カエデとポッキーゲームシェスカ・フランコフカはネコイナリ・カエデの先輩である。
悩める彼を導き、道を示した彼女はカエデに恋をしていた。
これはそんな彼女とカエデの都合のいい夢の話。
カエデはいつもの様にテレピン油の臭いが充満する部屋で、先輩の絵のモデルをしていた。
白いワンピースに身を包み小綺麗にされた椅子に腰掛ける様子は、カエデの線の細さと相まって楚々とした空気を纏っていた。
対する先輩は、そんなカエデの雰囲気を絵画にとどめるべく手を動かし、真剣な表情でカエデとキャンバスを交互に見つめる。
制作に打ち込んでいる先輩の姿を見るのがカエデのひそかな楽しみである。
普段は掴みどころがない飄々とした態度の先輩が、キャンバスに眼を落としている間だけ見せる一面が好きだ。
楽し気な言葉と他愛のない話が紡がれる唇が閉じられて生まれる、この沈黙すら愛おしい。
そんな想いを見透かされないように、先輩が顔を上げるのに合わせてそっと視線を逸らす。
進展などという贅沢はいらない。居心地の良いこの時間がずっと続いてくれることをカエデは心から望んでいた。
どうやらひと段落着いたらしく、先輩が筆を置いた。
「少し休憩しようか」
先輩はそういうと小さなテーブルの前に立ち、コーヒーを淹れる準備をする。
水筒の水をケトルに移し魔法を行使する。
お湯を沸かす魔法は面白い。
単純に炎で温めるだけでなく様々な方法があるらしい。
先輩は風属性専門の魔法使いなので、炎を使った魔法は得意じゃないらしい。
だから代わりに空気を圧縮することで加熱するそうだ。
イメージは空気中を自在に行き来する熱を、逃げられないように空気ごと集めて水の中に送り込むらしい。
先輩が指揮を取る風が、カエデの髪を撫で、先輩の髪を揺らし、ケトルの周りに集まっていく。
その姿が優雅でカエデもこっそりと練習しているが、なかなかうまくいかないでいる。
そんなことを思って眺めているとコーヒーが淹れ終わっていた。
綺麗にされたテーブルに、二人で持ち寄ったお菓子を並べる。
いつもの他愛のない話をするだけのティータイムが始まる。
なんてことない、そんな日常がカエデにとっての宝物だ。
カエデがお茶請けの中に、とあるチョコレート菓子を見つけた。
「先輩、これはなんでしょうか?」
見慣れないお菓子にカエデが疑問を投げかけると先輩は、
「棒状にしたプレッツェルをチョコレートに浸けたお菓子だね。手が汚れないと評判なのだそうだ」
と答えてくれた。
「カエデはそのお菓子は初めてかい?」
先輩の問いに、「はい」と答えると先輩はにこりと笑って、
「それじゃあ、そのお菓子の楽しい食べ方を教えてあげよう」
と言った。
シェスカはお茶請けの中にあるお菓子を二つ手に取り、ひとつをカエデに渡す。
「まずはこれを咥えるんだ」
カエデは言われるままにチョコレートの部分を口に含む、
そしてシェスカも同じように自分の手にあるチョコを口に含む、
「そしたらそれを少しずつかじって食べていくのさ」
サクサクという口当たりを楽しみながら食べると、カエデも同じように食べる。
まるで行儀の良いリスの様に食べている姿が愛らしい。
この景色を閉じ込めてしまっておきたい。
そう思うほどにシェスカもこの時間を気に入っていた。
「美味しかったですね」
プレッツェルを食べ終えたカエデがあまりにも幸せそうな笑みを浮かべるから、少しだけ魔が差した。
「さて、これからがこのお菓子の楽しい食べ方だ」
そう言って、自分の手にある最後の一本をカエデの口元に運ぶと、最後の一本を譲ってくれると思ったらしいカエデは照れくさそうにプレッツェルを咥えた。
「美味しいお菓子だからよく取り合いになるんだ」
カエデはよく分かってないような顔をする。
その顔が愛おしい。
「僕たちも取り合ってみようか」
そういって、カエデが咥えてるお菓子の反対側を口に含む。
カエデは大きく目を見開くと、体を引いて逃げようとする。
それを椅子の背もたれと腕を使って覆いかぶさるようにして阻む。
年が三つ離れているとはいえ男女差がある。
本気で逃げたいのなら、私を突き飛ばせばいいのにカエデはそうしなかった。
それはカエデの優しさなのか、それとも..
