢です。
    推敲していません。深夜なので許してください。

    祝祭 ♯1その箱の中にいる男が、ひどく楽しそうで羨ましかった。

    「ミヒャエル・カイザー選手と糸師凛選手がボールを奪い合っていた裏を書いて、ゴールを決めたのは、バスタードミュンヘンの双剣の一人、11番の潔世一だ!」
    「そしてなんと、ここで試合終了のホイッスルが鳴り、3-4でバスタードミュンヘン、逆転勝利が確定しました!」

    無機物なテレビが不思議にも動を生み、割れんばかりの歓声で蠢く。暗がりの部屋の中、瞳の中で青が揺れると、自分で導いた勝利を噛み締めるように、箱の中の自分よりも遥かに年上の赤いユニフォームが流れ星のように流れた。その選手はまるで自分がゴール入れたのが当然なのだと、その傲慢さを隠そうともせずに汗を飛ばしながら芝生の真ん中で雄叫びを上げている。こちらが耳を塞いでしまいそうな痺れる声を合図に、彼と同じチームメイトらしい、同じユニフォームの選手が集まってあっという間にもみくちゃにされ、その様子を興奮して解説している実況席と、嬉々とした声援が囃し立てていた。周りの選手と喜びを分かち合っている熱を表す画面は、今少年がいる暗い現実世界とは対照的にその選手を祝福しているように煌めいている。

    それは少年にとっては面白みのない色もなく流れている箱にしか思えなかったが、その箱は無情にも少年の気持ちを測らず、今度はどうやら試合が終わったらしい画面から選手がゴールを決めた再放送を繰り返しなぞった。きっとインタビューの場繋ぎだろうが、それでもテレビはゴールを決めた奴らのリプレイを走った後、先ほどから重要と言わんばかりに青い一等星を思わせる選手のゴールを繰り返している。特にゴール前に設置されたカメラが抜いた、黒髪の選手の裏をかいて、ボールを奪ったその選手のボールしか見ていないその冷えた青が映ると、少年はなぜか、胃の中に百足が這っていふようで気持ち悪かった。胃の奥がムカムカとした気持ちになって、思わず胸元を抑える。そこには、ちゃんと浅ましくも自分が生きていると言う証がいつもより早いペースで動いていた。

    なぜ、サッカーに面白みも感じないと言うのに、この選手だけは胸の鼓動が鳴り止まないのだろうか。残念ながらその問いを投げかけても少年の隣人は、カーテンのしまった空虚しかなかったので、当然返事がなかった。問いだけがぐるぐると少年の周りを舞ったが、それでもずっと答えだけを求めようとして、誰でもいいから返事を求めるように強く願って両手をグッと握って祈る。指先が冷たくなるほど強く握っていると、悟ったように冷たい指先に重ねて冷たい冷気が呼応したので、後ろを見れば、にこやかな顔をした母が床に足を擦り付けて、こちらに歩いてきていた。

    「紬君、お勉強の様子はどうかしら....って、やってないじゃない!しかも何それ、サッカー?あら、ブルーロックの選手の特集?この子達は紬君には、卑劣な言葉を使う低俗な人間なの。紬君が見るには下品すぎるわ!」

    ぶち、と肉が切れるような音がして、現実の世界に引き戻される。音が止まった世界は、ひどくつまらなくて、母が次に放つ一言に体を揺らして、綱渡りしているようだった。呼吸がいやに耳を突き刺して、体の内側が薄寒い。それでも母は先ほどの青年のように憎悪を持って声を波立たせた。

    「それに、お前にこんなもの見ている時間があるの?前回の塾のテストの点数、100点じゃなくて、中学校の志望先に届かないからってママ、塾の先生に心配されちゃったのよ!ママに恥かかせてるのはあんたなのに、なんでのうのうとテレビをみようと思えるの!死ぬ気で勉強しろよ!」

    途端に母の体が怒号で装飾されて、大きくなったようだった。いつもの日常で慣れているはずなのに体は素直に恐怖を覚えているのか、体が小刻みに震える。まるで、母の紬を思っているらしい言葉を無理やり食べさせられて、喉につまらせて窒息死してしまいそうなほど、目の前の母の皮を被った大人の悪意が恐ろしくて、涙が勝手に迫り上がった。

    「ママはこんなにも紬君のためを思って、お勉強をさせて、それじゃあ足りないと思ったからたくさんたくさん塾や家庭教師にだってお金をかけたのに、当のあんたが塾のテストでこんな点数取るのが悪いんでしょう!こんな学力だったらお医者様どころか、どこの中学校も受験できないわよ!!そんなことなら、ママが必死に稼いだお金、返してよ!」

    パチンと何かがぶつかる衝撃が頬を痺れさせ、吹っ飛ぶ。こうなった母に、必ず一回は叩かれていると言うのに、スローモーションでこちらに飛んできた頬に目を瞑って衝撃に耐える体の反射に、自分はまだ人間なのだと内心薄ら笑った。

    「ごめん....なさい...教育してくださってありがとうございます....」
    「一回叩いた程度で泣き喚くな!うるさい!こうなったのも、全部お前のせいだ!ママは毎月の顔のメンテナンスの費用だってあるのに、お前のせいでママはどんどん醜くなっていくんだ!謝れ!あの人にすら会えなくなるほどお前が顔を醜くしたママに、いますぐ!」

    紬の唯一のお母さんはさっきまで優しく微笑んでいた顔に皺を寄せてキンキンと金切り声をあげ、紬の頬を打つ。手を振り上げるのをじっと目で拾って瞳孔が追いかけると、それが例えいつもの日常でも、やっぱり体は恐怖を覚えているらしく、体が固まった。

    ここで誰か助けてくれないかと何回も思ったが、現実は虚しくも、助けてくれるスーパーヒーローも魔法少女もおらず、それすら関係ないと言わんばかりにまるでレジ袋のように体が飛んだ。体制が崩れて壁に背中が叩かれたせいで抑えた頬と背中がジンジンと痛み、それに追い打ちをかけるようにグリグリと母のもう何もわからないヒステリックな声が響く。

    もう、こうなってしまっては、紬にできることは母に捨てられないために必死に土下座して、ママは僕のために頑張ってくれているのに僕は無能でごめんなさい、と赦しを乞うしかない。なんとも、惨めで救いようのない人生だった。

    「そうよ!お前はママがあの人の間に産んであげたんだから、あの人の遺伝子を継いでいるお前は優秀なはずなのよ。だけど、何?このテストの成績は?ママは100点以外は価値がないって言ったわよね?お前が自分で言ったと思うけど、お前は無能なの!」

    照明が絞られた部屋で乾いた音と共に、埃が波打っていくのが薄らとわかる。母が最後に掃除したのはいつなのだろう。霞む思考と共に記憶を手繰り寄せようとして、さらに母親からの愛情という名の痛みを受けた。

    母親の形だけをなした女になりたいこの人が、怪物となったのは物心が着いてからだった。駆け落ちの上に逃げた父が、逃げた先で不倫相手と幸せになったと風の噂で知り、自暴自棄になって段々と家事をしなくなった。だと言うのに、外面だけはよく、どこかおめかしをして外に出ていくようになったのだからてんで可笑しかったのをよく覚えている。

    そのお出かけというのが、悲しみに漬け込んだホストに母がハマっていたからだと知ったのはホストが本格的に家に転がり込んできたからだった。見た目も性格もあまり良くない、新宿とかであれば下っ端から出られないような、なよなよ来た男だったが母は何も出来ないところを好きになっただったらしい。

    結果はお察しだが、ホストをナンバーワンにして居候させるためにみるみるうちに金がなくなっていき、ホストに見合う容姿を手に入れようと整形を繰り返したせいで、借金も堪り、日中は何も家事をせず、何かあると何も手をつけずに紬に当たり散らすことでストレスを発散する哀れな女に成り下がっていった。

