小さい頃から、自分一人だけは皆と違っているのだとうっすら理解していた。
だって、姿がこんなにも違う。
頭に丸いキノコが無い。身体の形も、皆のように丸くない。
自分の頭にはキノコの代わりにふわふわとした金色の毛があって、足を曲げ伸ばしできて。水面を覗き込めば、つぶらな黒い目ではなく青い目がこちらを見返していた。
だから自然と、小さい頃から自分の存在に疑問を持っていたのだ。
「──そう。ピーチはね、私たちのようなキノピオではないんですよ」
幼い時分のある日、そんなことを問いかけたときの思い出だ。繋がれた手の向こうで、親代わりのキノピオは隠し立てする様子もなく答えたのだった。
「ピーチは人間なんです」
「……にんげん?」
それは家に帰っている途中だったように思う。夕陽に照らされたキノピオを振り仰いで、当時の自分は聞きなれない言葉を反芻した。
やはり私はみんなと同じではない。その事実に衝撃を受け、呑み込みきれずに震えが走ったのを覚えている。
その日はそれから大変だった。幼い自分は動揺し、泣きじゃくってしまったのだ。
「いや! 私もみんなと同じがいい! 私もキノピオになりたい!」
底無しの孤独を突きつけられたように思った。皆と一緒にいる権利を、突然失ってしまったかのような不安感。幼い自分にはあまりにも苦しくて、キノピオに抱きついてそう叫んだ。
「ピーチ」
けれど、キノピオはそんな私に優しく語りかけた。
「人間であるのは、悪いことではないんですよ」
優しく抱きしめ返して、頭を撫でて。ゆっくりと染み込むように。
「私たちはね、ピーチがキノピオであっても人間であっても、変わらずピーチを愛しているんですよ。それはこれからもずっと変わりません」
毎日一緒に遊んでくれて、ご飯を作ってくれて、ふかふかのベッドで本を読んでくれるキノピオたち。彼らに愛されていることは幼い自分でも充分に分かっていて、だからその言葉に私はようやく顔を上げた。
「……ほんと?」
「ええ、もちろん」
涙でぐちゃぐちゃになった顔を上げると、柔らかくて小さな手が頬を拭ってくれた。優しい笑顔に、いつだって嘘はない。
私はここにいていいんだ。暖かい手の温もりに、私のなかでそういう安心が広がっていった。
しばらくして落ち着いた私は、帰り道にもう一つキノピオに尋ねてみた。
「……ねえ、私も……かわいいかな?」
そわそわしながらキノピオの様子を窺うと、キノピオはぱっと花が咲いたように明るく笑った。
「当たり前ですよ。かわいい私たちの、特別なかわいい子。それはもう、とってもとってもかわいいに決まっているでしょう?」
それからというもの、私は人間である自分のことを真っすぐ受け入れられるようになった。
私はみんなとは違う。けれど、それでいい。
成長するにつれ、皆との違いはますます明白になっていったけれど、それに対して以前のような悲しみは無かった。それに、人間である利点だってあると気がついたのだ。
この足は王国の誰よりも速く走れた。どんな細い足場だって、迫り来るキラーの数々だって駆け抜けてみせる自信がある。背はキノピオの倍くらい伸び、力だってきっと王国一だ。
私はこの王国において、一番強くなっていた。
キノピオたちは、言葉どおり変わらずにそんな私を愛してくれた。成長を自分たちのことのように喜び、お祝いをしてくれて、いつだってそばにいてくれた。
けれどそんなある日。キノピオが感慨深そうに話した言葉によって、私は再び動揺してしまうことになった。
「ピーチももうそろそろ大人になるんですね。あんなに小さかった私たちの子が……」
大人。突きつけられた事実は時の流れを如実に表していて、自分が何をするべきか、何ができるのかを私に存分に悩ませることになった。いろいろなキノピオの仕事を手伝いながら、毎日私は考え続けた。
かわいい子、と可愛がってもらうばかりの時期に区切りをつけなければいけない。キノピオたちはきっとそんなことを望んではいないけれど、自分がそうしたいと思ってしまったのだ。
もう庇護されるだけの存在ではないし、幸せを与えてもらった分、私も何かを皆に返したい。
けれど私は、人間の私は何をすればいいのだろう?