そんな都合の良いことを想いながら、カエデの優しさにつけ込んで、プレッツェルを一口かじって距離を詰める。
カエデの耳が落ち着きなくぴょこぴょこと動き、金色の瞳が逃げ場を求めてきょろきょろと泳いだ。
動揺の具合が手に取るようにわかる。
その姿が本当に可愛らしくて、もう一口かじり取る。
ひとつ近づくと美しい貌は一層赤く染まった。
自分の中に込み上げてくる、感情と照れを押し込める。
私が仕掛けているのだ。ここで崩してどうする。
口の中に甘いチョコの味が広がる。
「カエデ、食べないの?」
そう言うと先輩は、お菓子をカエデの口に押し付けてくる。
唇の熱で溶けたチョコが滑り、その分先輩の唇が迫ってくる。
蕩けたチョコの甘い香りと、近づいてくる先輩の匂いに頭がクラクラする。
顔が熱くなってるのが分かる。心臓の鼓動だってさっきから早鐘を鳴らしている。
この取り合いの一般的な趣旨をカエデは理解している。
取り合いという名のゲームを言い訳に、あわよくば唇に触れたいそんな期待と欲望のこもったパーティゲーム…
だけど、それは先輩が思ってることと同じなのだろうか、いつものようにただの遊び、じゃれ合いのつもりではないだろうか、それを本気にしてしまって良いのだろうか、カエデには分からないし、もしも違った時にどう申し開きをしたらいいのかわからない。
先輩に触れたい、先輩を抱きしめたい、先輩と唇を交わしたい。
獣欲と呼ばれる片鱗が鎌首をもたげるが、そう思っているのは自分だけだろうか、少しでも、ほんの少しでも先輩の表情や行動からそういったものを読み取れれば、安心できるのに、読むことを許さない余裕の表情を浮かべた先輩を今この時ばかりは恨めしく思う。
それでも少しだけなら、少しだけ自分から近づくのは許してもらえないだろうか…
少しばかりからかいすぎたかもしれない。
戸惑うカエデの表情にわずかな怯えを感じ取った私は、名残惜しいが潮時を悟った。
もう少しだけこうさせてほしい、そんな身勝手でカエデの髪を撫でる。
スルリと指が通る美しい髪は、普段の手入れの賜物だろう。
すると、思いがけない事が起こった。
カエデはためらいがちに唇を薄く開くと、恐る恐るとわずかだけどプレッツェルをかじり取ってきたのだ。
それが私にはたまらなく嬉しかった。
私を受け入れてもらえたそんな気がして、血が沸騰するような高揚を覚える。
やっぱり私は、目の前にいるこの少年に恋しているのだろう。
もう隠すことはすまい、心に決めて私はもう一口を進めようとする。
先輩の目に浮かんだ熱をカエデは見逃さなかった。
兄弟には決して見せることのない顔、今まで求めてやまなかった物を見つけたカエデは、目に浮かんだ涙も隠すことなく、先輩の眼を見つめる。
愛しいその人を前にして、今まで見えなかった心を前にして、ためらいなどもうなかった。頬に手を伸ばし、最後のひとくちを進める。
不毛な朝だった。
シェスカにしては珍しく最悪な気分の朝だった。
ひとり部屋であったのなら、枕のひとつでも壁に投げつけていただろう。
夢落ちというのは、まことに不毛である。
自分の深層を覗いた気分の悪さもさる事ながら、あともう少しだけ見ていたかったと、惜しむ自分にため息が出る。
アトリエに行こうとしたとき、ルームメイトに呼び止められた。
「今日もあの子に会いに行くんでしょ? 例のお菓子は持った?」
念を押されるように例のお菓子を持たされた私はアトリエに向かい、いつものように美しく着飾ってくれたカエデをモデルに絵を描く。
別に例のお菓子を持ったからなんだというのだ。
取り合いなどなろうものか、私もカエデもそんな子供ではない。
別に期待などしていない。
そんな事を思いながら迎えたティータイム。
持ち寄ったお菓子を並べていると、持たされた赤い箱のお菓子が二つあった。
そう、取り合いなど、なろうものか!