そうだ、告白をしよう! そうだ、猫殺しくんに告白をしよう。
山姥切長義がそう決意したのは、修行から帰還して三日が経った日のことだった。何かきっかけがあったわけではない。ただ今日は帰還してから初の非番で、のんびりと自室のこたつに入って寛ぎながら、目の前の該当刃物――南泉一文字を眺めるうちに、そんな気分になったのだ。〝決意した〟というよりは、〝思いついた〟に近いのかもしれない。
「……にゃんだよ。オレの顔になんかついてっかぁ?」
思案を脳裏で転がしながらじぃと見つめる長義に気づいて、南泉は居心地が悪そうな顔をした。いや別に、と返しながらも考える。……告白をすることで、果たして二人の間に何が訪れるのか。
実のところ、わざわざ告白などという形を作って行動せずとも、長義は彼への感情を隠したことなど一度もなかった。いつだって言葉でもって好意を表明してきたし、行動にも移してきた。例えば今二人が温まっているこたつだって南泉が部屋に来てくれるよう長義が自費で購入したもので、その際にも〝こたつを買うから俺の部屋に遊びに来るといい〟と、直球で伝えている。その好意が本音だとわかっているからこそ南泉も遠慮せず、長義の部屋に入り浸っているのだろう。……それでも改めて、告白をしようと思いついたのは。
(結局、好意そのものは、ずっと受け流されている。…かな)
切れ味を褒めても可愛らしいと愛でても、南泉は〝にゃんにゃんだ〟と猫の語付きで呆れたり威嚇するばかりで、想いを返すどころか受け止める素振りすらない。こうして自室に入り浸ってくれるようにはなっても、長義を特別だと認めてくれたことは、一度だってないのだ。
(別に、この関係を変えたいという強い気持ちがあるわけでもないが)
今は脈なしだとて、長義の魅力を示し続ければやがては南泉も絆されるだろう。長い間そう考えて気にもしてこなかったが、修行を終えて心に余裕が生まれたからだろうか、急に疑問が頭をもたげたのだ。もしも間柄と立場を変えたいと、真正面から望んで見せたなら――受け流せない真剣さで恋仲になって欲しいと迫ったら、彼はどうするのだろうか、と。
「……そうだな。ちょうどバレンタインも来ることだし」
「あん?」
「独り言だよ。……少し席を外すが、好きに過ごしていてくれて、構わない」
知己を訪ね、目当ての本を手にして部屋に戻った時にも、南泉は変わらず長義の部屋にいた。うとうとしていたようだが障子が開いたのに顔を上げ、おかえり、と声をかけてくる。
「ただいま。おやつを頂いたからお前にもお裾分けだよ。試作品だそうだが」
「お、ありがとにゃ。厨に行ってきたのか?」
「いや、小豆のところにね。借りたいものがあって」
せっかくバレンタインに告白すると決めたのだから、手作り菓子の一つくらい用意したい。そう考えて借りてきた手引書をこたつに入りながら広げると、覗き込んだ南泉の目が、くるると丸くなる。
「菓子作り? ……お前が?」
「まぁね。バレンタインに告白するなら、手作り菓子の一つもいるかなと」
「告白!? お前が!?」
大げさ過ぎる南泉の反応に、長義はむっと眉を寄せた。
「なんだよ。俺がバレンタインに乗ることが、そんなにおかしいか? 別にひとりで勝手にすることなんだから、放っておいてくれるかな」
告白に是を返す義務があるわけでなし、改めて真剣に間柄変更を希望してみる程度の行動を、制限される謂れは無いはずだ。
ぴしゃりと言い放った長義に南泉は、言い返すこともなく口を閉じたので。長義はそのまま南泉を放置して、菓子の選定に入ったのだった。
翌週、午後から非番の日。外出届を申請し戸口で出かける支度を整えていると、南泉が焦った様子で駆け寄って来た。
「外行くのか? オレも行く。いいよにゃ?」
「えぇ? ただの材料下見と買い出しだけど…」
「オレも行く、にゃ」
有無を言わせぬ調子に了承したものの、道中南泉は黙りがちで、いまひとつ会話が続かない。機嫌でも悪いのかと首を傾げていれば、万屋に着く頃ようやく、自ら口を開いて。
「あのよ……オレ、もしかして誤解してたんじゃねえかと思って」
「誤解? 何の話かな」
「その、……お前なんか悪りぃことして、謝りにいくとかか? そういうことなら、オレも一緒に謝ってやる、にゃ」
唖然、という言葉の本質を、長義は初めて体感したかもしれなかった。まさかこいつ、俺がバレンタインに罪の告白をしに行くとでも思っているのか。
「正気か? バレンタインと言ったら恋の告白が相場だろう。まさか知らないとか、ないよな」
「いやまぁ……知ってた…………にゃ……」
しおしおとすっかり覇気がなくなってしまった南泉に気がついて、さすがの長義も困惑が強くなってきた。もしや己の物言いに傷ついたとか……いやそんなこと、今更ないとは思うけれど。
「……あー、その。……そういえば猫殺しくん、食べられないものとかなかったよな?」
え、と顔を上げた南泉に、微笑んでみせる。なるべく、柔らかく見えるように。
「今日はまだ、下見だからね。予定の変更も可能だし、食べたいものに希望があるなら聞くけど」
「えっ。お、オレにくれんのか……!?」
「もちろん」
頷きながらも薄力粉の袋を二つ籠へと放り込めば、一瞬明るい表情になった南泉が、続いて不審げな顔になり。
「……二袋は多くねぇか……? 何作る気だよ」
「うん? せっかくだから本命とは別に、世話になっている皆に配る分も作ろうかと思ってね」
「あ…………そういうこと……にゃ……」