妙な焦りと迷いばかりが燻っていた。
「ピーチ、ちょっと一緒に来てください」
キノピオにそうやって連れ出されたのは、そんなある日の朝のことだった。
昔に比べて随分と低くなったキノコの頭を眺めながら、街を歩いた。驚くことに街には誰もおらず、にぎやかなはずの王国の通りは静まりかえっていた。
「ねえ、みんながいないわ!」
「いいんですよ。行けば分かりますから!」
慌てて先を行くキノピオに声をかけるものの、彼の意気揚々とした足取りは緩まるそぶりもない。
周囲を見回しながらもキノピオについて行くと、しばらくして驚くべき光景を目にした。
城の近くに、大勢のキノピオたちが集まっている。城の庭園に、広場に、扉までの橋の上に、王国中のキノピオたちが集まっていた。城の周りが色とりどりの頭で埋め尽くされている光景に、しばし言葉を失う。
よく見れば、城も今までと様子が異なっていた。屋根の塗装は明るい赤色に塗り直され、簡素だった正面の大窓には白い覆いが掛けられている。ここのところ修理をしているからと近づかないように言われていた城だが、どうやら修理というよりは改修をされていたらしい。
「ほらピーチ、城の中へ!」
唖然としている手を引かれ、大勢のなかをかき分けて城へと入る。城は内装も一新したらしく、明るいながらも威厳のある空間に様変わりしていた。赤いビロードの絨毯と、赤と青の光を放つ太陽のようなデザインが描かれた美しい床。脇道には、キノピオたちがそこにもいた。
「これは、いったい……」
広間の半ばまで進み、周囲を見回す。ここまで一緒に来たキノピオが、私に微笑みかけた。
「ピーチ、私たちからあなたへ贈り物があるんです」
一人のキノピオが中央に進み出る。その手には、深紅のクッションに置かれた金の王冠があった。
「あなたが良ければ、この国の──キノコ王国のプリンセスになってくれませんか」
「プリンセス……?」
まるで初めて聞いた言葉のように、その響きが落ちる。キノピオは優しく頷いた。
「そうですよ。私たちはみんな、あなたのことが大好きなんです。これからもずっと。だから、あなたが私たちのお姫様になってくれたらいいねって、みんなで話し合ったんですよ」
その言葉を皮切りに、周囲を取り囲んでいたキノピオたちが次々と同意の言葉を口にした。皆笑顔で、こちらに手を振ったりしている。一緒に遊んで、働いて、暮らしてきたキノピオたち。
「いいの? 私が、なっても……」
まるで視界が開けた気分だった。そんな幸せな選択肢まで与えてもらえるなんて。悩んでいた私を救ってくれるのはいつもキノピオたちの温かさなのだと、噛みしめながら目を閉じる。
勿論、と答えて、キノピオは私の手を取った。
「私たちの、特別なかわいい子。どうかお姫様になって、これからも私たちと一緒にいてください」
涙を滲ませて頷くと、広間中のキノピオたちから歓声が上がった。
さあこれに着替えて、と用意されたのは身の丈ピッタリの、上質な桃色のドレスだった。美しいシルクの生地、繊細なレースの首元。輝く青い宝石。目の色と同じにしたんですよ、と得意げに差し出されたイヤリングを着け、広間に戻る。
「わあ、とっても素敵!」
「なんて綺麗なんでしょう、私の思ったとおりですね!」
「ピーチ、こっちを向いてよく見せて!」
様々な声が石造りの壁にこだまする。戻ってみれば、奥の踊り場の最上段に、金と赤の豪奢な椅子が据えられていた。
「こちらへ来てください、ピーチ。戴冠式をしましょう」
踊り場にいるキノピオに手招きされ、緊張しつつ絨毯の上を進む。階段を上ってキノピオたちの隣まで行くと、広間の扉が開け放たれた。
「これから戴冠式を執り行います!」
そう隣のキノピオが宣言すると、一斉に外のキノピオたちが我先にと広間に押し寄せてきた。この式を一目見ようと詰め掛けるキノピオたちであっという間に広間の脇は溢れかえり、ざわめきが満ちる。
「静粛に!」
兵隊キノピオたちが武器の石突を打って呼びかける。
ややあって広間に静寂が戻ると、隣のキノピオは一度咳ばらいをして声を張り上げた。
「この戴冠を以て、正式にピーチを我が国の姫といたします!」
先ほど出された王冠を、再び赤いクッションに載せてキノピオが運んでくる。その王冠を別のキノピオが静かに持ち上げて、ピーチの方へ向き直った。
これまでのこと、これからのこと。自分と、大切なキノピオたち。様々な記憶や感情を巡らせながら、目を閉じて膝を折る。プリンセスになるということに不安は無かった。自分は愛されて、必要とされてここにいる。そして私もそれに応えたい。
泣き出したいような、誇らしい気持ちでいっぱいになったとき、頭にそっと王冠が載せられた。
立ち上がり、皆に向きなおって胸を張ると、爆発的な歓声が巻き起こった。
「ピーチ姫万歳!」
「私たちのお姫様!」
「ピーチ姫!」
「ピーチ姫!」
四方八方から楽し気な声が聞こえてくる。誘われるままに城の外まで出ると、城の窓を覆っていた布が外されていた。
「わあ!」
そこには、桃色のドレスの女性を象ったステンドグラスがあった。色とりどりのガラスでできたそれは、日の光を浴びてきらきらと輝いている。
「素敵でしょ? 今日からここはプリンセス・ピーチのためのピーチ城です!」
声を上げると、どうやら工事に携わったらしいキノピオたちが得意げに城を指し示していた。思わず顔を綻ばせ、ありがとうと感謝を伝える。
「あのね、みんな……」
自分でも一つ、決めたことがあった。
話し始めようとすると、にぎやかだった広場が徐々に静かになる。声が聴きやすいようにと広場の僅かな高台に上り、キノピオたちを見回す。
キノピオたちは私の声を聞こうと、じっとこちらを見返していた。
「私、みんなを……」
言いかけて、一度口を噤んだ。
ああ、こんな言葉じゃいけないわね。もっと姫らしく、そう。
深呼吸をする。目を閉じて──開く。
「……これからは私が、皆さんを守ります。このキノコ王国のプリンセスとして」
きっと大切だからという理由でくれたプリンセスの位だけど。私だって最大限、頑張りたいと思ってしまったのだ。リーダーとして、臆病なところのあるキノピオたちをまとめ、慈しみ、守っていきたい。
周囲を見渡す。驚きに満ちたキノピオたちの顔は、みるみるうちに笑顔へと変わっていった。
「姫、ありがとう!」
「さすが私たちのピーチ姫!」
私の決意を受け入れ、感謝を伝える声があちこちからまた巻き起こる。それに私は心からの笑顔で応えた。
プリンセスという立場なんて手探りだけれど、それだって構わない。皆でまた頑張ればいいのだ。
誇りを持って歩もう。みんなが作ってくれた道なのだから。
いつだって怯まず戦える。それでみんなを守れるのならば。
「みんな、私頑張ってみるね!」
晴れやかに宣言する。見上げた青い空に、祝福の紙吹雪が舞っている。すっきりした心と充足感を噛みしめて、ゆっくりと目を閉じた。