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不思議な夢を見た。星空の下でオーエンとテーブルに向かい合って座っている夢だ。オーエンは食堂でもそうであるように菓子の類を食べているらしく、一口大の焼き色のついたものを口に運んでいた。クッキーか何かだろう。
不思議だと思いながら夢の中の掴めなさに誤魔化されるように何となく納得していた。
「食べないの?」
オーエンに問われてはっとテーブルに目を落とす。自分の前にも白いレース模様の皿にクッキーがおいてあった。ココアか何かを混ぜてあるのか普通の焼き色よりも濃い茶に黒に近い艶やかなチョコレートがかかっている。隣には湯気を立てた赤みの強い紅茶。どう見てもお茶会だこれは。
「ねえ」
焦れたような促しにそっとクッキーを一つ摘まんで口に運んだ。さくりと齧ればクッキーのチョコレートが口内で溶け染み入る。酷く甘かった。
そんな夢を見て目を覚ました。
「おはようございます、カイン」
「ああ、その声は賢者様。おはよう」
カインが手を出すと異界の賢者が手を重ねてきた。途端に視界に彼女の姿が映りこんでくる。深いこげ茶の艶やかな髪が今日もすとんと伸びて、前髪が一房だけ逆に跳ねているのはお洒落なのだろうか。
「今日も賢者様は素敵だな」
「カインのそれは信用ならないんですよね……寝ぐせ残ってません?」
賢者が跳ねている一房をいじって妙な表情をしている。ひょっとしたらあれは寝ぐせだったのだろうか。よくわからないのでカインは心のままに口にする。
「よくわからないが今日も素敵だと思うぞ、チョコレートみたいに艶々してて……」
口の中に強烈な甘みが蘇った。咽喉を焼くような甘さ。思わず言葉が途切れた。
「カイン?」
「いや……何でもない。そうだ、賢者様。今日も昨日の本の続きを読むんだろう? 食事が終わったらまた図書室についてくよ」
「毎日すみません。助かります」
ココアを混ぜて焼いたクッキーの色の眼を細めて、彼女はカインに微笑んだ。
また星空の下で菓子が置かれているテーブルを挟んでオーエンと向かい合っている夢だ。
今日は白いクリームに覆われたケーキが皿には乗っかっている。銀色の粒が模様を描き、青い砂糖菓子の花がアクセントに添えられた上品で美しいケーキだ。
「食べなよ」
向かいのオーエンの持つフォークにも、黄色のやわらかそうなスポンジが一口大に切り分けられて刺さっている。
オーエンに促されることに不思議な戸惑いを覚えながらもカインはケーキにフォークを立てた。スポンジのやわらかさが口当たりよく、溶けていく白いしっとりとしたクリームと食感の良い銀の粒。青い砂糖菓子の花がじゃりと甘ったるく舌に残った。
胸が詰まるほど甘かった。
「……カイン?」
「え?」
青い眼がカインを覗き込んでいた。あの人を不安にさせる細く冷たい眼ではなく、やわらかくあたたかな眼差しの人だ。
「アーサー殿下」
「どうした急に。寝ぼけているのか。今の私は王子ではなく、賢者様の魔法使いとしてここに居るよ」
そうだ。さっきまで午後の休暇が取れたアーサーの剣の訓練に付き合って、休憩にしようと言って風に吹かれていたら……微睡んでしまっていたのか。
「すまないアーサー。訓練の続きを始めようか」
「大丈夫か? 疲れているなら今度でも」
「ちょっとうとうとしただけだ。気にするな。ほら、時間が無いぞ」
カインが急かせばアーサーが剣の柄を握った。先程までの訓練で汗をかいてしっとりしたアーサーの銀髪が細い束になって陽光にきらきら輝いていた。
深い夜に星が瞬く。その下で不思議な茶会が今日も開かれた。
今日のメニューは青いゼリーの上に柑橘系のシャーベットが乗せられたものらしい。細い脚の華奢なグラスに詰められたそれらは様々な角度から星の光を反射していかにも美しかった。
「食べないと溶けちゃうよ」
オーエンはいつも遠慮なく茶会を楽しんでいる。今もしゃくしゃくとスプーンに乗せた黄色を口に運んでいた。
溶かしてしまってはこの菓子が損なわれると、カインも急いでグラスの中身を掬った。ひんやりと爽やかな甘さが滑り落ちていった後、ゼリーの甘みが口に残った。
スプーンで崩してもきらきらと違う断面を見せる菓子はいつまでも眺めていられる美しさで、咽喉を通る甘さはやさしかった。だから、これは。
「……ヒース、か?」
「え?うん。そうだけど」