一瞬の明るい反応はどこへやら、南泉はそれ以降も黙りがちになってしまい、結局菓子の希望も聞き出せずに終わったのだった。
バレンタイン前日。厨の一角を借りて準備を始める長義のそばに、やっぱり南泉はやってきた。少し離れた位置から作業を眺める様子はどこか悄然としていて、ため息が出てしまう。
「……そんなに、俺が告白するのが嫌なのかな」
南泉は、気落ちしながらも日々の仕事や日常生活に支障をきたすことはなく、それどころか周囲にさして気づかせない程度には、己を律することもできていた。だからこそ、隠しきれないタイミングというのがはっきりしてしまって、遣る瀬無い。彼はどうやら、長義がバレンタインの用意をすることに対して、憂いを感じているらしいのだ。
「…………やだっつったら、止めてくれんのかよ」
ついには言葉にされてしまって、ため息をもう一つ。始めてしまった菓子作り、ボウルの中で長義の作業を待つ、材料たち。
「……どうかな。実際に言われてみないと、わからない」
長義の返答に南泉は一度口を開いて、結局何も言わぬまま、踵を返した。見送って、溢れそうになったため息を、長義は意思の力で飲み込んだ。……例えば、渡さないという選択肢がこの後に、あるのだとしても。
「作るからには全力で、心を込めて。……基本かな」
これに美味しくなれと愛情を込めることは、決して悪いことではなかろうと信じるしかなかった。
概ね期待通りの成果をだして、その日の夜。小分けに袋詰めしたマドレーヌの山と、箱に詰めたガトーショコラをこたつの上に並べて、長義は思案していた。果たして明日の決行日、己は告白を実行すべきか否か。
(あれだけ嫌がると言うことは、色良い返事は期待できないわけだが)
恋仲になりたいと望まれたところで断れば良い話、それをあれほど忌避するからには、実行することで悪い方向に関係性が変わることも、視野に入れなければならないのかもしれない。
(もうこの部屋にも、来てはもらえないのかな……)
好意だけならともかく欲もあるとなれば、気まずさや危機感も湧くということか。けれどそう言う話なら、今取りやめたところで、元通りにはならないのでは。
嫌な想像に眉を顰めたところで、部屋の外によく知る気配が立つことに気がついた。程なくして、声がかかる。
「……山姥切。起きてるか?」
「猫殺しくん? どうしたのかな、こんな時間に」
障子を開いて、驚いた。南泉はその手に、小さなブーケを抱えていたのだ。
「え。花?」
「あの……これ。……一日早いけど、バレンタイン」
「え?」
「お前が、好きだ。だから、……ほかの奴に告白するのはやめて欲しい、……にゃ」
「え??」
情報を処理できず固まる長義と、反応を待ち続ける南泉の間を、乾風が通り過ぎた。
「……あっ、わ、悪い。えぇと寒いから、とりあえず入って。ほら早く」
はっと我に返って慌てて部屋の中を示しても、南泉は戸惑った様子で動かない。
「どうしたんだ? 早く入りなよ、俺も寒い」
「えぇ……入っていいのかよ……」
「当たり前だろう。うわ、冷え切ってるじゃないか……まさか声をかける前にしばらく外にいたのか?」
無理に引っ張って放り込んで、障子を閉めてから振り返る。ええとそれでなんだっけ、南泉が、……俺を好き?
「……別にどっちでもいいだろ。つーかオレ今、告白してんだけど? そういう相手を、部屋に入れるなよ」
「それくらい理解しているとも。あぁ、えーと、花? もらっても、いいのかな」
「お、おぉ」
差し出されたそれを、そっと手に取った。季節外れの花束は青を基調に美しく仕上げられていて、長義のことを考えながら選んだであろうことが、一目でわかった。……南泉が、俺のことを。じわじわと実感が湧いてきて、頬が熱くなる。
その様子は、南泉からも見てとれたのだろう。一瞬目を見開いた彼が、ぐっと拳を握って、口を開いて。
「その、オレ、……お前が恋愛とかそういう……感情があると、あんま思ってにゃくて」
「は? 絶妙に失礼だな……そんなわけないだろ」
「そ、そんなわけなかったって知って、吃驚した、にゃ。でも可能性があるなら、オレのことも考えてみて欲しくて、」
なるほど、と長義はやっと、理解した。己が長い長い年月伝えてきたつもりだった好意が、南泉には一ミリも、伝わっていなかったということか。割とショックだ。立ち直るのに時間がかかる間にも、南泉は言い募っている。
「す、好きなやつ居んなら難しいかもしんねーけど、一回考えて欲しいにゃ。オレじゃダメか? オレ、……オレは、お前のことが好きだ、ほんとに、だから」
「――うん。わかった、明日の告白はとりやめよう」
「え!」
「明日まで出し惜しむ必要がなくなったからね。……先を越されたのはやや悔しいが、まぁ、悪い気はしないかな」
「え?」
理解が追いつかないらしい南泉の横を通り過ぎ、一旦花束を置いて。それからガトーショコラを手に取った。まだラッピングもしていなかったけれど、まぁいいだろう、善は急げというやつだ。
「はい、これ。お前のために作ったんだから、受け取ってくれるよな? もちろん大本命だよ、最初っからね」
「え??」
「俺も、好き。大好きだよ、だから今日から、恋仲になろう」
固まってしまった南泉の返事を待ちながら、考える。とりあえずお茶の用意をしても良いかな、寒いし、南泉もこたつに入った方がいいだろう。あっ先に花瓶を借りてくるべきか? 俺の部屋にはないぞ。南泉は持っているのかな。
取り留めのない思考を遮るように、南泉の叫びが響き渡った。
「オレだったのかよぉ!?」