    一応、ホストがいるうちは見栄があるので、1日に2回は掃除をして、紬にも料理を作ってはくれるが、ここ数日掃除をしていなかったのは、きっと最近いい感じでもうすぐ同棲できるのだと言っていたホストがまさかの他の担当にも色恋をふっかけているのがわかり、更には実は本妻がいので、ホストに詰め寄ったら喧嘩になったからからだ。毎回、同じような理由でストレスをぶつけられるので、いい加減学んだ。

    もう捨てられるのは、父で経験しているくせに。また男に入れ込んで挙句大好きなホストに捨てられた、自分のことを哀れで可哀想な女だと嘆いている悲劇のヒロイン気取りの母は、女自身が救われるために紬をお医者さんにして、ママを楽させてね、と父に捨てられてから呪いのように呟いていた言葉をまた紬に投げかける。

    こうやって誰にも求められていないのに自分本位にママが勉強に投資していることに感謝しろ、そして成績を残せと宣う母に生かされ、逃げる当てもなかった紬は、こうやって生ける屍として母にお腹を何度も蹴られた。

    「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい...僕が全部悪かったです......」
    「ほんっと、あの人の遺伝子が欲しくて子供作ったけど、こんな泣くことしかできない勉強ができない無能な上に顔だけあの人に似ちゃって、失敗作だったわ...お隣の遥ちゃんなんか、和井田中高一貫校に受かるほどの学力があるって言うのに....こんなことなら、流産しちゃったあの子を無理矢理にでも産めばよかった」

    小学3年生の遊び盛りにゲームも禁止されて、テレビはNBKのみ、中学受験をするための勉強をするため、塾に通っているせいで友達と遊ぶことも許されず、そのせいで友達に疎まれ、挙句ご近所付き合いだけはいいと母は勝手に思っているコミュニティーの中で周りから聞いたクラスメイトと比べられているこの人生に生きている価値なんてあるんだろうか。言わば、母のために生きていると言っても過言でない今、もう、頑張る意味がお医者さんになって母に楽をさせたいと言うことしかないのが、紬自身、滑稽だった。

    「今日、せっかく紬の大好きなオムライス作ったけど全部ゴミ箱に捨てたから。今日のお前にご飯なんてないわよ」

    母に顔を叩かれたせいで視界が痛みで歪み、あたりに星が飛びながらも、もう全ての気力が抜け落ちてしまった紬はもう一向に片付けられなくなったゴミ袋の中に飛び込んで、叩かれた姿勢のまま動けずに、母の罵倒を聞き流す。母の平手を受けた際に、体の反射で体を捻って避けようとしたせいで耳元に当たり、母の金切り声が水中に潜ったように遠く聞こえるが、今の紬には例え、耳が痛んでも、紬が大好きなオムライスが惨めにゴミ箱の中で腐って言っても全てがどうでもいいものに思えた。

    紬の足元に落ちたお日様の下で家族が笑い合っている絵が目に入ると、母がそれを汚らしい目で見下ろし足で踏みつけた。母の足から紬がクレヨンでかいた緑色の太陽と母と紬、それから見たこともない父の顔がぐちゃぐちゃになっているのを見て、紬は大人の自己主義に自分の抱えていた小さな夢を塗り替えられたことに絶望しながら、夜明けをまつ。



    蒼空に子供達の笑い声が反響する、あまりにも平和で暖かい日常。その少し暖かい青の下、落ちていく桜の花弁が青に滲む爽やかな空が広がっている。ポカポカと木漏れ日が桜並木からチラチラと潔を照らし、子供達の笑い声に揺れて、呼応するように小鳥が囀る春の陽気に、潔はその元気な声を出してはしゃいでいる子供達と円を作って、サッカーボールを回し蹴りをしていた。春になったとはいえ、子供達にうっすら汗をかかせる太陽が燦々と光って子供がボールを蹴った動きをした影は、尾を引くようにボールをゆっくりと離し、やがて潔の影に吸収される。子供達の力だからかさほど弱くなく、ボールが容易く足に絡まると、ボールをくれた子供に笑顔で上手、と返し、他の子の名前を呼んでボールを転がした。

    きっと、昔の欧州リーグに身を投じていた時期の自分が見たら、何も言わないまでもぬるいと一蹴しそうな球蹴りごっこに、満足げに笑う。潔の少し強いパスに対応できなかった子供が、自分から遠のいて行ったボールを追ってケラケラと笑う姿は可愛らしく微笑ましくて、潔は惜しい、惜しいと声をかけた。国の宝である子供達が元気なのはいいことだ。

    「皆さん〜、もうそろそろ水分補給をしてください〜!あと今来たらおやつもありますよ〜!」

    孤児院の総括であり、子供達のママである職員が声をかけると子供達は各々に破顔したり、友達と楽しみだね、なんていいながらわらわらと施設の中に戻っていった。どうやら潔も例外ではないらしく、先程までに円の中にいた子供のうちの二人が、”潔さんも一緒にパンケーキ食べよう”、とその小さな手で潔の手を包んで引っ張っていく。潔は子供の可愛らしいおねだりを尻目に、少しばかり眉を下げておやつときいて意気揚々とする子供達に苦笑をこぼした。

    「早く、早く!」
    「あはは、急いだっておやつは逃げないよ。マザーのことだから、きっとみんな分用意してくれてるって」
    「でもみんなすごくおかわりするから、早く行かないとおかわりできないですぐ無くなっちゃうんだよ!そうなったら、またマザーが焼いてくれるのを待たなきゃいけなくなっちゃう!」
    「そうだよ!それに、早く食べ終わったら早く潔さんとサッカーできるじゃん!だから早く行かなきゃ!」

    そんなに急かす理由があまりにも子供らしい可愛らしいものだったので思わず笑みを浮かべつつ、ぐいぐいと引っ張る手に素直に従う。二つの手はあまりにも小さくて、力を入れていない潔が本気で手を丸めたら隠れるどころか、潰れてしまうほど可愛らしくて、そして暖かかった。

    その温もりに胸が満たされながら、子供達の止まらない応酬に笑顔で返答していると、ふと潔の片隅に、もし、この暖かくて小さな手があいつの子供だったら、どれだけ幸せなのだろうか、いう思いがパッと頭を掠める。あまりにも一瞬の、普段だったら到底思い付かないだろう思考に潔は驚きつつ、意識しまいと思考を別の方に追いやろうとしても、潔の気持ちと相反してだんだんと胸のうちを占拠して黒く染めていった。

    辛酸を呑むようにこくりと鳴らした喉音に気づかなかった純粋な子供達は、嬉しいのか満面の笑みを携えながら潔を見ていて、その度に今手を握ってくれているこの子達を通してあいつの子供を想像する自分に罪悪感が募る。

    こんなくだらないことを考えるようになったのは、引退してサッカー選手の第一線から退いた今、考える時間が多くなったからだろうか。それは時にニュース番組に映るあいつの好調な試合運びに考察を踏まえながらもさすがあいつだと関心している合間とか、はたまた、不調で思うようにプレーできない時にはちゃんと眠れているかとか、ちゃんとご飯も食べられてるかな、と考えている瞬間とか。ブルーロックで出会ってから追っては追い越してを繰り返し、あいつが日常の中に侵食したせいで、あいつとの未来ばかり考えてしまう。そんなことを考えていたって、全てがたらればにしかならないはずなのに、何も接点がなくなった”あいつ”との思い出を重ねようとする自分の浅ましさがあまりにも恐ろしかった。己の滑稽さに何とも言えない感情が喉元を伝うのがわかる。

    それでも未だに詰まった小骨のように胸に引っかかっている現象に言葉を求めるようにきっと口を結んだ。しかし、自問自答に過ぎないこの言葉は、誰一人として答えるものもいないまま重たくなった足を回すように流れていく。きっと、こんなにもあいつのことを考えているのは、最良だからこそあいつの不器用で不恰好な優しさを他者に気づいて欲しくて、あわゆくばいつかあいつの孤独を埋められる人と幸せになれると思っているからだ、とそわそわとする胸に背き、この気持ちを強引に決めつけ、一人うんうんと納得することにした。

