ジューシーメロンと見えないキッス LO間際に駆け込んできたお客さんは、ちょっと目を惹くなりをしていた。
「あ、スミマセン。二名でお願いしますっ」
汗を額に浮かせながら人懐こい犬を思わせる笑顔で、こちらに二本指を立てて見せたのはストライプシャツのお兄さん。厳しい残暑をものともせずきちっとネクタイを締めていて、キャラメルブロンドの下の顔は整っているけど、溢れ出る人の好さでハンサムと言うよりファニーフェイスに見えた。
ファニーフェイスのお兄さんの連れがすごかった。ツンツンと逆立てた髪に鋭い、鋭すぎる眼光。ミカグラでは珍しいくらいに背が高くて、脚がぎょっとするほど長い。そして全身から醸し出すワイルド感……ファニーフェイスのお兄さんの対極にいる存在だ。ワイルドお兄さんは黙っていたけど纏っているピリピリした雰囲気は。私みたいなファミリーレストランのいち店員には近寄りがたい。
貼り付けた笑顔でボックス席に通してオーダーを取り、お冷をお出ししてカウンターの陰に引っ込む。
「マネージャー、あの二人どういう関係だと思います?」
カウンター越しに談笑しているお客さん(主に喋っているのはファニーフェイスのお兄さんの方であり、ワイルドなお兄さんはたまにダルそうな相槌を打っているだけみたいだ)を眺めながら聞いてみたら、
「十数年ぶりに再会した幼馴染、ってとこかねえ。ほら、サチコもあるだろ? エレメンタリーで仲の良かった子と離れ離れになって、大人になってから再会したらキャラが著しく変わってたってこと」
「私はミカグラ生まれのミカグラ育ちなので、そういう友達はいないですねえ」
「そうか。ボクはあるよ。そういう友達と会うときって、最初は壁を感じるけど、それを突破すると何もかもが昔に戻ったみたいに打ち解けることができるんだよね」
そういうものかな、と私は口の中で呟いて、キッチンから上がってきたオーダー品をトレイに乗せた。
「お待たせしました。フレッシュフレッシュメロンボウルパフェのお客様?」
「あ、こっちです!」
席まで運ぶとファニーフェイスお兄さんがファニーな顔を一層輝かせた。丸出しの感情がキラキラ眩しい。大きくて重くて運ぶのが憂鬱なメニューだけど、これだけ喜ばれるとなんだか嬉しくなっちゃうな。
「こちらジンジャーエールでございます~」
返答を待たずにワイルドお兄さんの前にジンジャーエールを置く。ワイルドお兄さんはちょっと呆れたような顔でファニーフェイスお兄さんが繰り広げる歓喜の百面相をじっと見ていた。
「見てくれ、アーロン! これがミカグラ島でしか展開してないこのファミリーレストランチェーンの夏の目玉、『フレッシュフレッシュメロンボウルパフェ』だ! 贅沢に一玉のメロンを半分に割り、果肉をくりぬいてできたボウルに二種のアイスクリーム、ソルベ、生クリームを乗せて、さらにジューシーなメロン果肉!! そのうえこれは……アンニンドウフか!?」
ファニーフェイスお兄さんがキラキラの笑顔でまくし立てるみたいにワイルドお兄さんにパフェの説明をした。ご注文は以上で、という定型句を残していた私は、そのグルメインフルエンサーみたいな立て板に水の実況をすぐそばで聞いてしまった。思わずくすっと笑ってしまう。
「あ、すみません……ついいつもの癖で……」
ファニーフェイスお兄さんは照れくさそうに頭を搔いた。可愛いひとだなあ、遅番の疲れがなんだか吹っ飛んじゃった。
「いいえ、喜んでいただけて嬉しいです。それにお客様、大正解ですよ。そちらの白いキューブは杏仁豆腐で合ってます」
「そうなんですね! 見た目にいいアクセントになってますし、味の取り合わせも食べるのが楽しみです!」
「今年は去年から変わって甘酸っぱいカシスアイスを乗せました。大人気のメニューです」
「そうですよね! 期間限定でしか提供されないこれを食べたくて走ってきました! 間に合ってラッキーだったなあ……」
お兄さんのはしゃぎっぷりが微笑ましい。私よりいくつか年上だろうと思うのに、だんだん実家で飼ってる柴犬が重なって見えてきた。あの子、私が帰省するとこんな感じで大歓迎してくれるんだよね。
「おいドギー、間に合ったんだから溶ける前に早く食え」
ファニーフェイスお兄さんとの和やかな会話に花を咲かせていると、ワイルドお兄さんが口を開いた。み、見た目にたがわずなんて低くてワイルドな声……迫力に私はキュッと縮み上がりそうになった。
「それもそうだな。店員さん、お引止めしてすいません。いただきます!」
「い、いえ。どうぞごゆっくりお過ごしくださいませ」
私は軽く会釈すると足早にテーブルを離れた。でもカウンターに戻りながら首をひねってしまう。ドギー……ドギー? あだ名かな?
