お前の心を持ち逃げしたい「あー、もしもし?」
緊張でスマホを持つ手が震えた。ちゃんと出るよな? というドキドキもつかの間、発信して5コール、約束した時間ちょうど。カイザーが電話に出て、俺はイヤフォンを耳に押し込んだ。
電話越しに衣擦れの音が聞こえる。既にベッドに入っているらしい。
「世一」
カイザーの声がいつもより低く聞こえた。胸がギュンと高鳴って、思わず布団のシーツを握りしめる。くそ、イヤフォンから直接耳に響いてくるから心臓に悪い。
俺も布団に潜り込んで、部屋の外の両親に声が聞こえないよう防御する。恋人がいることは、まだ言っていない。俺たちが付き合い始めたのは、ほんの一週間前のことだからだ。
好きな人の声だけしか聞こえないという状況にドキドキして、目を閉じながら話しかける。
「今日何してた?」
いざ通話となると、何を話していいか分からず無難な話題選びになる。ただ、カイザーの事ならなんでも知りたいのは本当だ。俺は頭から布団をかぶって、足を所在なく動かした。
そうしたら段々と布団の中の空気が薄くなって少し苦しくなってきた。一瞬顔を出して、息を吸う。その瞬間カイザーが話始めようとするから、声が部屋の外に漏れ出るのを危惧して、再びピュッと布団に潜り込む。
「今日は…自主練だ。世一は?」
「ふは、相変わらずかよ。まあ俺もだけど」
「お前もかよ」
結局俺たちは、日中にやることと言えばサッカーしかないらしい。汗だらけで帰ってきた体は、風呂に入ったことで今は清められている。
恋人の一日を聞きたい。その思いは同じだったようで、今度はカイザーから質問が降ってきた。
「世一は今日、何を食べたんだ」
静かな響きだった。声が甘い。コイツ、付き合うとこんな感じなのか…。気恥ずかしくて声を張り上げたいが、やはり、恋人と話す時の声を両親に聞かれるのは避けたい。あの二人なら、にこにこしながら家に連れてきたら、と言いそうなところを含めて恥ずかしい。ので、まだ隠していたい。
「ん? んー、夕飯はハンバーグだったよ」
「っふ、子供だな」
食卓に並んだデミグラスソースを思い出しながら答えると、カイザーが優しく笑った。馬鹿にしているような言葉なのに、声は柔らかい。
その甘ったるさに、ほんっとうに恥ずかしいんだけど! と思うが、俺もいつもとは声が違うと自覚しているから何も言えない。やわらかくて、甘くて、好きが漏れ出たみたいな声だ。あーもう、脳が沸騰しそう。
でもそれを悟られたら負けのような気がして、ついつい虚勢を張る。
「なっ、じゃあお前は何を食べたんだよ」
「プレッツェルとチーズプレート、サンドウィッチとザワークラウト」
「なんて?」
つらつらとカタカナを並べられても、そんなに一気に処理できないんだけど。サンドウィッチしか聞き取れなかった。イヤフォンが壊れてるのか?
イヤフォンをとんとんと指先で叩きながら聞き返す。
「っは」
少し笑ったカイザーは、わざと俺を翻弄したのだろう。くそ、と口元をむずむずさせる。笑い方がカッコイイだなんて、まったく、これっぽっちも思っていない。
沈黙が訪れる。
ああ、いろいろ話したいことがあったんだけどな、何だっけ。メモしておけばよかった。次からそうしよう。
頭の中で決意して、何か話題を、と引き出しを探る。
付き合えたことで距離は近づいたはずなのに、前よりも話下手になっている気がした。
「カイザー」
「世一」
あ。
数十秒の沈黙の後、お互いの名前を呼び合ったタイミングは同時だった。
「あ、いや、オマエからいいよ」
「ああわかった」
条件反射で話の主導権を譲ると、あっさりと承諾をされたから、そこは譲り合うところじゃないのか、と思うが、それもコイツらしい。というか、譲り合うのが日本的なのか、それは分からない。
俺は相変わらず布団の中で息をひそめながら、カイザーの低い声を脳内で反芻していた。
布団の端をぎゅっと抱きしめ、両手で握りこんで、次の言葉を待つ。
「―――――すきだ」
「…へ」
すきだ!? え、いま?
急に告げられた甘い言葉に、指先が痺れた。じたばたと寝返りを打つ。びっくりした!