    潔自身は、結婚願望はおろか、子供が欲しいと思ったことがなかったが、あいつは末っ子気質なので、きっと年上のお姉さんに甘えるタイプだろう。一人で生きれるように見えて孤独に弱いあいつが、心許せる人と結婚して順風満帆な生活を送って、さらに運よくお子さんを授かることができたなら、凛に連絡をもらって子供のお守りを引き受けて、最低でも少し中のいいおじさん程度の立ち位置になれたらいいなと、ジャージのポケットの中で跳ねている携帯を指で撫でた。その行為は、潔から、引退をするのだというメールを送ってから連絡を取り合っていないあいつの連絡を今か今かと静かに待っていて、さも自分があいつを意識しているようで、少し気恥ずかしい。

    潔も潔で交友関係は希薄で他人にあまり興味ないので言えたものではないが、それ以上に潔が連絡を取らなければもう接点すらないほどにサッカー以外に興味がないあの男_________糸師凛はそれほど強烈に、鮮明に脳裏に焼きついていた。それこそ、あの青い監獄に収容されて初めて会った時の描いた放物線の綺麗さだったりとか、二次セレクションで絶望しかかった潔たちを置いて最後まで諦めなかったあの意志が強い翡翠とか、U-20でブルーロックが勝利したロッカールームで初めて潔のことを目に映してくれた緑の中に映える激情の混ざった赤とか、英雄大戦での全てを投げ打った、それこそ、死を恐れないサッカーとか。そのどれもが、潔を成長させてくれるものであり、後に欧州リーグで鎬を削ることになる潔を作った全てだ。

    それはサッカーができなくなった燃え尽き症候群のようなものになっている今日までずっと続いてきたルーティーンみたいなもので、どうしてもサッカーから離れられない潔がサッカーボールに軽く触れるたびに凛の罵倒が聞こえてくるようだった。潔の中の凛はずっと25歳頃に試合後に少し言葉を交わした時の朴念仁面で次は殺すと言ったまま、止まっている。あの、翡翠に見つめられた時の息が詰まって、まるで祝福を表すように孤児院の鐘が遠くで鳴ると、潔はいつの間にか孤児院の中の長机の前に立っていた。ミシミシと三人分の木が軋む音がぴんと張った空気に染み渡る。

    「マザー!潔さん連れてきたよ!」
    「あらあら、あなた達のパンケーキはちゃんと残していますよ」
    「マザー、ありがとう!」
    「でもね、潔さんのこと無理矢理引っ張っちゃ駄目でしょう?もしかしたら、潔さん、痛かったかもしれませんからね。ちゃんと潔さんに謝りなさい」
    「潔さん、ごめんなさい」
    「ごめんなさい」
    「いやいや、いいよ!痛くなかったし、早くパンケーキ食べたかったもんな。それに俺もこれ食べたら早く君たちとサッカーしたいし!」
    「本当?約束だよ!絶対絶対だからね!」
    「ふふ、二人とも謝罪は済んだのでしょう?自戒は後にして、早く席につきなさい。いただきますしましょう。ほら、潔さんも、子供達と共に御相伴に預かってくださいな」
    「ありがとうございます」

    即興で作ったのだろうパンケーキの歌を揚々と歌って潔を席に案内していく子供達の後ろにつきながら、笑みを溢す。飛び跳ねるようにパンケーキにアイスと蜂蜜をつけて〜などと可愛らしく自分が欲しいものを元気に歌う様子は昔、自分が某のど飴のCMを口ずさんでいるようで思わず笑いながらその歌に小さく合わせながら歩を進める。やがて、潔のために空いているのであろうスペースに潔を誘導して座らせると、褒めて欲しそうに自慢げに鼻を鳴らしている子供達のまろい頭を思わずかき混ぜるように撫でた。それを目を細めながら最も簡単に受け入れた子供達は嬉しそうにきゃっきゃと笑って、潔に手を振って自分の席に戻る。

    その子供達を見送ってから辺りを見渡せば、子供達は各々幸せそうに友達と話したり、パンケーキを頬張るのを今か今かと待っていて、おやつの時間にしては賑やかな場になっていた。この場所に来る子供の境遇は三者三様だが、ここが孤児院だとは思えないほど世間一般の子供達となんら変わらなくワイワイとしている様子は見ていて楽しい。
    きっと中には大人にトラウマになった子もいるのだろうに、それでも前を向いて必死に生きようとしている姿は、子供というのは潔が思っている以上に強くて逞しかった。それと同時に、潔は少しでも子供達のために何かできたらな、と身が引き締まる。今の潔には、それが精一杯でも、子供達が潔に返してくれる愛情を一杯に返したかった。

    「それでは、皆さん準備ができたようなので食べましょうか。それでは手を合わせてください」

    ___いただきます!

    子供達の軽快な声に押し出されるように潔もしっかりと手を合わせて、食材に感謝した。ナイフとフォークを掬って切り分け、パンケーキを頬張りながら辺りを見渡せば、ある子はパンケーキの乗ったお皿の両端に置かれたカトラリーを器用に使ってパンケーキを切り分けて、けれど子供らしくパンケーキを口いっぱいに頬張っていたり、別の子は机の上に置かれた蜂蜜を、もういっぱいに乗っているのに更にかけてベトベトにさせていたり、それを見てかけすぎでしょ!と年上のお姉さんらしき子に怒っていたりと、談笑の場になっている食堂は先ほどいただきますをする前と変わらず賑やかだ。それでも皆食事中のマナーはちゃんとしていて、ナイフやフォークの使い方がちゃんとしていたり、誰一人として肘をついて食事をしなかったり、咀嚼している時は口元を隠すなど、潔が小さい頃とは比べ物にならないぐらいしっかりしていた。

    潔は、ナイフを細かく震わせてパンケーキを一つずつ食べながら、自分が子供の頃は食事をそっちのけでサッカーしてたなーと子供達と見比べながら目を見張る。潔とて、一応両親に最低限のマナーとして、ご飯の器はちゃんと持つとか、口元を抑えるとかは教えられて、それをちゃんと守ろうとしていたが、当時を思えばここにいる子供達のように、綺麗にナイフとフォークすら使えていなかっただろう。

    潔は感心してパンケーキを切り分けて口に頬張りながら、雑踏に耳を傾ける。ブルーロックという強制的な寮生活を過ごしていたせいなのか、談笑に囲まれてご飯を食べることが日常となっていた潔は、静かに一人でご飯を食べるよりも、賑やかに食べる食事が楽しくて好きだった。最初に大人数でご飯を食べることになった時は感覚が過敏なせいで雑踏を耳が拾ってそわそわしてしまい、ろくにご飯も食べれなかったが、後にあの騒がしさが楽しかったのだと気づいたのは、ブルーロックから一人暮らしを始め、誰もいない冷たい部屋で一人ご飯を食べるようになってからだ。潔は一人でも大丈夫だとは思っていたのだが、案外人間というのは、思っているよりも無音に耐えられないらしい。だからこそ、子供達の無邪気な声に囲まれてご飯を食べれる今が楽しかった。

    潔はクスッと笑って蜂蜜がたくさんかかったパンケーキを掬うために皿に目を落とした。ホームメイドのパンケーキは、昔から母親におやつとして出されていたが、やはり美味しい。テラテラと蜂蜜のたっぷりかかった狐色のパンケーキに潔が舌鼓を打ってフォークで掬おうとすると、急に隣からコロコロと回った色が引きずられてきて動きが止まった。色がくるくると回ってこちらへ吸い寄せられるせいで、それが若緑色のクレヨンだとわかるまで数秒かかってしまったが、どうして食事の席で急にクレヨンが転がり込んできたのだろうか。潔は少しばかり疑問に思いながら、クレヨンが飛んできた方へ顔を向ける。

