おれだけの眩耀本人は気を付けているつもりらしいが、ガタンバタンと雑音が鼓膜を揺らした。
この部屋に来るまでそう時間もかからないだろうと緩みそうになる口元を引き締めて本のページを指先でなぞる。
もう内容になど集中できそうにないだろう。そもそも、そんな時間さえ与えてはくれない相手がやってくるのだ。
「トラ男!ニジだッ!」
予想通りの人物が、大きな音を立て扉を開けながら開口一番そう言い放った。その直後、壁掛け時計がポーンポーンポーン、と三回鳴り響く。
「……三時のようだが?」
鳴り終わった静けさの中首を傾げると、相手は足音を立てながら近付いてきた。
「ちげェよ!虹だ!空に虹が出てるんだ」
「あぁ、そうなのか…」
なるほどな、と、納得していれば強く腕を掴まれた。いつの間にか本も取り上げられていて、これは多分強制的に連行されるのだろう。
「見に行こうトラ男」
「…おれが行ってどうなるんだ…」
隠すことなくため息を吐いては掴まれた手を振り払おうとするが思いの他強い力で握られていて振りほどけなかった。
「イヤだ。おれがトラ男と虹を見てェ、だから行くんだ」
案の定強制だと宣って、腕を絡めるように組まれてぐいぐいと引っ張られる。
「おい、そんな引っ張るな危ねェ」
「トラ男が転んでもおれが支えるから大丈夫だ」
「全、然、大、丈、夫、じゃ、ねェッ!」
イラッとして言い返しても何処吹く風、この自己中心的な台風の目はあっという間に外へ移動してしまった。
その途端ぽつんと当たる雫に瞬きし濡れた頬に触れる。
「晴れてんのに雨降ってんだ、おもしれェよな」
にしし、と楽しげな軽い笑い声に毒気が抜かれる。
「狐の嫁入りだな」
ポツポツと一つの雫は大きいがゆったりと落ちてくる雨粒を顔で受け止めて目を閉じる。
「今日キツネが嫁にいったのか!」
途端弾んだ声が横から大きく響いてきて、鵜呑みにするその純粋さに関心した。
「天気雨をそう呼ぶ場所があるらしい、由来はしらねェが、まぁ化かされたとでも考えてんだろうな」
「馬鹿?」
「急に自己紹介か?」
ぽつんぽつんと降る雨は本降りではないけど雨粒の大きさのせいでそれなりに濡れていく。傘でも持ってくるべきかと思考が過ぎった時、何処にも行かせないと言うかのように、腕に絡んでいた相手の力が強まり引き寄せられた。
「…おい」
「あのな、すげェキレイな半円の虹が、二本も出てるんだ」
妙に落ち着いた声で話し出すものだから、傘を取りに行こうとしたことなど頭から飛んで、相手への意識を向ける。
「写真、いっぱい撮ったから。後で一緒に見よう」
腕だけでなく、指まで絡んで握られた。ギュッと握る手は濡れている。よくよく意識を向ければ、身体もしっとりと濡れていて、恐らく長い間外でカメラを空に向けていたのだろう。小雨とはいえ長く外にいれば濡れもする。
本当に、馬鹿だと思う。
「…あァ。もう随分、写真もたまったんじゃないか?」
出会ってから二年間ずっと、思い出を残すのだと不慣れなスマホを駆使して写真を撮り、それがいつか本格的な一眼レフのカメラになって、どんどん技術も上がっているのだと言う。友人に褒められて個展でも開いたらどうかと誘われたらしい。
再び顔を上げて天を仰いで目を細めた。
「おう!いっぱいあるぞ!それにこれからだって増えてくんだ、楽しみにしてろよな」
「そうかよ、期待はしねェでおくか」
茶化すようにそう言って笑えば。
「シッケイだぞ!」
と、憤慨する声がした。台詞より柔らかな声音、怒ってはいない。
(あァ、千の絶景よりも、今おれはお前の顔が見てェよ……)
見えない目が、こんなにも疎ましいものなのだと知ったのは、気付いてしまったのは。
お前と言う光に出会ってからだよ。
(後に写真家となるル×盲目のロ)