コイツ、付き合ったらこんなこと言うタイプなんだ! とか、いや、付き合ったらこのくらい普通なのか? とか、俺今めっちゃ間抜けな声出したよな? とか考えて、動揺が止まらない。
そもそもなんでカイザーはこんなに余裕そうなんだ、やっぱり経験の差なのだろうか。
「お、おれも…」
「そこは好きって言えよ」
「わ、わかってる」
俺も好きだと言いたかったのに、茶々を入れられて言いづらくなった。せっかく付き合ってから初めて好きだと言ってくれたのだから、俺も返したい。でも口にするまでが恥ずかしい。
脚をバタバタと動かして、シーツを爪でガリっとひっかいた。
あー! 世の中のカップルって、みんなこんなことしてんの? 恥ずかしくて耐えられない。慣れるものなのだろうか。
「…おれも、すき」
ひねり出した声は、ずいぶん小さかった。両親はもう寝てるよな、と改めて思い出し、ドアの外の気配を伺う。
たぶん、大丈夫だ。
「世一は照れ屋だな」
カイザーがくすりと笑ったのが分かった。
「オマエが余裕すぎんだよ…」
なんだか一気に気力を使った。体をだらりとマットレスに沈めて、悪態を付く。
俺の言葉に、愉快そうだった声が一変し、少しの不機嫌をにじませてぼそりとつぶやかれる。
「別に、余裕じゃない」
「あ、そうなの?」
「当たり前だろ」
常識だと言わんばかりに返してくるカイザーは、うそを言っているようには聞こえない。
なんだ、そうか。そうなんだ。ドキドキしてんの、俺だけじゃないのかな。
俺はカイザーが初めての恋人だから、右も左も分からなくて混乱するばかりだけど、もしかして、カイザーも俺と通話する前、緊張したりしたのかな。
そう考えるとなんだか嬉しくて、布団から顔を出す。
電話越しに、カイザーも姿勢を変えたのが分かった。ごそごそと音がする。
体勢移動が落ち着いて、再び沈黙が訪れた。お互いの息遣いだけが木霊する。
カイザーも余裕がないんだ、と噛み締めるように思い返した。俺で余裕が無くなるんだ、そうなんだ、可愛いやつだ。
そんな風に考えていると、俺はなんだか急に羞恥心みたいなものが全部吹き飛んで、カイザーに一泡吹かせてやれる気がしてきた。と、いうのは恋人に対しては不適切な言い回しかもしれない。
でも俺はここで、カイザーに自分から「好き」と言って、驚かせることが出来るのではないかと思ったのだ。
「なあカイザー」
「なんだ」
両親はやっぱりもう寝ているみたいだから、少しくらい声を張っても大丈夫だろう。
「すき」
少し息を飲んだ音がした。よし、成功だ。
カイザーから好きと言われたのが初めてなら、俺の「好き」は告白以降初めてのことである。
告白という直球な愛の伝え方に、驚きまごついていたカイザーも可愛かったが、今動揺しているらしいカイザーも随分と可愛らしい。
俺は勝ち誇った顔をして、スマホを片手に寝返りを打った。左半身を下に、黙ったままのカイザーの息遣いを楽しむ。
どうだ、俺の「好き」は。
自信をもって口角を上げた。と、その瞬間、カイザーから発せられたのは思わぬ反撃だった。
「だいすきだ」
「…っ!?」
息が止まる。首を絞められたみたいに顔が熱くなって、体がびくっと飛び跳ねた。次に全身が熱くなる。
だ、だいすき? その手があったか…!
慌てて布団に潜り込む。全身をバタバタと動かして、目をぎゅっと瞑った。
「はは、世一、まだまだだな」
勝ち誇ったように告げてくる。だめだ、俺はまだコイツには勝てない…!
サッカーをする上ではした事の無い敗北宣言を心の中で掲げて、通話のミュートボタンを押す。
「っはぁ~~~~」
息を止めたり荒くしたりと忙しなくしていた呼吸を、一旦落ち着ける。
ああ、付き合うって、こんなに気恥ずかしくて、こんなに嬉しいんだ。にやにやと口角が上がる。
あの時告白してよかった。一週間前の俺、ナイス。
布団の中でごろんごろんと転げまわる。
ただ、いつまでもミュートにしていても怪しまれるので、すぐ通話に戻らなくては。ミュートを解除する。
タイミングよくカイザーが話し出した。
「世一、明日早いだろ」
「…うん」
「もう寝ろ」
あれ、もう少し話せると思ったのにな。なんだよ、寂しいじゃん。
確かに、俺は明日、朝が早い。昨日話した内容を覚えてくれているんだなと嬉しくなる。
でも、まだ話し足りない。声が聞きたい。
「オマエと行きたいところの話したいんだけど」
「…明日聞いてやる」
「う……わかった」
俺実は、カイザーと行ってみたいところを、付き合う前からリストアップしてたんだ、と言ったら驚くだろうか。付き合ってから初めてのデートで行くところは吟味したいから、このリストの中から二人で話し合いたいと思う。
本当はこの話を今日しようと思ったのに、カイザーは既におやすみモードだ。
でも、そうだな、また明日があるんだ。明日、カイザーとデートの話をしよう。屋外が良いかな、動物園とか。屋内もいいかもしれない。映画とか、水族館とか。そういえば、カイザーが見たいと言っていた映画がもうすぐ公開だった気がする。
やっぱりまだまだ話足りない。
「おやすみ、世一」
でもカイザーが、ゆっくりと、俺を安眠に誘うように囁くから。
「おやすみ、カイザー」
今日のところは、一旦休戦でもいいかな、と思って電気を消した。
通話は繋げたままだ。
明日の朝、カイザーより先に起きて、「おはよう、だいすきだ」と言ってやるんだ。
心に決めて目を閉じたら、自然に眠気がやってきた。このまま身を任せて、夢の世界へ。カイザーが出てくるといいなと思う。
すぅ、という音が電話越しに聞こえる。カイザーも寝る体勢に入ったみたいだ。
好きな人の寝息を聞きながら眠る。付き合うって、なんて幸せなことだろう。
自然と緩む顔はそのままに、俺は意識を手放した。