    そこには、リング式のノートの切れ端なのだろう紙を覗き込むようにして体を丸め、紙に体を埋めてしまいそうな少年が必死に手を汚しながらクレヨンを動かしていた。これからパンケーキを食べるのに、手が汚れているのはどうなのかとも思ったが、彼は甘いものが好きな子供らしからず、近くにあるパンケーキには一ミリも興味がないらしい。その代わりに周りに無造作に広がったクレヨンがどれも小さくなっていて、そのクレヨンをグリグリと熱をこもった手で紙で擦り付けて皺くちゃになっていることにすら気づかないほど熱中しているようだった。肝心の内容は、彼が猫背気味で、正しく紙に書いているものを見せないようにしているせいで隣からでもわからなかったが、頭からのぞいた白い紙には、子供らしい絵柄で緑色の太陽が燦々と輝いていて、命を灯している。少し見えた画面が緑が多く使われているところから察するにこの子は緑が好きで、更には転がってきた緑色がどのクレヨンよりもすり減っていることからも、これから先緑色は多く使うだろう。潔は少し迷ってフォークをおろしてクレヨンを拾い上げると、できるだけ優しい声で少年に声をかける。

    「ねぇ、君」
    「...なに?」
    「これ君のでしょ?君が熱心に緑色使ったから無くしたら大変だなって思って」
    「...ありがと」

    無言。後に、こちらの顔を見ようともせず、絵を描くのを再開してしまう少年。
    確かに、子供の中にはお喋りが得意ではない子もいるのが、それとはまた違った少し棘のある触感の会話だったなと、ハリネズミを触った時のように引ったくられたクレヨンを持っていた手をみつめる。まるで大人、というより、潔のことが嫌いであまり関わりを持ちたくないようなそっけない態度は自由人が多いブルーロックや今までのサッカー人生の中で経験していたが、誰とも交流を持たなくなってからは無いに等しかったので、少しばかり意表を突かれたように少しばかり移った緑色の手をナプキンで拭いた。白いナプキンに映った無害がなさそうな淡い緑の色を多く使う彼の心に反して、手のクレヨンのつき方のように刺々しい彼に、普通の人ならばあまり関わりたく無いだろうが、この少年の隣にいるのは残念ながら生粋のエゴイストで、しかも嫌いなことが無視ときたら、もうこの少年を無視することなんてできなかった。

    「ねぇ、君、名前は?」
    「...最初にそっちが名乗るのが社会人としてのレイギなんじゃないの?」
    「はは、言われてみれば確かに大人なのに名乗らないのは礼儀知らずだったよな。じゃあ、初めまして、俺は潔世一。職業は....えーと、知ってるかもしれないけどサッカーボールを蹴ってたんだ。元サッカー選手」
    「...あんたって、昔から身勝手って言われない?」
    「ふふ、そうかも。残念ながら育ってきたところが自己主義.....俺らはエゴって呼んでるんだけど、それを大事にしてるところでさ。そこで生き残るうちに身勝手にエゴが身についちゃったみたいだ」

    最初は一蹴されると思っていた会話は、案外すんなりと進む。潔は、手を動かしながらこちらを見ようともしない少年が、それでも潔との会話に応じてくれたことにニコニコとしながら、彼の言葉を拾う。もうすでに潔の前にある出来立てのパンケーキは冷め切っていて、二人の会話を彷彿とさせるようだったが、潔はまるで昔の旧友、特に凛と会話しているようで悪い気はしなかった。口調も、容姿だって艶やかな黒髪が波打っているところしか似ていないのだが、必要なもの以外は必要以上に会話に入らないところも、こちらが突拍子もない会話をしても、無碍にはせずに耳だけは貸してくれるところも、呆れながらもぶっきらぼうな口調も全部が似ていて、胸が締め付けられる。

    だからこそ、その後にピタッと彼の想像力がとまったのか、クレヨンが無造作に引き伸ばされて掠れた声が潔の鼓膜を震わせるように描いたのを見て、潔は体を止めた。

    「...知ってる。だから嫌いなんだ」
    「え?」
    「あんたらの活躍とやらはよくニュースで見てた。皆、口々にブルーロックからきた選手は凄いって言ってたけど、お母さんが言ってた通り、あんたらが自分の我儘を通そうとしてるようにしか見えなくて、あんたらブルーロックの奴らが映るたびに嫌気がさしてたんだ!」
    「......」
    「何がエゴだよ、何が自分で点を入れなきゃ意味がないだよ!みんな、必要にあんたらを持ち上げてさ。そんなの...そんなの、ただのあんたらの傲慢だろ!あんたは全部持ってるくせに!」

    救済を求めているような悲鳴が、様々な笑い声を縫って辺りをビリビリと痺れさせて体の動きが止まる。平均的な子供の身長より小さい子が自分を隠すように必死に体を丸めて怒られまいとしながらも、不幸なく現役人生を終えた潔に対する憎悪のこもったクレヨンを強く握っている姿に、彼に声をかけようとした音が空を切って落ちた。まるで潔が全て恵まれているような口ぶりで話を吹き、事を大きくしながらも、大人に何か反抗したら体罰がくるとわかっているのか、きゅっと暴力を振るわれる前の予備動作をしているのが、どこか痛々しい。

    本来であれば、宥めるためにもここで大人らしく冷静に子供に本当は恵まれているだけではなく、努力をして欲しいものを勝ち取っているのだよと訂正するべきであったのかもしれないが、一概にもそれができそうもなくて押し黙る。その理由は、ブルーロックで何度も辛酸を噛んだからなのか、それとも、自分は現役を引退してしまったというのに、ピッチに立てている仲間はまだ全力を持ってサッカーをプレイできることに、潔が幕引きという言葉を大人になってから覚えてサッカー界を去ってしまった心残りがまだ残っていて、この子供が癇癪を起こせていることへの羨望からだろうか。この場合、そのどれもが間違っていて、そのどれもが正解な気がした。

    潔は、目の前の青年に比べて少しクリアになった思考で、彼が初めてこちらを向いた先にある伊吹色の瞳が、彼の書いていた緑色の服を着た家族を写して、それを憎悪で燃やしているようにメラメラと揺れている様を見る。緑を使っているのに、そのどの色も当てはまらない怒りを潔にぶつけている姿は、彼の中で生まれた感情を発散する術を知らなくて当たることしかできず、どこか愛しているのだと大人に言って欲しいと言わんばかりに体をひしゃげている。悲痛なその姿はまるで肩甲骨が浮き出てしまうほど体を丸めていて、子供にしては小さいこの体を更に小さく見せていた。

    そこで初めて、潔が訂正せずに言葉を溜めていたのは、この子供が必死に伝えようとしている彼の生きてきた辛い道を、今までバスタードミュンヘンで培ってきた潔の合理的ロジック的な考えで否定したくないのだと気づいた。潔の発する一言は、この子にとっては訳も変わらない信用していない大人の正論であるが、否定にしろ、肯定にしろどちらにせよこの子供には十分重い大人の常識という名の暴力になりかねない。潔の何かを発しようと思った口は一旦空を描き、閉じた。

    何も言葉を発せずに時間が進む規則的な音が響きながら、互いに首に呼吸という凶器を突き立てているように息が詰まる。どうしても合わない目線をずっと投げかけていると、食堂の大きく開いた窓から光が細く入ってきて、この緊迫した空気を突き刺した。それを合図に床がしなる音がして、二人を指していた光が柔らかく揺れると、いつの間にかきていたのか、マザーがにこやかに少年に寄り膝を立てる。

    「紬君、今日はせっかくお客様がいらっしゃっているのに関心しませんね」
    「...別に、僕は思った事を言っただけだし」
    「あらあら、そんなに怒っていては可愛い顔が台無しですよ。ほら、あちらでパンケーキを食べながら、私と一緒にお絵描きしましょう?」
    「...うん」