ちょうどカウンターに着いたところで背後から大声がした。振り返らなくてもわかる、ファニーフェイスお兄さんの声。
「ほっぺたが落っこちるほどに、うまーいっ!!」
ガラガラの店内にその軽やかな喜びの声は響き渡った。いつも一杯のコーヒーで閉店まで粘っているおじさんが驚いて顔を上げるほどだった。見ればボックス席でスプーンを手にしたファニーフェイスお兄さんが、向かいに座ったワイルドお兄さんに頭を上から押さえつけられていた。
「デ、ケ、エ、ん、だ、よ、テメェの声は!!」
「ご、ごめん……いつもの癖で……」
「いつもの癖でなんでも許されるんだったら、オレがテメェをこのまま押し潰してバカ犬のコンソメキューブにしたって構わねえよなあ?」
「君、そんなのしたことないじゃないか! ごめん、ほんとにもうしないから……」
ファニーフェイスお兄さんは、店内中から集まった視線に気が付いてペコペコ頭を下げている。……保護者と飼い犬だな、あれは。
「仲がいいねえ」
マネージャーが売り上げの精算を始めながら口髭の奥で笑っている。私も、騒がしいお客さんは苦手なはずなのになんだか楽しくなっていた。いいな、幼馴染。そうと決まったわけじゃないけど、気の置けない仲なんだろうなって想像はつく。
閉店準備を始めた同僚にならって、私もお客さんに邪魔にならない程度の清掃を始めた。ファニーフェイスお兄さんは声を潜めていたけど、ワイルドお兄さんに向かってだろう、食べているフレッシュフレッシュメロンボウルパフェがいかに美味しいかを語っているのが聞こえた。
「とろける食感の中に薫り高い確かな甘さ……このプチプチしたベリーが食感を楽しくしてくれているっ。なあアーロン、君も一口食べてみないか?」
「イラネ」
「そんなこと言わずに、なあ」
どう考えても、ワイルドお兄さんはファニーフェイスお兄さんがフレッシュフレッシュメロンボウルパフェを食べたがっているのに付き合ってくれたんだ。ワイルドだけど優しいんだな。
「これを逃したら来年まで待たないといけないんだぞ! お礼に一口!」
「ンなクソあめーもん食ったらさっきの肉の余韻が消えちまうだろうが」
それは残念。うちはステーキも売りだから、次回にワイルドお兄さんもオーダーしてくださいね。私は空席のテーブルを拭く手を止めずにこっそりニヤニヤしていた。
「ほんとに美味しいのになあ……なあ、食べたお礼に今度肉を奢るから一口どうだ?」
「テメェ目的を見失ってねえか?」
「思い出は共有したいものじゃないか。せっかく予定を合わせてミカグラに来られたのに」
ほんとに仲良しだなあ……。
「ほら、一口だけ! スプーン一杯で我慢するから!」
「我慢しなかったらオレはどんだけ食わされるんだよ」
「ほら、ほら」
ファニーフェイスお兄さんがスプーンを持って身を乗り出しているのが目に浮かぶ。
「頼むよ、アーロン……」
ほとんど哀願になっている。そんなに食べさせたいんだ……。驚けばいいのかスタッフとして誇りに思えばいいのか私まで混乱してきた。
「……ったくよ」
ワイルドお兄さんは折れたらしい。雰囲気で分かった。
「ほんとか! アーロ、」
喜色満面といったファニーフェイスお兄さんの声が途切れた。あれ、と思ったのは沈黙が十秒くらい続いたのに気づいたからだ。スプーンからソルベでも落っことしたかな?