カインが目を開くとヒースクリフが心配そうな表情でこちらを覗き込んでいた。
「俺は……寝てたんだよな」
「大丈夫? こんなところで昼寝してるから風邪ひいたんじゃない?」
言われて上半身を起こせば魔法舎の中庭、そのベンチで寝ていたらしい。おそらくヒースクリフは先程の言葉通り、風邪をひくのではないかと思って様子をみていたのだろう。
「最近妙な夢を見るせいで眠りが浅いんだよな」
「何かの呪いとか? ファウスト先生に診てもらう? でも病気ならフィガロのほうかな」
ヒースクリフは端正な顔を深刻そうに歪めてカインの為に色々考え始めた。カインは憂いに曇った眼がまたガラスのように透き通るようにと、大丈夫だ心配しすぎだおまえはと笑い飛ばしてみせた。
目を覚ました瞬間の覚束ない混乱。それは記憶に焼き付いた光景と差異が無いほど収束が早く、見覚えが無いほど深まっていく。この時のカインの目覚めは自室ではなく、かといって知らない光景でもない、という中途半端な狼狽えだった。
「お目覚めですか」
擽るという表現がぴたりとはまる気怠さを含む声が耳朶を打ち、声を頼りにカインの記憶は次々と蘇っていった。ここは魔法舎のシャイロックのバーで、店主の彼と飲みながら談笑し、いつの間にか眠ってしまっていた。
「西のルージュベリーのビターチョコレートかけ……」
「どうしました?」
ことりとカウンターに透明な彫りグラスが置かれた。中身は水だろう。カインはそれを一気に半分ほど呷って寝ぼけた頭を覚ましながらにかりと笑った。
「あんたをお菓子にしたらそんな感じだろうなと思ったんだよ」
「おや、まさか私をそんな喩えで口説くつもりですか?」
シャイロックが切れ長の眼を細めて笑う。無論カインにそんなつもりはないしシャイロックとてそれは解っているのだが、その上でからかって人との間を楽しむのがこの男だ。
「俺があんたを口説くのは百年経っても無理だろうな」
「ええ。この程度で飲み潰れてしまうようではね」
「まったくだ」
普段ならこの程度では潰れはしない。酒豪とまではいかないが一晩ぐらいは飲めるのはシャイロックも知っている。
「どうします? まだ飲む練習を?」
だから飲み潰れた客を追い返すのではなくまだここに居てもいいと言ってくれたが、カインは首を横に振った。
「いや、今日は帰るよ。ありがとう楽しかった」
「眠気に捕らわれないようになったらまたいらっしゃい」
カインはバーを出てからまったく、ともう一度溜息を吐いた。眠らないように気を付けていてもこれだ。溜息からもビターチョコレートとルージュベリーの甘みが残っているような気がした。
星空のお茶会に今夜出されたのは、若草色と淡いクリーム色のマカロンが二つだった。ころりと寄り添うように皿に添えられている菓子はいかにも可愛らしく、それはやさしい気質の魔法使いの兄弟を連想させた。
「どうしたの? 食べなよ」
じっと菓子を見つめるカインをオーエンが食べるように催促する。それでも動けずにいるとオーエンの笑う気配がした。
「それとも騎士様はそんなものは必要ないの?」
癇に障る物言いを心得ている男の言葉に素直にカインはむっとした。そんなことは無い。あの兄弟がカインの目の代わりになって手を引いてくれること、その時間や空気をカインは大事に思っている。だから皿の上の可愛らしい菓子を口に運んだ。さらりと溶けるやさしい甘さ。彼らと過ごす時に胸の内を満たすものと同じだ。
飲み込みながらつい考える。明日出てくるものは何か。人形のような砂糖菓子ふたつ。ルージュベリーのシャーベットに彩りの葉を添えたもの。白と黒の……
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確かこの後に、同じものを食べてると思ってたオーエンが違うもの(シュガーじゃなくて蜂蜜を垂らした紅茶とかレモンピールとか黄色の花のケーキとか)を食べてて最後にあいつの皿に乗るのは自分だ、と騎士様が気づくエンド予定だった。
オエが食べてるものは「蜂蜜と朝焼けの光を溶かして混ぜた、夏の花みたいな」「カナリアの羽の色みたいで、日を浴びた柑橘類の皮」を参考にする予定だったけどメニュー忘れた。
周りの人と甘ったるい関係を築いてる騎士様みながら食べたいなと思ってるオエと薄っすらそれに気づいてる騎士様、というオーカイ体裁を整えつつ二人の夜のお茶会が見たいだけだった話。