    しゃがんで下から優しく話しかけたマザーにも少年は一目もくれないまま、それでも彼女に宥められて一旦席を外すようだ。どこか不服そうだが、どうやらマザーと言った聞かなくてはいけない目上の人の話は聞くようで、紬と呼ばれた少年は自分の道具をかき集めると乱雑に椅子を引いてマザーに連れられていく。

    まるでシャボン玉が風で飛んでいってしまったかの如く、早足でマザーに連れられていく少年は、潔に引け目があるのか、一瞥もせずに潔の視界の隙間を縫った。彼の表情は重い前髪が全て隠してしまってあまりわからなかったが、風で髪がひっくり返り流れた山吹色は彼の前にいるマザーを追いかける事なく、空を見つめてはで今すぐに決壊してしまいそうなほどに水光で波打っている。シャボン玉が宙に浮かぶ姿を追いかけるように思わず目線を転がした後ろ姿は誰かに似て物悲しさを纏っており、潔はその茶色に輝く瞳に全身を焼き尽くされてしまったかのように体が疼いた。

    潔はたった数分あっただけのこの子の環境に同情できるほど立派な人生を歩んでいないし、少し丸まった自信の無さそうな後ろ姿で線が薄くなっていくあの少年を勇気づけられるほどの言葉を持ってはいない、ただのチャリティーで来たであろう大人と孤児院の子供というい関係でしかない。それに、今まで親や周りの人たちに愛してもらってばかりで、自分がいざ返すとなると、目の前の子供に小粋な言葉すらかけてやれないほど器用でもない自覚もある。だからこそ、大人になった今でも少年に小粋に謝ることも、彼の悲痛な声に手を取ってやって、そうだなと同調してあげることすらできなかった潔自身が一番、ブルーロックを出てから今まで変わってこなかった我儘を押し通そうとする子供のように思えたのだ。このままでは、子供と子供の起こした癇癪のまま、彼と一生会えないようで潔は息を止める。

    「ねぇ、紬君」

    いつの間にか、潔は椅子から飛び起きて、紬と呼ばれた少年に声をかけていた。無意識に発せられた己の声に胸の内で驚愕するが、それでも潔の少し凛とした声は止まる事を知らずにピアノの鍵盤を鳴らすようにゆっくりと言葉を紡ぐ。すると、初めて名前を呼ばれた青年は驚いてなのか、ひどく肩を揺らして潔の声に反応すると少しだけ上体を傾けた。聞いてくれる意思はあるようだ。

    「俺、君が気持ちを伝えてくれて嬉しかったよ。たしかに才能を拾ってもらったとはいえ、今思うと俺って傲慢だったよなー。口悪いって言われたことはあるけど、この歳になって誰も傲慢だなんて指摘されたことなかったから、なんか新鮮かも」 
    「なんでそんな素直に、認めて...」
    「はは、昔から思い切りだけは良かったからさ」
    「...ニュースとか、今日会った人柄とかで、何となくそんな感じはしたよ」
    「あはは、手厳しいな」

    きっと、初めてぶつけた気持ちに賛同してくれる人がいなくて戸惑っているのも、この子自身の今までの情緒の不安定さも、大人に反抗するたびにきゅっと顔を縮めて何かの衝撃に備える仕草も、きっと彼が親が彼のことを大切にしてくれなかったことが原因だろう。だからこそ、自分よりも数倍背が大きい大人に見下ろされるのが怖くて、他の子には少し屈んで話していたマザーが、膝をついて下から話していたのだ。潔もそれに習って、紬に近寄ると、膝をついて片手を握った。自分は何もしませんよ、という意思を表すためだったが、それすら怖いのか、反射的に手が跳ねる。

    孤児院にいく前に子供との接し方の参考になるかと読んだ本には、親に良くされなかった子は親に褒められようと親に反抗などせず、親の行動を逐一観察して褒めたりするのだという。ならば、童顔ではあるが大人の潔にもそれが適用されるはずだが、彼はありのままの怒りの激情を子供らしく、潔にぶつけた。ひどく直線的でひどく子供らしいその怒りが、潔だけに教えてくれたのは、それは何故なのだろうか。あの少年が背を向けて霞がかがっていく瞬間までずっと考えていたが、少し喉元を詰まらせている少年を見てやっとわかった気がした。

    必死に取り繕って、それでもこうやって彼の気持ちを伝えようとしていた彼の自己表現は、きっと何よりも彼の両親に気づいて欲しかったところから来ているのだろう。家族を描いたのだろう、ぐちゃぐちゃになってしまった絵を描いた紙を必死に抱いて、それ以上壊れないようにしている姿からも、普段彼が家族に愛していると言えないまま、置いてきぼりにされてしまったのかがわかる。だからこそ、クレヨンで両親との繋がりの線を必死に描いているのだろう。その過程で、自己表現ができなくなっても、暴力を振るわれていても、彼は誰かに少しでも構って欲しいからこそ、親という抑圧から逃げた今でもこうして感情に揺さぶられるのだ。潔はそこまで考えて、あの箱の中では一番最年少らしく子供のように感情に振り回されながらも誰よりも大人な彗星の後ろ姿を脳裏に思い浮かべた。最初に戦った試合で敗北という絶望を影に残しながら、黒髪をたなびかせ段々と線が薄くなっていく、どこか寂しそうな背中が目の前の小さな少年に重なる。

    「ね、君は俺のこと嫌いかもしれないけど、俺は案外仲良くなれると思うと思ってるんだよね。最初の初対面で失敗しちゃっただけでさ。だからさ、自己紹介も兼ねて、一緒に向こうで絵でも描かない?」
    「......元サッカー選手なのに、絵なんて描けるの?」
    「これでも俺、得意教科なんですか、って質問に美術って答えてたんだぜ?朝飯前だよ」
    「でも、だって、さっき、サッカー誘われてた」
    「確かに約束してたけど、その子達はまだパンケーキ食べてるみたいだし、まだ時間あるよ。もし、その子達が食べ終わっても、その子達に時間ずらしてもらうように言っとくし。だから、それまで俺と一緒に絵を描こうぜ!あ、それとも絵しりとりとかの方がいいかな。俺、絵は自信あるけどしりとり苦手なんだよな〜...」


    その瞬間、少年の握っている緑色のクレヨンが苦しいと言わんばかりにきゅっと小さな音を立てた。目は先程よりも独創性に溢れ、山吹色のキャンバスにクレヨンを描いているように瞳を光が撫でる。嬉々として桃色に色付きながら明るくなっていく顔を見るに、どうやらお友達と一緒に絵を描きたかったらしい。ずっと一人で描いていたので、寂しくならないのだろうかと思っていたが、そこは年相応にも一緒に遊びたいのかと思うと可愛らしくて、潔は眉毛を下げて破顔した。二人の間に柔らかい空気を感じたのか、”それなら、今すぐ紙と新しいクレヨンを持って来ますね!”というマザー達に立ち上がらされて背中を押されながらも、そわそわとして一歩が出ない少年の小さな手を包んだ。またもや、驚いたように手が跳ねると、おずおずと潔の顔を見ながら手を重ねる。

    それが、後に特別養子縁組として潔に引き取られることとなる、”紬君”との初めての邂逅だった。



    なぜ潔が孤児院で子供達と交流を図り、結果紬君と仲良くすることを決めたきっかけとなったのは、引退会見からだった。

    それはちょうど、同期は皆25歳で三十路に差し掛かり、サッカー選手の寿命を迎えていた時、他のブルーロックで切磋琢磨したライバルも、かつて同じチームメイトだった戦友達だって、引退して結婚していたり、時には一人で旅行に勤しんだり、各々が引退後の人生を楽しむ、セカンドキャリアへシフトチェンジするようになった頃だった。