テーブルを拭き終わって、さりげなさを装ってお兄さんたちの席を窺うと、この角度からだとワイルドお兄さんの背中しか見えなかった。ワイルドお兄さんはちょうど身を乗り出した姿勢から戻って、ソファに体を沈めたところだ。
「想像通りの味だったわ。クソあめえ」
ファニーフェイスお兄さんの返事は、ない。
ないどころか、ずっと黙っている。私は興味をそそられて、テーブルを拭く順番をいつもと変えてじりじりお兄さんズの席に近づいて行った。
ファニーフェイスお兄さんはしばらくカトラリーさえ動かさなかったみたいだ。静かな店内BGMの中にワイルドお兄さんがジンジャーエールを飲む音だけがする。ふたつテーブルを拭き上げたところでカトラリーがカチャっと動く音がした。ファニーフェイスお兄さんは静かに食べている、らしい。
「……なんでこんなところで……」
やがて押し殺した声が聞こえた。囁く声は頼りなくて、明朗快活なワンコ系お兄さんのものとは思えない。
「誰も見てねえよ」
「スプーンから食べればよかったじゃないか……」
「どうせクソあめーならそっちのが早いだろ」
短い会話を最後に、ファニーフェイスお兄さんとワイルドお兄さんは黙ってしまった。そして私も時間切れ、拭けるテーブルが終わってしまったのでいつまでもいることはできず、バックヤードのゴミをまとめに渋々フロアを後にした。
「あれっ。あの幼馴染の二人組さん、もうお帰りになったんですか?」
ゴミ出しが終わって店内に戻ると、レジのところでマネージャーがぼんやりお金を数えていた。
「え、うん。そうだね」
店内を見渡せばコーヒーのおじさんも退店していた。閉店時間にはまだ十分くらいあるのに、珍しい。
「面白いお客さんでしたねー。また来ないかな」
「そうだねえ」
「来年も来てくれたら楽しいのに。なんだか私まで食べたくなってきちゃった」
「そうだね……」
「……マネージャー、聞いてます?」
上の空の相槌に私はカウンターを整理する手を止めた。実際のところマネージャーはなんだか遠い目をエントランスのドアに向けている。私もなんだか感慨深くなってしまって、しみじみとドアを見つめた。
「いいなあ、私もあんな友達がほしい」
「……ああ、いや」
そこで初めてマネージャーが違う反応を返してきた。振り向いた私の視線の先でマネージャーは複雑な表情で口髭をもごもごさせている。
「? なんですか?」
「やあ、ボクの人物観察眼もまだまだだなって思ってたところだよ」
「友達じゃ、ないってこと?」
「まあ、それを口にするのはミカグラ流に言うなら野暮ってものだから」
「???」
あんなに親し気なのに、パフェひとつであんなに盛り上がれるのに、友達じゃない?
私は首をひねり続けたけど結局答えは出なかったし、マネージャーも頑として口を割らなかったので、『面白い幼馴染のお客さん』は『謎の二人組のお客さん』になってしまった。
謎が解けたのはそれからちょうど一年後。まだバイトを続けていた私は、再びLO間際に来店したあの二人組のお客さんに歓喜した。また期間限定パフェが目当てで来てくれたのだとすぐわかったし、これでやっと謎が解けると思ったのだ。
でもまさか、「フレッシュフレッシュメロンボウルパフェを」「スプーンを使わずに」「あんなやり方で」「一口分シェアする」なんて、予想もつかなかった。
しかもファニーフェイスお兄さんは一年前のように照れて黙り込んだりはしなかった。とっても嬉しそうだった。
こんなの、マネージャーだって誰にだってわからないよ……。
そして私は、今度は仲良く二人並んでお帰りになるお客さんたちの背中を見送りながら、『あんな友達』ではなくて『あんな恋人』が欲しくなっていたのだった。