    サッカー選手の日常をあげていた彼らのSNSに、綺麗な奥さんと一緒に旅行を楽しんでいる写真だったり、スポンサーとのコラボ商品を撮った写真などが増えていった一方で、生粋のサッカー馬鹿であった潔は、青い芝生の上でゴールネットを揺らす快感をいまだ味わっていた。それは、引退した今思えば、潔のストライカーとしての意地であったし、更に元を辿れば、潔のライバルであり、いまだに現役を共に走っていた、現役以上に動きの良い糸師凛がストライカーとして命を燃やしている姿を見て、いい年をした子供の癇癪のようになっていたからもしれない。

    だからこそ、もうすぐで三十路に差し掛かるであろう年齢になって、年齢からくる体力の低下を隠すようにオーバーワークをしていた潔がついに不調を感じ、チームドクターにかかって、もうサッカーができないかもしれませんと言われた時、ついぞ、いつまでも子供のように芝生の上で生きられると浅ましくも願っていた子供の夢が終わったのだな、と唇を噛んだ。

    いや、本当は自分の最後が近いと悟っていたからこそ、潔は無茶をせざるおえなかったのかもしれないなんて、机上の空論を引退して落ち着いた今なら考える。けれど、その時の潔は、たしかにそれには気づいていたかもしれないが、子供のように必死にサッカーをしていたのに、もうサッカーができなくなってしまったと知ってから力が抜けてしまって、全てがどうでもよくなってしまっていたので、上の空で引退の日にちをチームで話し合うこととなったのだった。

    そこからあっという間に時が過ぎて感傷に浸る暇もなく、あっけなく着慣れたユニフォームを脱いでかっちりとした深い青スーツに着替えた。いつも着ているユニフォームの襟が空いていて、それに慣れていたのか、それとも変に緊張していたからか、会見前に詰まった襟が気になって監督に注意されても指でいじってしまっていたのを覚えている。

    かくして、潔の沈んだ気持ちとは相反して呆気なく潔世一というサッカー選手の引退会見が始まった。監督に横に立ってもらいながら、沢山の人に囲まれ、たかれるフラッシュが目を焦がし、潔に事実を要求してくるあの感覚はもう表舞台に立つことがなくなった今でも苦手だ。潔が次々に切り取られる光に目を細めながら深々とお辞儀し、用意された椅子に着席する。座ったことによって視線を多く絡め取ってしまった室内は、期待に満ちた空気がひどく重くて、喉を締め付けながら挨拶を軽くすると前座もそこそこに、引退理由を述べる。すると、話題を逃さないためにか、さらに光は勢いを増して暴力のように潔に襲い掛かった。焚かれた光に目を焼かれながら、飛んだヤジが潔に襲いかかるのを司会と監督が往なしながらも、間も無くして質疑応答に入る。

    きっと視界が縮小するのは光のせいだけではなく、今度は正当な時間だからと、記者から色々な角度で質問を投げかけられたからだろう。それを返す様は氷織の言っていたゲームのようだな、と他人事のように思いながら、撮れ高が欲しいらしい記者が過激な質問をするのを落胆させるようにきわめて普通に回答していった。

    「他選手は、引退してからプロ、アマチュア問わず監督をされていたり、子供のチャリティーを開いたりされてますが、潔選手は引退してからのキャリアはどうするおつもりなのでしょうか?」

    途中までちゃんと質疑応答で聞いたのだというのに、その声がマイクに乗って潔の耳を貫いた瞬間、マイクに息の詰まる音が乗る。

    確かに、今までは引退に向けて動いていたが、これからは人生からサッカーがなくなってしまうのだから、潔は今後の人生、他の選手と同じようにセカンドキャリアを考えなくてはいけないだろう。失念していたが、一応いい意味でも悪い意味でもプロサッカー選手として世間をお騒がせしたのだから、当然引退後の活動も気になるであろう記者の質問も真っ当である。潔がもし記者だとしても、プロの第一線を走っていた選手が引退するとなったらきっと同じことを聞く。

    しかし、その言葉はどれも発されないまま舌の上で乾いたきり結論を出せなかったのは、潔自身がキッズチームのコーチも、監督も想像できなかったからだった。正確にいえば、論理的にサッカーをする潔はコーチに向いているのだろうが、潔世一というサッカーに人生を捧げた男は、もうこの引退会見で死んでしまったも同然だったので、今更サッカーにみっともなく縋るほど未練が残されていなかった、と言うのが正しいだろうか。きっと、サッカー業界や監督達やチームやスポンサー、果てにはサッカーファンにとっては監督やチームコーチが正解なのだろうが、すでに燃え尽きてしまった潔はそのどれも当てはまりそうになくて、記者の言葉の淵を思考が滑った。

    (...子供のチャリティーイベント、か)

    監督やらコーチやら継続してスポンサーと契約する、という記者が言った言葉の響きにはピンとこなかったが、その後に続いた、子供のチャリティーイベントという言葉が妙に引っかかっていた潔は、その言葉で脳裏にかつて自分がバスタードミュンヘンというチームを背負っていた時に聞いた子供達の笑い声を聞いた気がして、その記憶を引っ張り出す。

    それは丁度、バスタードミュンヘンの経営チームの方針により、子供のチャリティーイベントに参加させられた時のことだ。カイザーなんかは嫌々とした態度を見せないようにと、紳士的な態度で子供達と一緒に日本で言うところのかごめかごめになってサッカーをしていたし、ネスは子供と波長が合うのか、すぐに仲良くなって子供達に囲まれて絵本を読んでいたりしていた。どっちかというと、カイザーは子供が苦手なのではなく、接し方がわからなかっただけだからサッカーを見せて子供達を楽しませていただけだろうし、ネスはきっと子供の扱いに慣れているからカイザーよりも器用に子供達と打ち解けていたただなのだろうが、あまりに対極的な交流を尻目に、潔も室内でボードゲームを遊んだのを覚えている。

    ちなみに、潔は今までサッカーしかやってこなかったせいなのか、ボードゲーム全般が苦手なのだと言うことをこのチャリティーで初めて知った。何をせがまれてもあっという間に敗戦する一方で、子供達に潔弱いー!と言われながら、一応サッカーでは、読み合いっていう頭脳戦でやってきたんだけどなー...と何度も再戦したが、結果はお察しだ。潔のメタビジョンはサッカーでしか通用しないらしい。

    また再戦を申し込んでから数分で、潔の負けーと得意げに言う子供達に、青い監獄の申し子がこれなんて、絵心さん呆れるだろうなーと思ったのは潔だけの秘密である。まぁ、その後、あまりにも弱かったらしい潔に飽きたのか、次の餌食となったカイザーが子供達にせがまれたことで選手交代していたのだが、潔と同じくこっぴどく負かされていたのだから、ただ子供達が強いだけだったのかも知れないが。

    それでも潔が負けた時に楽しそうにしたり、ネスの話を嬉々として聞いていたり、カイザーとサッカーで盛り上がっている子供達のの笑顔を見れたことが本当に楽しくて、引退したら子供と関わる仕事をするのも手だな、と思っていたのだ。

    潔は冷静に推察しながら、圧のある視線を受け流すように、平然と水を煽る。少し空気の薄い会場と比べて、少し煽るだけで大量に入ってくる水を一旦止めて飲み込み、机の上におけばペチャッとこの会場の空気なんて知らないと言わんばかりに素っ頓狂な声をあげた。先ほど考えた子供達のことを踏まえて、サッカー業界から退いて子供のチャリティーに参加するのもいいですねという本音も、静かに暮らしたいですねと言う建前も、どっちを言ってもきっと大騒ぎになってネットニュースなって更にめんどくさい事になるだろうと答えを考えあぐねている潔に比べて、ずいぶんお気楽なやつだな、とペットボトルを小突く。

    隣にいる監督は、先程までぽんぽん答えていたのに、急に黙りこくって水を飲み始めた潔を察して、潔の机の下にある”原稿”をそっと横に押し出した。きっと、ずっとテンポよく質疑に答えていた潔が、ついぞ記者の質問に困って、どう返答するのか考えているのだろうと思ったのだろう。

    そっとマネージャーが記者にバレないようにそっと助けてくれた潔の目の前にある紙切れは、その時のためによくある回答を事前にチームマネージャーがまとめて文字に起こしてプリントしてくれたものだった。どうやら、歴代のサッカー選手はあまり世間に公表してほしくない事柄を事前にチームに用意してもらった原稿を元に話すので、困ったらこれを参考にしてくれと言われたが、もしこの原稿を使ってその場凌ぎをしようとしなくても、キャリアについては落ち着いてから考えたいと思いますとか、監督でもいいですね、考えてみますと言う簡単な嘘で身を固めればいいはずだったのに、潔は生粋のエゴイストだったからか、自分の言葉を発したくて口をつぐんでしまう。

    数分互いに、生ぬるい空気が潔の体を撫でたが、ピッチを降りたら生粋の日本人として、空気が読める自覚がある潔が、これ以上用意してもらった原稿を無視してエゴを貫き通し、会見時間を越してしまうのもチームにも記者にも申し訳ない。もう潔は自分のわがままを貫き通せるほど子供ではないのだと、少し迷って、潔は反射的に浮かんだ言葉を並べ立てて喋ろうと、思い口を開く。

    「そうですね......」

    すぐさま、潔の口元が動けば潔の視線にカメラが群がる。まるで沢山の感情を抱えた目が潔を突き刺しているようだった。潔はもう一般人なのだからそんなにもセカンドキャリアのことを聞いたってほしい答えを言えないのにと思ったが、それが彼ら大人の仕事なのだから、プロとして、最後に応じてやらなきゃいけないのだろう。潔は疲れ切った体から全て水分を出すようにゆっくりと話し始めた。

    「まず、皆様が僕の引退を囁かれた際に、是非サッカー界に残ってほしい、そして監督と言ったコーチング業に移って、今後もサッカー界を引っ張っていってほしいのだと、僕にとっては有り難過ぎるお言葉を身内にも、サポーターの皆様にも頂いていたことも、知っていました。さらに僕の能力を買ってくださった上で、クラブチームにも驚くほどの金額を提示して頂いて、その節は皆様本当にありがとうございます」

    _______しかしながら

    そこで言葉を区切ると、今度は声色を部屋全体を弱火でコトコト煮込んで期待させるように、低い声を反響させる。潔の罠にかかって期待値の上がった記者達は、潔の次に続く言葉を身を乗り出すように耳を潜めた。潔の空間把握能力が、キックオフ前で緊張している後輩や先輩、同期の発破をかける材料にも、相手チームでも調子が悪い際にエンジンをかけるための道具として使えるのだと知ったのはいつだろうか。まるで潔の言葉が右に振れ、左に振れ、全体に広がり、やがて催眠術のように広がっていく様は支配欲の液体で体を満たされるようだった。潔は笑ってしまいそうになる口の端を必死に誤魔化しながら、次の言葉を落とした。

    「本当に残念ながら皆様の期待には添えず、僕は今日を持ってサッカー業界から引退させていただき、一般人としていまだに前線を走っているブルーロックの同期や後輩を応援していきたいと思います。つきましては、もし僕を見かけたとしても声をかけたり、写真撮影などはご遠慮していただけると幸いです」
    「待ってください!どこのチームとも契約しないということですか!」
    「一般になってから軽くでもいいのでご予定を教えてください!」


    途端に記者の熱が立ち上がり、下世話な質問も、疑問も次から次へと潔に流れていく。潔はそれを右から左にしながら、マネージャーと司会が庇ってくれる様を見ていた。

    必死に宥めている司会にも、チームマネージャーにも悪いのだが、もしサッカー業界をやめて、子供のチャリティーに参加を公表したとして、囃し立てられたり持ち上げられたり、今の潔世一の生活、とか言ってネットニュースになるだけはごめんだったのだ。もうサッカーができないと知って燃え尽きてしまった潔はどうしてもサッカーから離れて静かに暮らしたかったから。

    なので潔が考えたのは、チームマネジャーや上層部にサッカー業界から完全に引退するのだという潔の主張を止められた上に、それでもやめるのだと言ったら言い値を出すと言われていたことを敢えて差し出すことによって、その話題を出されたくないチームが止め、潔の今後の話題を完全に打ち消すことだった。

    情報は金なりとはよく言ったものだが、そこに金の匂いを感じ取った記者達がどういうことなんですか!と騒ぎ立てている中で、きっと会見が終わった後に潔を金なり何なりと必死に説得してサッカー界に止まらせようと思っていたのだろう、チームマネージャーと司会が慌てて宥めようと椅子から立って声を荒げている姿が目に入る。少し申し訳なく思えて、潔も椅子を立って嗜めようとしたが、しかし雛鳥が親鳥のゴシップという餌を求めているように、囀り合っている記者達の鳴り止む兆しもない雑踏は、声の勢いを増してチームマネージャと司会を押し潰していく。

    かくして、数秒のうちに混沌と化した会見の部屋は、打ち切られることになり、潔はチームマネージャに隠されるように部屋を後にしたのと同時にサッカー界を降りることとなった訳だ。後にそれが伝説の会見として語り継がれていたと知ったのは、あまりネットニュースを見ない潔が、紬と出会ってそういえば、引退会見した次の日のニュース、全部引退会見の話題だったのだと言われてから初めて気づいたのだった。

    「うわ〜...話題になってたんだ........まぁ、多少は騒がれるかなって思ったけど、こんなに大きくなってたとは思わなかった....」
    「えー......その後、チームから”本人と話し合いしますので、本日の会見での発言は一時保留とさせてください”って異例の声明文が出てたのに?僕のその会見を見て、もしかして、サッカー界から引退すること、チームに止められてたからこんなに大事になったのかなって思ってたんだけど....もしかしなくても、終わった後めっちゃ怒られた?」
    「あはは......そりゃあもう。俺としては心変わりはしないって決めてたんだけど、チームの偉い人たちとか日本のフットボール連盟とかが、是非ライセンスを取ってうちのチームコーチとか監督に、って引き留めててくれててさ。めっちゃ話し合いさせられて、解放されたと思ったら、今度は友達とか後輩からもすっげぇメッセージ飛んできた時は笑っちゃったけど........」
    「潔......さんって、連絡取れるぐらいの友達いるんだ」
    「いるよ!?友達くらい!......まぁ、うん」

    潔は孤児院の小さい個室で紬と机と対面しながら、天井の照明を煽る。今、潔は月に数回訪れている孤児院で子供達と遊んだりした後、紬の勉強の手伝いをしている真っ最中だ。と言っても、紬は相当頭が良く、サッカー漬けで勉強が二の次だった潔には問題文の羅列が呪文のように思えて数分でギブアップして、手を後ろについて天井を見上げていた。所謂、お手上げというやつである。

    結局、天井のしみをなぞりながら、時折会話を交わすだけになってしまった潔は、その会話の折にちゃんと自主的に勉強していてすごいなと声をかけたのだが、少しばかり辛そうにこれを習慣にしていたからやらないと落ち着かなくって、と言っていたのが気がかりだった。まだ、その先を聞けるほど信頼されていなかった潔は物悲しい顔をしていた紬に何も声をかけてやれず、紬はそっけなく話題を変えてしまった訳である。

    「.....その友達達とは連絡はとってるの?」
    「あー...殆どはまだちょっと連絡とってたり、ちょくちょく会ったりはしてるんだけど...」
    「だけど?」
    「一人、引退会見をした後、大喧嘩しちゃったやつがいて......そこから勢いで電話を切ったから、そいつとだけは連絡をとってない、かなぁ」
    「そんなに後悔してるってことは本当に大事な友達だったんだ」
    「まぁ、俺もあいつもサッカーに真剣だからこそ、いつも意見のぶつかり合いはあったけど、あの時はまた違ったんだよ。引退会見を多分見たんだろうあいつから電話が来て、たくさん正論を言われて怒られて、そりゃあ最初はちゃんと聞いてたんだけど、段々”お前は変わらずサッカーを続けていけるのに、俺が悔しい思いでサッカーをやめた気持ちも1ミリも考えず、上から目線で正論をぶつけてきて何様だ!”って怒りが湧いてきて、我慢できずに子供みたいに八つ当たりしちゃって。そこから口論になって、それきり。だから、あいつに対してちょっと後悔してる。俺がもうちょっとあいつの意見も聞いていれば、って」
    「..........」
    「でも今思えば、誰よりも子供っぽかったのは俺だったのかもな。自分が一番もうサッカーできないことを理解して割り切ってたつもりで、周りも支援してくれているはずなのに、いざその瞬間になったら、世界に俺一人しかいない気がして。だから引退したのに、珍しくあいつが電話をかけてきて現実から逃げれなくなって、あいつの内容の言ってることは何一つ間違えてなかったのに、サッカーできてるのが羨ましくて、全て持ってるくせに説教垂れてくるのが憎たらしくて、何よりも恐ろしかった。あいつが自分の足で歩いてきてるから、俺のことを置いてどっかに消えてしまいそうで......ってこんな汚い話、子供にするもんじゃないよな、ごめん」

    上体を起こした表紙に流れた前髪が薄く水流のように潔の閉じた瞳にかかり、睫毛が揺れた。睫毛と髪の毛が孤児院の風通しの良い室内のどこからか吹いてくる風で合わさるたびに、照明の光がせせらぎによって反射した太陽のようにチリチリと散っていって、体の線の薄さを主張している。先程まで力強くて、何も悩みがなさそうな生命の流れを感じていたのに、今の瞳をとじてサッカーのことを思い出しているであろう潔が物悲しく笑っている様は、かつて紬があの箱で輝いていた潔を目の前にして感じた憎悪、諦念、羨望、全てが詰まっていて、そっと喉を鳴らした。

    そうか、潔さんも自分のような何かを諦めた経験があるのだと、勉強していたノートの端にシャーペンで書いていた、”女性の絵”をクシャと丸める。目の前にいる、大人なのにも関わらず、まだ子供のように不貞腐れて不器用な生き方をする潔になんと声をかけてやればいいのかわからなくて、紬は口淀んだ。必死に考えようとも、結局自分が母に言われていた呪いの言葉しか脳裏に掠らなくて、落ち込んでいるであろう潔に何か気の利いた言葉をかけてやるべきなのにこんなことしか言えない自分に気持ちが深く沈む。

    _______潔さんはいつも何をしても自分のことのように褒めてくれるが、もしかしたら、今、すごく落ち込んでる潔さんのことを慰めてあげたらきっともっといつも以上にたくさん褒めてくれるのに、勿体無い。

    最初は普通にどうやって元気付けようか考えていたのに、いつの間にか悪魔のような囁きが耳打ちをされているように最低な考えに移っていた紬は、まるで自分が純粋に落ち込んでいる潔につけいっている様に見えて、さらに自分に落胆した。

    「......お母さんが、羨むぐらいならたくさん努力をして結果を残すべきだって」
    「あはは。大人にはたくさん怒られてきたけど、まさか二度も自分よりも遥かに年下に説教されるとはなー。.......まぁ、確かに、紬君のお母さんが言ってることはその通りだよ。俺自身、そういうところで生きてきたから、誰よりもわかってるつもりだし、自覚はある。......でも、これは俺が弱くて逃げちゃったんだよ。全部から」
    「......後悔してる?」
    「してない。____って本当は言いたいんだけど、してるよ。サッカーから離れてしまったことも、あいつと喧嘩別れみたいな子供っぽいことをしてしまったことも。何より、本当は努力をするべきところなのも、その全部が取り返しがつかなくなっちゃったことも。.....でもこれは持論なんだけど、他人の心をノックしても心は変われない様に、いつまで経っても俺がクヨクヨしていることに関して他人がどうこうできないし、俺自身がどうかしなきゃいけないからさ。いつか自分で後悔していないって割り切れる様になりたいかな。大人だから」
    「......そっか」

    もう、紬には何も言えなかった。
    言い方を変えれば、そう言いながら寂しそうに笑い、自分に言い聞かせている様に喋る潔さんに、その事情を何も知らなかったただの一少年がもうこれ以上反論すらできなかった、といったほうがいいだろうか。精一杯声を絞り出しながら、それでもやっぱり自分で変えようとするほど環境に恵まれている目の前の男の境遇を聞いて、嫌いとは言わないまでも、好きになれそうになくて、ぐちゃぐちゃに追ってしまった絵に視線を戻した。そこには、かつて母という他人に言われて変わるしかなかった医者になれという勉強の習慣がぐちゃぐちゃになりながらもいつまでも根付いていて、薄ら笑う。

    ほら、彼は他人の心をノックしたって人の心は変わらないと言ったけれど、それは嘘じゃないか。中には、他人の心を強制的に縛り付けて、人の心を変える大人だっているというのに。目の前の悩んでいる大人は、自分が恵まれているからこそ、そんなことを言えるのだと少しばかり八つ当たりしたくなったが、グッと喉が詰まった。

    「.....会えるといいね」
    「あはは、会えるかなぁ?あいつは俺に愛想尽かしてそうだけど」

    信じがたいぐらいに穏やかな会話が切れる。嫌いだ、と思っていたのに、母と違って何も否定しない潔に毒素を抜かれた紬は気づけばそんな言葉を投げかけていた。今まで生きてきて、他人を慮る感情など一切解らなくて、これもお世辞のはずなのに不思議と抜けた言葉はしっくりきて、紬はドキドキしながら潔を見る。潔はといえば、紬の方を見ずにまた後ろ手を伸ばして床に付けた状態で少し倒すと、空を仰ぎながら冗談めいた顔で笑っていた。

    その顔を見て、紬は初めて心臓の鼓動が胸を突き抜けていく感情を体験した。それが、世間一般でいう安堵なのだということを知るのは、もっと先のことだ。



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    Replies from the creator

    okomeittoai

    PROGRESSこの話は子供との絡みが好きな作者が、おずおずと子供に向き合っているrnisがみたいと書いたもだもだ家族形成パロです。rnを好きになってしまったisgが、引退後に喪失感に襲われて子供を養子を取るところから不器用にも家族になろうと三人が集まる話です。ちょうどいいところまで終わったので、誕生日もあるし試しに一話として挙げてみようと思います。全年齢です。
    推敲していません。深夜なので許してください。
    祝祭 ♯1その箱の中にいる男が、ひどく楽しそうで羨ましかった。

    「ミヒャエル・カイザー選手と糸師凛選手がボールを奪い合っていた裏を書いて、ゴールを決めたのは、バスタードミュンヘンの双剣の一人、11番の潔世一だ!」
    「そしてなんと、ここで試合終了のホイッスルが鳴り、3-4でバスタードミュンヘン、逆転勝利が確定しました!」

    無機物なテレビが不思議にも動を生み、割れんばかりの歓声で蠢く。暗がりの部屋の中、瞳の中で青が揺れると、自分で導いた勝利を噛み締めるように、箱の中の自分よりも遥かに年上の赤いユニフォームが流れ星のように流れた。その選手はまるで自分がゴール入れたのが当然なのだと、その傲慢さを隠そうともせずに汗を飛ばしながら芝生の真ん中で雄叫びを上げている。こちらが耳を塞いでしまいそうな痺れる声を合図に、彼と同じチームメイトらしい、同じユニフォームの選手が集まってあっという間にもみくちゃにされ、その様子を興奮して解説している実況席と、嬉々とした声援が囃し立てていた。周りの選手と喜びを分かち合っている熱を表す画面は、今少年がいる暗い現実世界とは対照的にその選手を祝福しているように煌めいている。
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